不透明なあたし

こんな世界観が基準になりそうってやつ。







「君が慌てるところって見たことないな」

ぼんやりとテレビを見ながら頬杖を付いて、テレビで見かけるより大分気を抜いているらしい明智が言った。脈絡もない独り言のようなそれに、そうかなと、誤魔化すつもりでカウンター越しに曖昧に返す。

「奇襲されても慌てないし、報道番組を観ても落ち着いているし」
「あとは?」
「はは、有名人に会っても態度が変わらないしね」
「慌てるリーダーなんて格好悪いだろ」
「内心は慌ててるって言うつもりかい?」
「ご想像におまかせ、で」

カラカラと店のドアの鐘が鳴る。惣治郎がスマホを片手に持ったまま、辟易した顔を隠さずにカウンターへと戻ってきた。

「あーやだやだ、面倒な電話が掛かってきやがった……どうしたお前ら、変な顔して」
「変ですか」
「何時もだ、気にするな」
「まあお前はそうだな」

惣治郎の容赦ない言葉に頷いていれば、ははは、と耳触りのいい笑い声を上げた明智がカップをソーサーに戻す。ちらりとスマホで時間を確認し、ご馳走様でしたと笑顔で立ち上がりレジへと足を向ける。惣治郎からの目配せに促され皿を洗っていれば「毎度あり」と気安いマスターの送り出す声が背中から聞こえた。





「クロウは結構隙があるな。激辛たこ焼きとか」

先日のやりとりは昼間のルブランだったからぼやけたものだったが、今はパレスのセーフルームの中だ。カジノというパレスの性質からかルームの中ですら騒がしい喧騒とBGM、目がちらつく内装と落ち着きがない。作戦会議でも声を張らなければ全員に届かない始末で、雑談に至っては席二つ分も離れれば聞き取るのも困難だ。そんな気を抜きにくい空間ではあるけれども敵に襲われることはないので、20分程の休憩を取ると宣言したことでメンバーは思い思いに寛いでいる。
体調の調整のため明智に声を掛けようとして、気力が尽きたと言いつつしゃきりと立つ姿に思わずそう告げる。彼も先日のやりとりの続きだと気付いたらしく、特に訝しむ様子もなく調子を合わせてくれた。成程、これがメディアに受ける所かと内心納得する。

「もしかして気にしてたのかな、この間の話。あまりまとまらないで口に出しちゃったし、後悔してるんだけど……」
「いや、ちょっと嬉しかった」
「真顔で言われてもなぁ」
「笑おうか?」
「遠慮しておくよ」

ラリーのような滑らかなやりとりはなかなかに楽しい。いつまででも問答できそうな会話は物珍しくてもっと続けていたい気持ちもあるが、そういえば目的は別だったんだと思い出して荷物の中から水筒を取り出した。

「コーヒー淹れてきたんだ。疲れてるようだし飲むか」
「お言葉に甘えて貰おうかな。まだ進むつもりなんだろう?」
「頼りにしてる」
「はは。じゃあ、もうひと踏ん張り」

このあたりの敵に有効な攻撃が出来るのは俺と明智だけで、どうしても消耗が激しくなる。今日中にもう少し近辺を調べておきたいのでどうしても彼の力は必要で、ついでに彼の顔を見たらそういえばコーヒーを淹れてきたのだと思い出したのだ。よく店で顔を合わせているからかすぐにコーヒーを連想した。竜司なら迷わず炭酸系を渡して回復を促すところだ。
明智は立ち姿の割に疲れていたのか、店では見ないような粗雑な仕草で水筒を煽る。で、綺麗に吹き出した。

「霧吹き……」
「ッゲホ、え、苦っ……」
「あれを飲ませたのか」

霧状になったコーヒーを目視した祐介がこちらに向かって声を張り上げる。ひとつ頷いて見せれば遠くを見る祐介はこの失敗コーヒーの第一の被害者である。彼は霧吹きと化すついでに、虹を生成することにまで成功していた。

「これ、君が、淹れたの」
「無理するな」
「飲ませたの、君、だよね?」

指摘するような声は尖りに尖っている。噎せるのを意志だけで堪えているらしい。表情すら歪まないように保っているけれども、顎と衣装が悲惨なことになっているせいで台無し感が凄まじい。
ハンカチと飴玉を手渡して謝るが、睨みつける視線は全く緩まなかった。まあ当たり前かとも思う。

「……君、楽しそうな顔してるね」
「ちゃんと回復しただろ?」
「ああ、うん」

飴玉を口に入れて、それすら準備していたものだとはっきり分かっているらしい彼がまだ不満げな顔をしている。それがまた面白くて笑っていれば、「そろそろ20分経つわ」と真が準備を促した。体力回復は済んでいる。気力も一応は落ち着いて、装備も見直したばかりなので問題ない。ひとつひとつ確認を済ませて全員の顔を見渡せば全員が切れかけていた集中を取り戻している。
行くか、と一声掛ければ、前線メンバーが毅然と立ち上がった。明智の服はやはりシミが取れなかったのを見た双葉が吹き出したことで、一瞬で緊張感は緩んでしまったが。





「……僕、君を怒らせるようなことしたかな」
「いや、全然」

淹れたてのコーヒーを前に、きしり、と微かに手袋を軋ませて指を組んだ明智が悲壮な顔をして目を落とす。
今日は異世界に行く予定はないと事前に連絡し終えている。それぞれが自由に過ごしているらしいけれども、仕事もないらしい明智は喫茶店に来て寛いでいた。惣治郎の淹れたコーヒーを楽しんだ彼が飲み干しても店内に留まっていたものだからサービスにもう一杯出したのだが、俺が淹れるのを眺めていたらしい彼は俺の顔色を窺うばかりでカップに手を出さない。心外だ、という気持ちを込めて彼の前で腕を組んで立っていれば、観念したように湯気の立ち上るカップにその指が伸びる。不味いかもしれないコーヒーよりも冷めたコーヒーの不味さの回避を選んだらしい。
舐めるようにコーヒーを口に含んだ彼は霧吹き化することなく、けれども驚いたようにカップの中を凝視している。

「……美味しい」
「自信作だ」
「この間のが嘘みたいだ」
「あれは悪戯だ」
「やっぱり、あれはわざとだったんだね」

苦笑というか、責めるような笑顔で一言添えてからもう一口を口に含む。満足そうな顔でブックエンドに挟まれた本を眺める彼を見届けてから、広げていたフィルターやソーサーを片付けて溜まった食器を洗う。他の客は文庫本に目を落とす若い女性がひとりで、上澄みのような沈黙が喫茶店らしく落ち着いた。

「……そんなに皿を洗うのが好きなの?」
「ん?」
「楽しそうだから」
「あー……」

次の悪戯を考えていたとは答えにくく、マイナスイオン、とだけ返答して誤魔化した。当然疑われる気配を感じだけれども言及はされず、また誰も口を開かない空間が出来上がった。ふと、他に洗う食器はないかと視線を巡らせて、女性客と視線が絡まる。その頬は綻んで笑いを堪えるようなもので、明智とのやり取りの全貌が分からずとも楽しんでいるらしい。しぃ、と人差し指を唇に当てるモーションを見せれば赤面しながらついにくすりと笑う。訝しげな明智が軽く振り向いて周りを窺うけれど、女性は再び文庫本に向き合い俯いているばかりだ。耳はしっかりとこちらに向けられているようだけれども。
ご馳走様でした、と一言だけ声を発して帰った女性客を見送れば、二杯目を飲み終えた明智が続くように席を立つ。

「ご馳走様。長居しちゃったね」
「お粗末様でした」
「客商売なのにそんなこと言っていいのかい?」
「マスターのコーヒーには敵わない」
「ああ、確かに」
「……精進する」

即答にぐぅと唸りそう返せば、明智がからりと笑い店を出る。ひとりと一匹になった店内はそれでも先程よりも騒がしく感じて、どちらが心地いいか判別できないことに苦笑しながら皿を拭いた。





「……これ?」
「それ」
「はははは、本当に君達といると飽きないな、うん」
「ほら」
「……いや、ちゃんと食べるさ。そんなに見なくてもいいんじゃない」

観念したように手袋を外して、絵本に出てくるようなごつごつの、細い月光ニンジンを掴む。几帳面に整った爪が露わになり、言い訳のように「清潔感っていうのはこういう所でも評価されるんだ」と肩をすくめた。仮面の鼻を器用に避けて、手に取る前の躊躇はどこにいるいったのかぱくりと大きく一口。うん、と頷きながらにこやかに咀嚼する。

「あのコーヒーより美味しいね!」
「くっ、そう来たか」
「君わざとだね。確かに気力は復活してきているけど生でニンジン丸かじりとか家以外でしないよね」
「するのか?」
「俺もするぞ」
「フォックスはそうだろうね、似合いそうだし」

ごうごうと音を立てて向こうのホームを電車が過ぎる。現実の駅中にある待合室ならいざ知らず、怪盗服のまま雑談するのは場に合っているようでもあり合っていないような複雑な気持ちにいつもなる。
照明が鮮やかな赤だなんて落ち着かない待合室で、明智はニンジン片手にまたホームへと目を向けていた。椅子には座らないが居心地は悪くなさそうだ。

「ごめんなさい、味の改良は難しくて……でも元気の出る味でしょ?おじ様のお墨付きなのよ」
「うん、少しエグ味があるけど悪くないよ。ただ、丸かじりするしかないのはちょっとなって」
「お、マヨいるか?カラシorワサビ?」
「最初から出して欲しかったなぁ」
「カレーディップもあるぞ」
「なんだ、色々準備してるんじゃないか」

呆れた顔の明智に、喫茶店新作メニューのボツとなったカレーディップを詰めたココットを渡す。俺も俺もと名乗りをあげる竜司には気力充分だろうと焼きそばパンを渡し、気力も体力も充分なはずの祐介にはいつものスナック菓子をとりあえず押し付ける。張り合うように女性陣も杏を筆頭に菓子を広げ始めたので、すっかり薄暗い待合室はアジトと変わらない扱いとなった。
気を抜きすぎるなと苦言するモルガナを抱き上げて足を揉んでやりながら、輪から外れるようにまた隅へと移動していた明智の隣へ向かい壁に凭れる。

「君はいいのかい?僕はこれがあれば充分だし、お気遣いなく」
「美味いか?」
「え、ああ、美味しいよ。これ喫茶店の?」
「二日目のカレーを使ってるんだ、不味いわけはない」
「ははは、すごい自信だ」
「惣治郎の味付けだからな」
「まだ根に持ってるのかい?」

ふは、と笑い口元に手をやる明智に、「ニンジンを差し出した時の顔は見物だった」と言ってやればまた耳障りのいい笑い声が上がる。が、いつも以上に圧のある笑顔にとりあえず杏から貰っていた飴を渡した。腕の中でモルガナが「なんだよこの緊迫感……」と呟いたので同意のため頷いたらもうあからさまに睨まれた。

共に過ごす時間が増えたからか、明智は慌てるとは言えないまでも隙のある表情が増えたように思える。それだけお前がからかってるんだろう、と竜司なら言いそうだ。その通りなので反論は出来ないしする気もない。
明智の裏をかくための作戦に支障が出るのではないか、と数人に止められたことだけれども、ここ一週間ほど進んで彼との接触を増やした。粗を探すためではない。単純に色んな表情を見たいと思って、その機会が共闘という思わぬ形で転がり込んできたものだから後悔のないように好き勝手にさせてもらっている。
どうして、と春に問われて、明確には答えられなかったが間違っているとも思わなかった。自分を殺すつもりの人間と親しくなろうとするなんて正しくもないだろうと思う。けれども一概に悪いことだとも決めつけたくはなくて、彼が善人の皮を被った悪人だと決めつけたくなくて、ルブランでよく飲んでいるコーヒーがただ偵察のためだと断定したくなくて、そんなものも言い訳で、ただただ彼のことが知りたくて。
隙のないようである彼をからかうのが楽しくて、不味いと分かっているものを差し出したりして。
作戦まではもう一週間もない。あと数日で、彼の何が知れるのだろう。何を理解できるのだろう、どんな顔を見れるのだろう、俺はどんな答えを出すのだろう。そんな答えのない疑問を抱きながら、次に何を食べさせてやろうかなんて考えを変わらず巡らせた。

「はぁー、休憩が終わったらまた線路を走りまくるのか。ジョーカー、もう少し足揉んでくれ」
「本当にお疲れ様、ニンジンいるかい?」
「いや押し付けてんじゃねぇよ!いらねーし!」
「クロウ、体力も充分じゃなかっただろ。はいこれ」
「……いや、遠慮しておくよ」
「カレーだぞ」
「いや具にイチゴは要らないかな」
「いやいや、カレーって大体美味しいはずだろ。なんだよこの甘ったるい異臭……」

そうか、見た目から危ないやつは食べさせるのが難しそうか、と考えながらイチゴカレー缶を仕舞っていれば、もの言いたげな視線が二組向けられたので笑っておいた。二組ともが複雑そうな顔をしたので、非常時にだけ使おうと宣言したらモルガナに爪を立てられた。だが食わせる。







―――

アイツのコーヒーの匂いだ。
ふと、意識が浮上してそう思う。
時折異世界で飲まされたそれは、味は嫌がらせとしか思えないほど苦いけれど香りだけは好ましかった。
ソーサーから立ち上る湯気、曇る眼鏡、煩わしそうに顰める顔を芋づる式に思い出す。味はともかく手つきばかり無駄がなく綺麗で、ブックエンドの背表紙を眺める振りをして目の端でよく捉えていた。
身に染みつかせたコーヒーの匂いは住処が喫茶店だからだと分かったのは下調べの最中だったか。現代人の住む環境じゃないだろうと嘲笑したけれど、ほんの少し羨ましくも思った。
梳かしても櫛の通らなそうなもしゃもしゃの髪は野良猫っぽくて、彼の飼い猫の方が身綺麗に見えて。いつも仏頂面で冗談をかましたりニンジンを齧れと真面目に要求してきたりするし、賄い、なんて適当なことを言いながらたこ焼きを差し出してきて俺の反応を見たりするし。怪盗なんて巫山戯たもののリーダーは、確かにろくな男じゃなかった。
いつでも余裕綽々といった殴りたくなる顔、帰る頃には薄まるコーヒーの香り、止まない談笑の声、カジノくらいで興奮する面々。走馬灯を観るにしては少し時間が遅すぎるんじゃないかと思って、どうして意識が保てているのかという疑問が湧き出る。すぐに沈む。だが違和感は喉の奥に残り続けて主張する。
違和感、なんだったろうか、そうだ俺は死んだんだ。
保っていた意識が揺らぐ。
悲痛そのものといったアイツの顔。半べソをかいた戦闘員と思えないメンバー、愛想笑いを貼り付け慣れた認知の僕の顔、銃口。そうだ、死んだはずだ。相打ちにしてやった認知の俺と共々海に捨てられた。泳ぐ体力も足掻く気力もなく沈んで、そのまま死んだと思った。冷たい水を飲んでからの記憶はない。
それがどうしてものを考えられているのか、今から最後の審判でもされるのだろうか。

四肢が揺れる。水の中みたいだ。
勝手に波に揺らいでいた手が掴まれる。水中なのに、コーヒーの匂いが強くなる。痛い、寒い、なんだよ、沈ませといてくれよ。全てが煩わしい。逃げるためにも目を開ける。やはり水の中だった。目の前には水中で尚更絡まりそうなもしゃもしゃ頭、仮面がなくて良く見えるアイツの焦りまくった顔。視線が絡んだ瞬間、それはさらに歪んで心情が荒れているのを吐露させている。
掴まれた手が引かれる。水面だろうか、明るい方へと強制的に運ばれるのに抵抗できず、息苦しさを思い出していればざばりと水面を割って空気のある空間に頭までたどり着く。息をする。生きている。コーヒーの香りがすぐそばからする。

「なんだお前、慌ててる顔ブッサイクだな」
「……そうか」

そうかってなんだよ、と言う前に、背中と膝裏に手を回され抱き上げられる。拒否する体力も暇もなく走り出した振動に呻けば、焦るナビの声が刺さるように聞こえた。彼女は端的に状況解析をしながら、感情的に何か叫んでいる。煩いと思うけれども口を開く気力はない。触れているジョーカーの体は熱い。衣装でいくつも隔たれているくせ、水を伝ってその体温が冷えた体に染み入って不快だ。自分が冷たいのだとよく分かる。介抱されなければ身動きもろくにできないのだとひしひしと伝えてくるのが不快だ。意識もなくただ揺られているうちはこんなことを考えもしなかったのに。全てがどうでもよくて、ようやく楽な気持ちになれていたのに。
飛び込め、とナビの声が聞こえる。守ると言わんばかりに頭が彼に抱え込まれた。温かく、緊張しているような鼓動がほとんど直に伝わる。すぐに伝わる衝撃と水の冷たさと、つなぎとめられた意識がもうここでは死ねないのだという結論を下した。悪くない、なんて思ってしまうのだから情けない。情けないけれども縋るのは心地よかった。



17.12.25


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