神様の抜け殻




「結婚してください」

至極真面目な様子で請われたその言葉に、こちらも真面目に返答する。

「おまえ馬鹿だろ」

馬鹿としか言い様もなく、はじめて会ってから半日で言われた求婚なんてその程度の価値だろう。会った瞬間に感じた、ひりついた感情は綺麗に塗り替えられ、目の前の彼女への評価をころりと変える。
現世では遠い親戚、たらい回しに親類の家を渡り歩いていた時期に少し顔を合わせただけの彼女と同じ顔をしたそいつは、妙に悔しげに衣服を畳む。彼女が運営する宿の客の衣服だ。この街では晴れる日が稀と言うほどに雨が降っているから、こういった宿での最初の仕事は洗濯なのだという。気まぐれにそれらへ熱風を起こして乾かせば、上の発言だったのだけれども。
ともかくは当分の寝床を確保出来たし、ここに来るまでに濡れた外套は乾いた。現世のような撥水加工の服が恋しいけれども選べるものもなく動物の皮を被る。この街で噂になっている伝承の雨を止める珠、それが宝玉だろうから在処と入手手段を早く知りたい。元々急ぐ旅だけれども、こんな辛気臭い街は早く立ち去ってしまいたかった。

「あ、お客さん。ちょっと待って」
「結婚ならしないし宿代なら食費も込みで足りてるはずだけど」
「ごめんなさいってば、はいこれ」

とても軽い調子で謝られ、なにやら派手な布を手渡される。形からうっすらと使い方は予想できそうだが、理解したくはなかった。

「…………」
「街特産、なおかつ当宿オリジナルの雨合羽でーす。無料で貸し出しますよー」
「要らない」
「なんで!」
「薄暗い街のくせに目が馬鹿になりそうなくらい派手なやつ多いの、これが原因だろ。なんであんなに馬鹿みたいに陽気な柄しかないんだよ」
「馬鹿多くないですかお客さん、初対面のヒトにこんなに言われるのはじめて……あ、お客さんの出身国どこです?」
「この街ほど特殊じゃないよ。日が沈んだら戻る……あぁ、見えないか」

ともかく夕食は要ることだけを伝え、宿を出る。後ろで何かごちゃごちゃと言っているようだったが、無視して扉を閉めた。途端に空気が湿り気を帯び、呼吸までも重くて嫌になる。
服も気性も陽気な街ビトを縫うように足を運び、必要な情報を求めて街を睨んだ。





伝承じみた話をいくつも集めて、場所の特定だけは出来て手段さえ見つければいけるかというところまで漕ぎ着けて宿へと戻る。エントランスには求婚が趣味らしいあの店員と俺と同様に寝に帰った客がちらほらと見えていて、応対をしながらも店員がにやりと笑う。
部屋への案内をその辺の下っ端に引き渡したかと思えば、にやにやを酷くしたような顔のまま店員が寄ってきた。あちらの彼女ならもう少しお淑やかな顔しかしなかった印象だったんだが、と呆れた。中身はこうだったのだと言われてしまえば受け入れるしかないのだけれども、わざわざ確認する労力も時間も勿体ない。面倒な店員だと受け入れるしかない。

「ね、雨合羽必要だったでしょう?」
「……酷い目に遭った、疲れた、寝たい……」
「お食事の用意出来てますよ。あ、でも食べてきました?大歓迎だったでしょ?この街でそんな地味な格好してるの、観光の方だとかお仕事でとか、ともかく外の方ばかりですからね」

雨がやまないという特質に反して、陽気な街なのだ、ここは。宿に着くまでにも色々と声を掛けられ、安いのは何処だの飯が美味いのは何処だのと甲斐甲斐しく案内をされたのもそういう事だったのだろう。情報収集に出直してからはさらに酷かった。観光案内もどきは現れるわ、ここの特産品だという飲料水や染物に派手な傘、温まるからと生姜湯のようなものまで無償有償問わず押し付けられ、どこに行くのかと子どもから大人までに付きまとわられる。おかげで欲しい情報も直ぐに聞こえてきたが、あまりに簡単に手に入ったそれが信用できるか判断がつかない。明日には実際に行って確かめたいが、それすら無理矢理案内を付けられそうだ。

「お腹に余裕があるなら食堂にどうぞ。あと、これも」
「……借りる」
「んふふ、実はこれ私がこだわった柄で」
「ありがとうでは腹が減ったので」
「聞いてくださいよー!」

情報と引き換えに詰め込んだやたらと硬い菓子と腹具合と、どうにか折り合いを付けられそうで店員から逃げる意味合いも強くその場から離れた。






派手な雨具は遭難も想定しているのだろうと、宝玉があると伝えられている山に踏み入ってから実感する。
雨で煙る森林の中でも自然には有り得ない花柄やどうしてそれを選んだのか分からない料理の絵、それらが木々の間から見えることで街に住むヒト達はお互いの位置や用を把握しているらしかった。大通りは宿の雨合羽を借りることで街に馴染み楽ができたが、ここでは目立ちすぎる。
宿名やらなんかよくわからない模様が大きく描かれた雨合羽を脱ぎ、軽く叩いてから丸めて鞄に詰めた。それでも雨に濡れていたから、あまり意味がなかったかもしれない。マシな気がする程度だろう。体の周りに雨避け呪文を掛けてから、改めて山道を登る。頂上付近の洞窟の最奥、そこにどうしても日照りが欲しい時だけ取り出す玉があったとかなかったとか、最近なんぞは雨に開き直って観光地にしてしまい取り出す儀式も無くなって今や祭りの日くらいに話題に登る程度だとか。現世から来た俺にとっては幻世自体が異状な世界で、その住民ですらも異状だと認める物事ならば宝玉である確率は高いだろう。
地元のヒトに怪しまれることも見咎められることも無く洞窟に付き、用心しながら周りを調べれば多少の罠の気配を見付ける。今は廃れた文化だろうけれども一応は貴重なものなのだろう。
一通り調べた結果、宝玉であることは確定した。入るのにも取り出すのにもどうやら手順が必要らしくて、一番手っ取り早いのは山ごと吹き飛ばしてしまうことだろうというのが分かる頃には日が暮れかけ、実行に移すのは諦め雨合羽を被り直してから宿に戻る。
不本意ながらあの店員を探せば、こちらが本職なのではと疑う頻度での洗濯をこなしているところだったのでついでに熱風を当ててやる。虚ろだった表情が無駄に輝き出したので、また求婚される前に「早ければ明日には街を出る」と宣言した。

「あれ、料金はあと三日分ほど頂いてますけども」
「返金できないなら別にいい」
「いえいえ。できますしお食事代の代わりにあの雨合羽をおまけで……」
「いらない」
「最後まで言わせてくださいよ!っていうかあったほうが楽でしたでしょ、それ!」
「街の中でだけな。外でこんなの使ってたら馬鹿みたいだろ」
「まあ陽気なのが取り柄みたいなとこですからね。あ、名物の大浴場入りました?」
「観光に来たわけじゃない」

確かに陽気でありきたりで、薄暗さだけが珍しいような大きくも小さくもない街だ。雨、というより豊富な真水を利用して運営しているようだが、それでも栄えている訳でもなく観光にするには見応えもない。宝玉の話だって隣町でようやく噂を聞いたくらいで、有名とは言えない。長居する必要性もない。

「夕食と朝食はどうしますか?」
「どっちも食べていく」
「ではその分も料金から引いて明日の朝にお渡ししますね。実は珍しい木の実が入ったのですよ、お客さんが来てからかな?なんか仕入先がこっちに移住したヒトに合わせたとか……あれお客さんの運気的なものじゃないですか?結婚しません?」
「しない」
「ちぇー」

脳天気な会話に馬鹿になりそうで、踵を返して食堂へと足を向ける。移住の原因は自分の起こした魔法の余波だろう。それを幸運のように言う店員に反吐が出る。罪悪感なんて今更感じないが、こうして遠巻きに状況を伝えられるのは、それも嬉しそうに語られるのはどうにも落ち着かなくて、結局見覚えのある果物は避けて食事を終わらせた。
明日、山を崩せば街に土砂が流れ込むだろう。無事で済んだとしても宝玉が無くなれば雨なんて止むかもしれない。雨を食い扶持にしているこの街はどちらにしろこの間したことと同じような流れに巻き込まれるかもしれない。いつものことだけれども。





邪魔な罠を壊すようにしながら宝玉まで行き着き、杖に吸わせる。街ビトに止められる前にと事を進めたが視界の悪さか古びた伝承への無関心か、特に問題もなく手に入れられた。やはり水関連の能力だったようだ。真水が簡単に手に入るのなら旅が楽になる。それに、手に入れたのなら確実に旅の終わりも見えてくる。
洞窟の中からは分からなかったが一定だった雨足はまばらに葉を打ち付け始めていて、もうすぐやむようだった。やはり雨を止める宝玉ではなく、安置することで雨を降らせ続けるというのが本当の効果だったのだろう。
山を崩すのをやめても、どうせこの街はがらりと変わる。逃れようのないことに気を張っていたのが少し馬鹿馬鹿しくなった。どうせすぐに去るのだから、他人事でしかないのだけれど。
ヒト目のない早朝に実行したので食堂も開いておらず、旅費精算と朝食に戻らなければならない。無視して次の街に飛んでもいいが、雨で冷え切った体が温かいスープを求めていた。



「お客さん、やっぱり持ってるね!この街が晴れるのなんて滅多にないよ!結婚して!」
「らしいな。外が五月蝿くてたまったもんじゃない。あと結婚は無理」
「滑らかに振られた……今日は祭りになりそうですけども、やっぱり出ていくんですか?」
「僕の用も済んだしもういい。すぐに出る」

宿までの道中も、カラフルな傘もないのにはしゃぐヒト達にもみくちゃにされたばかりだ。さらに騒ぐ予定があるのなら余計に長居したくはない。それも数日のことで、それらが過ぎた後にどうなるのかは予想もできやしない。
雨で陽気に暮らす街だ。晴れて派手な傘の出番も無くなり一周して陰気に落ち着くかもしれない。店員の洗濯物干さないと、ああその前に部屋の掃除してから祭りの出店の準備をしないととやはり浮かれた独り言に咳払いをすれば、ああハイハイとおざなりに現金が手渡される。腹ごしらえは済ませた、精算も済んだ、宝玉は杖の中だ。もうここに用はない。
そのまま宿を出ようと出入り口に向かいかけて、一度後ろを振り返る。見れば見るほどにそっくりなあの顔で、とりあえずといった愛想笑いを浮かべた彼女が変わらず陽気に「良い旅を!」と手を振った。
山を崩していたら。晴れたままなら。彼女がここで暮らせなくなったら。呑気に暮らせずにどこか移るようになったら、もうこんな顔はしないんだろうか。今連れ出して雨の街から離れてしまったら。彼女がここでどのように顔を変えるのか。
あまり会わない、あちらの人物と久しぶりに話したからだろう、こんなにも感情が揺れる感触があるのは。

「あ、お土産に雨合羽いります?」
「いらない」
「うわ急に動き早い!お客さーん、気を付けていってらっしゃいませー!」

あちらでもこちらでも関係のないヒトだったのだ、それを馬鹿みたいに派手な雨合羽を楽しそうに差し出す姿を見て実感した。あとあのセンスはない。









はい、と差し出された傘は女物には見えなかったけれども、差すのは嫌だと素直に思うくらいには酷い柄だった。骨の区切りごとに違う色が配置してあり一言で現せば浮かれまくっている。少なくとも日常で使うものではない、レジャーだとかで見かけるやつだろうと思うけれども口には出さない。

「アヤちゃんにはこっちかな、どっちも私のお古でごめんね」
「ううん、可愛い!」
「うっ……今週末!買おうね!一緒に!」

アヤに差し出されたのはそこまで酷い浮かれた柄ではないけれども、ひたすらに花柄がでかい。一輪がアヤの顔ほどもある。女の可愛いを理解できたことはなくともアヤの表情を見誤ったことはなく、少なくとも無理はしていないようで唯一地味に見える持ち手をつかんで笑ってみせていた。
こちらに差し出された手をまじまじと眺め、目の端でその先の顔を見る。期待なのか緊張なのか図れない顔が、眺めて、こちらも渋る。視線を感じるが目を合わせないようにする。渋る。粘られる。なんだか懐かしいような気が起こってくるけれども、こんな幼稚ないたちごっこ母ともした覚えはない。
しとしとと、気の滅入る音が絶えず聞こえる玄関先だ。ある程度は余裕をもって準備していたが、それでも遅刻はするものだ。けれどこの傘を持っていきたくない。雨は午前中だけで学校が終わる頃には上がる予報だった。ぐいと傘を持つその手首を持って、傘を奪って傘立てに戻す。そのままドアを開けて、家へ向けていってきますと義務通りの挨拶をした。

「うおおお、転ぶ、ちょ、階段は離してぇ」
「途中まで道一緒だろ。入れて」
「相合い傘じゃん!」
「あの傘を使うくらいなら……うん、ミリぐらいはマシ……」
「じゃあ途中からアヤと相合い傘だねー」
「それはいいんだ、うん」

でもなんか納得がいかないんだよね、とぶつぶつ言っていた彼女が少し大きめの傘を開く。年相応に無地に見えていた彼女の傘は、内側が薔薇だらけだった。一瞬後悔したが持ち歩くのは彼女だからと己を奮い立たせる。

「行くぞ」

お互いが濡れてしまわないように肩をくっつけて、歩幅を大袈裟なほどに合わせられて一緒に歩く。もっと前にこうしてれば良かったんだ、という考えが頭をよぎったけれども何とも繋がりのない感情で、どうしてそんなことを考えたのだろうと掘り下げようとしてやめた。アヤの傘が目の前でくるくる回る。何故か上機嫌の二人が傘と俺を挟んで楽しげに話している。傘と自分の間の空洞に話し声が反射する。どうしてか満たされた気持ちになって、雨の当たらない僅かな空洞で少し笑った。嘲笑になってなければいいけども。



19.07.07


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