祈っちゃいけない



「監督生」

とてもシンプルにそう呼ばれ、びくりと条件反射で跳ねる体はともかく後ろを見る。飛び跳ねたのをしっかり見ていたであろうジャミル先輩が、呼びかけてきた声と同じくらいに無味無臭の声で「怯えさせるつもりはなかったんだが」とこぼしながら歩み寄るところだった。
最低限の面倒事は避けるエースが「じゃ、席とってるな!」と小気味良く立ち去り、グリムは肩で呆れたように力の抜ける鳴き声を上げる。そりゃあまあ呼び止められたのは私だけだったけれどもあんまりな対応に報復を誓いながら、どうにか「なにかご用ですか」と彼に問いかけた。

「いや、そんなに構えられるような話題でもないんだが」
「胸に手を当てて考えてください……」

にやぁ、と笑う彼から透明感とかモブ感とかが消える。いっそ最初からこうしていればいいのでは、という言葉は飲み込んだ。今の彼から素直に罵倒されたくはないので。

「それで?なんでしょうか」
「今、回って見せてくれ」
「三回回ってワンと鳴きましょうか」
「君の世界の常識か?それ。あまりこっちではやらないほうがいいぞ……」
「いえ侮辱とかそれ系のあれなので。やりません。では」

何がなんだかわからないけれども、教材と食料の入ったカバンを抱きこむようにしてその場で一回転してみせる。グリムも慣れたもので、爪を立てないように踏ん張っていて頬にぺちりと尻尾が打ち付けられて、痛くもないのに「痛ーい」と言って見せれば呆れられた。
審査員のごとく顎に人差し指を当ててふむ、と頷いたジャミル先輩が審査員のごとく質問を鋭く投げかける。

「ダンスの経験は」
「あっちの体育の授業くらいですね」
「その割にはターンが出来てるように見えるが」
「ああ……癖ですね。ていうかなんですかこれ」
「癖?」
「あ、普通に訊くんだ……あっちだとそこそこ長いスカート履いてたので。手でさばかなくても、こう、腰から回ると足に絡まなくて歩きやすいんです」

存在しないスカートの裾を摘むようにして、おまけでもう一回転くるりと回る。外廊下な上にそこそこ高さのある場所なので風が吹き込んできて、馴染みのスカートであれば綺麗に靡いただろうと少し寂しくなった。男子校の購買で買える服になんてまあスカートはなく、取り寄せればいいのだと気づく頃には貰ったり買い込んだりしたズボンが溜まっているし楽だし気も張らない。このままでは雄々しさばかりにょきにょき身に付きそうな恐怖はあれども懐を考えればかわいい服よりも教材や食費に回したいのだ。いつか余裕ができたら、とは夢に見ているけれど。異世界の服なんて楽しそうなもの、もちろん手を出したい。けれどもそれより食欲が勝つうちは無理だろう。だというのに。

「もうはいてないのに変な回り方していたんですね、今度から気をつけます」
「いや……」

呼び止められたからには立ち去りにくく、他の生徒が心なしか遠巻きに通り過ぎる中へとアイコンタクトを送るも当然のように無視される。ジャミル先輩は次の授業がないのかまったりと悩んでいるけれど、私はといえば一応出る予定の授業があるのだ。できればさっさと教室へと駆け込んでしまいたいが断りもなくそんなことできるはずもない。
ようやく聞き慣れてきた予鈴を聞いているうち、私を検分したり中空を見ていたりと上の空だった先輩がよし、とひとつ頷き「手を出せ」と端的な指示を出す。空いている手を差し出せばそこにペンが翳され、しゃらしゃらと綺麗な音を立てて綺麗なものが手のひらに落とされた。

「うっわ綺麗。なんですかこれ」
「髪飾りだ、こうして使う」

とても滑らかな動きで鎖と貨幣のようなものとビーズの連なるそれが持ち上げられ、ろくに整えていない髪に触れられ、間近で『もうちょっとくらいはケアしろよ』みたいなお顔から必死で視線をそらすうちに作業は完了したようで、一歩離れた先輩が「回ってみろ」とこれまた端的に言う。今度は目的がうっすら把握できるので、頭をピンと糸で吊られているイメージでくるりと回ってみせた。私の動きを追うようにシャラシャラときれいな音が鳴る。耳元だとか後頭部だとか、あちこちで乱反射するように鳴り止まないそれは高価なものなのだろうと思う。

「どうですか」
「気取りすぎだ。君は自然体が一番映える」
「え、凹む……」
「似合ってはいるから安心しろ。このあと授業だろ。ほら、走らないと遅刻だ」
「あっはい。あとでお返しに伺いますね」
「いい。やるよ」

でも、とかいやいや、とか言いたい言葉を探す中継ぎを繰り返すうち、本当に差し迫る時間に焦れてぺこりとお辞儀だけしてから半回転して走り出す。しゃらりとなる繊細な音はこんなときでも綺麗だと思えるもので、癒やされるような余計に焦れるような葛藤じみた感情が沸き起こる。
先輩はああ言っていたけれど返す方向で彼らの寮にでも突撃する決意を固め、無事遅刻しそれどころではなくなった。




弱みを見せたら頭から食べられるような学校という認識のため、ただただ貰うのは恐ろしいからと手土産にサムさんに見繕ってもらった極東のスパイス詰め合わせを寮まで持っていって、案の定小規模ながら宴に発展してワサビとお肉の相性を熱弁しながら帰る頃には手土産にとチキンカレーとスカーフをいただいた。スカーフのお返しにとグリーンティーの茶葉を丁寧に摩って抹茶パウダーを手渡せば、廊下で待たされ今度は装飾品とわかる金属のベルトを渡されそうになり、断ろうとしたらその場で巻かれそのうえ素人ピルエットをキメさせられた。髪飾りと似た柄のそれにいたたまれなくなりさらなるお返しとしてカリム先輩に手製七味唐辛子を委ねたらオンボロ寮にストールとかネックレスとかが箱で届いた。

「勘弁してください……」

ぐずり、と涙になり残った鼻水を啜りつつ、ジャミル先輩の袖を逃げられないように掴みながら懇願する。道中走ったり追いかけたりくるくるとダンスのごとく回されたり(しかも全く関係のないフロイド先輩にだ、訳がわからない)して疲れ果てた膝はがっくがく、息も辛い、けれども一刻も早く伝えなければと言葉を捻りだす。相も変わらず、外に面した渡り廊下だ。うれし恥ずかしでちょくちょく付けているしゃらしゃら鳴る髪飾りがちょっとした風ですらも音を起こす。

「返せるものがネタ切れ……いや経済的になくなります、もう日替わりで付けられるくらいアクセサリーもありますし、部屋着が汚せねぇし洗えねぇものばかりで休まりません。いや可愛いけど。ええと、ともかく、もういっぱいあるので、大丈夫です」

嬉しいものは嬉しいのでその気持ちも伝えたくて、けれどもそれで贈呈攻撃が止まなかったら本末転倒かつ胃に穴が空いてしまう。庶民の私ですら高価と分かる品々がオンボロ私室にある風景はから恐ろしいのだ。女子の部屋だとしても寛ぐエーデュースもそのあたりには触らない。物理的にも話題的にも触れようとしない、恐恐見てるのは傍目には面白いけども。

「…………」
「……あの」
「……なんと言ったらいいのか」

逃げない袖をそれでも離さず、恐る恐る窺うようにかついつでも逃げられるように彼を仰ぐ。警戒していたのが馬鹿らしいほどにそっぽを向いた横顔を遠慮なく観察していれば、普段気持ちいいほどばっさり喋るジャミル先輩が珍しく口籠っている。

「俺は今、調子がいい」
「はあ、良かったですね」
「いや……、あのな。最近、調子がいいんだ」
「はあ」

軽く頷けばしゃらりと耳元から音が鳴る。そういえばイヤリングだとかピアスだとかは貰ったことがないなとちらりと思う。「イヤリングもいいな」と同じことを思ったらしい先輩から零れたので時間の問題らしい。

「いやいや、だからですね」
「いやいやいや、君に貢ぐと調子がいいんだよ」
「え……」
「引くな!分かってるから!」

ピッと突き出された手のひらに大人しく口を閉じる。調子がいいと連呼するわりにはしんどそうなジャミル先輩が突き出していない手で顔を多い、とても疲れた息を出した。
なんとなく哀れみを感じて黙ればそれはそれで睨まれる。いやどうしろというのか。

「……話長くなりますか」
「聞いてくれるか」
「なんかもう煮えきらないので」

必修でもない基礎の授業をサボる代わりに教えてもらう約束もとりつけ、流れるように渡された腕輪を断りきれずにつけて甘いお茶を舐める。
要は、推し活で健康になれたという話だった。先輩自身の服飾品はすべて従者としての備品で、彼のものではない。
もちろん彼の主人であるカリム先輩の持ち物だってジャミル先輩が買い揃えても経費が落ちたりしちゃうもので、食べ物だってジャミル先輩の自由にはならない。献立は自由にさせてもらっているとやべぇ笑顔で付け足したけれどもそれはともかく。
学生生活を送る上で必要なものは経費。寮生活に必要なものも経費。カリム先輩の名誉のためジャミル先輩の服も食費も経費。貰う給料は仕送りしても有り余っていて、それを私に使うことによりストレス発散になりちょっと健康になったと。

「いや私じゃなくてもよくないですか?ご趣味は?」
「自由にできる時間が限られているからな。ダンスは最悪広ければできる」
「ひろければできる」
「こう……貯めた金を使う機会がなかったからか、一度使い始めると止まらなくなったというか」

私の膝に髪飾りが乗る。この間貰った銀のコインのデザインとは別の、けれども私が付けて動けば揺れそうな羽飾りとビーズの付いたものだ。男装していても制服でも使いやすそうで「わぁ」と思わず声が出る。歓声ではない。恐怖である。

「君に使う限りは家のことも仕事のことも限りなく無関係だからな。すっきりする」
「分からなくもないんだよなぁ」
「だから、俺のために耐えてくれ」

検分するかのように私を見つめていた彼から手が伸びてきて、私の髪を整えて飾りの位置を直す。清々しいほどに肌に触れない指先に感心して、それはともかく「無理ですね」ときっぱり断った。

「せめてリクエスト制にしませんか。髪飾りとか嬉しいんですけど、あんまりあっても困りますし。実はパジャマの替えがなくて困っているんですが」
「……回数は減らそう、うん、俺の趣味でいいか、いいな」
「やったー」

生乾きの匂いから開放されると喜んでいたら、その後寮にもこもこショートパンツのパジャマが届いてちょっと引いた。上着のみ写るようにグリムと写真を撮って送ったあたりで、なんかもうこれオタサーの姫に近いあれではとちょっと怖くなったがもう遅い気がした。




「ははーん?ストレス、だいぶ溜まってますね?」

大きなダンボールを先輩に無言で手渡され、中庭のベンチで開けてみれば全身コーディネートがみっしり詰められていた。大きさの割に重くないそれを押し付けられた時点でうっすら悟っていたとはいえ、いざそれらを広げてみると迫力がすごい。あとたぶん値段もすごいし気合もすごい。私なんかより似合う可愛い子がいるはずだろうに、男子校の紅一点だというだけの私のところに来てしまうとは気の毒な衣装達だ。まあ手放す気はないけれど。普通に可愛い服も衣装も見ていて癒やされるし、身につけてくるくる回っていれば少なくとももう一人が追加で癒やされる効果が発揮される。小さな幸せが大事なのだ、そんなことまだ悟りたくなんてなかったけれど。

「これどうやって着るんですか……これ帯?です?あっターバン?」
「着付けてやろうか」
「断りづらいんだよなぁ」

そもそもひとりで着れそうにないし、己のリボンすら怪しいグリムに頼むのもどうかと思う。
ベンチに俯き顔を髪で覆う先輩の姿は痛ましく見せかけて、異性の後輩に踊り子のようなひらみだらけの服を押し付けあまつさえそれを着付けからこなそうと虎視眈々と狙うような人物である。疲れているのは疲れているのだろうけれど。

「先輩がそこまで酷くなってるの初めて見ますね。何かあったんですか?寮でも乗っ取られかけました?」
「なら楽だったのにな、むしろ」
「あっやぶへび」
「……今日はストールも付けていたな」

俯いたままくるり、とペンを巡らせた先輩の手元にはなにやらキラキラしているピンが現れて、またくるりとすればそのピンは私が今着ているストールに付けられる。色合いだとかキラキラの元らしい石だとかがあつらえたようにストールに合っていた。いやダンボールの中身だけで結構な貢ぎっぷりなのに追加だなんてそれは私の胃に負担がすごい。
何か課金以外に癒やされるものはないだろうかと記憶と知識を総動員して考えた結果連想したのは「おっぱい揉む?」という文言で、流石にねぇなと思ってもう少しソフトなやつを実践しようと決意する。

「あー、疲れた……むり……」
「大丈夫?ハグする?」
「する……」

IQの下がった先輩をストールで包むようにハグしてよしよしする。色々と使えそうなので録音するのも忘れてはいない。

「大丈夫?くるくるする?」
「して……」

キャラ壊れてんなぁと笑いながら、一歩引いてくるくる回った。箱から唯一取り出したチョーカーがちゃらちゃら鳴る。
無言で差し出された手に手を重ねればストールを止めるピンからしゃらりと音が鳴る。顔は伏せて見えないけれど、少しは機嫌が直った気がしないでもなくもないかもしれない。

「元気出ました?」
「君がこの箱の中身を全部身につけてくれないと無理だ」
「元気ですね」

後日全て着てくるくる回る約束を取り付けられて、ようやく腰を上げたはいいもののまだゆらゆらしている背中をバシリと思い切り叩く。反動でジャミル先輩の髪飾りも私の髪飾りも音を立てて、驚いたように振り返る顔も合わせて綺麗だなぁと思う。

「先輩、いってらっしゃい」
「……マドル払うから明日も言ってもらえるか?」
「ちょっとそれは職種が変わりますね、というか現ナマはいりませんからね。フリじゃないですからね」


20.10.04


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