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何がなんだか分からないままに、慌ただしい日々が続いていた。それまでは屋敷の中で勉強も手伝いもしていたのに、隊士や隠が頻繁に出入りするようになったことで日用品の消耗が積もりに積もり、とうとう私と隠の人の二人での買い出しをお願いされるまでになっていて右も左も分からないままに顔を出してはツケで商品を買い込んだ。品薄の店が多く何件も歩いたり、屋敷から離れたり、屋敷での生活にようやく慣れてきたところでそんなふうに動くのは余計に疲れた。

「お嬢、お疲れ様です。あとは炭酸水と味噌を買えば帰れますよ」
「ええ……早く帰って、お茶飲みましょう……」
「ふふ、そうですね。お嬢は本当に変わられましたね」

馬車の座席で棒のような足を揉む手がつい止まり、いやあとかまぁうんとか適当な言葉で濁す。中身が別人なのだから変わって見えるのは当たり前だろうけど、こうして面と向かって言われたのははじめてだ。怪しまれているのなら誤魔化さければと思うけれど、どれかと言えば歓迎されているニュアンスに聞こえたからまあ下手に言い訳しない方がいいのだろう。
前の「お嬢」とはまだ夢の中で話し込んだり本を読み合ったり推しについてプレゼンしあったりと良好な関係を築いている。その言葉の端々に今の生活が如何に合っているかが入ってきたので、まあ鬱憤はため続けていたのだろう。もしかしたら今日一緒に行動している隠の彼に当たったりもしたかもしれない。良いことだとは言えないけれども悪いと断言するには確かに少し息苦しい生活だとは思うし、私にとっては苦どころかひたすら楽なのだから本当に相性とは大事だなぁとしみじみ思うだけだ。確か彼女は今日はライブだったか……自由だ。
屋敷の習慣らしい藤の匂い袋配りも終え、購入したものを詰め込んで狭くなった馬車に乗って屋敷へ戻る。購入品にお茶菓子はなかったから母に作ってもらおうか、とふわふわとした予定を立てていたら、馬車が緩やかに止まった。気付かないうちに速度を落としていたようで、御者の背中を窓から窺ってひとり首を傾げる。道に犬でもいたのか、それとも揉め事だろうかと外に出るべきか悩んでいるうち、御者の背中がゆっくりと右にずれた。首から上がなくなっていた。
あまりに現実味のない風景に、とにかく戸惑って困ってしまった。隠の彼は慌てて馬車の中を探ったり、私に窓と扉から離れるようにと指示をくれたり懐を探ったりして忙しなく動いている。それなのに私といえば本当にやれることが見つからなくて、場違いに荷物が崩れていないか確認なんてしていた。母に叱られるかもしれない。けれどもこんな時の対処法なんて聞いていない。

「お嬢、おそらく鬼です。ああ急いでいたのにすっかり日が暮れて……匂い袋ももう手元には……鴉、鴉を飛ばせば見つけてくれるはずです、外に出て鴉を探せば、ああ駄目か、短刀しか」

ない、と続くはずだった彼の目がまんまるく見開かれ、私の後ろに固定される。視線を追って後ろを向けば荷物が邪魔でろくに離れられなかった窓の向こうには御者の姿が戻っていた。首はない。けれども、隣にもうひとり人影が増えていた。
ガシャンと飛び散るガラスと一緒に御者が私の上に落ちてきて、視界が塞がれているうちに沢山の音が聞こえた。荷物が崩れる音、隠のカイガクと叫ぶ声、刃物を振るう音。何か液体が飛び散る音、重い何かが落ちる音。それだけでああ、あの人は死んでしまったんだろうと悟る。

「手間掛けさせんな、何をしてる」

聞き覚えのある声の後に私に乗っかっていた御者の体が取り払われる。
鬼が目の前に立っていた。

「くそ、まだ臭いなお前……こうなるとあの花の匂いは本当に臭い。匂い袋はないんだろ、それなのに滲みてくる」
「………」
「どうした、呆けてるのか」

鬼が屈んで私の顔へとその顔を近付けた。血を滴らせる唇を吊り上げ、動けないでいる私の顔へとますます顔を寄せる。彼はしきりに匂いについて言うけれど、彼自身が嗅いだことのない匂いを発していた。
荷台は買った味噌だとか消毒液だとか血だとかの匂いが溢れていて、ほとんど沈んだ日は差し込まずに薄暗く、黒い装束の鬼は圧倒的に攻め入って来たけれども知り合いだった。隠の最期の言葉がなければ気付かなかったかもしれないけれども、聞いていたから『鬼だ』と思ってすぐに『彼だ』と認識できた。できてしまった。
そうなってしまえば、今まで『鬼』に抱いていた恐怖が少し和らいでしまった。

「鬼、を」
「なんだ、はっきり言え」
「初めて、鬼を見ました」

白目と黒目が反転していて、変な匂いがして、爪も角も生えていて。けれども会話が成り立っていて知っている顔をしていて、にんげんのようだった。カイガク、と呼ばれていて、返答はなかったけれども目の前に立つ鬼は屋敷をときたま訪れていた隊士であって、鬼とはそういう種族なのだと思っていたのに目の前の彼はもう人間じゃなくて。
受け身なんてとれずにあちこちぶつけた体は痛くて思うように動けず、彼を見上げるのがやっとだ。それを見かねてか鉤爪のある手が私の襟首を掴んで引き上げ、猫でも持ち上げたかのように目の前で吊り上げる。タトゥーのような模様と反転した目玉で表情が読みにくかった顔がぐわりと歪み、どんな感情なのか私には分からない。にんげんの面影を探そうと頑張って見詰めて、見詰めるうちにそういえばもともと彼の顔をこんなにも眺めたことはなかったことに思い至ると彼が私にも分かるくらいにあからさまに笑った。

「なあ、知っていたか。若い女の肉が一番栄養があるんだ」
「……ああ、私食べられるのかぁ」
「そうだ。俺が、食べる」

彼の指が私の首を掠める。それだけでちりちりと痛んだから、きっと血が出ている。逆らうのが馬鹿らしいほどに乱暴で一方的だ。
平和に生きていて、こんな物騒な世の中になんでか移動して、その末に食べられるなんて。なんて私の責任を問わない楽な終わり方なのか。
まぁ沢山歌えたし褒めてもらえたし満足したしと、潔く首を差し出して目を閉じた。流石に、私を殺すひとを見続けるのはどうかと思って。



20.04.04
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