空を見上げた1 | ナノ
鳥籠の中の秘境

すん、と鼻を鳴らし、主に歩み寄った。


「お、なんだ?」

雪村さんは不思議な目で私を見た。

「…女性に会いましたね。」

「は?…いや、千鶴に用事がある奴だよ。」

「………名前は?」

「お千ちゃんというんです。私と同じくらいの…」

雪村さんは身振り手振りをしながら説明する。
お千、女性。臭い、は…鬼。…成る程接触をはかってきているか。

「あの、だから原田さんが逢い引きだとかそういうのじゃ……」

「は?」

雪村さんの言葉に顔が熱を持ちはじめた。

「ち、ちが、そんなんじゃ…」

確かに、あんな詰め寄り方にあんな質問…。ただの嫉妬みたいな…。


「ま、逢い引きじゃないから安心しろよ。」


頭をぽんと撫でられる。豆がある、無骨で大きな優しい手。

「………じゃなくて。…貴方まで……、もう。」


二人に笑われてしまった。…恥ずかしい。



* * *



慶應三年三月


私はいつものように擬態をとき体を主の温もりに寄せて眠っていた。


「きゃぁぁああああ!」


「っ、」


叫び声に目を覚ました。高い声。これは…雪村さん!?

「主、」

「あぁ、行くぞ!」


服を羽織り、槍を持った主と暗闇の廊下を疾走した。


部屋についた時には雪村さんを襲おうとしていた羅刹を土方さんが斬ったところだった。そして同時に、血に塗れた刹。
それを見てはっとする。羅刹は斬ったくらいじゃ死なない。未だ起き上がろうと体を起こす。

私は懐に忍ばせてあった鎖の縄を相手の体に巻き付ける。主はその瞬間に心臓を貫いていた。


「どうしてこいつが……、」


平助が呟いた。
それより私は見てしまったのだ。彼女の渇きの一部を。ああ、もう限界なのか。


「っ、刹!」


瑠璃崎さんと沖田さんが西条さんに駆け寄った。

「刹、刹!」

「僕、山崎くんのとこ行って来る!」


沖田さんは刹を抱き上げるとすぐに出て行った。

「ぼ、僕も…!」

瑠璃崎さんもついて行った。確かに、ここにいても仕方ない…。にしても酷い臭いだ。


「…鼻がもげそう。」


服で鼻を被った。


「申し訳ありません。」


その人が現れたのはそのとき。


「私の監督不行き届きです。」


山南さん、と平助が名前を口にした。


「雪村くん、大丈夫ですか?」


彼は未だ布団の上に立つ雪村さんに近づいて行く。


「はい…。」


「深手なのでは…、」


傷に、触れた。


「、」

思わず口が開いた。羅刹が鬼の血に触れ、平気なわけがない……!


「くっ……」

彼がよろめく。彼女が名前を呼ぶ。不穏な空気。


「ぐああああ!」


黒が、白に変わる。


「血…血です、血が欲しい…。」

あなたの血が!

彼は訴える。


「ちっ、仕方ねぇ。」


永倉さんも刀に手をかけ、主も構える。私も先程使用した鎖を手に持つ。


「待て!」


「土方さん…?」


彼の言葉をいいように山南さんは呻きながら姿を元に戻す。


「…わ、私は何を?」


はあ、はあと洗い呼吸と言葉に私たちは安堵し、武器を戻す。


「なんですか!この騒ぎは!」

くそ、伊東…。血の臭いで気付けなかった。

「さ、ささ、山南さん!?あ、あ、あなた、死んだはずじゃ!?」


案の定、だな。


「ま、まあ、伊東さん。落ち着いて。」

「これが落ち着いていられるもんですか!きちんと説明して…」

わめく彼は近藤さんに肩を押されながらその場を去った。


「…どうしますか、伊東さん。」


双狐がいないならここでの役目は私。だが、土方さんが今の伊東さんをどうにかするとは思いがたい。土方さんは予想通り無言だった。


「…今夜は慧の部屋を使え。それと、腕は山崎に手当てして貰うといい。刹の治療も時期に終わるはずだ。」

「わ、私なら大丈夫です。」


雪村さんは斬られた患部を抑えながら言う。


「大丈夫なわけねえだろ。山崎は隊の医療担当で…」「平気です!手当てなら自分でできます!」


彼女は頭を下げると走り去った。…あれ、彼女私に与えられている部屋を知ってるっけ?


「……皆さん軽率です。彼女は女性ですよ。」

「たかが腕だろ。お前だって晒してるだろーが。」


土方さんが息をついた。
私は腕を見た。確かに、包帯は巻いてるが…晒してはいる。


「……私を女性としてはいけませんよ。では、私は雪村さんを案内しますのでこの場はこれにて。ご用がありましたらお呼びください。」


私は天井の秘密通路に潜り込むと雪村さんの臭いを辿り、彼女の前に降り立った。


「きゃ!……日向さん、」


私はなるべく優しく微笑んだ。彼女の手はしっかりと患部に宛てられたままだ。


「雪村さん、私の部屋を知らないでしょう?」


「え、原田さんの…」


「ではないんです。」


雪村さんはきょとんとした。ふふ、と笑うと私は医者がするようなひらひらとした口布を下に下げた。


「案内します。」


私は先頭を歩き出す。
雪村さんの気配がついてくるのをしっかり確認してから少し速度を上げた。


「日向さんは、いつもその部屋に?」


「いえ。基本的に主と同室です。私が部屋を持っていることは数名しか知りません。隊士たちの間では私の部屋について色々噂されてますけどね。」

「…た、例えば?」


例えば…、


「例えば、土方さんが遊女匿ってるとか。」


「へ?」


「ありえませんよね。まあ、貴方がいるから信憑性はありますが…所詮私の部屋です。今は私専用の武器庫ですんで少し不気味かも知れませんが…、」


私はある部屋でぴたりと止まった。


「この部屋…。前に、掃除しようとして原田さんに注意されたんです。」


「まあ、危ないですから。……どうぞ。」


雪村さんは恐る恐る足を踏み入れた。


「わぁ、」


灯をつけると雪村さんは部屋を見渡した。壁にはクナイがぶら下がり、太刀から雪村さんが持つような刀まで。


「毒が塗られているクナイもありますから触らないでくださいね。」


私は臭いで区別できるが彼女は違う。

私は未だ立っている彼女を尻目に押し入れから少し埃臭い布団を引きずり出す。さらにその奥から雪村さんが着れそうな衣服を出す。


「雪村さん、」

「は、はい!」

「これ、着てください。申し訳ないですがそれは処分しますね。」


彼女は指差された自分の寝巻きを見てから私から新しいものを受け取った。


「外で待ってます。」


ぱたりと襖を閉じ、縁側に座る。雪村さんの怪我がすでに完治したのは知っている。鬼の果てしない生命力のおかげだ。だが、彼女は知らないから。だから私も知らないふりをしよう。にしても刹、大丈夫かな。何故、刀を抜かなかったのか…。命に関わるかもしれなかったのに…。

彼女の飢え。もう、ほっておける状態じゃなくなってきた。環さんはきっと刹に無理強いができない。私が、なんとかするべきだろう。適任だ。…いつだって忍は憎まれ役だ。


まず、どうしようか。犬が食べるものを調べて狩る。それを刹のご飯にだけ混ぜる。あと、刹の食事を肉食に変えてもらう…のは露骨か。いっそ生肉を差し出すべきか。

…彼女の食べ物を生っぽくしていく。いや、そもそも魚の生はまずい。生ならやはり肉。…どうしようか。まるで堂々巡りだな。



「日向さん、終わりました。」

「はい、」


私は襖を開けた。


「似合いますね。」


「…これ、寝巻きですか?」


「…浴衣、です。すみません。」


「いえ、」


ありがとうございますと彼女は笑った。


「差し上げますね、それ。」


「え、いいんですか?」


「お古でよければ。綺麗ですし、私はもう着ませんから。」


任務で着ただけだし雪村さんには申し訳ないが私の好みじゃない。だが高価だったし処分できなくて…。よかったな、浴衣。


「じゃあ布団ひいてください。私は危ない武器を片付けますから。」


「あ、はい!」



斎藤さんと平助が離隊するのを聞くのはそれから少し。
そして私と斎藤さんが恋人のような文通やら逢い引きをするようになるのは近い。



0820


雪子でした。長い。



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