美味しいモラトリアム







いつも線を引いている。
今日はここまでの書類作成、ここまでの評価に届くまで、この役人に話せるのはここまで、この審神者と話すことはここまで、と。
戦闘経験よりもひとのように過ごす時間を長くとってしまったせいで、ひとのような関係の作り方がしっかりと身につき剥がれないらしい。同じような出自の刀剣が多く居た政府から出て「刀剣」として戦える本丸へと配属されて、ようやくそれらが男士としては珍しい感覚だったのだと気付いた。この本丸に後から来た身としてはなんら困ることはないけれども。初期であったのならひたすら浮き不便だったろう。
最近の改装で増えたという個室を貰え、使い回しでごめんと謝られながらよく磨かれた刀装を渡される。困ったことはないかと問われればなにもと答えて線を引けば、誤魔化しなど見慣れているのか歳若い審神者は苦笑して頷いて、何かあればその辺のやつに訊いて欲しいとざっくりと締めた。言葉の乱雑さの割に遠巻きにするような気配はなく、ただ豪快なのだろう。
身を清めるようにと促されたのだけは素直に従い、先程まで隣で戦っていたものたちに混じって肌を晒し風呂に入る。夕食の前に済ませようとする非番のもの達まで混じっていたので、日の沈む前だというのに大浴場はたいそう賑わっていた。おつかれ、と掛けられる声に軽く答えながら体を洗い、本丸に来て一番感動した湯船にゆっくりと身を浸す。政府では予算の問題でシャワー室はあれどもこんなにも広い湯船はなかった。肉体労働と湯船の相性は実感しなければ分からない。
騒ぎたいものたちは手前から中頃で、奥と壁はその他の顔ぶれ。自然とそうなったのだとここの初期刀から聞いていて、一度入れば実感した。その壁際、一番入口から遠い場所に鏡のように容姿に覚えのあるものを見つけ、長く浸かるのを諦めて腰を上げる。追うように上げられた視線を無視して脱衣所で身支度を整えていれば、視線だけでは飽き足らずそれも続いて上がってきた。

「戻っていたのか」
「先程ね。報告も終わったし食事まで少しあるから先に風呂を勧められただけだよ」
「まだ温まってないんじゃないのか」
「汗を流せればいいさ」
「俺が上がるからお前は入ればいい」
「また脱ぐのも面倒だしいいんだよ」
「だが、」

壁際にいたということは会話する気はないと言うことだろうに、こんなところで食い下がるそいつが無性に腹立たしい。
会話を切り内番服を引っ掛けるように着て足早に廊下に出、食堂へは続かない廊下を突き進めば流石に追いかける気配もない。息を吐く。戦果を上げた高揚感も湯で解した神経もあれのせいで台無しだ。引いた線をずかずかと踏み荒らされ、しかも相手にその自覚がある、だなんて、どのように平穏を保てというのか。それに慣れることも出来ない己に、一番腹を立てている。ずっと。いつも。



引いた線を踏みにじるように、今日も山姥切国広が近付いてくる。遠慮がちに、けれども確かに聞こえる声量で話しかけてくる。それを拒否するにはかれにはあまりに悪意がなく、こちらが大袈裟に嫌っているように見られてしまいかねなくて踏み切れない。共同生活でさえなければ、こいつがこの本丸にいなければ、とどうしようもないことを望んでは疲れる。分かっているのに、何度もシュミレーションしては諦める。

「本歌」
「なんだい」

呼びかけられ、返事をしただけで親しいような顔をして、けれども努めて端的に今日の内番の予定内容を告げられる。理解した旨を返して準備してから向かうと応えて、まだ何か言おうとするかれに背を向けた。話は終わったのだからこれ以上顔を合わせる必要はないからとそうしたのに、足りないとばかりにかれはまだ言葉を探りながらも募る。

「……組んだやつでなくとも、分からないことがあったらその辺のやつを捕まえて訊くといい」
「言われなくともそうするよ」
「ああ」
「昼食に遅れても、大体余分な分は厨にある」
「分かったよ」
「ならいいんだ」

伸ばしに伸ばされた話題を振り切るため、足を動かした方向が畑へ出る裏口からは遠ざかるものだと気付いて舌打ちをした。誰かに聞かれたかもしれないと思ったが、繕っても誤魔化してもどうせばれてしまうだろうと開き直ることにしてしまう。なんせ名前だけで因縁を匂わせているのだから、仕方ない。どうとでも疑えばいい、そう妥協しなければ本丸で暮らすことすらもままならない。

そうしてあからさまに避ける生活をしようとも、審神者の采配には影響は与えなかったらしい。
出陣を重ね、疲労が出たものは疲れていない暇そうなものと交代し、刀種に気を使った様子はあれども唐突に出陣を命じられたり旧知と組んだりあまりに接点がないものたちに囲まれ、気まぐれに思えるほどの気軽さで部隊と非番を入れ替わる。旧知と組む、またすぐ離される。あれとだって避けていても必要なだけの会話はしているし、取り立てて仲が悪いわけでもないだろう。余計な会話をしなくとも生活に支障はない。ただ不快なだけだ。
手合わせに当たれば技術の話をする。遠征なら段取りを話す。避けられないことなら顔を見て話す。意見を交わす。目を反らされる。なのに、話題を振ってさらに話したがる。関わらなければいいのに話しかけて来て、線を踏んづけては後悔した声でひたすら謝る。

「本歌、今日は遠征が一緒になる」
「ああ。出立の時間に遅れるんじゃないよ」
「……あと、厨で団子を拵えたそうだ。今食えないのなら遠征に持って行ってもいいらしい」
「朝食を食べたばかりだよ?そんなの……」

言葉を重ねたくて言ってきたのか、単純に食欲に負けての会話なのか決めかねるし判断材料になるその顔はどうせ窺えない。
窺えない、と思っていたのに唯一見える口許に白い粉が見えている。己の食べたものでも報告したくて来たのだろうかと、中途半端な憶測ばかりはできてしまった。
接点を持ちたいのか食い意地を張っているのか、どちらもなのか考えなしなのか。深く考えなくっても本丸は回る、なんて宣言する気の抜けきった主をいただく本丸だ。実は深く考えるのは損だったりするのだ。馴染んで分かった。これが今代の主に似る、というやつなのだろう。
俺がすべきことは何となく分かっていて、それでも実行出来ないでいて、阻むようにか促すようにか写しが目の前をちょろちょろする。卑下と矜持と食欲をその苛立たしいばかりの顔に引っ提げて。
今、線の上に立っている心地だ。綱渡りの縄じゃない。横に逸れても跨いでも踏みにじってもいいのだと今になって気付いてしまった、それ。
必ず手の届かない距離から話しかけてくる写しに向けて一歩足を踏み出す。身を固くする様子はあれど、あちらに引く気配はない。むしろ次を待つ顔をして俺を見る。その目が俺を写しているのを確かに感じ、努めて力が入りすぎないよう指先まで意識しながらハンカチを取り出してかれの頬を拭う。軽くついていただけだったようで、一度なぞっただけで消えた粉と、布からはみ出た目がいつもの態度を吹き飛ばしてこちらを見つめる、というか凝視して動かない様子に呆れて一歩引く。これでいつもの距離。いつもと変わりやしない。

「僕の分は包んでもらうよ。それじゃあ後で」

後に顔を合わせるのを受け入れるような一言をわざわざ添えたのすらも、初めてかもしれない。そんなことまで意識してしまいながら、出陣の用意をするため自室へと向かう。まだ凝視してくるかれをからかう言葉は見つからず、かれも言葉を見つけかねているのが分かったのだけは少し愉快だった。考えすぎない癖が付いたらと思うとほんのりと背筋を冷たいものが滑るけれども。










「昔は可愛かったのに……」
「こちらだと四日しか経ってないんだろう」
「お前にとっては昔だろう」

明確に答えもせずにくっくと笑うかれが気に食わない。容姿を恥じるように隠していた顔を晒して、まっすぐに俺を見て近付く。線を踏まれる。あまりにあっけらかんと詰めてくるもので、可愛いげのなさに多少気を落とす。根本では変わりなく、どちらにしろこちらが示した線を踏むのには変わりない。こちらの気の問題だ。
諦めてこちらも線を踏む。態度を変えるつもりはないのだから。線は引く。そのあとは好きにすればいい、こちらも好きにする。

「歌仙の大福が食べたい……」
「その前に風呂で体を清めろ、主に報告が済んで朝食を済ませてから頼んでみればいい」
「そうだな」

ああ、変わりないのだなとしっかり確認してから、門を塞ぐように立つのをやめる。かれが当然の顔をして本丸に帰ってくる。
付かず離れずよりは遠く、同僚にしては近いくらいの距離から後を追う。おかえりともただいまとも交わさなかったけれども充分だ。
国弘の、と吐息のように呼ぶ。面白いくらいに勢いよくこちらを向くかれに、朝食の浅漬けは俺が作ったんだと続ければなんとも言えない顔をさらした。どれかと言うのならば嬉しそうな、懐かしそうな、驚いた、この辺りだろうか。
これ以上踏み込む気はまだないので、そのまま執務室へ向かう。主にももう少し話したいことがある気がして、そうでもない気もして、この曖昧な足場も悪くない気までしてくる。
ともかくは腹が減った、主を起こしてかれがかえった報告をして、それから、



19.09.15


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