ただれたハピネス

。 。 。 。

テレビのニュースに取り上げられるような事件でも、法事は静かなものだった。
心中というセンセーショナルな話題は当事者がほぼ亡くなっていることもあって熱が持続しないのだろう。生き残った子どもたちがどう育つかなんて、責任もなにもない大衆からはどうでもいいものだということか。
小さい頃に遊んでもらっていた親戚のお姉さんの二回忌だ。一年前はぐちゃぐちゃに泣いていたといえ、私だって多少は落ち着いた。
こんな時でもなければ顔を合わせない親戚たちと情報交換のような雑談をして、ふと視線を感じて振り返る。お姉さんにそっくりの顔とばちりと目があって、先程まではただの感傷だったのが唐突に抑えきれなくなって涙が滲んだ。

「美鶴くん、だよね。久しぶり」
「…………」
「あああぁ……ごめん、気にしないで」

使うかわからないけどまぁ一応持っとくかと鞄に突っ込んでいたハンカチを取り出す前に、目の前の少年が何かを差し出してくれる。こいつモテるなと確信しながらそれを受け取り目元に当てれば、ぐずぐずだった視界が一瞬クリアになった。

「覚えてない?」
「ん?」

真っ黒いハンカチってまじかよやべえなと不謹慎なことを考えているところに声をかけられて、振り向きざまに礼服の胸元を目の前の少年に掴まれる。引かれる。くぁ、と開かれるつやつやの唇を見る。私よりもかわいい少年を突き飛ばせるはずもなく、美鶴が離れるのを待って、崩折れるように土下座した。全く心当たりはないけれどもなんかすごく謝った。「おねぇちゃあぁぁん!」と墓前に響きそうな悲鳴も出た。





☆ ☆ ☆

「違うんです疚しいことは致しておりません治療のみでございます」

目が覚めて最初に視認したのは女の土下座だった。
寝かされているのが高級そうなベッドで寝具もいいもののようで、室内の装飾も華美ではないが質は良さそうだった。女の身なりも貧民街ではありえないきっちりしたもので、だからこそ余計に土下座という突拍子のない状況に理解が追いつかない。

「衰弱していたので……あ、意識ははっきりしていますか?指は何本に見えますか?」
「一本、……確か飛んでる最中に何かにぶつかって、そこから覚えてない」
「なるほど。それでここの……観測所の屋根なんかに落ちたんですね」

さっと起き上がった女は今度は忙しく動き回り、俺の目の前に手をかざしたかと思えば窓に寄りカーテンを開け暖炉からなにか持ってくる。水にしますか食べられますかと矢継ぎ早に問われながら渡された木の鉢を眺める。野菜と干し肉を適当に詰めたようなそれに口をつければ、よほど疲労が溜まっていたのか美味く感じた。

「屋根?」
「ここ、観測用に高めに作られた塔なんです。星とかの。周りに何もないのでここで介抱するしかなかったんですすみません着替えは乾いたら差し出させていただくので」

一訊けば十返るとはこのことかと納得するほどの流れで侘びが挟まれるのが彼女の癖なのかなんなのかは知らないが、ともかく気を失っていたところを助けられたらしい。飲み干した鉢を手にベッドから下りようとすれば止められ、杖や荷物を探そうとすればすぐそばにまとめて置かれているのを指さされ、ようやく息を付いて彼女の顔を見る。
安定しかけた息がまた揺れ、彼女が目を見開いてコップに水を素早く汲んでこちらに駆け寄る。
現世で幾度か顔を合わせたし、母やアヤとよく遊んでいた親戚の女の顔をしている。
現実のことがファンタジーに持ち越されたようで脳が処理を諦め目眩を起こし、そばの彼女に支えられ、そこでまた意識を手放した。





「これもなにかのご縁でしょう。旅人さん、ゆっくり養生なさっていってください」
「いい。必要ない」
「養生なさってください」
「礼の金なら出す」
「このスープを飲み干されるまでは要りません」

もう一度目を覚まし半日ほど眠っていたのだと知らされ、たしかに日が傾いて沈みかけているのを認めてからはずっとこの問答だ。
急ぎだと言えば体力が戻ってないでしょうと諭され、構わないと言えば結局頑なに言い含められる。子どもだから、だとかそんな理由なら単純に怒れたろうに、疲労していては急ぐとしても効率が下がるからと真っ当に意見を言われてしまうために、反論も尽きて体力の低下を真っ当に指摘されますます逃げ損なってしまう。

「……今までの旅は問題なかった」
「星の位置が良くありません。今までよりも困難な旅になると出てますから、備えておくに越したことはありませんよ。それに今から観測があるので。予言を路銀に授けることも出来ます」
「金で困ったこともない」
「うわ言ってみたい……いえ、体が資本です。予言を授けるのは授けるので、使い道はお好きになさってください」

どうしてそこまで、と訝しむも「オシ、ミステル、ワタシ、シヌ」と謎の片言で押し切ろうとしてくるので気が削がれた。杖と服と荷物を人質のように扱われているが、その気になれば簡単に奪えそうなほどに彼女は非力だ。わざわざ力尽くで奪うのは気力が足りず、数日の徹夜で体が弱っていることは自覚していたので仕方なくベッドに寝転がる。
こんなに眠るのなんて、現実でもなかなかしなかった。両親が生きていた頃に熱を出して、それ以来だろうか。
少しは寝たからか思考が安定して、室内をよくよく見る余裕が出来た。女は危害を加えそうになく、ベッドと暖炉と本棚と机で埋もれる部屋、ひとつきりの扉のすぐそばに足拭き用のマットがあるので別室だとかはないのだろう。一人で暮らすのには十分だ。むしろ狭いわりには高級品が多い。窓からの景色が高く感じるから、思いの外高い建造物なのかもしれない。暮らすためというよりは観測に詰める場所と言われたほうが納得できるような室内だ。

「スープを飲んで寝たら出る」
「はい。今夜は夜通し星を見るので、起きられたらいつでも構いませんから……あ、やっぱり句切れのいいところまでは書き写してからお声がけ願います」
「気が強いのか優柔不断なのかどっちかにしろよ」
「初対面で言われたの流石にはじめてですね……よく言われますけど」

へりくだりもしないし過剰な心配もない、やることがあるからとベッドでスープを啜るのを確認したあとは彼女は窓辺で杖と荷物と書物、計測具らしいものだとかに囲まれてあとは静かだ。かち、かち、とよく分からない装置から一定の稼働音がしているばかりで、星明かり以外の光源は薄暗くなった暖炉だけ。
現世での彼女はどうだっただろうか、葬式で声もなく泣きじゃくるのは見ていたけれど。それ以前にした会話はアヤか母を挟んでいたから印象が薄い。ああ、そういえば、かわいいかわいいと連呼して煩かった。それ以外は確かに静かだったかもしれない。
一時間ほど眠ったふりでもして適当に開放されようかとも考えたけれども、腹が温かくて毛布まで被っていれば本当に眠ってしまうだろうと予想できた。前にアヤをそういう遊びで寝かしつけていたから。

「眠れませんか?」

一段落ついたのか、窓の外を眺めるのをやめた彼女が他にももの言いたげに視線をこちらに向けている。寝たくないのだと言うのは憚られ、言葉を探す。探さなければ出てこないほどには思考はゆるんでいる。

「……それ、何書いてるんだ」
「ええと、今は百年前の星図との差異を記録してます。月の軌道も星と一緒に記して、後で過去の星図と照合して師匠に送ります。私の他にも弟子がいて……あ、もっとつまらない話があるのですが、眠れないならそちらにしましょうか」
「子守唄が要る歳じゃない」
「いえ、私がヒトと話すの久しぶりで。寝るように言いましたけど話すの楽しいんですよ。もちろん休んでいただきたいのもありますから、ちゃんと眠くなるお話をさせていただきます」

こちらとは違う世界の話です、と銘打たれ始まった話は明らかに現世の話で、まるで図鑑か教科書のように形式的に説明されるあちらは夢物語のようでいて、星の位置の内容ばかりやけに詳しく語られるのが職業病を物語るようで呆れ、たしかに良く眠れた。





。 ゜ 。 。

土下座しひたすら謝る私はまぁ目立ったようで、そこそこ集まっていた親類に遠巻きに見られる中で目の前の子に助け起こされ、法事でお世話になったお寺の人にまで心配されて一室を貸してもらえることになったらしい。
真っ赤な顔でパニックになってるから、と呆れたように美鶴に言われたけれども原因は貴方です。よちよち歩いてたかわいい子が成長して突然キスしてきたら大体パニックになると思う。前例は聞いたことがないので比較もできないけれども確実だと思う。

「美鶴くん、それでどしたの……」
「…………」
「はぇ、はぇわわぁ……」
「本当に覚えてないんだな」

頬杖をついて口元を隠して、思慮するようにそう静かに訊かれても何も見に覚えがない。小さい子にありがちな『大人になったら結婚する』うんぬんだってアヤちゃんとはしていたけれどもこの子とはしてなかったはずだ。証人となるお姉ちゃんもアヤちゃんも、もういないけれど、そのあたりは思い返し過ぎてしっかり覚えている。
残念そうな表情を見せられてしまっては心当たりのない罪悪感が湧き上がってくるもので、ついつい「ごめんね」と言うけれども即座に「何で」と返される。一緒にきゃあきゃあ遊んでいた頃はこんなに鋭い声じゃなかったなあ、とまた罪悪感がわけもなく迫った。
この子と、このこたちとの約束を忘れるはずがない。いや忘れていいはずがない。というかあれとかそれとか衝撃的すぎて忘れられやしないはずだ、こうして向かい合ってればもしかしたら思い出せるかもしれない。
出してもらった水出し緑茶に口をつけながらうんうん唸って考える。美鶴くんはどうやら待ってくれるらしく、同じようにお茶に口をつけては外を見ていた。ジィジイ鳴く蝉が思いの外煩いのにようやく気付いた。だからといってなにか思い出せるわけではないけれど。




☆ ☆ ☆

次に目を覚ましたときには不快感が強く、顔を振り払うようにして目を開けばまた目に入るのは女の土下座だ。しかも今しがた膝をついて指をついて頭を下げるのが見えた。新鮮な土下座だ。鮮度と価値が関係するものなのかは知らないけれど。
確かに刺激を受けていた頬を擦り、また窓を見る。冷え冷えとした空気は明け方だ、野宿も徹夜も多いために身に沁みて覚えた。星はうっすら見えるから、次の目的地の方向もまだ見当がつく。出るにはいい時間だった。

「出来心だったんです」
「ついに自供になったか……」
「その、柔らかそうな頬だったので、あの、違うんです。お顔が好みだとかそういうのだけじゃないんですこの詰め所に居るの長くて人恋しさがあっていやあのごめんなさい」
「別に。減るもんじゃないし」

屋根に落ちた子どもを身ぐるみ剥がすでもなく介抱するような女だ、下心があろうとそういうものかと思うくらいだし頬をつつき回されたくらいなら実害はない。
腹も満たされてよく寝て頭もクリアだ。悔しいけれどこの小屋での休憩は身体に良かった。これで旅の効率が上がるのならまあ、足止めも無駄ではなかったと思える。荷物も服も約束通り手渡された。

「足りないなら頬、もっとさわらせてやろうか」
「言い方!」
「むしろ脱がされて着替えさせられて寝かせられて、寝込みを襲われたオレは被害者って言えるんじゃないのか」
「ごめんなさいごめんなさい杖あると強気じゃん……あっごめんなさいつい思ったこと言う癖が抜けてないだけなんですすみません触らせていただきありがとうございますご褒美です」

現世でのなんでもなかったときくらいに笑って、笑えていたのはあちらでの彼女と同じ顔だからだろうか、この
状況だろうかと一度考えてやめた。
十分休んだし回復もした。無駄にできる時間なんてない。このなんとも言えない土下座だらけの空間が名残惜しくとも、彼女が見覚えのある容姿でもどうしようもなく別人だ。オレとなんの関係もない他人だ。現世に多少は関係しているとは聞いたけれども、それでも他人だ。
けれども、この今の自分の感情を他人に尽くされたというだけでは片付けられそうもなく、なにかひとつ残せないだろうかと周りを見る。狭い部屋だ。観測と記録できればいいのだろう、最低限の家具に溢れる本と観測機、土下座はやめて正座する彼女。昨晩の星読みを書きつけたかと思えば紙を破り「ここに書かれている所に行く場合は気をつけてください、相性悪いですよ」と説明を折り込みながら合間合間で謝り倒している。
どうにか現世に一矢報いる方法、殺すだとかいうのでもなく。

「……あ」
「どうしました?忘れ物か落とし物ですか?見つけるより買うと早いと出てましたが」
「まあ忘れ物というか……それにしても安い内容の予言だな」
「信じやすいでしょう」

やすく手軽に笑う彼女を「代金を払って出るから」と立たせる。途端研究者の顔をどこかに落っことしたようにキョドキョドする顔を掴み、固定し、背伸びをして唇に唇を押し付けた。魔法を使ってもいないのに固まった体にけれどもまだ衝撃が少ないだろうかと考え、映画を思い出して唇を軽く噛む。今度は電撃でも食らったかのように跳ね上がり、膝から崩れ落ちて真っ赤な顔でこちらを凝視している。またそれが可笑しくて、あまりに思い通りに、それどころかそれ以上のリアクションに成功だろうと満足して彼女の手から滑り落ちたメモを拾って懐に仕舞い、器具を覆うためか真っ黒い布が捨て置かれているテーブルへ一泊二食に占い代と笑わせてくれた礼の額を置いていく。
ドアから降りるのが面倒で窓から落ちるように出れば追うように悲鳴が響く。こんな些細な行動ですら充分衝撃として記憶に残ってくれそうで楽しみだ。あちらの彼女がどれだけ影響を受けるのかの実験にもなる。
現世へ干渉できる貴重な機会をこんなしょうもないことに使えはしないので、全てが終わって、バカのようにふざけても良くなったころあいでしかないけれど。
寝て笑ったからか空を割く体は無闇矢鱈と軽い。



○ ☆ ゜ 。 ○ ゜。


どこをどう考えても思い当たることはなく、これは本人に訊くしかあるまいと決意しつつあったのでついでに腹を括り、あのねと口を開く前に。

「別に、覚えてなくても良かったんだよ」

ふっと砕けるように、座り方まで崩して美鶴が笑った。
随分と年下のくせになんでか男臭く見えて、うぐぅと呻きながらテーブルに突っ伏す。この数年で一体どんな経験値を積めばそんなことになるのか……いやこれは深く考えたら心が怪我をするやつだ。

「変に覚えられてても困るなって後々考えてたんだし」
「や、あのね美鶴くんそれはごめんほんとに心当たりがなくてですね」
「うるさ……」
「ひどくないそれ」
「変わりないのは分かったし、あの時救われたのは救われたんだよな、紙切れの内容も地味すぎるくらい当たってたし」
「ちょっと何言ってるのかわからない」
「わからないようにしてるから」

法事に美少年からの禅問答にと疲れが積み重なり、思いっきり息を吐き出しながら脱力した。転がってしまいたいけれども礼服が皺になる、あ、そういえば外で土下座したんだったから今更だろうか。人生初のレア体験だったのに忘れてた。
ふと目線を上げれば、流石に読経だとかでは沈んだ顔をしていたはずの、今現在はなんでだかとても満足げな美鶴の笑顔。

「……君が幸せそうなら何でもいい気がしてきたよ……」
「ならもっと構えよ」
「さっきから横暴じゃない?いや昔から横暴だったわ……」

お互いの声ぐらいしか聞こえないくらいの静かさと暮れかけて仄暗い室内に、何かが引っかかりそうで取り逃がしたような感触があって、掴みそこねた、と思う。思っているうちに立ち上がった美鶴が当然のように私の些細な手荷物を持ってそろそろ行くぞなんて仕切っていて、忘れているらしい何かの感触を探るのを諦めて立ち上がる。
そろそろ星が見えそうだ。

「もっと困らせたいから連絡先教えて」
「前提が嫌だぁ……」



21.07.07


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