理想で腹は膨れぬ

「こないだお兄ちゃんに奢ったらしいじゃないですか」
うげ、と分かりやすく顔を歪める先生に、かまを掛けた自分を褒めたくなった。いやほぼ兄が自供していたけれども。部活帰りにお腹空いてないから、なんて言っておやつを拒否するなんてほぼ見えている。買い食いしない兄が部活帰りに間食を拒否するなんて絶対に何か食べているはずで、友人だとか顧問の先生だとかもらえる系ならぱくっといくだろう。あの兄だし。やたらと差し入れを受け取る常習犯であるのだし。
委員会の用事が終わる頃には日が暮れて、まあ気にしないで帰路につこうとすれば声を掛けて途中まで送ってくれると言ってくれた先生に甘えてついでにコンビニの目の前でそんなことを言ってみれば、狙い通りにしょうがねぇなぁと呟きながら先生の足がコンビニへと向かう。一緒にいられる時間が増えたことににやついていれば「食い意地はってるねぇ」なんてからかわれたので否定も肯定もできずに先生の背中を殴った。まあ、運動部の顧問なんてしてるし試合なんかも混ざっているしで、びくともしないしカラカラ笑われてしまったけれど。
学校が近いコンビニだけども珍しく生徒は見当たらず、それどころか客自体が少ない店内をろくに見もせずにレジに並んだ先生の横に立ってその背を眺めていれば、急に振り返って慌てたように両手を上下に振っている。
「ひえー、なんですか」
「サイフ、ほらサイフかスマホちょっと出して」
「え、あ、はい」
「いやいや生徒は大人しく奢られなー、ここは先生が出してやるからさぁー、はいこれでよし」
内緒ね、と店員に耳打ちするように話すのが見えて、つい笑ってずるいなぁと思う。これじゃ確かに内緒にするしかない。店員のお姉さんもなんとなく楽しそうな応対になったし、兄の口が無駄に固かったのもこれだろう。
「チョコ?角煮?」
「スタンダードがない!チョコで!」
「あいよぉ」
食べ歩きは駄目だよなぁ、と謎の気遣いで、もはや自販機と空き地しかない公園のような場所に寄ってパンダ的な像に腰掛けてチョコまんを受け取る。寒くもなければ暑くもないような、タピオカもホットかコールドか悩むような、そんな気温だ。夕方と言うには暗すぎず、夜と言い切るにはまだ明るい。送ってもらう必要はないけれど、ふたりの時間を作る口実としてはまあぎりぎりか。
「んー、一口目だとチョコまでいけない……」
「もっとガッといけってぇ。なーに、センセイとそんなに一緒に居たいの?いやー照れるね」
「そうですが?いや皮が厚いのは本当に不満」
「お前そういうことさらっと言うよね」
「だってほんとだもん」
二口めでようやく見えたあんを丁寧に口に入れ、咀嚼する。そばで立ったままの先生をなんともなしに見上げれば、ちょうど大きく頬張っているところだ。角煮まんの具は大きかったのか、頬が少し膨らんでいる。しかも皮の欠片がくっついて顎を動かすたびに動いていて、可笑しくて自分の頬をつついて教えてあげる。
と、わたしの言いたいことなんて気付いているはずなのに、口の中のものを飲み込んで唇を歪めた先生がぐいっと腰を折る。パンダに座っていたから遠かった顔が近付いて、ひえ、と声を上げて仰け反りそうになるけれども、高校生が座ることを考えられていないパンダの上は不安定で。後ろに逃げられなくて、両手も鞄とチョコまんによって塞がっていて役に立たなくて、ああ、そもそも手が空いていたってどうしようもないかもしれない。
にぃと笑ったままの口があんぐり空いて、わたしの目の前でパクンと閉じる。わたしの目の前にはチョコまん、先生の唇の端にてろりとした茶色いあん。
「あ、あー!先生の一口、おおきい!」
「あっま。女子ってこういうの好きだよなぁ、いやあんたら双子で揃って好きだな。うーんひとりじゃ絶対買わねぇわ」
皮を抉って露出していたあんのところ、まあつまりはわたしが口をつけていたところがべこりと引っ込み、先生の口の中へと消えてしまった。わたしが食べかけていて、要は俗に言う間接なんちゃらで、しかもからかってわたしの目の前でぱっくりと食べられてしまったわけで。
嬉しいやら恥ずかしいやら、とにかく暴れだしたいやらしてやられたことが悔しいやら、余裕を崩さないでいたずらが成功した顔で笑っている先生が憎らしいやら。
考える前に立ち上がり、鞄を捨てるように手放して片手を空ける。その勢いのまま彼の腕に手を伸ばし、温かくてかさついた手のひらを掴んで思い切り引き寄せる。ろくに見ずに大きく口を開けて噛み付く。口の中いっぱいに中華の香りと味が広がって、これはこれで美味しい。でも自分じゃたぶん買わない。
やっぱり具材が大きくて飲み込むのには時間が掛かりそうで、言葉を発する前に先生の顔を見上げてにっこり笑ってやる。
「そうだよねえ、あんたそういう子だよねぇ」
ひゃああ、と糸を引くような悲鳴を上げながら、先生が腰を折り、膝を折り、顔を俯けて隠す。それでも見上げるアングルにいたわたしには珍しく狼狽する先生の顔をしかと観察できたので、満足してあっつくなった頬を手で扇ぎながらチョコまんを頬張った。

なんてことのない秘密をひとつ抱えて、満足感で唇が勝手に歪むのを指でもみほぐしながら、あれ、と思う。

「あれ?先生って、どの教科の先生だったっけ……」







スライド式のドアを看護師に開けてもらい、下げていた鞄を手元に持ってきて上着も一緒に抱えてまとめ、いつもの荷物置きに放ってから前を向く。あら。
「こんにちはー」
「はいこんにちはぁ」
緊迫感のない挨拶を交わして、診察用の椅子に座る。手持ち無沙汰に回りやすく作られている椅子を無意味にゆらゆら揺らしていれば、一瞥してふんと鼻で笑われてしまった。あんまりな態度だけども勝手知ったるなんとやら、拗ねたくはなったが不快にはならない。
「なーんだ、元気そうだねぇ。血圧測らなくてもいっか」
「え、シグルド先生はいっつも測るよ。ていうか今日はシグルド先生は?」
「先生は学会……ん?講演会だっけ。ともかくいませーん」
「えー?雑ー」
なんだかんだと腕を差し出すようにジェスチャーで指示されたので、服をまくって前に突きだす。うにゃうにゃと動く機械で測定している間に電子カルテに何かしらが打ち込まれ、採血もさくっと済ませられてしまえばいつもの出しとくねぇ、と診察が終わりそうになる。同じ病院なのにこの先生と会えるのはかなりレアで、診察だって珍しいからもう少し話していたいのだけれども。
「えー、もう終わり? 速くないですか?」
「今日はホントにオレひとりだから詰まってんの。元気ならほらさっさと帰って遊びな!」
本当に忙しいのかこちらをろくに見もせずに、けれど正確な角度で伸ばされた手がぐしゃぐしゃとわたしの頭をかき混ぜる。何も言えなくなった間を埋めるように「じゃあまたね」と退室を促されてしまい、なすすべなく鞄と上着を抱えてとぼとぼ診察室を出た。
会計といつもの薬を受け取って、帰りの電車までは少し時間があるのを確認してから売店に寄る。お昼はだいぶ過ぎているけれど、夕食も近くてがっつりは食べられそうにない。いや食べられるけどもさっき測った体重がなかなかに心にダメージを与えるものだったために流石にやめとこうかとか、でも電車で腹を鳴らしてしまうのも辛いしと、菓子パンの前でぐるぐる考えながらいくつか手に取る。気持ちカロリーの低いものをカゴに突っ込み、ついでに飲み物も突っ込んで会計してしまってから今月の雑誌の表紙でも眺めて時間を潰そうと売店の隅に寄った。ふと視線を店内に巡らせれば、先程まで顔を突き合わせていた先生がレジに並んでいるのが見える。夕方に近い時間だけれど、今から昼食なのかカゴの中はカップ麺だとかおにぎり、烏龍茶に菓子パンと賑やかなラインナップだ。量の多さにちょっと笑えば、声で気付いたのか先生の顔がこちらを向く。ちょっとバツが悪いような表情をしてから、私にだけ見えるようにひらひら手を振った。私も小さく手を振って、まだ早いけれども売店から出る。
会えると思っていなかったし、あんな顔をするとも思わなかったし、あんなに食べるのも知らなかった。仕事柄だろうか。いやそれにしてもジャンキーなのが多かったというか手間が掛からなそうなのが多かったというか、結構真剣に選んでいて可愛かったというか。
「……んふふ」
どうせ知り合いもいないのだし。
思いもよらず先生にかまってもらえたので、自分でもちょっとどうかと思うくらいに顔をにやけさせながら大股に歩く。電車の時間もちょうどいい。

来週もあの先生ならいいな、と考えて、足をとめる。あれ。

「私、なんの病気だったっけ……?」







「師匠、またテストで負けたんですけど」
「ふーん。なんのテスト?」
「跳び箱」
「んっふ……跳び箱で負けるって何さ」
「着地でどれだけカッコつけられるかって勝負」
「それってオレ関係なくない?」
「あるある。師匠ってあれやこれやの師匠じゃん」
「そもそもテスト中にふざけちゃ駄目でしょ」
いつも不真面目を体現したかのような言動の師匠にまともな説教をされるとは思っていなかったために、心に大層な傷を負い、傷付いたーマジむりーと顔を覆う。よーしよしかわぁいそおー、とめちゃくちゃに頭を撫でられて機嫌を直す。まあ大して傷付いてなんかいない。
「ていうかさ、跳び箱のテストって何段飛べたかとかじゃないの」
「それは恐怖心に打ち勝てば余裕なので」
「余裕かぁ。じゃあ今日は暴漢に襲われたときの対処法ね」
「おす!」
「それで、誰に負けたの」
「クラスの、男の子っ!わたしのほうが大きいのにっ」
「よぉーし気持ち込めて殴ってみな?」
教わったばかりの手足の使い方と、師匠に喋っているうちに湧き上がってきた怒りが篭もったりでいつもよりたくさん動いて殴って蹴ってと体を動かしまくった。師匠がいちいち褒めてくれるのが嬉しいし、そもそもそんなに怒っていたり苛々していたわけでもない。負けたのはそりゃあ悔しいけれども次に勝てばいいだけだ。師匠と受講以外で話す機会だって多ければ多いほどいいのだから相殺どころか余裕で楽しいのが勝ってお釣りもついてくる。
「ふふふ、ふへへへ」
「はい疲れたねぇ。今日は終わりにしよっか」
「まだだ……!まだいける……!」
「その笑い方は駄目なやつだねぇー」
ほーい、なんて軽い掛け声で足を払われ、あっさり崩された重心に体をギュッと縮こませれば、ふわっと肩と膝裏に支える何かが差し込まれる。当然師匠である。
「師匠、これなんて体勢か知ってる?」
「お姫様抱っこだねぇ」
「もうお嫁にいけない……」
「はいはい、可愛いからダイジョブダイジョブ」
確実に赤くなった顔を見られないようにうつむけて手を師匠の胸に突っ張れども、道場なんてやってるひとのからだがそれしきでダメージを受けるはずもなし。ねこちゃんみたいだねぇとからかわれたのが恥ずかしいし悔しいしで疲れた体に鞭打って暴れたけれどもまぁあっさり流されて終わる。
「んー!!」
「あっは、ホントにカワイイからダイジョブだって」
よいしょっと下ろされたのは更衣室の前で、汗の匂いだとかが急に恥ずかしくなって駆け込むようにしてドアをくぐり制汗スプレーをふる。ドアから覗けば師匠が「落ち着いたぁ?」と訊ねながら掃除をしていて、モップだけ奪って手伝った。残念ながら落ち着いてはいないのでいつもより荒くなった自覚はあるし、師匠もお見通しのようにちょくちょく肩を揺らしていた。脛を狙ってモップを動かそうとも一本も入らず、悔しいやら尊敬するやらちょっと可愛いと思ってしまうやら。
「はいおつかれさん。またおいで」
くしゃっと笑いながら言う師匠に根負けし、ありがとうございました、とちゃんと顔を見て言う。別に急ぐ用事もないのに道場を駆け出して、しばらく走っているうちに周りの風景が引っかかることに気づいた。
なんというか、なんかおかしいというか、偽物のようというか。
背後を振り返る。建物の合間を縫うように道場の看板が見えたけれど、読めなかった。

「あれ、なんの道場だったんだっけ……?」









「さて。今回も回収終了だ、ご苦労様、燕青」
「はいはい、次は?」
「休憩くらいしたらどうだい。短気はモテないぞ?」
呆れたように笑う美女を構う余裕もなく、投げ渡されたドリンクに渋々口をつける。安っぽい漢方の匂いのそれは現世の栄養ドリンクの類だろう。まとわりつく甘みに舌を突き出して見せれば、味の再現は上手くできたんだけど、と美女が笑う。その手にはモニターやらキーボードやらフリップやらと一緒に同じドリンクの瓶が握られている。効果は疑わないが、味だけは不満だ。改良を強請るような手間はもったいないのでしないけれど。
「休みながら聞いてくれ。次は結構な幼少期だ、どんな『役』を割り振られるか予期できないから慎重に、ね」
「はいはい。これまで通り慎重に確実に騙してくるよぉ」
傍らのベッドへ目を向ければ、我がマスターは信じられないほど呑気な顔を晒して寝入っている。
当たり前か。送り込まれた彼女の記憶は全て、笑いたくなるほどに平和で退屈で平坦だ。そりゃあ起きたくなくなるよな、と共感したくなるくらい。
それでも起きてもらわなければ。自分たちにはない彼女しかいないのだから。
魂を分けて夢に閉じ込められて、そこで笑う彼女もここで笑っている彼女も同じだと目の当たりにして、どうにも複雑な気持ちで次へと備える。あと何度彼女から笑顔を向けられるのか、異質な俺へ不信感を抱かせるのか、起きたらなんと言われるのだろうか。
「楽しそうだね。大役頼んじゃって申し訳なかったのだけど」
「役得役得。なんでも鵜呑みにするマスターは可愛いよぉ」
「おや。起きた彼女に殴られないようにね」
「良いのくるよ、オレが教えたんだから」
さて、と適当に関節を解して、ついでにちょいと瞑想してから美女ことダヴィンチに目配せする。脳のマップも投影も侵入の準備も終わっているのは流石だ。そのへんのことは横から覗いてみても複雑すぎて文字通りお手上げである。
準備が完璧に済んだことを確認し、いつもどおりにピクリともしない温かい頬を指で擦る。もうルーティンだ。
あと何度『誰か』の皮を被り疑われなければならないのだろうか、と考えるともやっとするものがあるが、いちいち向けられるリアクションも楽しくて相殺されるというもの。マスターの知らない顔を知り放題なので役得の一言に尽きる。しかも加害者の趣味だかなんなのか知らないが潜るのは彼女の人格形成に関わったという恋慕ばかり。
「あーあ。このままマスターの異性全員上書きしてぇなあ」
「パパ臭ーい、なんて言われたいのかい、ふぅーん、そうかそうか」
「やめますぅいってきますぅ」
極彩色で温かく平和な世界にすっかり絆され、ほぼ善意ばかりで飛び込んだ。



21.02.19


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