柔らかく華と逝け | ナノ




「じゃあ主、おやすみなさい。」

「ああ、おやすみ。」


そう言うと彼は狐に戻った私を布団に招き入れてくれる。彼のお腹の上で丸くなるとぬくぬくとしていて落ち着く。私は慣れた温もりに落ち着き、瞼を綴じた。




***




こんなものに頼らないと、私の腕は治らないんですよ!


頭に響いたその声にぱちりと目を覚ました。

もぞもぞと動くと上から布団がどけられ、眠そうな主が顔を覗かせる。


「……主、すぐに着替えてください。」


真剣な私の表情に彼は自分の寝巻に手をかける。私は後ろを向き目をつむる。あれは、山南さんの声。耳を澄ませると会話が聞こえる……。

それと同時に、何故か雪村さんの声がする。




――剣客として死に、ただ生きた屍になれと言うのであれば…人としても、死なせてください。



「慧、」

主のほうを向き状況を説明しようとすると同時に声がした。




誰か、誰かいませんか!!!!




それは、雪村さんの声。


「主、広間です!」

「ああ!」

主は傍にあった槍を掴むと私の前を走り出した。走り出すと目の前には永倉さん。

「左之に慧…!」

「新八……事情はわからないがとりあえず広間に行くぞ。」

「ああ。」


また走り出し出し、広間についたときには倒れる山南さんと雪村さんを後ろにかばう沖田さん。それから他の幹部の面々。


「………これは、」

「山南さんが薬に手を出したんですよ。」

土方さんは悔しそうに唇を噛んでいた。周りもそう。私だって、そうだ。多分、苦しんで悩んで…山南さんにだって苦渋の決断だっただろう。だが決め手は伊東さん。なんてことだろう。伊東さん、彼は一人の人間を殺したのだ。自分が気付かない間に。自分が、知らない間に。


「……雪村さん。」

ぼーっと放心状態の彼女に声をかける。

「だめだな、こりゃ。」


主人がため息を吐きながら言った。

「……。」

「僕が連れて行くよ。」

沖田さんは今にも気絶しそうな、起きているけど意識がない。そんな彼女を抱き上げると広間を出ようとする。

「総司、」

「なんです?」

そんな土方さんは彼に声をかけ、短く話を聞いとけ、と言った。彼ははいはい、と返事をしながら歩いて行った。


「……とりあえず山南さん、運ぶか。」

土方さんはやるせない声で言った。もしかしたら表に出さないだけで何もできなかった自分を悔やんでいるのかもしれない。

私は倒れている彼を肩に担ぎ上げる。ふと下を見ると赤い液体がついた硝子。

「……………。」

私が目を細めて踏むとそれは簡単にばきりと割れた。

「慧、足怪我するぞ…?」

永倉さんは心配そうに言った。

「平気です。」

私は肩に担いだ彼を支えると彼の部屋へ行く。彼の部屋は知らない間に薬品の研究に没頭していたらしく、部屋は資料と赤い液体でいっぱいだった。




***




そして夜が明け、広間には幹部と雪村さんが集合した。ただただ沈黙が続く中、それを破ったのは井上さんの登場だった。


「……峠は越えたようだよ。」

彼は穏やかに微笑みながら言った。それに周りも空気が緩む。

「今はまだ寝てる。……静かなもんだ。」

そんな井上さんに永倉さんが誰もが思っている疑問をぶつける。


「山南さん、狂っちまってるのかい?」

井上さんは首を振った。

「……確かなことは起きるまでわからんな。見た目には、昨日までと変わらないんだが。」


そのとき不意に戸が開く。


「おはようございます、皆さん。」

それは、伊東参謀。周りは嫌そうな顔をする。私は基本的に目した見えないので特に。まあ、布の下も無表情ではあるが。



「あら、顔色が優れませんのね。……昨晩の騒ぎと何か関係がありまして?」

なんて的確な質問だ。


「あー、いや、その、だな……」


切り出した近藤さんは救援を求めて私たちを見た。

「よし!……ごまかせ、左之!」

「あ?俺か?実は昨日――」

「主が言うのでしたら私が―――」

この方は正直な方だから。私が伊東さんを見ると同時に珍しく苦笑いを浮かべた沖田さんが言った。

「大根役者はでしゃばらないでくれるかな。そういうことは、説明の上手な人に任せましょうね―」


彼の視線を受けて斎藤さんが浅く頷く。

「……伊東参謀がお察しの通り、昨晩、屯所内にて事件が発生しました。」

状況はあまり良くない、と彼は告げた。斎藤さんは流石と言うべきか、明かせる情報のみをすらすらと話していく。

「参謀のお心に負荷をかけてしまう結果は、我々も望むところではありません。」


だからまだ詳細は話すことができない、と彼は頭を下げた。


「今晩にでも改めた場を設け、お伝えさせて頂きたく存じます。」

「まあ……。」

伊東さんは目を細めた後、広間を見回して柔らかに笑んだ。

「事情はわかりましてよ。今晩のお呼ばれ、心待ちにしておりますわ。」

伊東さんは物分かりよくいそいそと広間から出て行った。


「なんだか見逃してもらえたみたいだけど……、もしかして斎藤君の対応が気に入ったのかな。」

「え…?」

沖田さんに雪村さんは小さな疑問符をつけて声を上げた。見逃してもらえた、に疑問を抱いているようだ。


「幹部が勢揃いしてる場に、山南さんだけいねえんだぞ?あの人絡みで何か起きたってことくらい、伊東ならすぐに看破できんだろうが。」

「あ………」


苦い顔をしながらも土方さんは呟くように解説した。

そんなとき足音がし、それは広間で止まると扉を開けた。

「山南さん!……起きてていいのかい?」

心配するのも無理はない。随分顔色もよくないし、足場も覚束ない様子だ。

「少し、気だるいようですね。これも薬の副作用でしょう。」

どうやら身体が重いらしく、起きているのも少し辛いらしい。


「……あの薬を飲んでしまうと、日中の活動が困難になりますから。」


彼は微笑みながら言った。


「私は、もう、人間ではありません。」


まるで事実を強調するようだ。

「だが、君が生きていてくれて良かった。俺たちは、それで充分だとも……!」

近藤さんは目を潤ませるが、周りは彼を案じるからこそ素直には喜べないのだ。そう、彼は人間ではない。羅刹。私にはその事実だけでよかった。


「……それで、腕は治ったんですか?」

「まだ本調子ではありませんから、自分でもよくわからないのですが……治っているようですね。少なくとも、不便がない程度には。」

沖田さんからの皆が気になっている質問に彼は動かなかった腕を動かしながら言った。

これが、薬の力か。


そんなとき主が落ち着いた口調で言った。

「……今の山南さんは、昼間に弱いんだろ?そんな状態で隊務に参加できんのか?」

昼間の仕事は確かに羅刹には困難だ。すると山南さんはけろりと事もなげに言う。


「私は死んだことにすればいい。」


彼は言った。薬の成功例として、新撰組を束ねると。

「なっ……、それ本気か!?自分が何言ってるのかわかってんのか!?」

「わかっていますとも。永倉君こそ忘れたのですか?我々は薬の存在を伏せるよう、幕府から命じられているのですよ?」

山南さんの反論に永倉さんは口をつぐんだ。

「……私さえ死んだことにすれば、今までのように薬の存在は隠し通せる。」

それと、と山南さんは続ける。


「薬から副作用が消えるのであれば、それを使わない手は無いでしょう?」

多分、誰もが彼を止めたかっただろう。

「そもそも薬の実験は、幕府からのお達しでもあるしな……」

理論的には、誰も否定はできない。雪村綱道がここに来たときもそうだったが、こんな薬を使うなど……人間は、愚かだ。


あの薬は危険だ。だからと言ったって副作用が消えれば使える、私はそうは思えなかった。

「………それしかない、か。」

だが局長の許可がおりてしまう。私が意見を言わないのは、これが人間の問題だからだ。人間の社会にいながら無責任かもしれないが……。だが私、この薬は何があっても飲まない。飲んで、たまるか…………。


「屯所移転の話、冗談では済まされなくなったな…。」

ずっと喋らなかった土方さんが呟く。

「山南さんを伊東派の目から隠すには、広い屯所が必要だ。今のままでは狭過ぎる。」

斎藤さんも深く頷く。


「薬による増強計画を立てるのであれば、尚のこと移転を急ぐべきかと思います。」


そこからは移転への候補地が上がる。そんな中では雪村さんが入る隙間はなく彼女はただ聞いていた。寂しそうに……。

「………雪村さん、出ましょうか。」

「!慧、さん。」




彼女は頷いた。




***





「もう少し、皆さんも気を使ってあげられればいいんですが……このような状態ですので。」

「はい。私も、わかってます。……あの、」


「?」

無表情で首を傾げる慧に千鶴は少し微笑んだ。

「慧さんは、いつから原田さんと一緒にいるんですか?」

「……私、ですか。」

私は頭の後ろで縛っていた紐を解くと頭を振り、顔の半分を隠していた布をしまった。空を見ると雀の群れが飛んでいた。

「若い女の子が聞いても楽しくないですよ。」

「それでも…一度聞いてしまうと気になります。」

私は少し微笑むと過去を思い出した。






110109


さあ、過去です。