しょっぱい愛とはちみつ



私はおやつだ。それ以上でも以下でもない。
ぎりぎり猿でないだけ、なくなったら困る、なくても生きていくのに困らないおやつ。
そう唱えながら生きていくことになるなんて微塵も思っていなかったから人生とは不思議なものである。

その男が会館に入ると、ビリリとした緊張感と潜められた高揚感が客から滲み出る。
いつもそうだ。カリスマとかただの恐怖とか、そういうのが混ざっていると分かっていても私に限っては恐怖の一択だった。
宗教団体のていを保つためだろう、この団体は見せしめのような集会を定期的に行っている。内容もらしいといえばらしいというか、主に物理的に救われるために必要なものの話をしている。お金だとか集客だとか、一応少しは生き方だとか、脅しにしか聞こえない口止めだとか。
そういった話が朗々と響き、お布施を納めた信者たちが身軽そうに出口へとぞろぞろ向かう。混乱もなく滑らかに進む列を羨ましく思いながら突っ立っていれば、真後ろから「オイ」と無遠慮に声を掛けられる。分かっていたけれどもつい肩を揺らしつつ、流れを横切るように関係者らしい男に腕を引かれ控室へと通される。
部屋の主は見えない。そのことがどんなに怖くとも、逆らえば酷い目にあうと知っている。それでもドアを跨ぐことが出来ずに少し踏みとどまり、どうにか観念して感覚の薄い足を動かした。

「…………。失礼しま、」

踏み出した足裏が床を踏む前に腕を引かれ、転ぶか転ばないかというくらいに体を傾けてしまえば吊り上げるように掴まれた腕を強く上に引かれる。扉の陰にでもいたのか、たまにある突然現れるいつものやつなのか分からないけれど、どちらにしたって心臓に悪い。
腕を掴んでいたのとは反対の手が私の顎をぐいと上向かせるのに反射的に唇を閉じて、急かすように手の主――先程まで壇上に上がっていた男の親指が私の唇に割り入る。他人の匂いと味に違和感を覚えながら口を開けば、待ちきれないというようにぬろりと彼の舌が捩じ込まれた。慣れない他人の匂いと、口臭だなんて言えやしない、好ましいだなんて言えない、嫌悪感ばかりの何かの臭いが鼻一杯に広がった。
どうしても揺れる体は、大きな男の腕と見えない何かでじりじりと締め付けられて固定されていく。何時も怖くて怖くてもどうやったって逃げられない。
余所者の舌は奥に差し入れられ、蹂躪するように私の口内を満遍なく触れた。引けた腰までも抑えられて、逃げ場もなく、舌までも丸呑みにするように。
口の中全部を舐め取られたと思ってからしばらくして、突き放すように乱雑に解放される。酸欠で喘ぎながら座り込めば、全貌が見えずとも男が見下ろしているのが分かった。いつもそうだから。だからもう、わざわざ見ない。

「あ……は、ぁっ……。あ、す、すみませ、」
「いい。用があるからそのまま待っていなさい」

そのまま、というのは動くなという意味だ。
大人しく床に座ったまま身を縮めていれば、何やらごそごそと中空で手を動かしていた男の手が何かを持っているような形のまま目の前に差し出される。なんだろうと見つめていれば「腕を出しなさい」と言われ、言われるままに差し出せば服を捲るようにと追加要求されたので焦りながら捲る。と、病院での馴染みのあるあの痛みが腕にあり、血が紐状に抜けていくのが見えて腕を引きかける。

「動くなといっただろう」
「ごめんなさい、」

謝る声も苛立たせてしまうだけだったようで、大きく舌打ちをしたあとに腕をなにかにかたく固定される。血が抜かれていく。痛みがほぼないことも怖いし、抜かれた血が中空で消えて言っていることも怖いし、笑顔でそれらをしているらしい男が怖い。血で済んでいるうちはましなのだ。彼にとって私の存在自体が『嗜好品』のようなものらしいから。

「これ以上は次に障るかな……うん。もういいよ。送ろう」
「大丈夫です、帰れます」
「貧血で事故にでも遭ったら困るんだよ。私が。さあ、そろそろあれらも帰ったろう」

逆らう元気も勇気もなく腕を引かれるままに高そうな車に詰め込まれ、当然のように隣に座った男に緊張も解れずに見慣れた道を走ってもらい、家の手前の路地で車は止まる。降りようとしたけれども腕を捕まれ顎を捕まれ、食べたりないかのようにまた口の中を蹂躙された。

「それじゃ、言いつけは守ってね」

声も出せず何度も頷いていれば車のドアが誰も触れていないのに開けられて、見えないなにかに押し出されるように降ろされた。なんの感慨もなく走り出した黒い車が見えなくなってから、ようやく一息ついて足を動かす。
まあどうせ、家に帰ってからも『言いつけ』に縛られまくるのだけれど。
あの男、教祖の夏油様と対面していないというだけで随分と気が楽になった。



私は嗜好品、おやつである。
いや、私達一族の女系か。ともかく私の血肉はある一部の人達にとても美味しく感じられる、らしい、だとか。迷信とかオカルトとかそういう話だと思っていたけれども毎年一家でお祓いに行く程度には信じていて、現在に至ってはこうして『食われる』日々を過ごしている。
そんな話は親戚が集まるときに軽く話される冗談だとばかり思っていた。それかオカルト系で狙われやすいとかそういう話の揶揄だろうと、生活にはあまりに関係なかったからお父さんに似てきたねとかあの子はお母さんの血筋に似て結婚が早いねとかそういう話題の一つだという認識だった。
そんな感覚のまま過ごしていて、いつものお祓いの予定を決めるときの感覚で親にここに来ることを進められたのだ。
ここに軽い気持ちで来て髪を一房切り取られ食われて、ここに売られたのだと理解した。そうして強制的にここに連れてこられるようになって、金のない家からでも容赦なく搾り取る団体……というか教祖だということを知った。血筋の話も母の親戚から漏れて、母も騙されて、一族で一番匂いが良かったらしい私ひとりが選ばれた。
ひとりで済んだだけましかもしれない、一度の会合でそう思わせるほどに酷い出会いだった。

嗜好品としての私には、教団からお金を渡されている。家族全員裕福に暮らせそうなそれらは、私の美容グッズに充てられる。化粧水もボディクリームも食べるものも、シャンプーもメイクも味のいいもの。
いつでも清潔に。いつでも美味しく食べられるように。言いつけを守らなければ、見えない何かに少しずつ削られるらしい。実際親戚の誰かに何かがあったようで、母がそのことに怯えているのが誰かしらを通して教えられている。私もほんの少し腕の肉を抉られたことがあって、脅迫でもなんでもないのだろうとわかっている。

唐突な呼び出しで口の中を舐め回されるたび、このまま食われるのではという恐怖がいつもある。傍目にはキスしている恋人にでも見えるかもしれないこれはなんでだか信じられないほど不味く、怖く、情がない。見下ろす男の視線はいつも窒息までを冷静に測っている。
唇が離れて、学校から帰るところだったものだから人目が気になるのだと訴えかけた口はすぐ塞がれる。雑巾みたいな味だった男の口は少し薄まって、それでも不快感は拭えない。ついでにあらゆる方向からの視線が辛い。

「っは、っはぁ、あ、あの」
「…………まだいいね」
「っあ、ん」

いつもなら突き放すと言える強さですぐに開放されるのに、何かあったのか今日はしつこい。この間抜いた血だってあるし呼ばれるまでの感覚だって短すぎる。文句ではないけれども何かあったのかくらいは問いたいのに、喋ろうとするたび深く深く舌が絡んで思考が鈍る。唾液が滴る。
ふうと満足げな吐息とともに開放される頃には、何かしら言葉を考えることすら出来なくなっていた。滲んだ涙を指で拭い、味わうように口に運んだ男が初めて見る顔で私を見下ろした。食肉というよりかは、邪魔で仕方のない家具とかゴミとか、そういうのに向けそうな視線だ。信者に向けるものよりも生々しい、好意的ではないのに、少し近く感じる視線だ。

「お前から産まれる呪いは甘いのかな」

なんのことださっぱりわからない。
わからなければ下手なことを言ってしまう可能性も高いので、頷くことも否定することもせずただ音を殺した呼吸を繰り返す。
それじゃあと他人にしては親しすぎる、恋人にしては熱のない言葉を残して男は雑踏に馴染んでいく。あの服装と容姿でどうしてか目立たないその姿が消えても緊張感は消えず、唇の違和感が恐ろしく、あの男が教祖であるために何にも祈れずに帰路についた。家に帰っても男からの『言いつけ』と『味』はどうせまとわりついて、どうしても逃げられないけれども。





面談、進路希望、そういう話題になって嫌な空気になるのは分かるけれども私は少し安心した。
親が怪しい宗教にはまっていようと、学校なんて無視して呼び出して貪る教祖に日夜貪られていようと、好きな進路を書く許可だけはもらっているからだ。選んだとおりに進学も就職もできるかは分からないが、一瞬くらいは叶えてくれるかもしれない。
そうして気楽に好き勝手書いたプリントを提出して学校を出てすぐに肩を掴まれた感触がして、何も近くに居ないのに歩かされている感覚に諦めた気持ちになりながら人の少ない路地へと向かわされる。誰かに見られたら絶対通報されるであろう勢いで停まっていたワゴン車に引き込まれて、とても滑らかな動作で口をふさがれた。

「騒いだら、分かってるね」

私を押さえている何かではなく、反対側の座席に座った夏油様が一瞥もなく告げる。拘束は解放されども返事すら恐ろしくてただ頷き、膝を抱えるように小さくなって座席に収まった。親に遅くなるとか連絡をしようかと思ったけれどもまあ察するだろうと諦めた。無言ならスマホを触っても許されるかもしれない、でも機嫌を損ねてしまって人差し指でも差し出すよう言われたら困る。学校でどう説明したらいいのか困るし、痛そうだし、指が減ったら生活でも不便だろうし。
黙って外を眺めているうちにもう一か所学校で停まり、なんだろうかと目線で周りを窺っているうちに同年代の女の子が二人乗り込んできた。嫌々ではないしむしろ楽し気だし、講演会にもよく顔を出しているのを見かけた子たちだ。夏油様にくっついていても仲が良さげで「猿」発言もないからとても親しいのだろう。何より女子高生らしく二人で騒いで楽し気で、そこだけなら遠足にでも向かうバスのようだった。夏油様も引率の先生くらいの怖さしかない、私以外には、と条件はついている。

「夏油様、あれも持っていくの」
「うん、おやつ」
「ふうん。じゃあ菜々子も欲しいなー、おやつ」
「それならどこか寄っていこうか」

あれ、おやつ、とは私のことだろう。そのことさえ気にしなければなんてことないバスと変わらないだろうと自分に言い聞かせる。喋ってはいけないけれども。ああ、どこに向かっているのかが分からないのもいつものバスと違うところか。
このバスは、どこに向かっているんだろう。
夏油様が私を連れていくのはストレスの多そうな仕事の時か急遽遠出の仕事あたりだ。事前に分かっていればそこそこに血を抜かれたりするだけで済む。出来る限り顔を見たくないし声も聴きたくないのだと、秘書っぽい人に聞かされていたからこういう状況はそこそこ珍しい。女子高生二人組までいるのは初めてじゃないだろうか。

「なんか飲も」
「どれくらい?」
「コンビニくらいはあるとこ?」
「売店だと良いのないんだよね」
「ねえねえ泊まり?」
「ねえねえ温泉?」
「そうだよ」

きゃあと盛り上がる二人に反比例し、泊まりかあ、と憂鬱になる。何の準備もしていない。着替えは諦めるとして下着くらいは替えたいし。
そんなことを考えるともなく考えていれば、真横の席がぎしりときしむのを感じて身を強張らせる。

「山に行くんだ。処理も簡単に済みそうだね」

私への言葉だと気付くのが遅れて、後ろから彼女のうちの髪色の明るいほうから椅子越しにどつかれてようやく理解した。
理解して、殺人事件よろしく命の危機が差し迫っていることを理解して、ようやく捻りだした返答は「そうですね」というありきたりな何の変哲もない相槌。はぁ、と話し掛けたこと自体を後悔でもしていそうなため息が聞こえ、気まずさに居住まいを正した。小さくなっているのを少し位置をずらした程度なので不快にはさせていない、と思う。

「まあ、殺すにしたってもったいないからね。血肉も加工しなきゃいけないし、骨だってもったいないから埋めやしないよ。……そうだな、ふりかけにでもしようかな」

ふりかけ。
私の将来は、進路は、ふりかけ。

「……んふっ、ふふっふふふ」

うわ、とでも言われそうな視線三組を浴びつつ、面白さが勝ってしまって笑いが治まるのは難しそうだった。
殺されるかどうかの信憑性は限りなくなくなったというか、殺された上に捌かれる将来を明確に説明されてしまったのだけれども、あんまりにもマイナーかつ嬉しくないものであんまりに面白い。ああ、挙動不審だな、これが決め手で殺されるかも。殺されたら進学でも就職でもなくふりかけが確定かあ。

「そんなに可笑しい冗談を言ったつもりはないよ」
「………すみません、さっき、進路希望を出して」
「え、ふりかけ工場とか書くの?」
「いや……原材料で?」
「パケ裏の?」

初めて会話した女子二人に「やば」と笑われてしまっては気が抜ける。どうせ山で処理されてしまうのなら道中くらいは楽し……流石に無理か、楽しめなくともともかく気楽に過ごしたい。ついヘラ、と笑えばすんと真顔になられたので即座に後悔したけれど。調子に乗ったら今すぐ刺されるか折られるかで終わってしまいそうだ。指とか腕とか。
結局その後はやたらと高そうな旅館で彼女たちと一緒におろされて部屋に缶詰めにされ、衣食住の心配もなく出されるものを一人部屋で堪能し何故か置かれていたいつもの化粧品の小瓶を使って寛いで、寝てしまってもいいものか悩んで座り心地のいいフカフカの椅子に身を預けてうとうとしていた。
どれくらいそうしていたのか、息苦しさで目を覚ませば当然のように夏油様に口を塞がれていて、生臭さと土の匂いと肉の発酵したような匂いが口移しで流れてきて、思わず逃げそうになれば上から押さえられて逃げ場がなくなる。後ろ髪まで指に絡めて固定されれば息をするのがやっとになって苦しさで涙が滲み、いったん口から離れた夏油様が吸い取るように頬と目尻に口を這わせ、ふうんとなにか感心したような声を漏らす。

「温泉が肌にいいって本当なんだ。舌触りが良くなってる」

楽し気にそうこぼし、また結局口の中を舌で嘗め回されて吸われてあの味が消えるころに解放されて「明日は昼過ぎに出るから身支度をしなよ、その前に温泉に浸かったらいいんじゃない」とだけ言って部屋から出ていった。あの二人と一緒か、それか一人部屋でも取っているんだろうか。
そのまま部屋を出た夏油様にさすがに今日は食べられないし解体もされないだろうと気を抜いて、いつの間にか敷かれていた布団に安心して寝た。早起きして温泉に浸かったあとすぐに部屋で待っていた夏油様に二の腕を深めに噛まれ、服の下の腕が包帯でぐるぐる巻きになったので気分が爽快というような出発にはならなかった。ちょっとくらいは食べられるかもしれないと思うほどには痛くて、流石にふりかけが目前に迫ると恐怖も迫るというか、痛いのは嫌だなあと未練より軽い気持ちを抱いた。抵抗はできないくせに。





「…………っ」
「力抜いて」

声を出さず、力を抜いて、痛みに耐えなければならなくなってもう混乱で涙が出る。当然それも舐めて夏油様の口に含まれ、美味しそうにごくりと喉が動くのをきっかけに解放された。
温泉に連れていかれてから、唾液だけではなく採血でもなく直接噛まれることが増えた。そのうち本当に肉片あたり食べられるんじゃないかといつも恐れて、毎度血が出るほどに噛まれるから日々怖さが増していて、しかも学校帰りだったり自宅にいるときだったりと呼び出される回数は変わりなく食べられる回数が増えた。仕事が忙しいんだろうかと思うけれども本人に訊けないし、母や父に訊きたくとももちろん知らないだろう。私という生贄はいてもお金は変わらず納めなくてはならないし、両親の扱いは一般の信者とほとんど変わりない。私の体調を管理する分はむしろ貰っているけれども、私の肌質だとかの維持以外に使ったものならどうなるか分かったものではないお金だ。母方は美味しい血筋だというし、人質という訳ではないけれども怖さはある。ふりかけやベーコンになった親族なんて普通に見たくないだろう。
今日は学校の近くで見えない何かに捕獲され、何時ものように人通りのない道路まで引きずられたので車の中で唾液でも食べられるのかなあと思っていれば夏油様が車から降りてきて、当たり前のように車の陰で唇を開かされて塞がれた。唾液を促すように奥まで撫ぜられ、生ごみと血ともろもろ汚物が混ざったものがしっかりと発酵されたような味に嗚咽と唾液がにじみ出れば喉を鳴らして飲まれ、それを吸い尽くされたら解放されて今度は肩を剥かれて噛まれた。制服のボタンがちぎれる音と軽いものが落ちる音に帰りはどうしようかと思っていれば車に押し込まれ、改めてもう一度口を開けられ食べられた。
視界も思考もふわふわなまま、お互いの口の味が分かるくらいには長く吸われた後に舌をぶちりと噛まれ、血液の味と夏油様の唾液の味が鼻にまでも届いて苦しさで体に力がこもる。また「力」と端的に注意されて急いで脱力した。

「それじゃあ。味が落ちないようにね」
「え、あ」

平衡感覚も体の使いかたもあやふやな状態で車に乗っていた同乗者に抱え上げられるようにして車外に追い出され、怪我をしない程度にポイと雑に落とされればそこは我が家の真ん前だった。また山にでも連行されるんだろうと思って拍子抜けして、助かったと気が抜けて、なんでだか寂しい気もしてのろのろと家に帰る。おかえり、となんともない母の声を聞いて、嫌気と安心とその視線が胸元に向いたので胸元の服をかき集めながら自室に引っ込んだ。
そういえば夏油様との今日のやり取りは結構えっちだったのでは、と思い当たってしまって、恐怖も嫌悪も吹っ飛び恥ずかしさに悶絶した。



家では娘兼献上品、学校では腫物扱い、友達もいないしSNSですら余計なことは言うなとの指示があってろくな投稿もできないし、そもそも宗教関係者だなんてばれたら面倒な目に合いそうだから接触も出来ない。夜更かしで唾液や血の味が落ちるのも禁止されているのでもう趣味はインドアか食べ歩きぐらいしか残らない。食べ物の写真ならむしろ栄養が偏ってないかチェックが楽だねと言われたので勧められているくらいだ。

「これ撮って」
「や、え、はゎ」
「もー、さっさとして」

ぽいと渡された携帯を恐る恐る構えて、目の前のふたりが画面に入るように一歩引いてからなんて声を掛けようか悩む。もたもたとしていれば「早くしてよ、溶けるでしょ」と言われてしまい腹をくくって「はい、撮ります」と言ってシャッターボタンを押した。なにそれウケると真顔で言われた時の対処法なんて知らないので愛想笑いと一緒にデコられた携帯を返す。
写真を確認した彼女たちは「まあまあね」「うん」と曖昧な批評をして、手にしたソフトクリームをスプーンで掬って食べ始める。盛りすぎだよなあと思っていたフルーツもクッキーも、撮影で手間取っているうちにもどんどん配置がずれていく。まあそれでもかわいい。
味も見た目も違うものを三者三様に注文していたから撮影の時間は長引き、アイス部分の表面はもうとろりと水っぽい。そこに混ざるように落ちてきた果肉入りのイチゴソースごとスプーンで掬い、ふたりのように口に入れた。
美味しい。果肉感が噂通りに強くて満足である。自分のブログ用の写真を撮る前に溶けてしまったのが非常に惜しい。

「ねえ、次もあんたが案内して」
「そうねぇー……。この前ブログに上げてた中国茶の店のお茶であったまろ」
「あの、ここからだとちょっと遠いんですけど……」
「車で行けばいいだろ、うざ」

先日一緒に山に行ったふたりの女子高生と食べ歩きとか、どういう状況かなあと考えながら、現実逃避にアイスを口の中で溶かした。
夏油様は私に歯を立てるようになったし、教団から安否確認の連絡も頻繁になったし、食べ歩きの趣味ブログを特定されたことも匂わせられたし、もっと野菜を採って糖を控えなさいだとかこのサプリを飲みなさいだとか。体積を増やして食べるところを増やしなさいという指示がまだ来ていないことが救いだろうか。
そうして当然のように私の連絡先は彼女たち二人にも漏れているし平日に呼び出されたと思えばこうして食べ歩きに参加させられている。化粧品の補充と言われたサプリの購入だけは自由にさせてもらったが他はだいたい従うばかりだ。
あと採血はすごく自然にされた。おやつを食べる前におやつを採取されたのだろう。

「せっかくだし夏油様にお土産買って帰ろう?」
「いいじゃん!香水少なくなってきたって言ってたよ、おい、この辺の百貨店ってかわいい店あんの?」
「あ、わ……えと、その隣のビルの一階のラテアート、可愛かったです」
「は?太らす気かよ。雑貨屋だよ」
「ごめんなさい」

だいぶ怖めに言われてしまったので反射で謝り、結局百貨店から道を一本外れたところに案内したらぬいぐるみのキーホルダーをひとつ買わされた。ふたりは同じシリーズの同じものをみっつ買っていたのでおそろいでつけるんだろうなあとほっこりした。私だけ猫で彼女たちは犬だったけど。仲が良くないしむしろ怖いし、でもなんだか少し寂しい。友達と遊んでいるみたいだ、とかってに浮かれていたから、かってに寂しくなっているだけだと自覚はあるけれど。
いっぱい食べたんだから歩いて帰りなよ、と嫌味なのか親切なのか判断に困ることを言われながら店先で解散し、とぼとぼと家に帰る途中で携帯が鳴り、メールにはさっき撮った写真が添付されていて「ブログに使ってもいいけど」と本文に書かれていた。またちょっとほっこりした。

「ああ、あの子たちは中学生だよ」
「……ひゃあ……」

あの日にそこそこ採血したから数日は呼ばれないかと思ったけれど、三日くらいで深夜に呼び出された。玄関先でいい、と言われたけれども勢い余ってボタンが飛んだりしたら面倒なので捨ててもいい黒っぽいTシャツに着替えて外に出ればむしろ遠慮なく肩をべろっと剥かれて噛みつかれた。下着とか恥ずかしさを考える余裕がないほどに強く噛まれて、大体の感情よりも恐怖が勝る。
肩。肩かあ。確かに剥きやすい恰好はしてしまったなあ。腕をむき出しにしたつもりだったけどなあ。
風呂は済ませたしクリームも塗りこんだから美味しいとは思う、血の味までは分からない。掛かる息が深いから、不味くはないと思いたい。
食べられた後に「美々子と菜々子が世話になったね」と口を拭いながら言われ、失言できない雑談にどぎまぎしながら「はい、楽しかったです」と作文みたいな返答をして、流石に変かなと思って同級生と遊んでるみたいでした、と付け加えたら上記の返答である。
あの子たちは年下だったのか……。大人っぽいし、しっかりしてたし、メイクも上手いし詳しかったしで同級生かもしくは歳上かと思っていた。
いや、だと夏油様はおいくつなんだ。もしかしてあの子たちは血の繋がった子どもなのか。家族だとは事あるごとに言っていたし、あれ、結婚って何歳からできるっけ。
ぐわんぐわんと考えているうちにぺろぺろと滲んだらしい血を舐められ、ぞぞぞと背筋が震えた。声が漏れないよう、息を止めて耐える。

「あの子たちも猿が嫌いだからね。同年代の使いやすいこは珍しいみたいだ」
「っえ、あの、はあ」

肩の噛み跡に爪を立てられ、痛みで漏れかけた声を再度耐えた。教祖様らしい感情の薄い笑顔の夏油様に口を開かれ、声が夏油様の舌に押し込まれる。歯茎もその奥も、舌の底に溜まった唾液も、上顎の凸凹も他人の舌が舐めていく。口を開けたまま咀嚼するみたいな音が脳内いっぱいに響いている。

「っはぁ。なんで、よりによって猿がこんなに美味しいんだ……」

また倒れないようにと踏ん張ることに精いっぱいの状態でそんなことを言われながら無表情で見下ろされ、もういいよ、と直ぐ後ろの玄関まで首根っこをひっつかんで連れてかれて、どうにか自室に引っ込んでベッドに横たわってから今日は変な味が夏油様からしなかったことに気付いた。
いつも凄い味がしたので口直しに使われているようだった
から不思議に思ったけれど、まあ、おやつを食べたくなるタイミングなんて人それぞれか。
最近はどうにも教団の何かしらに巻き込まれることが増えたし、疲れているけれど考え過ぎて眠れなくなる日も増えた。まあ親族か私が焼き肉とかふりかけとかにならないために過ごしているんだから、気が疲れない訳がないけれど。
明日も美味しく食べてもらうため、どうにかこうにか寝付いて睡眠時間を確保した。




一度、死ぬかと思うほどに血を抜かれて、抜かれながら口の中も存分に食べられて、上機嫌に大きな仕事があるから家から出ないようにとだけ言われた日があった。
ニュースを見たら各地で天災があって駅だとかが閉鎖していて、確かに出掛けなくて正解だったななんて思って、それっきり。

一度夢で食べられた。
髪も肌も舌も内臓も骨も喰まれる夢を見た。そんなことをする人もされた覚えもひとりきりで、あの刺さるような黒髪が肩に触れて痛痒くて、耳元で「全部食べてしまってもよかったなぁ」という声が一度あった。
それきり。あの可愛いけれども親しくない双子も、夏油様も、呼び出してくることはなくなった。
きっといいことなのに悲しい。食べ残されたように悲しい。
食べられることもなくなって、あの感情が何だったのか決められないまま取り残している事自体が忘れることを阻んでいるようで、そのことに対してどう思ったらいいのかもまだわからない。
食べられたくなかったのに、食べてもらえなくて悲しい。それだけは確かに言えてしまう。
私の呪いは甘いんだろうか、物騒なニュースを観ながらほんの少しだけ夏油様の世界を理解して、結局ほとんどのことが決められないしわからないままだ。
あれから数年経ったけれど、今の私も美味しいのだろうか。あのひとの口の中は未だに酷い味をしているんだろうか。
私はいつになったらあのことについて考えなくなれるんだろうか。


23.08.21


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