ドウマルート2

「君、今日からはここに寝泊まりしなさいね。無惨様がね、君のこと要らなくなったんだって」
「……はあ」
「君の所作から……えーと何だったかな、この先の文化を測ってた?らしいんだけどね、己で見に行く算段が付いたから君を飼わなくってもよくなったんだけど、食ったら歌を聴けなくなるじゃない?それは勿体ないでしょうって言ったら、なら俺の手元にでも置いておけだって。寝具もあるし人間の食べ物もある、あと足りないものあるかな?」

いつものようにドウマ様に呼び出され、平伏して上座の彼の言葉を聞いていれば、意外なようなそうでもないようなことを言われてとりあえず相槌をうった。
急に「こちら」に来て、急に拐われて、急に要らないと言われたからといって境遇が変わったようでそうでもないし、私の意思は何処にも採用されない。まぁ悩まなくてもいいのだから構わない。
もとよりろくな私物もないため、答えに困ってとりあえず「今は思いつきません」と正直に答える。実家ならむしろ遠慮して「ありません」と答えていたところだが、ここでは何が命取りになるかわからないし、一応は機会を取っておきたいところだし。もらえるかはともかく。

「君ってば歌ってる間は可愛いからなぁ。寺でもちょっと手伝ってもらおうかな。うん、そうだよね、昼間だって平気だものね」
「はあ」
「そうしようそうしよう。鳴女ちゃんにも話しとかなくっちゃね」

信者とは別の制服もあってね、と楽しげに説明するドウマ様に適当に相槌をうちながら、流石にこの先どうなるんだろうと少し不安になる。

この城に来てから、まぁ、食べられるかもしれないということは頭を良くよぎってはいた。
どこを見ても鬼ばかりの空間で、ラジオかオウムのように歌だけを求められている状況なんてそうそう持たないだろうと思っていたけれど、こうして一対一で対面するとますます危機感が募らせられる。ましてやトップの方から首宣言付きである。これは死んだかもしれないな、とじとりと冷や汗をかいていれば、こっちこっちといつもの部屋よりも奥へと案内され、普通に広めの一室をあてがわれて「呼ぶまでは休んでてね」と優しく指示される。
貰った部屋には布団に立派な箪笥、床の間には掛け軸に壺に衣紋掛けに綺麗な着物と生活感のない代物とある物が混在している。まぁなんか詰め込んだ部屋なのだな、と納得し、ふっかふかの布団にとりあえず下着姿で入った。寝間着なんて人間しか使わないようなものはなかったから。あ、食べやすい格好かしらとちょっと思ったけれどもどうせ抵抗もままならないだろうと諦めた。
諦めたくせ、これが楽だと知っているのだ。
これが欲しくて欲しくて、「あちら」では真面目にしなさい、考えなさい、責任を持ちなさいと押し付けられるたびに恐れて震えてた、「あちら」にはなかった、この不自由さ。
決めなくていい生活は、とても気が楽だから。だから諦めたというよりは、いや、これ以上は考えなくてもいいか。なにも変わらないだろうから。




「んんー?……君、綺麗になったんじゃない?」

ドウマ様にそんなことを言われて、歌い終わりの息を調えつつはて、と首を傾げた。
確かに要因になりそうな心当たりはある。ドウマ様へ貢がれた食べ物は基本的に良いものばかりで美味しいし、ムザン様に呼び出されてた頃は主に夕方から深夜で昼夜逆転生活していたのが最近は昼に起き出して細々と動いている。その代わり宵の口にドウマ様に呼ばれて追加で歌うこともあるけれど、ちょっと夜更ししちゃったかなくらいの時間には解放されることが多い。
今日のようにまぁ、すっかり寝ていたところを起こされて急いで着替えて歌ったりなんかもあるけれど、ムザン様の呼び出しよりはちょっと気持ちに余裕がある。ちょっとだけ。
畳みに向かい合って座っているような至近距離で、鮮やかな色を乱反射する人間らしくない綺麗な眼差しを見返していれば、人間らしくない綺麗で鋭い指がするりと頬を掠め、チリチリとした痛みで少し切れたことを理解する。
ここでの流血は命に関わるものだけれど、ドウマ様がここにいるのならそのへんの鬼に襲われはしないだろう。放って置いても……いやドウマ様の食欲に火がついたら私が朝ごはんになってしまう。でも、いや、ううん、と悩んでいるうち、綻び笑ったドウマ様が「うん、綺麗だね、かわいい」とむやみに褒めた。

「ごめんよ、傷付けるつもりはなかったんだ。痛いだろう?」
「はい、ちょっと」
「歌えるかい?」
「はい」

真っ当にハンカチで止血され、口を動かせばチリリと引きつるだけの傷に安心しながら返答した。歌えない私なんて。
なんて、なんだっけ。まあいいか。ここで歌っていられれば。

「良かったぁ。今日はこっちで何人か救おうと思ってたんだ。でもそうだなぁ……御簾の向こうで歌ってもらおうかな。送る側の君に傷があったらさ、ちょっと困っちゃうからね」
「はい」
「終わったら軟膏を塗ってあげようね。腹ごなしに動いてもいいけど、うん、今日は君の歌を聴いて消化しよう。いいかな」
「はい」

いいこいいこ、と甘やかされている触り方で頭を撫でられ、むず痒さに口を歪めれば「こらこら」と困ったように笑われて改めて頬を押さえられる。止まりかけた血がまた出たのだろう。少し痛かった。
ドウマ様の指まで垂れた血がさらに垂れて、おっとっとと口を寄せて舐めるのをただ見つめる。ちょっとおじさん臭いなとか思ったけれども口に出さないようにぎゅっと唇を噛みつつ。

「不味そうだなって思ってたけどちゃんと美味しいよ」

そうしてうーんと首を傾げ、もうひと舐めしてから「君のこと、もう食べたっていいんだよなぁ」と冷蔵庫の中味でも吟味しているように言う。
ついにかという諦めと少しの胸の苦しさがあって、どうして苦しいんだろうかと考える。
こんなにちゃんと考えるのなんて久しぶりだ。だって全部ドウマ様が決めてくれていたから。あぁでも私を食べるって言ったのはドウマ様なんだから反対なんてしなくてもいいか。いや、でも、なんだっけ、この感覚。何だったっけ。そういえば「私」としばらく話してないな。今すぐ訊ければ楽なのに。
楽。そう。私は今日まで楽に、気を張らず、自然に過ごせていた。それはとても。

「幸せなの」
「なぁに」

この城には鬼が数え切れないほど潜んでいて、ドウマ様のように偉い鬼もいて、その割にはこの部屋は静かだ。すぐ側の部屋の水が流れる音と、私の声と、笑うままのドウマ様の衣擦ればかりが耳に入って、あぁ歌いたいなと思う。
ドウマ様が優しく私を救おうとする。あぁでも。

「今、幸せなので。まだ、救われたくないです」

はたはたと瞬いたドウマ様が、そっかぁ、とおどろいたように呟いて腕と身を少し引いて、もう一度「そっかぁ」と納得したように中空を眺めて言う。
それでも食欲が勝つほど私が美味しそうならまあいいか、と思っていたのに、ドウマ様は仕方無いねと呟いてから胡座をかいて私に笑いかける。いつも浮かべている笑顔とは少し違う気がしたけれど、歌が気に入られたときの顔にも見えて、歌ってないのにな、何を考えておられるんだろう、と少し考えてから諦めた。
分からなくともいいや。食べられてもいいや。いいけれど、ちょっと困るけど。

「幸せな子は救えないね。困ったね」
「困るんですか」
「うーん、でも、そうでもないかも」
「はぁ」

やっぱり先に手当しちゃおう、と初めて見る救急箱を部屋の隅から持ってきたドウマ様がなんだか面白く見えてしまって笑い、頬がまた切れ、ドウマ様もなんでだか笑いながらまた血を掬って舐めた。けれども食べられなかった。まだ残念なことに。



23.04.08
○ぬのがいいわ
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