畜生道のおとこたち




「やめろ」

言葉の割に弱々しい声色で、息さえも掛かるほど近い唇で、震えるように拒絶された。温室に響きすらしない声量で、けれども動揺はあからさまに伝えられるような大きさで。
こちらの口を押さえる指が強張って爪が立てられて、けれどもこちらを傷付ける意思は欠片もなかった。そんな気遣いを捨てられないくせに放たれた言葉に素直に従い、上げた身体を下ろし腕を下ろし目を閉じる。

「貴方とこういう事はしたくない……んで、す。あの、別に貴方の趣味を否定するのでもなく、あの、すみません」
「お前の謝罪なんざ気持ち悪いだけだな」
「でも、やめてくれるんですね」

調子が戻ったのか小生意気な声色を思い出し、あまつさえ笑って見せてから落とした本を拾う。読みかけた頁を探す紙の擦れる音を拾いながら、その手が震えているだろうことまで聞き取ってしまった。
責めればどちらかが悪人となり、謝罪だとか詫びの品だとかを挟んで元通りになるのだろう。騙すのも誤魔化すのもお互いが得意としている分野だ。何もなかったことにするくらい楽に、いや楽になるためにできる。だからしない。

「それで読めるのか?」
「誰のせいだと……」

動揺の滲んだままの声に目を開いた。顔色の変わらないジャミルの顔がよくよく見えるばかりだ。
本を閉じ、だらりと膝に垂れたその手に頬を押し付け、本を取り上げ、表紙だけでは内容まで思い出せずに片手で中を開いて字列を追う。読んだことがあるなと思っただけだった。

「一章以上の情報はねぇぞ、これ」
「はあ……語り口が好ましいのでいいです」
「まあ、分かるが。読後感は良かった気がする」
「覚えてないんじゃなかったのでは?」
「今思い出した」
「そもそも落とし所を予測しながら読んで答え合わせをするので、最後まで読まないと答え合わせも何もないでしょう」

これだから、といかにも小言が続きそうな言葉を吐いたきり、するりと蛇のようにすり抜け立ち上がられる。膝からも手からも滑り落とされた頭部を見せつけるように見上げれば息のように笑う声が上がる。見下すときばかり嬉しそうに笑う彼は後腐れなく温室から立ち去った。






好きあってはいるけれど、際立ってということでもない。お互い逃げられない立場というものが邪魔をして、ぐちゃぐちゃと考えて悩んで悩むのも馬鹿らしくなって捨てたくなくなるようなものを抱えていて、結局捨てられないそれら以上に頭を占めるものはないのだと知っている。そのくせ誰かの唯一になってみたいだなんて甘いことを考えていたこともあって、立場も正確も似たこいつならもしかしてとこうして時折肌を触れ合わせている。色の話ではなく、本当に手を繋ぐだとか上に乗っけて眠るだとかそんな子どもの触れ合いだ。
けれどそれだけだった。すべてを捨てさせることはお互いに許せなかった。似ているからこそ駄目だった、理解しすぎて、唯一になど到底なれないのだと、会うたびに実感する。
それなのに居心地ばかりは良くて、なにも生み出さないだろうに良く一緒に過ごす。読書の傾向だとか、好む言葉遣いだとか、些細な好意だけを寄る辺に時間を浪費するだけだった。
そうして幾度も近しく過ごしていた、いつもの人目のない時間だ。
ジャミルの息が熱い。炎天下を駆け回った獣人族にもひけを取らないのではないだろうかと考えて手の甲を押し付けて、湿ったそれを測る。唇も勿論熱を持ち、頬も熱い。温室は気温が一定だというのにしっかりと熱く感じるのだから当人は随分熱いだろう。
珍しく擦り寄る仕草は、猫科のじゃれ方に似ている。そんな可愛いものであれば簡単な話で済んだろうに。

「解毒剤は」
「飲みました。効いてきてます」
「ほら、水」
「……っふふ、甲斐甲斐しいですね」
「そんな顔で長居されても困るんだよ」
「だからここに隠れたんじゃないですか」

誰にも見せられたものじゃない、と息ばかりで囁き、ずるりともたれた木からずり下がる。呼吸がしやすいようにその頭を掴み上げて肩に寄りかからせれば、胃液と彼自身の匂いとミネラルウォーターの混じった匂いが鼻についた。
この学園に来てからというもの、アジーム家の当主争奪戦は大人しくなったといえ、たまにこうして生活に捩じ込まれているらしい。実家からの貢ぎ品だとか、購買には並ばない地元の味の差し入れだとかへと、思い出した頃に何かしらが混ぜられている。
殺すのではなく、ただ弱らせてそれを公にし「体調注意力諸々に当主として不安がある」と認識させればいいような毒だ。対処を正しくできれば大事にもならない。けれども平気という訳でもない。
毒味の役目を果たし処理を済ませ、それでも無理だと判断したジャミルは野生動物のようにここへ来る。迷惑料を払われ融通が利いている分には相応の対応をしているだけだ。お互いただの学園生活を送るには少し要素が多すぎる。
軽口を叩けるほどには余裕があると分かったもので「何処の奴だった」と本題へと入る。下手人の出身国、雇い主、手口にと知り得る限りの情報を頭に入れ、乱れたままの髪を撫でつけてやり魔法で軽く服を浄めてやった。

「釣り合いますか、この情報」
「鳥肉を煮たやつも付けて丁度だな」
「う……味見、出来ないので、明日以降でいいですか……」
「ゲロ臭え肉なんて俺は食わねぇぞ」
「酷いな」

ふっふと熱ごと吐き出していた息が治まり、意識してはいるようだけれども深い呼吸をしている。湿った髪を撫でつけて「シャワー浴びないと」と嫌そうにしている。

「一緒に浴びるか」
「は?……うわっ、ちょっと」

あちらこちらに設置されているスプリンクラーに軽く魔法を当てて誤作動を起こし、区画まるごと水浸しにする。お互い手ぶらだったからこその強硬手段だ。備品の数冊くらいすぐに補填できるが、そろそろ目を付けられているので貸し出しを渋られでもしたら少々困るもので。

「先輩、変なものでも拾い食いしました?」
「その口でよく言えるなぁ?もう夜食くらいなら作れるんじゃないのか」
「…………はぁー、貴方は実家の従者にも評判の主でしょうね」

雨音にしては規則的過ぎるそれを浴びるのは思いの外愉快だ。腕の中でもぞもぞと水を避けようと丸くなる彼を抱き上げれば、観念したのか大口を開けて上向いて何やら叫んでいる。水音で聞き取れないそれはまあ愚痴らしく、嘲笑って水が止まるまで付き合ってやった。
べっと口内の水をそのへんの草むらに吐き出したのを見ていれば、ふと彼が身をしならせながら屈める。下心でそれを待ち構えていれば、唇に到達する前に鼻を噛まれた。殺菌された水に混ざる饐えた匂いに唸れば、腕の中の彼が愉快そうに身をそらして笑う。こんな扱いをされても手放せないので、その背を律儀に支えてやった。

「厭だって言ってるのに期待したんですね」
「うるせぇ落とすぞ」
「下ろしてくださいよ。夕食を作らないと」
「片付けはしといてやる」
「それにしても、ふふ、撮れば良かった」
「お前の弱ってるところも撮ってやりゃあよかったよ」

それは困ると笑って、足を地面につけた彼は手早く身支度を済ませて温室を出ていく。逃げ込んで来たときと同様に身軽に、なんてことない顔をして。
独りぐしょぐしょに濡れているのはどこかむなしく、その感情にすら笑ってから衣服と髪を乾かして出入り口へと向かう。情報の鮮度が落ちる前にやることは多かった。彼ほどの仕事量ではないだろうけれども。







「その後、どうでした」

何が楽しいのか知らないが、座る俺の後ろで膝立ちしたジャミルが俺の両手首を掴んで操り人形のごとく上げたり下げたりしながらそう問うた。
熱砂のオアシスのひとつだという水辺は草原とは似ても似つかない匂いと感触がして不快だったが、こいつがあまりに奔放に振る舞うもので慣れたし、慣れれば湿気もなく過ごしやすい。パラソルだとか飲水だとかラグだとか、いかにも客の接待らしいものを揃えられているのもあるだろう。

「まあまあだな。ほぼ済んだし伝手もできた」
「どこがまあまあなんですか。チキンまで添えたら過多になるんじゃないですか」
「俺が食いてえだけに決まってるだろ」

ぐっ、と微かに喉の詰まる音に笑えば上がっていた腕を落とされ、膝に乱暴すぎる力加減で重みのある籠が落とされる。香辛料の匂いと鳥の匂いでわかってはいたけれどもこんなにも酷い渡され方をされるとは思わず笑う。笑えば笑うほど不機嫌になる背後の彼はジャーを持ち出し「豆のスープです」としれっと手渡された。
どこぞの入れ知恵か野菜の細切れの多いそれに一度背後を睨み、ひどく楽しげな視線が返されたもので少しすすってみせる。よく煮たので食感はないでしょうと自慢げに言われてしまえば怒るに怒れない。
休日に会えないかと誘われれば逢瀬か疚しい予定だろうと、半日ほど予定を空けてここに来ている。どちらでも構わない心構えで来たはいいがどちらもだとは思わなかったもので、犯人を手引した人間の名前を並べながら異国の料理を摘み寝転んだ。どうせ予定は蹴ったしやることは済ませたし時間は余る。

「適当に起こせ」
「は?」

用意されたクッションを避けてジャミルの膝に頭を預ければ、また「は?」と端的な質問が投げかけられる。独り言に近いそれを無視して寝付こうと脱力すれば、飽きもせずまた「はぁ?」だとかの声が真上から漏れた。


ふと目を開ければ、全てが赤く反射していた。
オアシスの周りは岩が多いといえども、遠くへ目を向ければ砂の割合は高い。その砂が起伏に応じて赤と黒に染まっており、苛烈かつ滑らかな質感にひとりを連想した。
そういえばここへはそいつと来ていたんだったと思い出し、頭の下にしっかり硬い生身の足があるのを寝返りで確認しつつ目を向けた。
太陽に焼かれた眼球は陽を浴びるジャミルさえ霞ませその細かな表情を読むには明度が足りない。寝ぼけた頭で考えるのはやめて、なにか言おうとしたその唇を掠めて手を伸ばし頬を撫でた。どちらについていたのか知らないが、さらさらと砂が擦れる感触ばかりが強い。

「あの本」
「なんですか」
「読み終わったのか」
「……ふふ、寝ぼけてます?」
「起きてる」
「はいはい」

親にしても甘やかす声色にまどろっこしさを覚え、自分の声がそもそも甘いことに気付いて諦めた。これで好意を持つなと言われているのだから腹立たしいというか、面倒というか、いっそムラムラしてくるというか。

「そろそろ戻りましょうか」
「今度は一晩付き合え」
「なんの為にですか」
「お前の休暇」
「休めないでしょう、後輩が先輩を前にして」
「国王でもあるまいし」

この冗談はお気に召したようで、膝が小刻みに揺れるのに任せて寝返りを打った。赤い砂が視界から消えて上等な布地になる。眠りたいのだとこんなにも態度で示しているのにジャミルは許さず、立ち上がり突き落とそうとするものだから腕を伸ばし首へと回す。これくらいなら性的だとかアプローチだとかに認定されなかったようで、許されるままに体をひっつけて「愛してるぜぇ」と言葉ごと押し付けてやる。
まるでこの世の終わりのように諦めきった目をしたジャミルが離すのも受け入れるのも諦めている。そのまますべて捨ててしまえばいいのに、と他人事ならではに考えて、きっとすぐに帰ることになるのだろうと冷めた気持ちでその頬に手を寄せた。
まだ許されている。
比べて熱すぎる手で、瞼を閉じさせた。
このひとときが許されるのなら、束の間ばかりは許され続けられる。どうせ先はないけれど。











「やめてください」

呆れ果てたようなその声に、いつかの記憶を引っ張られながらやめないことにした。そのいつか聞いた言葉は拒絶以外の何物でもないものだったが、今回は随分と受け入れの色が強かったので。
ずるりと引いた体は脱力しつくし、シーツや外して放置したアクセサリーを巻き込みながらこちらへと近付く。それでも本を手放さないジャミルに面白くなり、手を伸ばし散らばる髪束同士をぶつけてチャラチャラ音を立てた。それでも反応らしい反応はない。意地と集中とが半々あたりか。
しばらく髪飾りや肌や髪に触れていれば、その程度なら許されたのかもくもくと読書を続けている。可愛げがないなと判断するも、それすら可愛く見えてしまうのだから仕方がない。
どこまでしたなら拒否されるかを図る時期はそれはもうお互い生傷が絶えず、手当をするまでが気怠いくせに楽しいのだから飽きる暇もなかったし、子どもがじゃれるように丁度いい傷付け方もお互い覚えた。その間にどちらかが離れればそれまで、と、そう言っていたのによくまぁ続いたものである。
可愛いばかりでもなく少なからず面倒に思っているのも効いているかもしれない。手間がかかって丁度暇も潰せるというか、暇でなくとも手が塞がるのはそう困るものでもないというか、まあグダグダと考えてもこの関係を続けるメリットとデメリットは釣り合わない。
けれども傷付けても傷付け返してくるような気安さは離れがたくてたまらない。
学外に出ても、就職しようとも、お互い結婚をせっつかれても。
なんにもならない関係があまりに居心地が良くて、これを手放さないことばかりを考えている。それでもこの関係に誠実にはなれない。お互いにバカになってるのかヤケになってるのか知らないが。
ジャミルの腹に頬を乗せ、呼吸の揺れに微睡みかければ「俺がいるのに寝ないでくださいよ」と我儘らしい我儘を言われたので、微かにあった遠慮をかなぐり捨ててのしかかる。目の前にはなんとも得意げなお顔。
まぁ俺も変わらない顔なのだろう。そういう時間を、ふたり作り上げたのだから。



22.04.29
22.09.07加筆


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