あれよりも君はばか

上のものの続きのようなもの。かんようしょうじょパロです。











「もし、もし。そこの少年」

 とてつもない美人にそんな風に声を掛けられて、気持ちが浮つかない男なぞいるのだろうか。いやいない。極端にタイプから離れていない限りはいないはずである。
 そうして人形みたいな綺麗な女性に引かれるがまま普段いかないような店に足を踏み込み、気付けば一生もののローンの契約書にサインしていた。

「つらい」
「メンテナンスは無償だ。食事くらいなら出してやろうか」
「うれしい」
「ふふ、この子を育てるものが飢え死にしてしまっては可哀そうだ」
「あ、そういう……」

 持ち上げかけた頭をもう一度テーブルへと打ち付ける。この店の店長だというスカディさん、俺をこうして店に導いて嵌めた彼女が、うっとりするほど綺麗な微笑みを浮かべてテーブルに頬杖をついている。絵になるなあ、とせめて無償のポージングを目に焼き付けた。こうでもしないと事実に潰されそうというか……あやっぱりつらくなってきた。溜めに溜めた石で爆死したときの数倍の威力。
 そんなこんなで彼女を凝視していたのだけれども、隣からの視線の訴えがすさまじく、恐る恐る、ほんの少し顔をそちらに向ける。
 こちらはこちらでとても綺麗な微笑みが向けられていた。こんなのばかり浴びていると、厄日なのかなんだか判別がつかなくなってくる。
 この街に住む者ならだれでも知っている。観用少女という、最高級の生きた人形。この街でしか増やすことができないだとか、それだけ高級な人形ともなると持ち主を自分で選ぶのだとかめっちゃくちゃ高くて俺なんかには手が出ないものだとか。特産品であるばかりにいろんな話が耳に入っていて、けれども触れることは少なくて根も葉もないことを聞いてはうっそだあなんて話のタネにしているくらいなのだけれど。

「……あの、少女ですよね?」
「領収書にも書いてあるぞ。ここだ」
「いやあ、うん、うーーん……」

 様々な書面に名前を書き込むテーブルの席からは、店の商品であろう人形が並んで座って眠っている。自分を買うべき客を、ただただ静かに待っていた。そのうち二つが空席で、隣に座るこの微笑む人形がその席の一つに座っていたはずの子なのだけれど。
 ……少女。
 ううん、聞いていたものよりも大きいというか、見惚れるくらい綺麗ではあるけれど少女というには筋肉が付いている気がしなくもないというか、いやそもそもデカいというか。いやいやいや聞いていた人形だって人間の女の子くらいの大きさだとは聞いていたけれどもこの人形は俺くらいあるんだけどどうなっているのか。

「窓の外の俺を見て目を覚ましたって矛盾してません……?気のせい?」
「いつの間にか目を覚まして、お前の姿を目で追っていたのだからな。そういうものだよ、この子たちは」
「ふうん……」
「専用のミルク……は、ここに連れてきてくれればいい。砂糖菓子も今日の分は必要ないな」
「へえ……」
「数日分は持っていくといい」
「ふぁい……」

 あらためてもろもろの書類に目を通し、その金額の途方の無さとローンの日数とに脳みそが麻痺する。とろけた思考で見る人形の笑顔は染み入るように綺麗で……あれ一瞬妖怪みたいに歪んだような、まあそれでも可愛いからいいか。



「……いやデカいよな?」

 家に帰って雑多なものらを退かし、やっとの思いで人形を座らせてやる場所を作ったのだけれど。
 デッカい。フィギュアや石膏とは違う、そこらの人形とも異彩を放つ生のたたずまい、微笑み、流れては輪を描くツートンの髪。いやこの髪形を俺がセットできるはずもない。汚してしまったりしたらどうしよう、こんなにきれいな髪を切る羽目になったら切腹するしかあるまい。

「さってと、課題課題……えぇー……」

 貧乏学生である上に借金までしてしまったものだから、やれることはやれる時間にぎゅっとやるしかない。まあバイトと学業を一緒にできるだけましだったし、絵のモデルになる買い物をしたのだからうん、と自分を納得させつつ動き回る人形を捕獲する。抱えるように捕まえたのにぬるっと逃げられるし課題は弄られるし「あれ、俺が買ってきたのは大型ネコちゃんだった……?」と謎の疑問を抱えはじめつつあった。



「リンボが、大人しくしてくれないんです……」
「リンボ、とは?」
「ああこいつです、名前がないのも可哀そうかなって」
「成程。うん。可愛がってくれているな」

 メンテナンスついでにミルクも貰って、無事艶々サラサラかつクルンクルンの髪を梳いてもらったり肌艶を確認してもらったりと至れり尽くせりだ。世話されるのが好きなのか、それとも実家のような安心感でもあるのか俺の人形ことリンボはずいぶんと大人しい。課題という課題を倒しパソコンを閉じ寝ている俺の上に乗るようなネコちゃん感はよそ行きだからか大分薄い。まさしく借りてきた猫。

「俺、絵で食っていくのを一応目標に勉強してるんですよ……それでバイトもそういうのをしてるんですけど、こう、邪魔されちゃって」
「そうか、私の子を描いてくれればいくらか出そう」
「ありがとうございます描いたの見てからにしてくださいね!」
「勿論だ。……さしあたり、展示だけでもしようか?」
「待って待って待って止まって」

 とりあえずはと作品を撮っておいた写真を表示したスマホを店長に差し出し、笑みを深めたリンボを手招いて隣の椅子に座らせた。ニイィと笑う顔は機嫌が良さそうだ。まあいつも笑っているけれど。

「うん。いいな。人形が起きずに引き取ることを諦める客もいるのだが、それらに向けていくつか描いてもらってもいいかな」
「……え、本当に?写真って手もあるじゃないですか」
「これがいい。愛情がある。愛嬌もな」

 こちらもにっこり人形のような整った笑顔でそんなことを言われてしまったらどうなるか。
 そりゃあふやけた顔が熱を持ったし、それを見たリンボになんかすごい顔をされた。笑っているけれど何と言ったか……たしかフレーメン現象ぽいやつだった気がする。近いしデカいとなかなかの迫力である。
 瞬きの間に美しい笑顔になったリンボがぬるりとくっつきたがるのを自由にさせて、作品を見られている緊張を人形を構うことで誤魔化す。

「どれくらいここに来れる?」
「えっ……と、学校帰りなら週に一回くらい」
「ここで描いてもらってもよいか。出来上がったものはここで買い取ろう」
「あ、あのリンボの絵は提出しなきゃならないんですけど」
「そうだな。ここの子たちだけでいい、お前が売りたくないものは持ち帰ってもよい。時給は出そう。手伝いも頼むかもしれないが」

 それくらいぜんぜん、いやぜんぜんと腰を物理的にも心理的にも低くして話を詰めていく。
 夢が叶いかけている感触に嬉しいやら怖いやら得体のしれない興奮に態度を決めかねて、どうしたらいいのか分からなくて眠っている人形たちを見る。俺の今の現状よりもさらに現実味のない空間だ。
 ああ、描きたい、と思った。恩返しではないけれど、彼女らに尽くせたなら幸せなんだろうと、ローンのことをすっかり忘れた頭で考えた。



 人形を買ってしまった時はもう人生が終わったかのような気持ちでいたというのにまあ、実際はゴロゴロと好転していっている。バイトの効率は良くなったし、絵の題材も見放題だし、いいものが傍にいつもあるのはもうメリットでしかない。俺にしか懐かないというのもこう、幸福感が増すというか。親に電話したら怪しい宗教でも疑われそうな話である。
 そんでもっておそらく大差ない。信仰心というにはちょっと世俗的すぎるものの。

「君を買ってからいいことが続くなあ。……借金はすごいけど」

 専用のミルクも砂糖もあんまり買ってやれないけれど、リンボはでっかわいく綺麗な笑みを絶やしたことがない。髪だってつやつやしているしメンテナンスでだってお金がかかったことがない。いや本体の値段考えたらほっこりも何もできない。いやでも「愛情に満ちているな」なんてあの店長に褒められたら二倍嬉しくなるものだろうそうだとも仕方ない。
 今日は店で一枚描いて置いてきて、乗っている感触があったので帰宅後も照明だとか椅子の位置だとかを弄ってデッサン続行である。ミルクを上げることは考えられたけれども自分の食事はまだだ。とにかく気になっていたところを直さないとそれどころじゃなかった。
 集中力が切れたので返答がなくとも独り言も漏れるし、じんわり腹も減った自覚が出てくるしでペンを置く。動いてもいいよ、と声を掛ければ椅子でポーズをとってくれていたリンボがそそくさと立ち上がりのしかかってきた。
 にこにこと笑いながらそんな事をされたりしたら嬉しいに決まっているので歓迎し、俺よりかは多少軽い体を抱き留め、それでもぐいぐい来るリンボにはっはっはこらこらと寛容に受け入れ、それでも押してくるリンボに押し負けて床にひっくり返り、消しカスだらけの視界に掃除しなきゃなあなんて考えているうちに目の前が暗くなる。
 垂れた絹のような髪が描く模様に見惚れていれば顎をクイと上向くように触れられて、ニコニコを通り過ぎて深すぎる笑みのリンボが視界も思考も独占するように見つめてくる。
 あれ、と思ううち、大きくて美しい手指が俺の胸から這うように首を目指して登ってくる。するすると登るそれが首に到達して、ゆるくゆるく首を絞める。殺せもしない力で、でも苦しくはある拘束と、美しく歪んでいくリンボの笑顔。
 退かそうとは思えなかった。ただ、描きたいと思った。
 いや観用少女とはこういうものではなかったよなあと頭のどこかでは冷静に考えて、それでもその顔に仕草に見惚れ続けた。







「あっ」

 ついそう漏らしてしまっても手遅れだったし、出来ることもなかった。
 すとんと開かれていた目が閉じられるのを見守って、今日はもう駄目だろうと筆を置く。見ずに描いてもいいかもしれないが、この子の目はどうしても見ながら色付けしたかった。

「あの香の効果は切れてしまったか」
「はい。……あの、この子って本当に」
「うん、起きない。あの瞳を見ることは彼には叶わない」

 何でもないことのようにそう宣言されてしまって、それが珍しくもないことなのだと実感する。ここで働き始めてからはそういうこともあるんだと分かっていたけれど、それでもどうにも悲しくなるものだ。
 目の前に座るモデルの人形は、目を閉じたまま引き取り主に連れてこられた。その男性はこの子の目が開いている肖像画が欲しいのだと言っていた。一度も見たことがないのだと、それでもこの子でなければいけないのだと丁寧に話していた。
 感傷ついでにリンボのことを思う。いや借金は減った気がしないし生活はカッツカツだけれど。それでも俺のためだけに笑いかけてくる姿を見ればまあいいかなんて思えるのに、この人形はそんな生活なんて知らないのだ。それが悲しいことだと決めつけるのも、何かおかしいことに思えるけれど。

「どうだ、仕上がりそうか」
「あと一日ください。目をもう少し描き込みたくて」
「そうだな。オフェリアの瞳は左右異なるそれがとても美しい。香を使わずに見れればいいのだが……」
「オフェリア?」
「この子の名だよ」
「おお……あの人が付けたんですか?」
「いや。職人がもう、これしかないと命名していった」

 時計を確認して迎えが近いから、とオフェリアに外套を着せたり帽子を乗せてやったりして忙しそうな店長に、え、と思わず声を漏らす。今日はこういうのばっかだなあと思いつつ「リンボも名前あったんですか」と申し訳なくなりつつ訊いてみた。そんなこと何にも知らないから勝手に付けちゃったけど大丈夫だろうか。夜な夜なくっついては抓ったり笑ったり噛んだりしてくるくらいだから結構不満だったりするんだろうか。
 ……いや行為自体楽しそうにしてるな。少なくとも八つ当たりではない。

「嫌なら肌艶、それとあの子なら顔にも出るさ。リンボはその名前を気に入っているんだろう」
「ぃよかったあぁ……あ、オフェリアちゃん、肌綺麗ですよね。髪も」
「うん。枯れられないほどに愛されているからな」

 常より湿度のある声で応えられて、訊き返す前にドアベルが控えめに鳴る。たまに俺のような飛び入り……飛び入れられ?が発生することはあるけれども今回はそんなことはなかった。
 いくつかの仕切り代わりのカーテンを抜け、慣れた様子で現れたのは大柄の若い男性だ。マスクに眼鏡という肌面積の狭さでも精悍な様子が窺えて、オフェリアと並べて描きたい欲がふつふつと湧き上がる。残念ながら注文は目を開いたオフェリア単体なので、過分にかかわらないという店との契約に触ってしまうからにはお願いは出来ないため静かにする。

「オフェリアはどうだ」
「砂糖菓子もミルクも口を付けた。お前に何かなければすぐに枯れることはないだろう」
「礼を言う」

 そんなやりとりの合間にも男性の視線は人形から動かない。会計の際は流石に手元を見たし、俺の絵の進捗確認ではこちらに向けられたけれども、それらの気もそぞろに手早く済ませてオフェリアを抱き上げた。リンボよりも小さいとはいえ、人形は基本的に人間の子供くらいの大きさだ。それでも軽々と抱きかかえた様子に不安になる要素はなかった。ただ、人形の目が固く固く瞑られたのが不安になっただけだった。
 店長の枯れられない、という言葉が頭で再生される。男性の目は真摯にも、狂気的にも、一途にも、愛情深くも、劣情的にも見えた。
 たくさんの衣装と菓子とオフェリアを抱えた男性が帰るのを見送ってから、おもわず「すごいひとだった」と零せば店長が笑う。

「描き甲斐があるだろう」
「うっす……」

 そんな会話をした数日後、リンボに嫉妬され抓られつつ仕上げた絵の納品のため店に絵を持ち寄れば、珍しく来客のようだったのでこそこそとバックヤードで作業をすることにする。先日のオフェリアの引き取り手による爆買いが尾を引いて、溜まっている雑用があったりやらでやることは尽きない。残業がないのは助かっているけれど、こういう時は手伝わせてほしいと何度か言っているのに店長は何とかなっているだろうとのんびり笑うばかりである。
 リンボに服を買ってやりたいけど手縫いかなあ、なんてほんのり悲しいことを考えつつドレスの開封作業をしていれば、ガチャリと無遠慮にドアが開かれる音がした。死角のそこに向かって気軽に「お疲れ様ですー」とだけ言って作業を続ける。礼儀云々には厳しいひとだけれど、おざなりな仕事にはさらに厳しい店長なのだ。

「どれを着せてあげてどれをハンガーにかけるか分からないのでそっちに広げてます」
「…………」
「小物はまだ出してないんで待ってくださいね。会社ごとに寄り分けますから」

 それでも無言の背後に違和感を感じ、後ろを振り返ればそこには見知らぬ青年がいた。それだけでも大分びっくりするところに、さらにその両手には開封作業を終えたばかりのドレス。そして「うげぇ」みたいな顔をしている。でも無言だ。
 こっわと思っても声なんて上がらないもので、青年が舌打ちしながら立ち去ろうとするのにどうにかしがみついて阻止を図る。
 足にしがみついたせいか更に無言で踏みつけられ、それに耐えているうちに対岸、まあ青年の反対側の足というめっちゃ近い場所なのだけれども、そこにいつの間にか少女がひとりしがみついてニコニコしていた。蹴られなくなったと思えばそういうことかと納得すれば、もろもろを手放した青年に下痢ツボを執拗に攻撃される。それももちろん無言。いやうちの商品に何してくれているのか。

「遅いじゃないかオベ……ふむ、楽しそうなことをしているな?」
「店長……この状態、なんすか……」
「…………」
「ひい、こわい」
「オベロンは客だ。こちらはバイトの藤丸、見た目に寄らず正義感が強くていいだろう」
「気安く触らないでくれる」

 脈絡なく遠慮なく蹴落とされ、あんまりない体験に絶句したまま座りこんでいれば対岸にいた人形が頭をよしよしと撫でてくれた。その子の目はぱっちりと開き、人が良さそうというかなつっこいというか親しみやすい表情をしている。オフェリアの目を開いてもかたくなな表情だとか、オフェリアを買った男性の幸せそうな笑顔だとか、こうして買い取り主以外を気にかけてくれることだとかが頭に渦巻いて嬉しくなって笑い返して「ありがとう」と言おうとしたらもう一回蹴られた。怖い。
 終始不機嫌なオベロンさんはシーズンごとに服を揃えて購入し、抱きかかえたままの人形にぺちぺち頬を叩かれつつ帰っていった。親密には見えなかったけれども仲は良さそうな様子に、描いてみたいなあとぼんやり思う。ふたり並べて、変に距離があるのを描き洗わせられれば本望というもの。
 いやそれにしても、人形に関わる人ってのはどうも。

「なんかこの店って、こう、ヘンな人多くないですか?気のせい?」
「私の子らが美しくあり、幸せであるならばあとは愉快なだけだ」
「あー……」

 そもこのお方が筆頭かと納得し、リンボに噛まれて痛痒い首を撫で摩った。店長は物知り顔で俺のほうというか俺の首を見ている。うんうん、と頷かれたのでまあ、笑顔で応えた。

「ほらな」
「うん?うーん」
「さあ、もう客が来る。私の子たちを幸せにしよう」

 本当に幸せそうなその笑顔に、何も間違ったことはないのだと、変に自信をもってしまいつつ受け入れた。俺も大分幸せなのだろうと。



22.03.09


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