柔らかく華と逝け | ナノ




先日の長州の過激派浪士たちが御所に討ち入った事件は、後に禁門の変と呼ばれるようになる。新選組の動きは後手に回り、残念ながら活躍らしい活躍もできなかった。味方同士の間で情報の伝達が上手くいかず、無駄に時間を浪費してしまったのだ。だが、戦場で不思議な出会いもあった。


池田屋で沖田さんを倒した、風間千景。池田屋で平助の額を割った、天霧九寿。彼ら二人は薩摩藩に所属しているらしい。

そして、長州浪士たちと共に戦っていた、不知火匡という人物。

彼らは決して新選組の味方ではなく、むしろ強大な敵と言える存在なのだ。敵対関係にならないことが一番だがそうもいかないだろう。

そしてこの禁門の変の結末。長州の指導者たちは戦死し、また、自ら腹を切って息絶えた。だが、中には逃げ延びた者もいる。彼らは逃げながらも京の都に火を放ったのだ。運悪く北から吹いていた風は御所の南方を焼け野原に変えてしまう。この騒ぎが原因で、尊王攘夷の国事犯たちが一斉に処刑されたとも聞く。そして…。京から離れることを許された新選組は、大阪から兵庫にかけてを警衛した。乱暴を働く浪士たちを取り締まり、周辺に住まう人々の生活を守ったのだ。

この禁門の変の後。長州藩は御所に向けて発砲したことを理由に、朝廷に歯向かう逆賊として扱われていく。この事件がきっかけとなり、長州藩は朝敵とされたのだ。



こうして、この事件は幕を下ろす。




***




そうして時は元治二年二月、ある日の朝食後。広間に集まる私たちに雪村さんがお茶を運ぶ。この作業も今となっては見慣れたものだ。

彼女がここに来てもう一年。

随分早いものだと私だけの温いお茶を手にとる。

そんなとき、土方さんがぽつりと呟いた。

「八木さんたちにも世話になったが、この屯所もそろそろ手狭になってきたか。」

それに賛同するように永倉さんがしみじみと言う。

「まあ、確かに狭くなったなあ。隊士の数も増えてきたし……」


「隊士さんの数は……、多分、まだまだ増えますよね。」

雪村さんがそう言うのも妥当だろう。現に今は平助が江戸まで新隊士募集に行っている。隊士が増えるのは喜ばしいが流石に部屋の広さには限りがある。
小部屋を集団で使う平隊士の面子が可哀相だ。


「広い所に移れるなら、そろがいいんだけどな。雑魚寝してる連中、かなり辛そうだしな。」


平隊士の皆は毎晩すし詰め状態での雑魚寝を強いられている。主と二人で少し広いくらいの部屋に何人も入るのだ。大層辛いことだろう。


「だけど僕たち新選組を受け入れてくれる場所なんて、何か心当たりでもあるんですか?」

軽い口調で沖田さんが尋ねると、土方さんは薄く笑って返答した。


「西本願寺。」


それを聞いた彼は楽しげに笑った。

「あははは!それ、絶対嫌がられるじゃないですか。……反対も強引に押し切るつもりなら、それはそれで土方さんらしいですけど?」

「えっと……」

戸惑う雪村さん。いくら一年も居るからと言ったって彼女の場合はまだあまり京の地理を知らないのだ。


「確かにあの寺なら充分広いな。……ま、坊主どもは嫌がるだろうが。それに西本願寺からなら、いざと言うときにも動きやすいだろ。」

主人の言葉には皆納得した様子だ。屯所がある壬生は京の外れ。市中を巡察するには少し不便な場所なのだ。


「……そんなに、嫌がられそうなんですか?」

おずおずした雪村さんに斎藤さんはいつもの調子で答える。


「西本願寺は長州に協力的だ。何度か浪士を匿っていたこともある。」

「あ……」

雪村さんが納得し、次にはもやもやと後味の悪そうな顔をした。


「……向こうの同意を得るのは、決して容易なことではないだろう。」


「つまり、我々が移転すれば長州は身を隠す場を一つ失う、ということです。」


続くように言うと雪村さんは目を見開いた。そんなとき山南さんが口を開いた。


「僧侶の動きを武力で押さえつけるなど、見苦しいとは思いませんか?」

たしなめるように言う彼だが苛立ちが隠しきれていない。対して土方さんは宥めるように言った。

「寺と坊さんを隠れみのにして、今まで好き勝手してきたのは長州だろ?」

「……過激な浪士を押さえる必要がある、と言う点に関しては同意しますが、」

山南さんはまだ不服そうだ。だが納得はしているらしい。なんだかここまでくると会議のようだ。と、いうか穏やかな会議だ。

「トシの意見はもっともだが、山南君の考えも一理あるなあ。」


そこで漸く話を聞いていた近藤さんが口を開いた。彼はうんうんと感心したように何度も頷いていた。


「さすがは近藤局長ですねえ。敵方まで配慮なさるなど懐が深い。」

「む?そう言われるのはありがたいが、俺など浅慮もいいところですよ。」

持ち上げられた近藤さんは素直に照れて頬をかく。そんな様子を見た土方さんと沖田さんは、それぞれに顔をしかめていた。

この人物。伊東申子太郎参謀は新たに新選組に入隊した大幹部の人間だ。江戸に平助を残し、一足早く帰って来た近藤さんは、伊東さんたち新隊士たちを連れて来たのだ。聞いた話では伊東さんは平助とも親交のある北辰一刀流剣術道場の先生らしい。伊東さんを紹介されて良い顔をする人物はいなかった。伊東さんの紹介が終わるとその場を去った二人だがその場に残った幹部の面子は思い思いの言葉を口にしていたのはまだ記憶に新しい。

まず、伊東さんは尊王攘夷派の人間なのだ。簡単に言えば長州の人間と同じ考え、ということ。確かに口にしたくもなるだろう。だが土方さん曰くこの二人は攘夷、という面で合意したんだろうということ。

佐幕攘夷派の近藤さんと尊王攘夷派の伊東さん。外国勢力を打ち払いたいと言うのは確かに二人共同じ考えなのかもしれない。


そして、そんな中山南さんがふと口にした言葉がある。


――秀でた参謀の加入で、ついに総長はお役御免と言うわけですね。




参謀は総長より上の立場だ。何故近藤さんがこのような時期に伊東さんを入れたのか、ましてや参謀などという各なのか、私にはよくわからなかった。


主も伊東さんを快く思ってはいないらしく眉間にシワを寄せていた。

確かに彼は癖のある人物。そして自他共にわかるほど私に気にかける。何故かはわからないが気にいられたらしい。因みに私にはどこにそのような要素があったのかはわかっていない。と、いうか…男色?衆道?人の性癖も感情も否定するつもりはないが私にだけは向けないでほしい。


「山南さんは相変わらず、大変に考えの深い方ですわねぇ。」


伊東さん、彼は頷きながらさらに言葉を続ける。


「まあ左腕は使い物にならないそうですが、それも些細な問題ではないかしら?」


彼の発言に場の雰囲気は一変する。



「剣客としては生きていけずとも、お気になさることはありませんわ。山南さんはその才覚と深慮で、新選組と私を十分に助けてくれそうですもの。」


彼の言葉は、心をえぐるものだ。山南さんは何も言わずに押し黙っていた。彼が腕の怪我にどれだけ苦しんでいるか、それを知っている皆は一挙に殺気立った。かく言う私も眉間にシワを寄せ、彼を見た。


「伊東さん、今のはどういう意味だ。」

土方さんの口調は強く、詰問に近いものだ。

「あんたの言うように、山南さんは優秀な論客だ。……けどな。山南さんは剣客としても、この新選組に必要な人間なんだよ!」

土方さんは声を荒げて言った。山南さんは新選組に必要な存在。彼はそれを心の底から信じているのだ。


「ですが、私の腕は……」


山南さんはますます暗い顔をした。刀を握ることが不可能な彼は剣客としての自分を求められても応えられないのだ。


「あら、私としたことが失礼致しました。その腕が治るのであれば何よりですわ。」

伊東さんは目を瞬いた後、にっこりと微笑んで謝罪した。山南さんは再び黙りこくる。

「……くそっ」

土方さんは小声で悪態を吐き、いまいましそうに顔を歪めた。自分の犯した失敗に気付いたのだろう。


「あー、えー、伊東さん。」


張り詰めた空気に視線を泳がせながら、場を収めようと近藤さんは言葉を選んだ。


「……も、もし良ければ隊士たちの稽古でも見学に行きませんかね?」

近藤さんの言葉に伊東さんは目を細めながら言った。


「まあ……。素直なお誘いですねぇ。是非ご一緒させて頂きますわ!男たちの汗臭さへ浸りにいくのも、実に愉快なことじゃございませんか!」


「汗臭さですか?……確かに道場は、熱気がこもってるかもしれませんなあ。」


ああ、なんて不愉快な人間なんだ。彼ら二人は談笑しながら立ち上がる。そのとき伊東さんが私を見る。


「よければ貴方もどう?」


それは明らかに私に向けられた言葉だ。

「……この後用事がありますので。お誘い、感謝致します。」


伊東さんは私の対応に満足したように微笑み、部屋を後にした。


彼が部屋を後にすると私に向いていた視線は自然と山南さんに移る。


「山南さん。……あんな奴の言うことなんざ、気にする必要ねぇからな。」


永倉さんの言葉には何も言わず、彼はふらりと部屋を出て行った。


「……山南さんも可哀想だよな。最近は隊士連中からも避けられてる。」

「え……!?」

一番驚いたのは雪村さんだった。

「避けられてるなんて、初耳です……。」

「誰に対しても、あの調子だからなぁ。隊士も怯えちまって近寄りたがらねぇんだ。」


永倉さんが言う。


「昔は、ああじゃなかったんだけどな。表面的には親切で面倒見が良かったし。」


「だな。あんなに優しかった外面が、今は見る影もねぇや……。」


確かに試衛館時代の彼は優しかった。外面は。


「なんだか、怖い話してません……?」


彼女は気になったのか問い掛けた。だがその問い掛けに応える人物はおらず、沖田さんが違う言葉を紡ぐ。

「……近藤さんもなんだって、あんなのが気に入ったんですかね。」

沖田さんと土方さんは不機嫌がまる見えだ。


「……んなこと俺が知るかよ。どうせ口先三寸で丸め込まれたんだろ。」

「じゃあ土方さんが返品してきてくださいよ。新選組にこんなの要りません―、って。」


沖田さんに土方さんは深いため息を吐いた。


「近藤さんが許可するわけねえだろ。すっかり伊東に心酔してるみてえだしな。」

それに、と土方さんは言葉を足す。


「伊東と一緒に加入した連中も、そんな扱いされちゃ黙ってねえだろ。」

「無理矢理武力で収めたらどうです?所詮は平隊士ですよ。」

「…お前、過激なこと言うなよ。」


素直に言葉を吐くと隣にいた主にため息をつかれた。人間とは難しい生き物だ。まあ、確かに伊東をしたっている門下生たちを引き連れて新選組に入ったのはこういう状況にならないためある意味彼の作成なのかもしれないな。


「役に立たない人だなあ!無茶を通すのが鬼副長の仕事でしょうに。」

「だったら総司、てめえが副長やれ。んで、伊東派の連中を屯所から追い出せ。」

「あはは。嫌ですよ、そんな面倒臭いの。」


沖田さんはけらけらと明るく笑って、はあ、とため息を吐いた。

その様子を見てもう冷たくなった茶を飲む。向こうでは斎藤さんと雪村さんが喋り、前では土方さんと沖田さんが疲れた顔をする。主も永倉さんも何かを思案している顔だ。


私はまた冷めきったお茶を音を立てて飲んだ。




110107


ああ、長い…。疲れた。