失った真夜中の秩序 「こんばんは、斎藤様。」 闇夜に紛れ、現れた彼は私に微笑みかけた。 「久しぶりだな。」 「ええ、お会いしたかったです。」 私は綺麗な町の女性の姿で笑った。 逢い引きである。 嘘。 任務である。間者として伊東について行った彼と新選組の橋。 「私、今日もまた便りを書き留めて参りましたの。恥ずかしいのでまたお帰りになってから読んでくださいね。」 「ありがとう。俺からも、あんたに…。」 彼は私にも同じ物を渡した。私たちはお互いにそれを懐にしまった。 彼について来ているのは…二人。一応"元"新選組なんだ。疑うか。 「斎藤様、今日は…」 闇夜に紛れ、私たちは話し出す。逢い引きに見せるための会話。 作り上げた設定に基づき、私は巧妙に話を広げ彼の言葉を誘う。 そう、忍って普通はこの仕事が当たり前のはずなんだが………。 * * * 「また、今日も来たのか。しかも…ご丁寧に人間の姿で。」 彼女はやはり夜はあまり眠らないらしい。やっかいな体質だな。 「………、」 私は無言でまた姿だけ調理した肉を差し出した。私は、刹の食料補充係じゃないんだが……。肉にがっつく彼女をちらりと見た。 「お前、こんな夜中にどこに行っていたんだ?」 「逢い引き。」 「は?」 「冗談です。」 彼女はまたか、と私の言葉に呆れたようだ。冗談じゃないのだが…。斎藤さんの匂いは細心の注意を払いながら落とした。彼女にばれると厄介なことになりそうだし。せっかくの気遣いが台なしになる。 「…慧、たまには原田といなくていいのか?」 「よくない。……、仕方ないじゃないですか。私はお人よしなんですよ。」 彼女は串を下ろすと月を見た。 「嘘つけ。」 「お人よしですよ。貴方を助けてるんですから。主より優先してね。」 彼女は照れたような仕種で私から顔をそらした。やはり、女だな。顔の形、隠してはいる体も。人間になりきれなかった、哀れな女。同情か、ただのお人よしか。 「慧、改めて…ありがとう。」 「……いいえ。」 やはり、私は笑うしかない。彼女に、隠し事はない。なのに、私には……。 「戻ります。…また、明日。」 「ああ、ありがとう。おやすみ。」 彼女に頷くと私は静かに自室まで戻った。ぱたりと主を起こさないように閉めた扉が音をたててしまった。 手が、震えてる…。 「慧、」 寝起きの掠れた声で呼ばれ、私は冷静を装い彼を見た。 「起こしてしまいましたね。」 「いや。…………慧?」 彼に手を握られた。無骨なたくましい手。いずれは大切な人を守り、その人を抱き寄せるための腕。 「主…。」 「慧、震え…て、」 ぼたりと音をたてて涙が畳みに落ちた。彼の手を頬に当てた。 「…慧、」 「泣き虫は、昔に…治ったはずなんです。」 鼻を啜りながら言う姿は実に滑稽だ。目の前の彼は私のために布団から体を出した。 「…もっと、いっぱい泣いて成長するべきだったな、慧は。」 「………、」 私は頭を振った。いつの間にか肩辺りまで伸びた髪が私の顔を隠した。 「私…、私。……彼女は!隠し事なんて、ないん…です。」 語尾が、消える。 「私は、彼女に隠し事ばかり。平等でありたいと願うのに、同じでは…いられない…。」 悲しいんじゃない。寂しい。寂しくて、悔しい。 「私…、だから彼女に同情するしかできない…。主…私、人を騙して生きてるんです。…過去。払拭したいほどに汚らわしい過去。」 主、私は………。 「慧、」 「………。」 「寝るか。」 ああ、なんて優しい人…。 だから、こんなにも人間を騙すことが辛い。 辛くなる…。 言いたい。言って、私を叱って!私が立ち直れなくなるくらい徹底的に罵って! でも…やはり、怖い。 「………慧、」 彼が私を呼ぶ。涙を拭われる。 「…私、こんなにも貴方が好きなのに。悔しい。話せない自分が…悲しい。」 埋められないこの距離が、寂しい。 0911 ………。なんなんですかね。柔華を頑張ってあげねばね、慧さん…。 雪子 - 56 -
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