むかしむかしか明日の話



セベクが錬成中に大声を出し、その弾みで体を跳ねさせた生徒の隣の生徒もつられるように体を跳ねさせ、その拍子に煮えたぎる鍋をかき混ぜる木べらが材料を置いていたテーブルに当たり倒れた瓶を踏んづけた別の生徒がこれまた別の生徒の白衣にしがみつき、しがみつかれた生徒はちょうど授業に使う素材の瓶を棚から下ろしている最中でそれが間近にあった鍋に落ち、瓶の中身が過剰に溶け込んだ鍋の中の液体が最初に体を跳ねさせた生徒へと降り注いだと聞いて、そんな愉快かつ迂闊な人間の顔を見てやろうと見舞いだの詫びだのなんだのと口実をこじつけて医務室を訪れたのだけれども。
ベッドに寝ていることもできずに丸まるオンボロ寮の監督生を目の前にして、なるほどと納得した。

「あ、れ、ツノ太郎だ」
「うん、寮生の失態を詫びに来たのだが」
「そっかぁ」

寮生と己の顔以外を毛布に包んだ監督生が、何をどう納得したのかは知らないがそう言った。
暖炉の火を常にないほど燃やし、小山のように毛布を被り、唯一の寮生を膝に乗せ、それでもなお寒がっている。体温の調節ができなくなったようだと頭を下げたままのセベクから説明は聞いていたので見舞いの品は酒にしたのだが、未成年だのなんだのと言って口をつけないだろうことは目に見えるようだった。

「具合が悪そうだな」
「うん……ううん、悪くないよ、寒いだけ、うん」
「どうした、いつも以上にふわふわだ」
「うーん、なんか、眠くて」

寝ちゃ駄目なんだって、とぽわぽわ答える監督生は今にも寝入りそうに舟を漕ぎ、いよいよ頭が落ちかけると膝の寮生がぐちぐち鳴きながら爪を立てる。どうにか目を開いた監督生は「痛い……」とぽやぽや目を見開いた。まあ一瞬だったが。すぐに半分ほど下りたまぶたで膝の魔物を撫でようとして空回りし、毛布の山を撫でつけている。

「そもそも、なーんでお前がコイツの見舞いに来てるんだゾ、犯人のセベクだってエーデュースだってうるせえって追い出されたのに」
「まあ、僕はそう騒がないからな」
「確かに想像できないねぇ。…………っぷし」
「ぬぁーツバついた!」

ふたりだけでも十分に賑やかな様子に笑い、そばにあった椅子に腰掛ける。酒と共に持ってきた花束は近くの瓶まで浮かせて入れた。

「ツノ太郎まだいるの?」
「迷惑か?眠ってはいけないのなら話し相手ぐらいにはなれるが」
「ありがたいー、寝ると薬の……あ、かぶったんじゃなくて、さっき作ってもらったやつ、それの効き目が悪くなるらしくて、でも、眠いし困ってるんだ、ふぁ、よね」
「ふむ……寝かせる魔法なら得意なんだが。二度と起きなくなるような」
「困るぅ」
「困るんダゾォ」
「いっそ、水でも浴びてみたらどうだ?」
「これ以上……下がると、ちょっとやばいって……ふぁあ」

ああ、体温がね、と要るのか要らないのか曖昧な補足をむにゃむにゃと付ける監督生へと手を伸ばせば、犬か騎士のように従順にその手が乗せられる。これだけの毛布に包まって膝に動物を乗せているとは思えないほどに冷たく、生き物のようではなく、当人が呑気なために何処かへと行っていた罪悪感がじわりと湧いてきた。

「わ、あったかい」
「……初めて言われたな、そんなこと」
「ふだん冷たいの?」
「温かくはないのだろう。火なら吹けるんだがな」
「それは謎だ」

表情も会話も地に足つかない有様は慣れれば罪悪感よりも面白さが勝ってくる。ただの間抜けが毛布に包まっていたのなら、良い酒でも飲ませてそのまま帰ろうかと考えていたのだが。
数えるのも億劫な枚数の毛布を浮き上がらせ、ぼんやりそれを目で追う監督生も少し浮かせ、存外快適そうな医務室のベッドに腰掛けてからまず膝に監督生を落とし、猫のような寮生をその膝に落とし自分ごと毛布を被せた。背中は確かに暖かくなったが膝の上の体はまだ冷たい。

「人の子、何か温まるものを飲むか。酒だとか」
「酒はわたくしのようなじゃくはいものにはとてもとても」
「あっこれは半分寝てるゾ!」
「なるほど」
「あっイタタタ」

寮生の献身により声に張りが出た監督生にマグを持たせ、その中にとりあえず己の飲み慣れた紅茶を入れる。それからジンジャーは温まると聞いたことがあるので錬金術の素材用に乾かしていたものを喚びだして落とし、蜂蜜を監督生の目の前に浮かせる。

「甘いのは好きか」
「すきぃ」
「よし、好きなだけ入れろ。許そう」
「やったー」

カップから溢れる前に注ぎ込む手をとめさせ、力加減がいい加減な手を取ってその手ごとティースプーンを掴み混ぜさせる。どうしても冷たいそれがじわりと体温を吸うのに安堵した。なるほど、密着すればするほど効き目がありそうだ。一度腹に手を添えて引き寄せ、カップを両手で抱えられるように冷たい手の上から包む。

「んー、あったかい。寝そう……」
「寝たら死ぬんダゾ!目を覚ませツナ缶寄越せそれ美味そうだから舐めさせろー!」
「ツノ太郎……おかわりいただけるだろうか……もう一杯いただこう……」
「言いたいことは分かるが、言い回しがくどいな。もう一度」
「審査落ちした……ごめんグリム強く生きて……」
「踏ん張れ子分!いや普通に寄越せばいいんだろそこのツノ!」
「太郎が抜けたな、失格だ」
「いやなんの審査だ、これ」
「……ご縁が……なか……ぐぅ」
「あぁ、寝るな人の子よ」

凍えるよりもいいのだろうが、温まると今度は睡魔が辛いらしい。脈絡があるのかないのかふわふわとした言葉選びは聞いている分には愉快だが。
魔物の真似をして頬を抓れば、確かに先程よりはぬくもりのようなものが存在しているのが確認できる。解毒薬が効いてきているのだろう。
こうも耐えている様子を見守っていると、寝てしまってもいいのでは、と思う。二度と目覚めないのならそれはそれで構わないのではないか、どんな危険からも事実からも現実からも守るのが容易くなるのならむしろ都合がいいのではないかと、ちらりちらりと頭を過る。今の彼女ならそれを選んではくれまいかと、このまま腕の中で眠り続けるのは嫌かと問うてみたくなる。問うてみようかと息を吸って、吐く前にふと監督生が寄りかかってきてぐりぐりと額を鎖骨あたりに押し付けてきた。制服の装飾が痛いのか唸り声を上げていて、どうやら睡魔を堪えている仕草らしいと理解して無音のままに息を吐いた。甘えるというよりもそこにあるというだけの仕草で、あまりに動物的だった。
これではない、と息が少し細くなる。また監督生を抱え直し、より密着する。転げ落ちそうな魔物も落ちないよう彼女の膝に乗せ直してやってから、マグカップに控えめに紅茶を淹れたのを喚び出して持たせてやる。はちみつもだと遠慮なく要求され、監督生と同様に好きなだけ入れさせれば紅茶と同量ほど垂らしそうな勢いに監督生が呆れたように首をつまんだ。

「体ベトベトになっちゃうよ、今洗うのにお風呂なんか入ったら……ぐぅ……」
「想像で寝るのか」
「呑気にしてないで起こすんだゾこら!」

わぁぎゃあと騒ぎつつカップを離せない魔物に代わり、これを起こさなければと見おろしてはてと困る。魔物のような鋭い爪も今はなく、声で起きるのならとっくに目を開けているはずだ。寝かせるのなら童話のように簡単だというのに。
そういえば、と童話から連想してひとつ目を覚まさせる方法を思いつく。彼女の体を揺らさないよう注意しながら顔を寄せ、深くゆるやかに息をしているその唇を口で閉じた。ふにゃふにゃだった腕の中の体はカチリと固まり、触れる唇も息を止めた。代わりのように騒ぎ始めた魔物が蹴ってくるのに従って上体を起こせば、先程までの柔らかさを何処かに落としたような監督生が目を見開いて口まで開けて固くなっている。頬を確認すれば骨でも喰んでいるように固いくせ確実にあたたかい。

「うん、良くなってきているな。寓話も役に立つものだ」
「……グリム、私、噛まれた?」
「噛まれたな」
「そっか、現実かぁ……」
「現実でも効くのだな……」

三者三様にしみじみし、今ので結構目が冴えた、と嘯く監督生が眠らないよう様々な会話を交わした。監督生自身が話すよう仕向けたので、知らない世界の流行り廃れにほんの少し詳しくなった気がする。
一晩で十分解毒薬が効いたようで、常の体温になったからと医務室を追い出され半日は眠った監督生の顔を見ることは丸一日なく、ひやりとした感触ばかりが頭に付きまとっていた。



「あ、ツノ太郎。おとといはありがとうね、ついでに錬金術のパートナーどうでしょうか」

ようやく顔を合わせられたかと思えばいつもと変わらない様子に、むしろ不安が募りひらひら振られている手を掴む。あの日よりはあたたかいけれども、常がどうだったかは思い出せない。

「うおお……で、どうかな」
「ああ、空いている」

戸惑ったように固まったのは一瞬で、遊ぶように握りこまれたり指の付け根を締められたり、そのまま振って揺らしたりと好き勝手する手はぬくもりを写してくる。明らかに己よりも熱い体温に納得し、ついでに頬も触ってみる。柔らかいしあたたかい。が、触れているうちに強張るのに少し不満に思う。

「……あ、花、寮に飾ってるよ。余計廃墟っぽくなったってゴーストたちに喜ばれてる」
「そうか、なら良かった。もうひとつの差し入れはどうにも気に入ってもらえなかったものでな?」
「いやいやーって、私の体温下がってたからお酒選んでくれたんだよね。それは嬉しいんだ、嬉しいんだけどさあ?飲めないしね?」
「すぐに飲めるようになるさ、人の子」
「ええー」

すぐって言っても美味しく飲めるまで何年だ、と頭を捻り悩む監督生が歩き出すのに合わせてゆったり足を出し、自分なら飲めるのではないかと元気に鳴く魔物を抱え直した彼女を見下ろす。この腕の中で抱きかかえていた昨日よりも遠く、ちょこまかと動き、快活に喋る。眠ってしまうにはまだ惜しいと思えることに安堵し、酒をコーヒーや紅茶に入れてはどうかと進言した。高そうなのにもったいない!と庶民的に責められてしまい、話が弾む。まだ眠らせなくて良かったとあたたかな手を返した。

「いつか飲めばいい。共に飲んでもいいな、味も悪くないものだ」
「え、ツノ太郎飲んだことあるみたいに言うね」
「…………」
「えー思ったより不良……いやここ治安悪いし、いまさら……?えっなに無言で見ないで!」
「…………」
「いや何の圧なの!なんで楽しそうなの!」







「すまなかった人間!!いや、監督生!!!」
「あ、はい」

くわんくわんと響く声に頭を揺らし、寮の玄関ドアを押し開いたまま体をずらした。どうぞ、と声を掛けてついでにそのかっちりした寮服の袖を引っ張って道案内をする。なんせ彼の視界、というか上半身が腕の中の花で覆われてしまっている。声でセベクと分かったものの、知り合いでもなんでもなかったらチャイムもノックも無視したいほどの不審者ぶりだ。それも真っ赤な薔薇が冗談のように両手いっぱいにあるので、幅もきいているしたぶんセベクの視界も悲惨なことになっているだろう。オンボロの名に恥じぬ床の木材の凸凹は致命的になりうる。主に花たちが悲惨なことになるだろう。
そういえば貴重な花瓶はツノ太郎の花で埋まっているんだった、と無為に室内を見渡していれば、無事に凹凸の少ない絨毯ゾーンに踏み入れたセベクがかろうじて動くらしい指先のみを動かしてパチンと音を鳴らす。広げっぱなしの参考書と駄菓子の隙間を縫うように現れた大きな花瓶に、そっと薔薇が活けられる。これも魔法なのか、花は一瞬できれいに落ち着いたようだった。

「これは我らが寮長からの気持ちだそうだ!それとこれは俺の分だ、監督生!」
「あ、はい……わー紅茶!嗜好品バンザイ!」
「そうか、良かった」
「早速飲も。セベクも飲んでく?」
「いや、親父殿との約束がある……からな……」

元気の萎んだセベクに状況がわからないなりに同情し、頑張ってね、とありきたりな声援を送る。言われずとも、と伸びた背筋に安堵して見送ってから、勉強どころではないテーブルを改めて眺めた。香りが弱めの品種だろうか、紅茶を楽しむ分には気にならなそうだ。参考書はすっかり影になってしまっているけれど。まぁ休憩してもいいよねと言い訳しつつペンだとかをひとまとめにする。
……そういえば何本あるんだこれ、と気になればますます勉強なんてできるはずもなく、花を崩さないようになんとか数えてみたら確実に900は超えていそうで、そんなん花瓶に入り切らないよなあと魔法のありがたみを実感する。
そもそも、お見舞いに薔薇を選ぶだなんて寮長って変わっているというか癖が強いというか、厳格というより浪漫があるというか。まあ嬉しいからいいか。
セベクが来る前と同じところに座ってグリムに臭いと文句を言われて、臭い臭いと鳴くのに笑いながら薔薇を眺める。棘のある茎を見つめて、何故かツノ太郎を思い出した。


20.11.19


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