空を見上げた1 | ナノ
失った真夜中の秩序

「こんばんは、斎藤様。」

闇夜に紛れ、現れた彼は私に微笑みかけた。

「久しぶりだな。」

「ええ、お会いしたかったです。」

私は綺麗な町の女性の姿で笑った。

逢い引きである。

嘘。

任務である。間者として伊東について行った彼と新選組の橋。


「私、今日もまた便りを書き留めて参りましたの。恥ずかしいのでまたお帰りになってから読んでくださいね。」

「ありがとう。俺からも、あんたに…。」

彼は私にも同じ物を渡した。私たちはお互いにそれを懐にしまった。

彼について来ているのは…二人。一応"元"新選組なんだ。疑うか。

「斎藤様、今日は…」

闇夜に紛れ、私たちは話し出す。逢い引きに見せるための会話。

作り上げた設定に基づき、私は巧妙に話を広げ彼の言葉を誘う。


そう、忍って普通はこの仕事が当たり前のはずなんだが………。



* * *



「また、今日も来たのか。しかも…ご丁寧に人間の姿で。」

彼女はやはり夜はあまり眠らないらしい。やっかいな体質だな。


「………、」

私は無言でまた姿だけ調理した肉を差し出した。私は、刹の食料補充係じゃないんだが……。肉にがっつく彼女をちらりと見た。

「お前、こんな夜中にどこに行っていたんだ?」

「逢い引き。」

「は?」

「冗談です。」

彼女はまたか、と私の言葉に呆れたようだ。冗談じゃないのだが…。斎藤さんの匂いは細心の注意を払いながら落とした。彼女にばれると厄介なことになりそうだし。せっかくの気遣いが台なしになる。


「…慧、たまには原田といなくていいのか?」

「よくない。……、仕方ないじゃないですか。私はお人よしなんですよ。」

彼女は串を下ろすと月を見た。


「嘘つけ。」

「お人よしですよ。貴方を助けてるんですから。主より優先してね。」

彼女は照れたような仕種で私から顔をそらした。やはり、女だな。顔の形、隠してはいる体も。人間になりきれなかった、哀れな女。同情か、ただのお人よしか。

「慧、改めて…ありがとう。」

「……いいえ。」

やはり、私は笑うしかない。彼女に、隠し事はない。なのに、私には……。


「戻ります。…また、明日。」

「ああ、ありがとう。おやすみ。」

彼女に頷くと私は静かに自室まで戻った。ぱたりと主を起こさないように閉めた扉が音をたててしまった。


手が、震えてる…。


「慧、」


寝起きの掠れた声で呼ばれ、私は冷静を装い彼を見た。


「起こしてしまいましたね。」

「いや。…………慧?」

彼に手を握られた。無骨なたくましい手。いずれは大切な人を守り、その人を抱き寄せるための腕。

「主…。」

「慧、震え…て、」

ぼたりと音をたてて涙が畳みに落ちた。彼の手を頬に当てた。

「…慧、」

「泣き虫は、昔に…治ったはずなんです。」

鼻を啜りながら言う姿は実に滑稽だ。目の前の彼は私のために布団から体を出した。

「…もっと、いっぱい泣いて成長するべきだったな、慧は。」

「………、」

私は頭を振った。いつの間にか肩辺りまで伸びた髪が私の顔を隠した。

「私…、私。……彼女は!隠し事なんて、ないん…です。」

語尾が、消える。

「私は、彼女に隠し事ばかり。平等でありたいと願うのに、同じでは…いられない…。」


悲しいんじゃない。寂しい。寂しくて、悔しい。


「私…、だから彼女に同情するしかできない…。主…私、人を騙して生きてるんです。…過去。払拭したいほどに汚らわしい過去。」


主、私は………。


「慧、」

「………。」

「寝るか。」

ああ、なんて優しい人…。
だから、こんなにも人間を騙すことが辛い。
辛くなる…。


言いたい。言って、私を叱って!私が立ち直れなくなるくらい徹底的に罵って!
でも…やはり、怖い。


「………慧、」

彼が私を呼ぶ。涙を拭われる。

「…私、こんなにも貴方が好きなのに。悔しい。話せない自分が…悲しい。」


埋められないこの距離が、寂しい。




0911


………。なんなんですかね。柔華を頑張ってあげねばね、慧さん…。


雪子


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