柔らかく華と逝け | ナノ


自分でいうのも悲しいことであるが、母からおおよそ愛というものを感じたことはなかった。
愛とは何か。
わからず育った私に愛を語る資格なんてないし、これからも語ることはない。
でも愛を想像することは許してほしい。

愛、というものにはいくつか形がある。
友愛だったり、親愛だったり…あげはじめればきりがないが私には多くの愛がかけていた。
今なら気付ける当時の使用人たちの優しさ。
周りの大人の声。

勿論、哀れむ囁きが多かったがお世辞でかけられる言葉は本当に嬉しかった。


私は、寂しい人間なのだ。

今だって主がいなくなれば部屋には一人。
一人は、寂しい。

慧は温かな布団の中、まどろみに目を綴じた。



「主、」

「どうした?」

寝言で無意識に呟く言葉に返事が返ってきたことに慧は素早く反応して飛び起きた。

「……ど、どうして。」

「意外とはやく終わったんでな。しっかし、よく寝てたなぁ。」

慧は衝撃に頭が回らない。自分がいつ眠ったかすら覚えていなかった。そんなに疲れることをしただろうか…。

「あ、終わったとは?」

慧は癖のある髪を撫でながら尋ねた。
原田は自らの布団をひきながら答えた。

「何人かとりのがしたが…一応、な。」

「とりのがした?珍しい。」

「………誰にも言うなよ。」

布団にぼすん、と座りながら彼は真剣な表情をしてみせた。慧もきゅ、と顔を引き締めることで肯定を示した。

「……千鶴に、よく似た奴を見たんだ。」

「雪村さん?」

「…あぁ。お前、千鶴がどうしてたか知ってるか?」

「…すみません、ぐっすり眠りこんでおりました。」

「…そうだったな。」

原田は気がぬけたように微笑んでみせた。

「千鶴によく似たそいつがよ、捕まえかけた何人か逃がしちまってよ。まあ、過ぎたことだ。」

「……しかし、穏やかではないですね。」

「………あぁ。」

口にはださないが目の前の彼はもし雪村さんがその犯人だった場合を想像してしまったのだろう。

「その者の顔は見たのですか?」

「あぁ。だが…暗闇だったからなぁ。やっぱり、お前を置いて行くべきじゃなかった。」

「それこそ過ぎたことです。…しかし、これで制札の件は暫く落ち着くでしょう。」

「そうだな。土方さんには報告したし、寝るか。」

慧はいそいそとまださめない布団に潜り込んだ。


「主、今日はご苦労様でした。ゆっくりお休みくださいませ。」

「ありがとな。」


慧はあえて先に眠ることを選んだ。このまま起きていたところで話に新たな進展が生まれるとは思わなかったのだ。
そして、慧にはやはり気にしてやまないことがあるのだ。
椿の思い出すだのなんだという話だ。真面目な真が彼女の言葉に口を挟むくらいなのだからそれくらい私に聞かせたくない言葉なのだ、と慧は考える。
それとも志乃にきつく口止めされているか…。
志乃は立場的にも頭はきれるし情勢も見極められる優秀な頭とあれでも剣の力を持っている。
真が従うのは当然かもしれない。いや、私が言えというなら話すだろうが……。
しかし、そんな強要は彼にはしたくない。
それは過去の過ちからくる罪悪感なのだろう。

しかし、誰かに話を聞く必要があるらしい。


慧は目を綴じた。
視界には闇が広がった。







時は過ぎ、慶応二年十月。
少しばかり肌寒い季節になり、町も比例するように暖かな色に変わる。雪はまだだ。
そんな中、私たちが来ていたのは遊郭。先月のあの制札の事件で、浪士らを捕らえたことから主に報奨金が出たのだ。そしてその使い道がこの遊郭。一般目線からして我が主ながら情けない気もするが…しかし、新選組にはこんな感じがいいのかもしれない。遊郭好きもいるようだし……。
今回は雪村さんも来ているのだが、普通は女性が入ることのないこの地に戸惑っている様子。
まあ、仕方ないのだろう。


慧はこれから暫く続くだろう宴の始まりまでの間に風に当たろうと一言告げ、外に出た。
料理もまだだし、外を見るくらい罰は当たるまい。


「………、」


風には色々な臭いが運ばれてくる。
慧は刀の錆びた臭いや染み付いた血の臭いを敏感に感じとった。
職業病だ、と慧はやはり一人言葉をこぼす自分に寂しくなった。



120329
久しぶりです