孤独と春がやってくる

この本丸の主はよく拾い物をする。生物であったり骨董品であったり石であったり、無銘の刀であったり流木であったり野鳥であったりして、初期に神仏の影響を強く受けた刀が多かったのもあってかその癖は容認されてきた。必要としている者へ譲渡するなりその時代へ戻すなり、そのまま執務室や庭に居着いたりと物の意思を尊重しての判断は審神者という職への適正がみえるようで微笑ましく、審神者が魅入られて寄せてくるものは霊刀たちで縁を斬り、できれば浄化して手放させていた。
だからいつかはそうなることもあるだろうと、初期からいるものたちは少し諦めたようにそれに対処した。
審神者はついに、演練場で男士を拾ってきたのだ。それも重傷寄りの怪我をした状態で。

「……つめ」

かしゃかしゃと医療器具やらカルテやらを扱う音に紛れて、蚊の声よりさらにか細い声が上がった。雑談していた短刀たちがぴたりと黙り目配せして、長物たちと審神者はやっとそれが保護した男士であると知る。
手入れ札が何故か使えない不具合に狼狽えたのは初日ばかり、その後はあまりに遅い傷の治りに審神者が手入れ部屋に入り浸り、近侍が付き添い、縁のあるものが体に障らない程度に訪れ、穢れを祓うものが一振りは付いていた。
拾われたときも保護されたあとも無言を貫いていた男士は喉も傷めているのだろうと診断されていたのだけれど、意識して喋らなかっただけらしい。それでも掠れて嗄れた声はこの本丸にいる分霊とはあまりに違うもので、その男士の声だと気付けるものは短刀くらいだった。

「爪ですか?」

審神者がぽんぽんと、幼子をあやすように部屋で横たわる男士の布団を叩く。ただ言葉を待つ静寂は落ち着かないだろうと短刀がいつものように書類をまとめ、紙擦れの音に紛れるように言葉が続いた。
かれの視線が己の爪にあることに気付き、会話の糸口になったそれがかれにとって重要なものなのだろうと、同位体の共通点を見つけてしまう。納得してから差異に心が痛む。

「つめ、とれちゃった」
「そうですね。包帯でぐるぐるです。水は要りますか?ご飯にします?それとも私?」
「困らせてどうするんだ、大将」

主とでも選択されれば揉めるからか、からかうように短刀が諌める。そのまま問診が始まり怪我の度合いや原因、記憶の有無やらを探るように確認されるのを背に聞きながら、清めるものがないことを判断して部屋を出た。これまでも顕現できない打たれたばかりの刀だとか自我の生まれた人形だとかを保護してきて、普段は判断が遅い割にこのときばかりは暴挙に出て譲らない主の態度にも対処にも慣れたつもりだった。
演練によって同じ本丸のものと同じ顔をしたものを斬ることにも慣れたつもりで、同じ顔が何も映さないのが堪える。救わなければいけないと、義務のように思う。審神者は常にこういった気持ちで拾い物をしていたのだろうかと考えてすぐに否定した。あれはただ呼ばれただけだ。だから持ち帰る。それだけ。それだけのことに始まり振り回されるのがこの本丸だ。
ただ、この前の国外の呪具よりもさらに苦労することばかりは見えている。あれも私のような神事に携わるものを呼び込んで三日三晩あれだこれだと騒いだものだけれども。
あの刀の、がらんどうのなかに確かに存在した意識が浮かび上がる瞬間を思い出して、どうにかしなければともう一度思って執務室へと足を向けた。



初期であれば大太刀と脇差で本丸を駆け回っていたであろう案件であろうと、稼働し数年経つともなれば駆け回る面子は限られる。関わらずに済み出陣と遠征を常のように回すもの、日課の加持祈祷にもうひとつ用事が加わったくらいで済んだもの、主の職務に関わるものをそのものの隔離部屋まで届けるために駆けずりまわるものと多岐に渡り、私はといえば引き続き『拾った男士』の浄化に備えて主のそばで茶を嗜んでいる。
二日ほどで『見舞いの品』がだいぶ溜まった空き部屋で、負担を診ながら少しずつ事情を訊いているらしい。極力話を広めないため、主と薬研藤四郎だけがその場に立ち会うようにしていた。用があるまでは隣の部屋で待機と言い渡されていたけれども、濡れ縁で緑茶を飲みただ待つ。
顕現する前も戦を体験し、こちらに喚ばれてからは比でないほどに陰惨な場も目の当たりにしてきたといえこの本丸の中ではそのようなものを全く見ていない。運営方針が良好のようだといつかの監査でも太鼓判を押された。
意志を持ったものたちが集まれば軋轢も生まれる。ちいさな衝突で済めばひとらしく暮らせ、どうしようもないほどに拗れてしまえば血を見る。一度血が流れれば止まらない。そういう本丸もあると聞きかじってはいたが、絵空事でしかなかった。

密やかな話し声の中に剣呑な様子もない。主に害がある前にかれの拘束が済むだろうと理解しているので身構える理由もなく、穢れの気配も薄かった。急速に上がることもあるだろうから席を立つことはせず、空いた手指を上げて眺める。
この本丸のかれは爪紅を日毎に変えるほど揃えていて、他のものの爪に欠けがあればだらしがないと叱りながら整えてやっていた。叱咤されるもののうちのひとりなもので、その熱の入り様は身をもって知っている。障子の向こうのかれですら最初に発した言葉が「爪」なのだから、感覚は変わらないのだろう。
微笑ましく思う矢先に、ふと、ささくれのような穢れを感じて傍らの刀を握り障子を開けた。主がかれの手指を擦っているのを刀の鞘で遮れば、細やかな穢れの気配は薄まる。やはり、これへの熱意が裏返ってしまったのかと虚しくなった。

「主。障りますからそれはよした方がよろしいかと」
「セクハラじゃないから……!治療だから……!」
「いけません」

うぐう、と現状を理解しているのかいないのか悔しそうにする主に苦笑し、戻らずその場に座した。
ちらりと視線ばかり寄越した主は退出を促さず、諦めたように紙の束に目を通す。抜きかけた刃を仕舞った短刀はまた何か書物へと目を落とした。

「太郎、こないだ拾ったあれなんだけど」
「あの傘ですか。蛇の目の」
「あっ傘もあったか……や、そっちもちゃんと考えとくから。そっちじゃなくてあれあれ、木の棒」
「ああ、さるすべりの」

先週用事があるからと現代に戻り、主は誂えるには細い木の枝を振りながら帰ってきた。いつものことにしろあまりに使いみちが不明瞭で蔵に放置されていたそれは、どうやらこの本丸に落ち着くらしい。

「調べものしてたらさ、枝のとこにランタン吊るしてるの見かけて可愛いなぁって。ほらちょうどいいのあったでしょ」
「それも蔵に置いてましたね。青い玻璃の灯りでしたか」
「そうそう、あれ吊るして玄関に飾ろうと思うの」
「良いのではないですか」

潮の気配が気になっていた流木だったが、安置されれば落ち着くだろう。どこでどう拾ったのか分からない玻璃の灯篭も使われれば報われる。瘴気などは纏っていなくとも、長く使われて捨てられたものは、何かが溜まっているものだ。

「そのランプの柄がかわいいの。今度磨くから持ってきましょうね」
「え、」

突然鞘で手を弾かれ、話についていけず、急に話題を振られたかれがのろのろと視線を彷徨わせる。勢いづいた主は押しが強いものだから、圧倒されたのだろうと分かる。顕現されたばかりの頃は己もそうだった、そうも言っていられないほど忙しなく祓うことになれば否応なしに慣れたけれど。

「……おれ、まだここ居ていいの」
「そうですね、少なくとも怪我が治るまでは。あとランプのお披露目まで」
「私情を持ち込んではいけませんよ、主」
「許可はおりてるし大丈夫大丈夫。経過観察としか返さない政府も悪いんです」

ここで培われた豪胆さで断定し、触れることはせずに布団の端をばしばしと叩く。緊迫感はすっかり溶け落ちてしまいかれも緊張から開放された反動かまどろみ始めて寝息を零す。

「寝顔、相変わらずかわいいなぁ。……少しでも気楽になれればいいんだけど」
「主は、無闇矢鱈とかわいいと言いますよね」
「太郎もでっかわいいよ」
「いえそう言わせたかったのではなく」
「次郎ちゃんはキレイかわいいから大丈夫、あとうちの清光はやばかわいいし治金丸はかわいんちゅ」

眠っている間にも害意のない声は聞こえるのだろう、悪意も穢れも薄まっていく気配に安堵し、けれどもそのまま部屋に居座る。
主はここで執務をこなすつもりなのか端末を操作し無音で部隊への指示を始めてしまったもので、ただただかれの「かわいい」らしい寝顔を眺め、包帯に被われた指先を眺めた。






そうしてかれこれ一月ほど彼の本丸を探し続け、見つけ、事情を把握した主はかれをこの本丸へととどめた。本刃に確認も取り、意思を訊いての決断だった。
かれの本丸は初戦以降の記録はなく、中傷放置で閉じられた場所だった。数日ただ待っていたかれはそのうち捨てられたと認識し本丸内を徘徊、数ヶ月ほど掛けてヒビの入った本体を抱え生身の手指でゲートをこじ開け、演練場へと主を探しに出たのだという。ないことでもないと職員に説明された主は本丸まで駆けて帰り、抱きついて「うちにおいで!」と叫び続けていた。
それが笑い話になるくらいに月日が過ぎれば、はじめは生活様式に戸惑っていたかれも落ち着いた。



「爪、塗らないのですか」

差し出した傘を受け取ったかれが、ついでのように指先を見る。
主の拾い癖が治ることはなく、刀も物も果ては人まで拾い続けている。それらの管理をかれに任せようとは皮肉に聞こえそうだったが、主の采配は妙に嵌まることが度々あった。役割をあたえられたかれはみるみるうちに精神が安定し、笑うようになり、前の本丸の後片付けを少しずつ進めている。

「んー……そう、ね。せっかく生えたし」

人間のような治り方をした傷は痕跡を残し、それも受け入れたかれはまだ爪紅を塗らずにいた。
意識はっきりしてなかったんだけど、と当時の発言をからかわれるたびに答えていたかれは今では主の拾ったものらで着飾って、方方に構われて、打ち解けていてもそれでも少し異質だった。

「うわ、これで傘二十本めなんだけど……。あんたくらいだよ、俺の怪我の話まだしてくんの」
「不快にさせましたか」
「ううん、ありがと」

脇に下げている鞄から蔵の目録を出して手直しするのも手慣れたもので、さらりと書きつけてまた鞄に仕舞う。

「……私が塗っても構いませんか」
「え、何?傘?」
「いえ、爪を」
「ん?あー……、いいけど」

随分気にするじゃん、と笑われるのに答えに窮し、罪悪感でしょうかと首を傾げる。あの日から幾度か禊ぎにも立ち会い、所属を変更するのには流石に書面に強い刃選で役所を尋ねていたので近侍からは離れど気がかりだった。

「では」
「えっ、あ、うん?」

当人の許可を得たのであれば次に必要なのは道具だ。次郎にでも見繕ってもらえばいいかと行く先を定めた。
道具を携え戻れば「急に帰ったと思ったじゃん!」と叱られてしまい、しこたま持たされた道具類を差し出せば遠慮がちに手が伸びてくる。主の拾った傘を受け取る手付きとはまるで違うことについ微笑めば、何だよと威勢よく声が返ってくる。こちらのかれとは明らかに違う反応だった。

「きよちゃん爪塗るの?私もいい?」
「わ、審神者さんまで来たの」
「次郎にこれらを借りているうちに声を掛けられまして……主の私物もここに入っていますよ」
「いいの?こんなに……」
「足りなかったらしずかちゃんも呼ぶよ、艶出し一番上手いから」
「まじで」
「まじですね」

大事になりはしないかと狼狽えていた様子はどこへやら、蔵の中にあり物で拵えた彼の私室へと詰め藤籠の道具類を広げてあれやこれやと話し合う。結局一色には絞れずに三色ほどを交互に塗ろうかと決まっても、どの色にするかだとか装飾はどうするかだとかきゃあきゃあと盛り上がる。蔵に安置されていた南京玉だとかも引っ張り出し、直接は手指に触れないよう塗り方を指示する主達は充分楽しそうだった。

「そうだ。私、中指だけおそろの色入れよ」
「えっ」
「では私は人差し指にでも」
「えぇ、じゃあ俺どうしよ」
「足もあるんだぜきよちゃん……」
「もーやめてよ、余計悩ませないでよ」

扇風機まで引っ張り出して方方に塗り終え、並んで指を差し出して風に当てる。
ふふ、と揺れるような笑い声がふたり分漏れて、己の指先からそちらへと視線を向けた。
主が刀を構って楽しげにするのはいつものことで、蔵から出ることの少ないかれのそういった表情は見慣れない。

「なるほど、可愛らしい」
「ほんと?やった」
「きよちゃん、太郎はきよちゃんのこと言ってるよ」
「は?え?なんで?」
「そうですが」
「ええー……なんで……?」

指を庇って隠せずに反らされるばかりの顔につられて、火照ったような己の顔を風で冷ます。

「うっふ」
「え、なに審神者さん、今日ご機嫌ね」
「きよちゃん拾って良かったなって。すごい叱られたけど」
「叱られたの?ね、だれに?」
「石切丸殿と私ですね」
「ええ、傷付くんだけど」

だって、と稚児のような拗ね方をする審神者を挟んで爪の具合を見る。見慣れない色合いの爪紅に見慣れるのはいつになるだろうかと考えて、この色を指定したかれのように思いの外早く馴染むのだろうかと、希望のように考えた。













「何なら、その板を持ち帰るか?」

気配もなく横に立った黒コートのおとこが、口元を扇子で隠しながらそんなことを言う。
そんなことを言われて、ようやくどうしてこんなところを見ていたのかと思い目を逸らした。この本丸で俺が一番長く過ごした場所だ。時間も忘れてただただ爪を立てていた本丸の門、主が入ってきて出ていってそれっきりの場所。
本丸のどこにも主の姿が見えなくて、もうここしかないのだろうと追いかけるためにひたすら爪で掘っていた。どんなに待っても来ないから、何もできることがなかったから。

「でもここ使うんでしょ。いいの、そんな弄り方しちゃって」
「よいよい。中古で使うと言っても時間を戻して無人の頃に戻して使うからな。コピペというやつよ」
「それ違くない?」

発起された本丸を譲渡することになったと知らされて、立ち会い一振りと世話になっている本丸からの付き添い一振りを条件に、たしかに己の本丸である場所をくまなく歩いた。使われなかった執務室、埃の被った畳に饐えた匂いのする厨、ひとりで入ってもどうしようもなかった手入れ部屋と鍛刀部屋。
さんざ見て回ったというのに『異常なし』というひとつの総評で譲渡前の手続きは済んだ。
ここを離れても、主の行方は探し続けてくれるという。新しく本丸を持つことになっても、二度と審神者として働かなくとも、分かったことは逐一伝えようとこの胡散臭い立ち会い刃が約束した。胡散臭くともどうにも信頼したい気持ちが起こるので、まあ、俺も丸くなったなとだけ思うことにする。
他にも色んな感情がせめぎ合っている。ひとりで過ごした時間だとか、ひとりで行った初めての戦場だとか、初めて主が刀を取ってくれたときの優越感だとか、主の震えて少しひんやりした手とか、そんなもの。
指先のつるりとした感触に爪先を翳す。人差し指に金、薬指に青を差し入れた赤いネイル。歪な爪でも可愛いと連呼する審神者と、なんでだかずっとくっついてきて時折可愛いと爆弾を落としてくる太郎太刀。そんなとりとめのないものに救われて、体を反転し「いらねえよ、そんなん」と黒コートに応えた。見える目元がくっと上がり、さも満足そうに「そうか」とだけ。

「身の振り方は決めているか?政府は常に手が足りていないぞ」
「うん、んん……、でもいいかな」
「食堂の刺し身定食奢るぞ?みたらしもつけていいぞ?ん?」
「必死かよ」

でもいいや、と改めて断れば、世話になっている本丸の山姥切長義が「正式に異動するのか」と問うのにも否と答える。ここに来て、ようやく気持ちが決められた。

「まだ蔵番でもしてるよ。そのうち仕えたい人間が見つかるかもわかんないし今の審神者に使われるかも分かんないけど、あそこ気に入ってんの」
「ふむ……そうか、そうかぁ」

黒コートの男が扇子を避けて至極残念そうに肩を落とす。あまりにわざとらしい仕草に同情の念は起こらず、本丸を見回しても手足が冷える感覚があるばかりで心は荒れず、戻ったら何をしようかと日常の延長を考えた。考えられたことに安心して笑える。

「山姥切、付き添いありがとね。戻るよ……や、なにその顔」
「煩い」
「おや。暫く会わんうちに随分丸くなったなぁ」
「煩い立会刃の態度に難有りって報告するよ」
「うはははブーメランだな」
「ちょっと、俺、結構重いこと言ったつもりだったんだけど」
「まぁまぁ。ところで坊主、時間はあるか?ラーメンでも奢ろう」
「え、戻るってば」
「主が落ち着かないだろうから帰るよ。太郎太刀が近侍のはずだ、主も相当だから過保護で囲まれる。またの機会にしてもらっても?」

接する時間は一定あれど、そこまで親しいと言い切れるほどではなくそんなことを言われてしまっても否定も肯定も出来ず、困り果てて山姥切へ視線を向ける。提出するらしい書面からその顔があげられることはなく、定まらない気持ちは髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜられて霧散する。黒コートの立会刃だ。気を悪くした様子はなく、むしろ上機嫌にひとの髪を乱しつつなははと笑う。

「坊主、愛されてるなぁ」

声が詰まった。息も詰まった。
思考までとまって、動揺を隠したくて手を払うようにしゃがみ込む。
視界の端に薄桃の花弁が見えた。不格好でも整えた爪先が熱を持つ。
こんなにも、己はここから離れていたのだ。



21.08.09


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