おりに障れまして





幽霊とはお迎えをスルーした霊魂のことであり、わざわざご足労いただいたのに断りを入れるのはたいてい理由がある。それらはいわゆる未練というものだ。
私の場合は忙しさである。少しでも同僚の手伝いをしなければこの忙しさじゃとても死んでなんていられないと思ってこうして世にしがみついているわけだけれど、人員とシステムが安定した今となってはもろもろ思うところがある。いや死んだほうが身軽に動けて寝ずに働けて役に立つなんて知りたくなかったとかそういうのは抜きにして、だ。
一度壊滅的なダメージを受けたカルデアは、二度目も乗り越え回っている。死者や英霊に支えられている状態とはいえ、それも非常事態だからこその配置だ。
いつか、すべてが終わったら。
我らが後輩たちを無事に「現代」へと送り出せて人手が足りたら、私はどうしよう。
カルデアの亡霊としてしばらく当事者ムーヴをかましてもいいかもしれないし、成仏を目指して出身国の宗教団体の門を叩いてもいいし、とりあえず気楽に浮遊しまくり旅行しまくるのだってありかもしれない。赤かったり白かったりする世界を眺めまくったのだからそれくらいはしてもバチは当たらないだろう。あれ、幽霊にバチって当たるのだろうか。
そんなことを眠れぬままに考えては、しっくりこなくて唸る。余る時間は考えがあらぬ方向へと取っ散らばるものだから映像記録を観たり本を気合で動かして読んだりすべきだったけれど、今日は油断してしまったためになんの準備もない。気楽に本も記録媒体も借りられないのだから肉体がないということは、便利だけども、不便だ。
一度頭にこびりついた考えから離れられず、深夜の廊下にひとりくるくる自転しながら考える。もう考えたくないことでも、どうしようもなく考えてしまう夜は生前となんら変わりない厄介さだ。ふて寝ができないだけ今のほうがたちが悪い。
もちろんやるべきこともなくあてもなく舟を徘徊するとして、とにかくは誰か話し相手かすれ違う相手だけでも探そうという些細な目標を定めた。エンカウントするのが同僚なら愚痴を聞くし後輩ズなら寝かしつけに集中できるし、英霊方ならもしかしたなら話し相手になってくれるかもしれないし。除霊チャレンジをされそうになったら全力で逃げればいい、余計なことを考える余裕もなくなる。
よし、これでいこう。
そんな予定を建て満足し、さあ最速でもついでに極めるかと廊下でクラウチングスタートの姿勢をとった瞬間である。

「あ」

※※※

勝つために戦い、戦い続け、戦うために守るべき国民を全て貪り、勝ったというのに分かち合う戦利品はなかった。分かち合う相手も骸のみだった。
火と茸以外の光源を見たのは全てが終わってからで、太陽というものが肌も目も地も灼くのを自らの身体で知った。
灼けた目が治りまた灼けても見続けた。誰とも分かち合えない知識を身に刻みつけ、太陽があるのを当たり前だと宣う種族が地から這い出るのを見て、明るい地表を見て、怖気がした。称えるかのような声が四肢も肌も思考も馴染みのない生命から零れるのに吐き気がした。
これが、戦いの報奨であってたまるか。
これらのために俺の国民が死んだなどとされてたまるか。
俺があれで何かを得たとされてたまるか。
そう語られるくらいならば、いっそ、

英霊は夢をみない。
幽霊も夢をみない。
ならさっきのものはなんだったのかと、妙に重く思える頭を振りながらハンモックから起き上がり自棄糞のように考える。
ただの国王であるころは色をそう知らなかった。知らずとも困らなかった視界に暴力的に色を映させたあの太陽、地表の外の冷え切った地表が温まる音とも言えない音、植物の萌える気配、骨格の異なるあれらの咆哮、
ああ、不快だ。忘れていたのに。寝ていた無意識に勝手に詳らかに再生された。
寝覚めが悪い。不快だ。不快で堪らない。
こんな夜には狩りがいいが、生憎獲物が身近にない。宙を飛ぶ居住区が面白く思えていたのは最初ばかりで、ここ最近は狭さと顔ぶれの変わらなさに辟易していたところである。
ただ獲物を追うだけで、仕留めずともその動向を追うだけでもいいだろうと妥協してやるつもりだが。
マスターを叩き起こし適当な場所か獲物を選ばせようと私室を出て、視界の端に動くものが入りそちらへ目を向ける。

「あ」
「ハー、ハハァ?」
「あーっ!きゃーっ!」
「フハハハハハこのカマソッソの顔を見るなり逃げ出すとは!恐れよ!逃げよ!首を落とされ蹴り飛ばされたくなくばな!」
「首ないですー!」
「あ。なら腰布を俺のと交換する」
「きゃーーーー!!!」

亡霊らしく薄暗い廊下に佇んでいた女が、こちらを見るなり良い声を上げながら走り去るものだから、あまりにちょうど良くついでになかなかの速度で走るものだから楽しく追い回す。
通路の窓から太陽がさし込むまで追い回し、女が「まぶしっ!」と太陽に当たって悲鳴を上げるのを指差し鎌で指し笑っていればマスターに呼び出され女共々厳重に言い含められた。なんて酷い時間の使い方だったろうか。




  ※ ※
※        ※ ※





「いくら暇だからといって、常勤の夜番がいたってど深夜に走り回るのは普通に迷惑だからね。今後はしないように」
「はい……すみません……」
「蝙蝠は夜行性だが?」
「一応人間でしょう君ー。夜型でもないことはリサーチ済みだからね?」
「オレはもとより日が昇らなくとも何も困らないのだ、昼も夜も違いはあるまい?つまり無実。論破。勝訴。解散」
「集合ー。共同生活においてある程度のルールは必須なのさ。国にだって犯してはいけない領域があるものだろう?」

ムムム、と頭を傾けるカマソッソの髪がでろりと垂れ、ついでににょろにょろ部分も生き物のようにそれに倣う。どういう仕組みと触り心地なんだろうとちょっと考えていれば「君は現役職員!守れるねわかったね!」とダヴィンチちゃんに指差し確認されたので「はいもちろん」と反射で返事した。ブラックではない。ただちょっとルールとか守ろうとしない魔術師はザラに居るので違反者に対する罰が重めであり身にしみているだけである。ブラックではないがホワイトでもない職場です。
そうしてど深夜のハイスピード徘徊は禁止され、今晩ももやもやと思い悩みロースピード徘徊をして気付けば温泉に入っていた。
どう……して……。

「ぬ……ぬくい……」
「あーーーーー………………」
「あ、カマソッソ様が流れてく……」

日本の大浴場、と言われれば受け入れそうな、天井も壁も浴槽も岩でできた、けれども壁の苔だけが光源というなかなかに秘境じみた空間に来た覚えはなくて、なんでだか首まで浸かった感触はしっかりあるのでなんとも懐かしい気持ちになりながらとりあえず自分を検分した。
いつも通り死んだときの服装のまま、半透明、けれども熱さとかはぎり感じている。幽霊になってから初めてだ。
上を観察すれば打たせ湯と言っていいのか、ぎり視界に入るくらいの高さの天井からじゃばじゃばとお湯が流れてきている。凹凸だらけの床の影響もあってか大変複雑な海流のような流れが生まれていて、カマソッソは四肢も羽根も触手も広げて水面に浮かび、たまに突き出た岩に引っ掛かりつつも寛いでいる。何かに似ていると思ったらあれだ、露天風呂の枯れ葉。
みるともなしに流れるカマソッソを眺めていれば、水流の影響か羽根のコントロールか当人がこちらへとぷかぷか近寄ってきた。半透明に黒っぽいお湯では深さや岩の位置などが窺えず、別に危なくはないだろうけれども、なんとなく動かずに待った。生身だったらたぶん裂傷だらけになるだろう。カマソッソはともかく。

「おい、女」
「へぁい」
「ハハハハハハ、ンフ。戻ったな」
「なにて……?」
「良い。ここはカマソッソのための湯だ。だが窒息もせずこの地熱に耐えられるのならばまぁお前にも入らせてやらんこともない。なぁに、王の施しだ、その身朽ちるまで尽くすと言うのならフリーパスにしてやろうな?」
「はぁ……ん?あの、窒息です?」
「ただひとがこの冥界の湯を訪ねようとすれば近づくだけで菌糸の餌だ。ん?苔か?ひかるアレ、あれだあれ」

あいも変わらず浮かんだままのかれはどうにか服……服?のようなものは着ているようだった。装飾は減っていたので一応は温泉仕様なのだろう。露出は変わりない気もするけど。
それよりも返答である、駄目だ何もわからない。死んでて良かったということくらいしかわからない。
霊体ですら温かい気のする湯の温度とはいかほどか、というか冥界?らしいからこそ私ですら湯の感触があるのか。
いや混浴じゃんか。
恐れ多すぎて、いや異性との混浴ってどうよ、いや異性だから混浴って名称だったっけか、いやあかんて。
ここがどこにしろ、まぁ自分の遺体を目標にすればどうにか舟に帰れるだろう。あの表面積で器用に木の葉のごとくクルクル浮かんでいるカマソッソが離れていくタイミングを見計らいそっと温泉から抜け、ゆっくりと浮いて帰ろうとして「   」と名前を呼ばれて一瞬意識が飛んだ。パチパチとない瞼で瞬きすれば、全身にぬくい感触、背面にぬるい人肌、視界にはチャラチャラとした飾りと濡れて重そうな黒髪。
圧力を感じる肩へと、嫌だけども、確認なんてせずにいたかったけれどもそちらへと目を向ければ、濡れて血流と毛艶の良くなった腕が長さが余ったのか下からクロスして私の肩をがっしり触れて押さえている。ちょっと動いてみたがすごい動かない。拘束されていると言っても過言ではないほど動けない。身動ぎすら不満だったらしくさらに湯に沈められ、顎までほっかほかになる有様である。

「あの、あのー、帰らせていただけませんか……」
「ならぬ。まだオレが温まりきっておらん」
「やー、えー、せめて、離してくれませんか」
「ならん。逆上せずに済む丁度いい温度をしているお前が悪い」
「えー……」
「透ける、触れ得ぬ、孕めぬ体で恥じらうか?ん?血肉のあるものはここへ招いたことがない、これがどれほどの名誉か理解してなお恥じらうつもりか?んんんん???」

にやにや、という表現よりはデロデロ、が似合いそうな笑顔でそんなことを言われ、いや性的なものから離れたとしても恥ずかしいに決まってるだろうと反論する代わりに肘から腕を突っぱねて顔を覆った。肩の手は外れなかったけれど、首の後ろくらいはちょっと空いたし視界も悪くなった。
というか血肉という言葉に引っかかってちょっと遠くをよく見たら人骨っぽいものが無くもなかったので、それを直視するのを避けるのもある。わぁキレイな骨のようなオブジェ。私が混浴しているのは王様とだけであり骨とかは換算しない。よし。
私をキープしている手が緩んだかと思えばずるりと体が傾き、カマソッソまでも背面から滑るように首まで湯に浸かったらしかった。「ふぃー」と万国共通のくつろぎまくりの吐息を聞けば邪魔になることはしたくなくなり、縮こまらせていた霊体をちょっと伸ばす。肺ないけど「はぁー」とか言いたい気分である。

「もう寒くはないな」
「まあ、はい」
「場所は教えた。呼べば来れるか?」
「えー……、話し相手なら私以外にもいらっしゃいますよ、ね……?」
「知らん。来い。湯に浸かれ」

それはどんな意図の命令だろうと口をぎゅっと引き結んで考えていれば、また脱力しきった声を出しながら水面へと乗り出すカマソッソに、その上にラッコの石あたりの扱いで乗っている私は同じように流されるしかない。諦めて脱力していればカマソッソの喉の口からも「んぁーー……」というあの声が別途に漏れているのに気付いてちょっと癒やされたし脱力した。
温かい。寒くない。水面に浮かんで揺れる感触は、けして悪いものではなかったせいで、どうにも断れない。

    ※
 ※※

寒い寒いとその言葉だけを発する有様だった女を拾った上に己の領土へと招いたのに後悔はなさそうだと、縮こまるのをやめた霊体を眺めて思うのはそんなものだった。
民が怯えるのなら要因を取り除くのは義務だ。呼んでも来ない臣下へ罰を与えるのも必要だろうが、正気でなかったのならまぁ大目に見てやろう。
倉庫だとかで凍った食材をいくつか見せられたのを連想し、跡形もなく湯に揺蕩う霊体を眺め、肉感のないそれが触れているのに血は滾らず心身が穏やかである。
これの死因は凍ったからだという。
通路の隅で寒い寒いと呟くこれを掴んで引きずってマスターに見せれば、とても言いづらそうに諸々を話した。この舟へ拠点を移す前のことだとかそれより前のことだとかさらにそれの前のことだとか。長ったらしかったので結果だけ記憶したが。
己の知る冥界は死に方により行く先が決まるものだ。戦に病死、お産に贄、全て網羅していると考えていたが凍えて死ぬことは分類しようがない。そんなものはなかった。
役割は果たして死んだというのだから、まあ強いるのならそこだろうか。けれども今更強いるつもりはない。民になるというのなら、自ら全てを捧げねば資格はない。成り行きで死んだなどというこれはまだ仕分けできないだろう、ならばとここへ連行するのを決めた。
ひやりとするその肩から、腹に手をずらして乗せる。肉とは言わずとも何かに触れている感触はあり、いつまでも冷たく、その割に顔は湯に解けていて、まぁ何かしらは治ったろうと判断する。
肉が凍る感触を知らなければ、溶けるという現象も知りようがない。それが俺の腹の上で起こっているのか判断しようもない。少なくとも固くはないが氷とは固いばかりなのだろうか。
誰とも入れなかった湯槽はよくよく考えれば整備が荒く、民を招くのであれば岩を丸め底を平らにすべきだろうかとふと考えた。そこまでするのならいっそ壁画をあしらうのもいい。どうせ大掛かりになりそうなのだこの女に手伝わせようそうしよう。
ここは息も出来ないが、絶対に凍えない。凍える女を見ずに済む。

「あの、そろそろ戻りません?」
「はあー……。あとは水風呂と外気に当たるのと、フルーツの盛り合わせをつつかんとここに来た気がせん。お前も付き合え。そうだな、今回ばかりは特別に二巡で許してやる」
「えぇ……。こだわり……深めですね……」

女と目が合うことに安堵し、不敬な会話に腹を立てて笑い、今後この空間に声の響かないことに耐えられるだろうかと少し肝が冷えた。
暗がりに響き続ける会話は心地が良すぎると、意図せず知ってしまった。
腹の上の女からはもはや逃げ出す気配はなく、それでも拘束は解かずしばらくそのまましばらく浮かんでいた。






 ※ ※  ※    ※ ※ 
         ※




激熱温泉騒動からなんでだか人肌恋しく、いや人肌なんてもう持ってないけども、ともかくは静かなところが苦手になりつつあって深夜徘徊はさらに酷いものになっていった。
残業をしている同期を無闇矢鱈に褒めたり作家英霊陣のポーズモデルを重力無視仕様でしたり調理中の誰彼のタイマーをしたりして、それでも空いてしまう時間に戸惑って、呼ばれてもいないのに誰かの元を訪れるのには戸惑いがありまた徘徊するのを繰り返した。もちろん違法なほどスピードは出さずにだ。
うろちょろとキッチンを動き回っても実質無害なので、けれども惰性で誰かしらに叱られつつ本日は厨房の徘徊である。ヒヤッとさせてしまっては手元が心配なので直接接触は極力避ける、極力。粗熱は進んで冷ますし。

「こうして見てるぶんには簡単そうですねー」
「ふふ、わかります。やってみるとまた違うんですよね」
「マシュちゃんはすぐ上達するから。ちょっとそういう話題は信用ならないの」
「なんと……!」
「あはは、幽子さんは料理苦手?いっつも見てるから上手くなってるかもしれないよ」
「苦手でなくもなくもなくもない?」
「どっちでちか」

今日は女性多めのキッチンで、なんとなく懐かしいような感覚に機嫌が上向きながら中空から手元を眺める。家庭科実習だとかそういう空気感だ。
仕込みをするひと、夜食をささっと作るひと、それを指導しつつこれまた別のものを仕込むひとと厨房は常に誰かしらいる。料理しながら掃除までしているのだから人数が多い組織というのは恐ろしいな、としんみり考えた。まだ英霊があまりいない頃だって人間がわぁわぁ詰めかけていたけれどもあれはほぼカフェイン摂取するのが目的のやつばっかりだったし。
それでは、と誰かと食べるために作られたであろう鍋焼きうどんの乗った盆を抱えたマシュを見送り、恐ろしい数の餃子を包み始めたふたりの手元を観察する。瞬きする間にひとつふたつと増えていく餃子はもはやエンターテイメントである。タネも仕上がりも山だ。それはもう立派な。

「ブーディカさまが餃子を包んでるとこう、カルデアヤベえって改めて思いますね」
「こういう人手がいるやつはねぇ。どかっと煮込むやつとかはひとりずつでもいけるだろうけど、明らかに大変そうだと手伝うしかないしさ」
「クッキーの型抜きだとかは呼ばなくとも集まりまちたね。焼くのも手伝ってくれまちた」
「でもさ、生のまま食べるやつがいるから油断ならなかったねー」
「ヤベえ」
「止める人手も必要になりまちたね……まったく、元気すぎるのも困りものでち」

クスクスきゃっきゃと静かにする雑談も深夜独特のものである、たぶん。節電のために落とされた食堂の照明の効果もあるかもしれない。生で食べるような乱入者が来ないのも大きい要因であろう。
カマソッソはとりあえず生で一回啜りそうだななんて考えてからいやいやと脳内から追い出し、他の話題でも、と視線をあちこちに飛ばす。話の種になりそうなの、なんでもいいから、適当なもの。

「あ、あのボールはなんですか?」
「パンケーキの生地でちよ。一晩寝かせたいってエミヤが置いていきまちた」
「あっちはクレープ生地だよ」
「ええ?」
「どら焼きの生地はその隣でちよ」
「からかってません?」
「さあね?」

思いきりからかう笑い方をし、さて、と伸びをするブーディカの手元を見れば巨大ボールの中は空である。気付けば紅閻魔も当たり前のように食器を洗い、餃子の山は冷蔵されていた。長引きそうな作業はいつの間にか終わってしまっている。もう少しこの場で粘りたかったけれど、無為に引き止めるには気が咎めるほどの餃子の山であった。

「果物の処理は焼きながら。今日はもう寝ていいでちよ」
「はーい。お疲れ様」
「お疲れさまですー」
「そうそうお前さん、折角の新鮮な果物、あの蝙蝠の分も取り分けて置くでち。差し入れにいいでちよ」

ぎく、という擬音が相応しいほどに首が凝り固まり、無い筋肉を強張らせつつ「や、いやいや」と物理的な距離を詰めながらとりあえず否定の文言を呪文のごとく唱える。いや別に否定しなきゃいけないわけじゃないけど。

「い、いや、明日も壁画のお手伝いに行くとはかぎりませんことよ」
「あら、そうなの?最近良く一緒に作業してるってトラロックから聞いてるよ?」
「や、でも、呼ばれるからで、」

ぱっぱと濡れた手を小気味いい音を立てながら拭ったブーディカが「とにかく持っていきなさい、喜ぶから」とママ味ある優しさで宣言する。とてもじゃないが断れないし否定できないママの貫禄である。
思わず口を閉じれば否定も肯定も賛同もできない。そりゃあ飲まず食わずで作業したりするカマソッソのそばで飲まず食わず寝ずで付き合って手伝っていたから差し入れとかありかなぁとかは考えていた、いたけれど、無くとも困らなかったりするのである。必要なら必要なものだと堂々と渡せるのに。
私の意思を絡めて渡すのはどうなのだろうかと、学生か?と自分でも思うほどに悩んでいる。悩むばかりで進展もしないあたりとても懐かしい感覚だ。無い心臓がどんどこ騒ぐ幻聴すらある。いやどんどこ岩は削れていたからその振動だな。

「お前さん、最近は考えすぎなんでちよ」
「そうそう。ちょっと前はもう無くすものないしなーってあたしたちに突撃してたのにねー」

うぐぅ、と呻きつつ物理的な距離を取ろうとも、ふたりは容赦なく紅茶を入れて作り置きクッキー(新所長作)を引っ張り出しながら淡々と掘り下げる。どうやら一杯お茶をきめてから解散するらしい。まあ珍しい流れでもないけれど、こんな夜遅くにこのふたりが休憩を挟むのは珍しかった。ちなみに少し後ろではエミヤが静かにコンロを磨いている。ずっと同じところを磨いている気がするけれどもまぁそちらに話をふるのは流石に気が咎めるので見なかったことにした。紅茶のポッドをくれたのも彼だし。

「あら美味しー。現代の味は馴染みがないから作るの自信ないのよね」
「洋菓子と和菓子でも勝手が違いまちて……たまに食べたくなるんでちよね」
「じゃあ私はこれで」
「ほーら香り付きのお線香でちよー」
「わぁいバニラー」

そのまま人生相談なのか説得なのか脅迫なのかお母さんなのか分からない圧をふたりからかけられ続け、はいしか言えなくなりそうな明け方にまさかのカマソッソからの呼び出しである。
「あ」とつい呟けばサッシたふたりに有無を言わさず南国果物たちを霊体に突っ込まれそれらとともに呼ばれ手繰り寄せられ、ぐいぐい引く力がなくなって周りへ視線を向ければ薄暗いところばかり共通しているカマソッソの私室だ。温泉であったなら果物が傷んでいたので少し安心する。
室温を高めに設定しているけれど、それでも寒いとクレームが来るもので応対は部屋の外にしたらどうかと何度か言ってみているけれども当たり前に室内だ。今更出るのもちょっとどうかなという心境になるためそのまま話掛けるしかない。

「えー……なにか不都合でも?」
「ない」

また室温か防音性かそれとも夜食か、ともかくスイッチの多い出入り口に陣取ったままハンモックに寝そべるカマソッソに声をかけるもこの対応。
明け方らしく薄赤い光が壁に投影されていて、よくよく見なければ熱帯雨林としか思えない室内の場違いな中空にあるハンモックから羽根と顔を覗かせた彼が、床まで付きそうに腕までも髪やら触手やらを追うように追加でだらっと垂らされる。いやなんで呼ばれたのか。

「……眠れませんか?藤丸に今日は遅番を勧めてきましょうか」
「今すぐ首を狩っても構わんが?」
「ええ……えぇー?」

寝起きではなさそうで、けれども無理をしていそうにもみえなくて、元気がない気がしたけれども「ななじゅうごかとぅんばくとぅんいやいみなくない?」と謎の言語が聞こえてきたのでそうでもなさそうだ。だるっとしてる割に声は愉快そうだし。謎の節がついた発言は全く理解できないけれど。いやこれを解読しろというあれだろうか。

「用があったわけではないんです?」
「用?ないが?」
「はあ……まあ……」

呼ばれた意味がまるきりない。
ならどうしようか、とか、帰ろうか、とか考えつつもどこか気持ちが楽になっていく感触がある。
そう。用がなくても私は呼ばれるのか。何もなくても。ただ雑談をしろだとかの命もなく。

「ふ、ふふ」
「なんだ。弁明せよ、許可する。せずとも構わんが何か申せついでに匂いの元を言えそれか匂いの元のみ言え」
「あー、いえ、フルーツ持ってるんですが要りますか」
「いるん」
「どっち……?」
「とりあえず捧げぬん」
「何語……?」

厨房の雑談ほども中身なく、共有できる話題も少なく、けれども無理なく居座った。


23.05.15


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