空を見上げた1 | ナノ
もう明日はこない

皆が寝静まった深夜。カサカサと言う音が耳に入り目が覚めた。そっと襖を開けるとそこには狐。なにやら茶色いものを咥えている。そこから漂うのは、鉄の匂い。


「こんな真夜中に狩りか。」


狐は答えない。そっと手を伸ばして頭に触れると小さく擦り寄った。きっと、この狐は慧だ。慧の、擬態した姿。


「……それ、食べるのか?」


ぽとりと落としたそれを慧は鼻先でこちらに押しやった。


「あんたは、気づいてたんだな。」


俺の空腹に。そう言えば今度は小さく鳴いた。慧なりの気遣いとでも言うのだろうか。確かに体はもう限界に来ていたし、心の臓からの発作で苦しくもなってきていた。いち早く気づいていたのは慧。全く対したものだ。


「ありがとう。」


少し重い狐の体を抱き上げて、膝に下ろす。きゅうっと狐は鳴く。山犬に抱かれるのは嫌かもしれないが、なぜか今は心が寂しかった。


「俺もそろそろ、腹を括るよ。」




* * * * *




慶応三年三月二十日


体調がなんとか持ち直して、呼び出されたかと思えば今会いたくない人物達。


――…鬼だ。







雪村を迎えに来たと言う女の名は千姫。頭の痛い話、その女は旧き鬼の血筋で鈴鹿御前の末裔だとか。別に誰が誰の娘だとかは、この際どうでもいい。それよりも今自分がもっとも不快だと思う男の名が出たことに驚いた。

「……で、その鬼の姫さんとやらがこいつに何の用だ?」

「争いを好まぬ鬼の一族は力を利用しようとする時の権力者達から身を隠して暮らすうち、人との交わりが進みました。純血の鬼の一族も少なくなり、西国で最も大きいのは風間家、そして東国では“雪村”。雪村家は滅んだと聞いていましたが…」


俺の知らないことが耳から耳へと抜けていくような感覚だった。慧は時々こちらを見ては心配そうに眉を顰めている。話の流れを追おうと、俺は雪村に目をやった。

「……」

「思い当たる事がありそうね」

雪村はゆっくりと先日斬られた部分の包帯を取った。

「傷が、治ってる…!!」

「きっと私が鬼だからかもしれません…」

「血筋の良い鬼同志が結ばれればより強い鬼が生まれる。おそらくそれが風間の狙い。薩摩の仕事で京を離れていた風間達が戻って来ています。近々彼女を奪いに来るでしょう。風間が本気で仕掛けてくれば、あなた達は無力です。ですから私達に千鶴ちゃんを任せてください」

「無力ってのは言い過ぎなんじゃねぇか?」

「部外者の君達が新選組の事に口を出さないでくれるかな?」

総司は苛立ったように声を出す。彼方も同じ意見らしい。目が鋭い。

「…風間の力は十分承知しているはずです」

「相手がどんだけ強かろうが俺達が新選組の名にかけてこいつを守るってこととは関係ねぇ」

「あなたまで何を…!」

「雪村君、君が決めるといい」

「遠慮はいらねぇ。お前の正直な気持ちを言ってみろ」

土方さんは雪村に選択肢を与える。きっと、いや絶対雪村はこの場所を離れないんだろう。瞳が、揺らいでいない。

「……皆さんにご迷惑をかけるかもしれません。でも私は、ここにいたいです。」

「そういうわけだ。こいつは俺達が責任を持って預からせてもらう。」

「……分かりました。ですが、千鶴ちゃん以外にもう一人話しておかないといけないことがあります。」


からり。襖が開いてその姿に俺は冷めた視線を送った。



「お久しぶりですね。新選組の皆さん。
……刹、返事を貰いに来ました。」

俺はすっと立ち上がり、環がいる襖の向こうへと足を運んだ。

























環に借りたクナイを片手に持ち、長く伸びていたおさげに刃を入れた。しゃりっと言う音と共に後頭部が軽くなる。元々の癖毛が短くなったことにより少し酷くなった。

「これを持って、山へ帰れ。俺に山犬の頭領は似合わない。ここへ残って最後まで戦うよ。」

「それが、答えなのですね・・・。」

環は俺が渡した髪を握り締めて悲しげに俯いた。これで、良い。環は今まで山犬として生きてきた。今更俺がしゃしゃり出るのは違うと思う。俺は、人間と。環は山犬と。きっとそれが二人にとっても一番良い方法だと思う。

「私は、できれば貴方と生きたかった。」

「うん。」

「今まで一緒にいれなかったけど、これからは一緒にいられると思った。」

「…うん、」

「だから、凄く頑張って力をつけたのにっ」

「…すまない。」

ぽたぽたっ。環の涙が地面に落ちては吸い込まれていく。俺はただ謝ることしか出来ないが、それでもこれから先も、俺がいなくなった未来も。おそらく先に逝ってしまう俺の分まで生きて欲しい。そう心から願う。

「また、会えたら。その時は沢山一緒にいるよ。」

「っ、」

「たとえ、それが来世でも俺は環のことを忘れない。」

「…刹っ。」

自分よりも少しだけ小さな体を抱きしめた。幼児のように胸の中で泣き喚く環に俺は呟く。

「……環、お前は泣き虫だな。」




0820



環さん、お疲れ様でした。




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