搾り取れれつじょう





私は幽霊である。
名前はある、戸籍はない、ついでに雇い主のようなものもない浮遊霊である。どれかというと死体から生えているという感覚ではあるけれども最近は冥界や冥界の主にくっついていれば外出も自由に出来るようになったので、生えているというよりは無線かなんかのシステムにいつの間にかなったのかもしれない。自分のことながらそのあたりは謎だ。
そしてこちらは南極である。ボーダーの外である。以前の私なら頼れるものもなくうっかり霧散していたかもしれない外の空間で、レポーターという職務を新たに任命された。
いや半強制的に任命されたのはいいとして未経験なんだけど。バイトの採用より堅く選んでほしいところじゃないかそれ。

「えー……こちらは北極です、いやボーダーも北極か……えーと、外です、真っ白かつ寒いでーす!」
「…………」
「この通りカマソッソ様がペンギンのフォルムになる寒さです。さてここでクエスチョン」

SNSなら専用のものが飛び交っているが、テレビ番組のようなものの新作なんて久しく観ていない。職員の一部はログを撮っていてそれを流したりしているけれども、そういうのにもなかなか保存されていないのがバラエティという分野である。
うろ覚えのアドリブに限界を感じながら、そこまで言って、肝心のクエスチョンを考えていなかったことに躓いた。いやドローンカメラとSEを再現できるのなら脚本も考えて欲しかった。

「あー……えー……白紙化以前はペンギンだとかが闊歩していたであろう場所ですが、現在のカマソッソ様の全長は何センチでしょうか?」
「お前、問題、下手だな」

どうにか絞り出したクエスチョンに容赦なくツッコミが入る。それも当人から。
当人が現在の地球を肉眼で見たいというのでこんなことをしているわけで、ついでに探索とレクリエーションも兼ねて某番組風のものを観たいと我らがマスターの珍しい部類のわがままを叶えてあげたくて頑張っているがだいぶ心が折れそうだ。
それにしてもだ、いやいや、下手と言われたとて。
あの番組だって現地の方やその道のプロに訊いているのだし、画面の向こうの視聴者は各国英霊にくわえて世界から集められた星見のプロ魔術師達である。生半可なクエスチョンを出したとしたって瞬殺であろう。その上、下手に知識を問うような問題ではマスターが答えられなければおそらくは授業開始となってしまう。知識で生き残れる確率が上がるのは分かるけれども座学の時間を増やして嘆かせたくはないのだ、悪気はないのだ。
そうしたならこの真っっっっっ白い視界で出せるものなんて咄嗟には思いつくはずもない。

「うー……なら、カマソッソ様が問題出し」
「今の気温」
「……はい!正解はぁー、CMのあと!」

ドゥルルリドゥルルリリィー、みたいな某CM前の曲がドローンから流れて、ようやく一息ついた。
というか幽霊の私には関係ないけれど、本当に寒そうだ。熱帯地域なら万全である風通しの良さそうな服装と羽根の英雄カマソッソは背景真っ白だと目に痛いし羽根にくるまっていてもますます寒そうに震えているしもう帰ってもいいんじゃないかと思う。

「あの、カマソッソ様、正解発表はボーダー中でもいいので戻」
「戻らん」
「寒いんですよね」
「寒い。何だこれは。血が凍る。口が開かぬ。は?無理」
「なら戻……」
「はー?嫌だが?」

ギャルのようなキレ方で面白いと思いつつ、口を開きたくないほど寒いのだろうなと思えども私に出来ることはあまりない。ボーダーそばの拓けた観測ポイントに板を敷いてストーブを置いて椅子と毛布一人前を注文したならもう本当にやることがない。というかカマソッソの体格が良すぎて、ついでに毛布が小さすぎてかろうじて膝に乗っているような有様である。絶対に役に立っていない。
これで夜まで粘るというのだから心配で、せめて夜になってから外に出たらと何度か進言したけれどもどうにも聞き入れてもらえない。王様らしいといえば王様らしいけれども、無理を通すつもりなら縮こまって震えないで欲しい。こちらの心も痛むだろう、一緒に寒がる肉体は持ち合わせていないというのに。
まっさらな地平線に広すぎる空、そこを飛ぶ舟を眺めるほかに待ち時間にすることといえば、もうそれは雑談しかない。船内のモニターは数人の解答者が大喜利へと舵を切り誰が我慢できずに正解するかを賭けはじめるワイプという混沌を極めている。そういえばあの番組はお土産を景品だとかにしていたけれど、何か持ち帰るべきだろうか。いや雪と土と空気くらいしかないな。

「あ、せめてテントとかどうでしょう。私が時間を見計らって呼びますから」
「嫌だ。ここに温泉を掘ろう」
「いやー……水中に温泉が出る箇所は、あったと思うんですけど、掘ったらちょっと沈むというか凍えると……」
「よし日暮れまでにはリゾートスパ・カーン作ってやろうぞ。温泉でなくとも許す。なんてったってカマソッソであるからな、オレが浸かるならほぼ温泉と言えるたぶん」
『あ?俺への挑戦状か?いいぜペア招待券で返してやろう』
『こらー!そもそもそんなに弄っちゃダメだからねー!あと北極にいるのはペンギンじゃなくてシロクマだよー!居たら貴重なサンプルだから首を刎ねちゃ駄目だからね!ちゃーんと生きたまま持ち帰るように!』

クイズは岡田以蔵が「チューハイのあの温度じゃ!」と真面目に答え始めていて軌道修正の流れになっている。あのカマソッソが出る番組ならとミクトラン組もワイプ出演を快諾してくれたとかで、旧知とは少し違うかも知れないけれども顔見知りに遠慮なく飛ぶ野次に盛り上がる宴会組、環境データの解析に喧嘩腰の英霊の仲裁にとだいぶ大変そうなダ・ヴィンチちゃん。目指した番組の方向性からは確実に雰囲気が逸れていっている。いやオーディエンスが参加し過ぎだろう収集つくかあんな個性しかないような団体、司会も進行も無理ゲーすぎる。一応あの番組を一度なりとも視聴したなら三問までは出してスーパー新所長人形くんの出番も作りたかったけれども、これ、一問目で終わるんじゃないかな。
とにかく撮影班は待機しかないかと、板に設置されたちっちゃなモニターと風景を眺めながら雑談も諦めて静かに過ごす。先程の発言のように思いつきを許可なく実行されるくらいなら黙っているほかないだろう。いくら温泉に浸かりながら絶景を眺めるのが心躍る提案だとしても、だ。
白夜も極夜も避けたので、今日は日が昇れば沈んで、夜も来る。遠いのか近いのか曖昧になるほどに何もない地平にゆっくりと陽が近づき、あっという間に地面に触れ、艶やかに空の色を変えてゆきながら暗く重そうに溶けて地面へと馴染んでいく。
カマソッソは息が止まったように喋らない。口を開くのすら億劫にでもなったのかと上空からその顔を覗けば、ただただ空の変化を目に写していた。
逸る心臓もなく、寒さを分け合う肉もなく、同じものを写せる眼球もなく、せめてある口から感情を確認するための言葉くらいは、と思えどもどうにも言葉が見つからなくて発せない。隣に高さを合わせて落ち着いて見上げてみたはいいものの、あまりに空が見えすぎて馴染みが無さ過ぎた。ますます言葉を選べずに押し黙る。

「宇宙というのか」

モニターのわちゃわちゃに消されそうで消されない肉声が聴こえて、空を観るのをやめて隣を見る。まるでひとりで過ごしているように、その言い表せていない感情も顔に写されている。どこかで見た顔だとすれば、キャンプに連れ出された子どもや、知らない料理を目の前にした女性みたいだ、と思ってしまって少し口元を緩めてしまった。
どうせ彼の視線は天空を写すのに忙しそうだ。言葉を間違えたとして、そこまで責められたりはしないだろう。体の向きをカマソッソへと変えて、話をしようと耳を傾ける。

「カマソッソの国に星はなかった。太陽という天体は知っていたが、光るのは生活の火と地の燃える色ばかりだった。あときのこ」
「きのこ強」
「汎人類では星の向こうも観測し計算しているのだろう、地の果ては存在しないし冥界は地にないのだろう?死者への畏敬は星に向けたと聞いた」
「そうですね……あれだけ星があれば、その一つくらいに親族が居ると宣言しても、まあ星当人にバレなければ怒られないでしょう」
「遠すぎるだろあれ。光年だと?光の速さで動くものを目で捉えるのは容易いがそれが距離の単位だと?こちらが見えるとは思えないが人類は無茶しやがりすぎか」
「えー、あちらの冥界もなんだかんだ遠くなかったでしょうか?」
「カマソッソはひとっ飛びなので近所だろう常識で話せ。星はなー、触れもせんからなぁー」
「触れる英霊様もいらっしゃいますけどねー」

星で暦を作り、畑を管理し、儀式をしていたのが汎人類の歴史だ。それらが無かったのだから、本当に違う世界に生きていた王なのだ、彼は。
ありえない、普通に生きて死んでいたなら絶対に会えなかった王。存在すらもしなかったはずなのに、異質同士だというのに、この世界へまで理解を示す、王様。
よく私はこんなにすごい人の隣なんぞに座れたなと改めて驚く。

「恐ろしいな」

宇宙の端がまだ見つからないのかと、子どものように零れる声に少し微笑ましくて笑ってしまい、昔は私もそうだったのだと懐かしく星を見る。だって引力がなければ宙に投げ出されて何かにぶつからない限りは飛び続けるのだ。そんな悪夢をみたし星空を綺麗だと思う前に背筋を冷やしていたこともあった。今や自在に飛んでるし冷える背筋もないけど。あれ今の私最強なのでは。

「あ、そうそう。カマソッソ様は冥界の底まで落ちる想像したことありますか。私はあるんですけど」
「なにそれこわ」
「あー失礼致しま……あ、まって距離取らないでくださぁい……」
『レポーターさーん。第二問お願いしてもいいかなー?次はゴッフくん人形三倍にしようと思うんだけど』

ピンポンピンポン騒がしかったモニターはいつの間にか静かになり、解答者がまるっと入れ代わり、卓上にはしっかり人形が並んでいた。いやこちらが天体観測しているうちに何があったんだろう。あとで放送されるやつに絶対目を通そう。
あれ、そういえば最初のクエスチョンの答え合わせをしてないんじゃ、と訊く前に『一問目は終わった。いいね?』とシリアスダ・ヴィンチちゃんに念を押されたので口を閉じた。日頃は都合の悪いことを脳内で直接やりとりするくらいだから閉じてても喋れるけどもしっかり黙った。
というかそもそも二問目考えてなかった。どうしよう。
そんなこんなに構わずに、カメラ切り替えの合図がマリーンの指示でさくさく進む。考える暇はない。いやモニターに映るスタジオはやたらと楽しそうだな。

「……あー、はい!日が沈んだ北極です。えーと、陽がないと寒さに拍車が掛かっていますね、南極よりもずいぶん暖かくはあるそうですが」
「は?南極行くのやめない?」
「カマソッソ様が気弱になりましたね。それではクエスチョン……は、考えてませんでした!はいカマソッソ様お願いします!」
「ではこのカマソッソが今すぐ飲みたい飲料」
「すげぇや北極まったく関係ないや」

それでも認定されたようであのSEが流れ、不正だとか気分だとかで揉めないようわれらがマスターにだけ見えるように正解を紙に書いて見せれば、あとは待機だねぇと彼女が楽しそうに笑う。
良かった、観たい番組とはだいぶ違うかもしれなかったけれど、可愛い後輩はちゃんと楽しんでくれているようだ。

「あ、私見えなかったんですけどなんて書いたんですか」
「……ドゥルドリドゥルドゥリるぅー」
「あっクエスチョン?」
『ほーう?審判なら私がやろう』
「教えてくれないんだねリツカちゃん……」

目的は果たしたけれども天体観測はそのまま続き、モニターの音源はいつの間にやら気付かないほどゆっくりと落とされ、クイズの正解はついぞ出ないまま短い夜は終わってしまった。そして目をやればまた総入れ替えになっている解答者席。なんでだ。所々解答席が壊れてるのもなんでなんだ。
撤収のゴトゴトという音をBGMに、せっかくだからと後輩ズと私とカマソッソだけの延長戦はずるずると続いていた。
それでも予定待機時間はあるので最終問題も時間制限はしっかりある。なんとか当てたいのでもう当てずっぽうだ。

「んー、最後に……フルーツポンチ!」
『おっ幽子さん正解!』
「いや今はホットミルクの気分」
『当てさせる気がないやつー』
『わぁあー!わし様破産!』

数人の高笑いをBGMに朝焼けの赤さが白い地面に反射して、撤収で元通りにした拠点もすぐに埋もれるようにどこだったか分からなくなる。地面の凹凸が濃く見えるのばかりはあの冥界を連想して、隣のカマソッソをちらりと見れば彼も何か深く考えるように目を細めていた。
褐色の彼は、その背の影も濃い。体の装飾ばかりが朝焼けを反射して、彼自体は明かりから沈むように暗く見えた。なんでだか、それが悲しい。
影のない体を引きずるように、ホットいちごミルクの可能性を語り始めた大きな羽の背中を追った。




      ※※  ※
            ※※



「突っ立ってないで、ほら」
「はあ……」

気付いたなら土間の薄暗いキッチンで、知らない女性から手のひらに収まるくらいの石を差し出されていた。
まあ流れで受け取り、そうすれば「ほらこっち」と女性、いやおばちゃんの隣へと座るよう促されて座ればペペイペイと何らかの穀物が入ったカゴも手渡された。

「臼に落として。少しよ」
「はあ……」
「それでいいわ。あとはそれで潰して」
「こうですか?」
「もっと力込めて、擦って!そんなんじゃあいつまで経っても終わらないよ!」
「はあ」

少し遠くにある焚き火の灯りしかないために薄暗いようで、どうにか見える白っぽい臼っぽいシルエットとおばちゃんの手元を手本に真似してみる。それにしてもおばちゃんの手付きは私の三倍送りでも足りないほどに素早く正確な動きだ。その職人の手付きにいっそ参考にならない気さえもしてきた。見て覚えろタイプとみた。

「まったく、そんなんじゃあこれから苦労するよ。ここの生活だって暇じゃないんだ」
「すみません、これなんでしょうか?」
「どれよ?」
「あー、えー、えーと?」

この薄暗い空間について尋ねるべきか、何を作っているのか尋ねるべきか、この現状について尋ねるべきか決めかねて、ゲームのように選択肢で出てほしいなぁと現実逃避に落ち着いた。捻くれたゲームじゃない限り全部の選択肢見るまで話しかけても怒られない形式のやつがいい。マスターは本当にすごいな。私はこういう交流無理だ。

「あぁもう遅いわ。手は止めてなくて偉いわよ。ここは−−−−、これはトルティーヤの生地、王と臣下たちのお食事よ。余ったらわたしたちで食べるんだけどやっぱり見栄えするように一気に作らないとね」
「あー、えー、どこどこのところもう一回言っていただけますか?」
「−−−−よ−−−−。まったく、この間のあれが腹が立って仕方ないっていうのに忙しいんだから余計に腹が立つわ、酒に酔うなんて死刑に値する行為をわざとなさるんだから……この間〇〇○の家が取り潰されたのだって酒に酔ったからよ」
「ん?んー?」
「そっち終わったの?あら速いじゃない。今日も回転数上げてくから休めないわよ。ほら」

どうやら固有名詞のようなものには認識阻害でも掛かるらしい、トルティーヤだけめっちゃ聞き取れたけど。
というかこの現地に馴染んでいくスタイル、先日の「思いつき不思議発見的ななにか」のような展開ではないか。どこだか知らないけれどもこんな穴場があっただなんて嬉しい発見だ。いや番組名に関係ない、オヤジギャグのつもりはない。ない、自然にこぼれただけだから仕方ない。
せっせとトルティーヤを作ることに集中していたから気付かなかったが、この暗い空間は広そうで人も多いようで基本的に忙しいようだった。バシャンザバンと大きめな水音がするから水路か井戸もあるようだし、石同士を擦り付ける音もしているし、剣戟の音もどこからか聞こえてくるので生活音というかなんというか、大勢が暮らしている安心感というか、そういうものが溢れていた。

「死んでもいいととでも思ってらっしゃるのかしらね、あの方は。わたしたちだって構わないのよ、王はやり遂げたんだから別に。むしろ昔っから働きすぎなのよ。もう」
「へえー」
「あんたもここに住むなら覚悟なさいよ。側溝掃除とか祭りとか冊子づくりとか気を抜いてるとすぐ次が来て忙しいからね」
「え。私ここに住むんですかね?」
「あら。違うの。ならなんで来たの」
「なんででしょう……?」
「えっ待ってまだだった?やだオバちゃんの早とちり?」
「はあ……」
「もー、やぁだ!だから酒は嫌いなのよ!酒なんかよりもココア飲みなさいよココア!」

んもうとべちべち肩を叩かれたけれどもなにがなんだかさっぱりなのだ。クイズとか今のうちに作っとくべきかなとか現実逃避をしてたくらいにはなんにもわからない。
ちょっとこの子まだだったわとオバちゃんが大声で周りに呼びかければ、なんだなんだと集まってくる予想以上の人数。幽霊としてのスキルをすくすく育ててるとはいえ、元々が平凡モブ魔術師だったので敵対されたらひとたまりもない人数に素直に怯えていれば、薄暗闇に安堵と残念そうな声がポツポツと響く。
声を探るつもりで周りをよく見れば、褐色の肌に黒髪、暗めの目の色をしたひとたちばかりであることに気付いて、そうして観察しているうちに暗い中にも転々と星のように灯りがあちこちにあるのにも気付いた。なんだか、この間カマソッソに聞いた場所の話を彷彿とさせる場所のようだ。
肩を掴まれてくるりと半回転し、親切そうというか強そうなおばちゃんが「あのね良く聞きなさいね」ときりっと切り出したのでこちらもきりっと居住まいを正した。

「貴女が国民になるというのなら歓迎するわ。ならないと言っても責めない。これだけは覚えて戻りなさいね」
「はい?はい」
「あ、あと酒は本当に控えるように言って。見てられないのよ。いやホントに恥ずかしい。死刑よ死刑」
「え、こっわいんですが」
「常識でしょ」
「いや王の女に失礼かも知れないッスけどあれはもうやべぇッス」
「いやどなた?というかあれ、貴方って、もしかしてこの前温泉に浸かってました?」
「混浴の仲……ッスね!」
「相変わらず歯並びお綺麗ですね……?」
「頭蓋も自身あるッス!整えたんで!」

キラリと白い歯をほぼ奥歯まで見せながら笑う男性は顔……骨?見知りらしい。それでなくとも親しげな国民性に押され気味になっているところに、暗がりからさらにわやわやと人影が現れては「トルティーヤ食べてけ」「混浴とか巫山戯たこと忘れていいからね、ほら殴っとくから」「酒はやめなさい、いや酔って醜態を晒すのはやめなさいってことなんだよ、いや本当に俺の家財を没収されたのに王だけ無事とか嫌だろがい」と口々に見送りのように怒涛の勢いであれやそれやを告げられた。
知らない常識に本格的に怯えていればカッと背後から強烈な灯りが射し、ぐぃと襟元を吊り上げられる感触があってそのまま上空へと引っ張られた。真っ暗な空へと吸い込まれる間にも「王には色気より可愛げよ!」やら「アピールポイントは分かりやすくいきなさい!」やらとアドバイスのような声は聞こえ続けていて、いやどういうことなのとツッコミを入れる前にぬるんと空を抜けた。
明るい視界に入るのはカマソッソの顔ばかり。それもご機嫌そうで、どろりと垂れ下がった舌はなめくじの交尾ぐらい蠢いてるし、なんか近い。呼吸してたら絶対呼気が当たる距離だ。息してなくてよかった。

「いくら落ちそうだなんだと抽象的に話していたからと言って、王の肉体に落ちるやつがあるか。あったな、ははは、はははははーは!つまらんやつだなお前は!」
「はあ。はあ……?おちてた……?」

ぷらぷらしたまま周りを見回して、そこがようやく舟の甲板であると理解した。でろんでろん蠢いているカマソッソの舌もどうやら走行で起こる風に靡いていたものらしい。
落ちる、との言葉に首を傾げ、こうなる前の記憶をどうにか思い出そうとない脳みそを回転させる。脳みそ本体がなくともそういうイメージは大事だ。なんか思い出しやすくなる気がする。
確か素材集めに周るからと我らがマスターに招集の手伝いを強請られ、あちらこちらへと声を掛けて飛び回った矢先に前方への注意力がおろそかになって、普段なら壁に半分めり込みながら曲がって移動するところを出会い頭に誰かにぶつか……ぶつ……落ちた感覚だったなあれ。その後すぐにトルティーヤ。
あれは王の中だったのだろう。国民は王の体を文字通り形作って、中で生活して、細胞として忙しなく忙しく働いていたんだろう。うん万年前の民と言葉が通じたのはたぶん聖杯の便利パワーだろうか。
なるほどあの空間は国だった。旅行者にやさしいタイプの旅番組だって出来るほどに治安も民度も安定している良い国だ。
いいひとばかりだった、ならば私は王の中に落ちたものとして責任があるだろう。

「カマソッソ様」

キリッと使命感から声を出し、首辺りを吊り上げられっぱなしなのでくるりと対面するように回転する。きっちり同じ高さで目を合わせながら、神妙に、言葉を選ぼうとして、いや選ぶだけのボキャブラリーがないなと開き直った。真っ直ぐにいこう。

「伝言です。酔っ払いは死刑だそうです。私の意見ではないです」
「……貴様はオレの中に落ちてなにしてたんだ」
「要約すると、働く細胞してきました……?」

すん、と舌を収納したカマソッソが遠くを見、おそらきれいみたいな間を置き、神妙に「うん」とだけ呟いた。

「お前はオレの民になるのか」

質問されているのかいないのか、聞かせる気があるのかないのか、答えを聞くつもりがあるのかないのかあやふやなほど弱い声が聞こえて、幽霊なもので音量とかより思念とかのあれをそれしているので聞き取れてしまったそれにどう答えようかと口籠ってしまって、考える。
あの一言で現状を把握するくらいには、あそこはカマソッソにとって身近なんだろう。忘れる暇もないくらいには。
あそこは冥界と呼ぶには楽しげで、国と呼ぶには目的がありすぎる。あそこは彼へ全て捧げた人が行き着く国なのだろう、全てを負わせた人たちは、全てが終わるまで王の体を作って支えて過ごしているのだろう。

「私、には、もう差し出せるものがないので」

私には無理だ。
トルティーヤおばちゃんには悪いかもしれないけれど、肉体も信念もないしついでに決断力もない私には王と慕えるだけの資格はない。
だって浮遊霊だし。無駄死にが気まずいというだけでこの世にとどまってしまった、なんの特技もないただの浮遊霊に差し出せるものなどなにもない。
気付かないうちに俯いていたのだろう、カマソッソのカマソッソを覆うぎりぎり腰布がものすごくぎりぎりにはためいているのをなんとなしに見つめていれば、カマソッソ本体が私の顔が見えるところまで私を持ち上げ直し「ならんのか。驕るな」と今にも吐きそうな顔で真剣に言った。どうしてその顔なのか。

「お前は死んでから責務を果たした。それは見事と言えよう。誇れば良い。だがしかしなぁ己の在り方を己で決められると思うなよ、驕りすぎだ、反吐が出る、片腹痛い、声も無いわ」
「ボロクソですわぁ」
「オレが訊いたのはお前の欲だが?」

でろ、と首の口から舌が伸びて、私の首を一回り覆う。人肌を思い出しそうなほどに湿り気のあるそれに無い命の危機を微妙に感じて、吐きそうからキレそうな顔になったカマソッソの顔を見つめ返す。

「ひとですらないものがオレに否と言うのか。オレが何を訊ねたかわからんのか?欲はあるかと訊いた。お前は国民になるという欲はあるのかと」
「……欲、」
「未練なんぞ欲だろうが。お前には欲がある。仕事がしたいだとか国民になりたいだとか嫁になりたいだとか肉体が欲しいだとか言うだけ言えばいいと言っている。相応しいかどうかなぞはオレが決めてやる」
「よめ?読め?」
「ん?正妻の座か?いいぞいいぞまさしく欲であるだろう」
「うんん?うん?」

ヒッヒヒヒヒ、と悪そうな笑い声と、欲はあるのかという問いと、首元の湿り気と、ごうごうと通り過ぎていく風と、私の髪を掬うように動く彼の大きな手と、ごちゃごちゃだ。
感覚がごちゃごちゃだ。無い呼吸器が締め付けられる幻覚に喉へ手をやり、乾いているかのように動かない口をはくはくと開け閉めする。感情までもごちゃごちゃだ。
私が欲を持てるなら。持ってもいいのなら。幽霊だからとか、職員だからとか、英霊だとか、白紙化だとか、ぐるぐる頭を巡って混ざって勝手に口から零れたのはどうしようもない欲だ。

「あなたのために死にたかった」
「いやなんでもとは言ったけど」
「え、そこで引きます……?」

まぁ許してやるか、と首が解放されて、今度はぬいぐるみか番のように正面から太ももに乗せられて抱きかかえられた。

「どうにも出来んことをこの流れで言うか?ここは良きように強請り媚びへつらい度を越し首を跳ねられる流れだったろうが?」
「首ないですね」
「はあー?命もない者が死に際を強請るな」

何時もの調子での掛け合いになったことに気を抜いた。抜けたところにカマソッソの大口が目の前にあって、あ、と零れた声ごと飲み込むように歯が立てられる。がちん、と首で噛み合う音がする。

「はあ。食えんし跳ねられん。残念だ」

なけなしの恐怖心と寂しさと悲しさで、はは、とから笑いすればまたぎゅうと抱きかかえ直された。
会話の内容の物騒さとは相反して上機嫌なカマソッソに抱えられたまま揺れながら、先日のように夕日が沈むのを静かに眺める。一緒に眺めるのを求められるような簡単な感情が欲しかったなあ、なんてどうしようもない欲を抱きながら、腕の中の狭い空から星を眺めた。

「そういえば、さっきのって味とかありました?」
「雪」
「無」



      ※
※  ※     ※ ※




「え?」
「お」

いつもの些細な要件で呼びつけた女が手の届くとろこにいたので、私室の植物への手入れで触れる感覚で、ちょいと軽く手を伸ばしただけであった。
いつもなら天幕にでも触れているような手触りだった女の体が、たしかにそこに肉があるように柔らかく指が食い込み、触れられる。
温かさはない。いつも通り冷水にでも触れているかのように指先は冷えるけれども感触があると随分と違いがある。ほぅほぅと心臓の上に乗っている、その柔らかな胸の感触を味わっていれば、引き攣った悲鳴を上げて女が消えた。
呼んだら来た。

「え、あ、きゃ、あの、」
「ふぅーむ?」

踵を返して逃げようとする腕を掴み、そこすらも柔く骨まであるかのように引っ張り込めた。
先日の衝突からの落下事故が原因だろう。酔うのが極刑だなどと懐かしい文言がこの口から出たくらいだ、オレの国民と接触やら会話やらしたとみえる。いや国民が肉体の中で生活してるとかいう頓痴気を受け入れるのに三日三晩寝ずに考え込んだけれどもまぁ折り合いはつけた。いややっぱ不快だ機会があったら人理くん殴る。
これは王国へと下るのを断ったのだろう。あのまま落ちてしまえば、見つけられもしない使命などに囚われずにカマソッソという存在の血肉となりオレが死ぬまで働けたろうに、それでは不満だと申し立てでもしたのだろう。
触れても溶けずに反発し、そのくせ逃げるのを諦めたのか俯き丸まり身を守ろうとする女はオレの手からはもう逃げない。

「え、壁抜けとか出来るのに、あれ、えぇ?」
「カマソッソを拒まないというだけであろう?何がそんなに理解できない。全て手取り足取り教えてやろうか?」

人差し指と親指だけで折れそうな首に手をかければぴくりと肩が揺れる、それが触れている腹に振動して些細な変化もわかる。いくら血がなくとも、上気せずとも、これだけ近くて触れ合えればあちらも恥ずかしいという感情を持つらしい。
落ち着きのない目玉は逃げ場を求め、逃げ道を見つけるくせに使わない。距離感がわからないかのようにゆるゆるとあげられた小さく細い弱そうな手がオレの腕に置かれて触れられたことに勝手に驚いて痙攣する。熱を奪われる。そこに幽子の、「  」の手があるのだとわかるのだ。
その手をとってオレの心臓の上に当てた。この上なく困った顔をした女がオレを見上げる。そこに拒絶はない。従属もない。溢れ出る感情は好意らしくみえる。

「欲するものはあるか?」

どうしようもない終わったものを欲していた女はもういない。
差し出せるものがないと言いながらすべてを差し出していた女は、初心に言葉も紡げずにいるばかりだ。
あまりに反応がいいもので、今のうちに存分に刷り込んでやろうと、でろでろに跡形もなくなるほどに甘やかしてやろうとその髪を梳き腰を抱き足を絡めて囲い込む。柔いくせに頑なに小さくなろうとする体が面白くて、逃げ道なんぞ完全に無くすように全身で触れて包み込んだ。それですらもオレの手足が余るのだ、触れられるようになったからこそ小柄なのだなぁとしみじみ実感する。

「今なら、あるだろう?求める事ができるだろう、手に入れられるものがあるぞ」
「え、あ、あの、えぇ」
「オレをもっと識れ。知りたいと欲せ。オレが忘れるものまで求めてしまえ。オレを求めるのを許そう」

だから触れてみせろと、オレの心臓の上から動かない女の手のひらへ誘うようにオレの手を重ねた。またびくりと跳ねるだけかと思った手が、意思を持って動かされる。
頭を俯けたまま、器用に手ばかりがオレの顔に伸ばされて

「カマソッソー、ちょっと周回に行ってもらいたぅうええ失礼しました?」

マスターが前触れなく戸を開きながら要件を言いながらビビり倒し、その隙を見事につかれて女は消え去った。
あちゃあごめん、と気まずそうなマスターはしかし興味津々といった様子だ、恋愛話に目がないだとか自負している人間なのでそりゃあもう訊きたいことは多かろう。

「は、はっはははははははは!カマソッソはすこぶる気分がいいぞ!マスターよ、クソつまらん周回にでも付き合ってやろう、オレは英雄であるからな、ついでに先程の顛末をきかせてやるゆえ的確な助言を求む!」
「よっしゃ任せてくださいニトオルタさんも呼ぼう!」

くはははは!あははははは!とマスターと交互に笑いながら私室を出て廊下を闊歩し、知らん世界を蹂躙しては戻り蹂躙する。単調ながら戦ではあるので一応は血が滾るものだ。一応。
こちとらマスターという協力者を得ているので勝ち目しかないのである。あの女が折れてオレを求めて国民以外の何かを求めて欲をぶつけてくれるであろうことはわかっている。
愉快だ。
国民が生かした身体は不謹慎にも世界ごと終わっても動いているが、原動力は些末にも目先の欲である。
そのことが愉快でたまらない。
残された身体はもう重くはなくなった。軽くもなくとも構わない。
零れ出た女の感情を余すことなく味わってやろうと、舌なめずりしながら味に思いを馳せた。

「まあ素材を目標まで集めてからの相談になるんですけどね」
「やっぱカマソッソ帰ってさくらんぼでも舐めとる」
「だめー!」


23.09.20


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