千鶴は走っていた。 はあ、はあ、と断続的に漏れる息。一度足を止めるともう大分走ったな、と思いながら来た道のりを見る。 「……梓さん。」 ぽつりと呟く彼女の名前。千鶴は少し悲しい表情をし、昼にあったことを思い出した。 *** いつの間にか定着した幹部たちへお茶を入れる行動。そっと、そっと零れないように慎重に沢山のお茶を運ぶ。 「あら、千鶴ちゃん?」 「あ、梓さん!」 梓さんは女人禁制のここで特別に働く女性。出会ってから今まで月日は少ないが、それでも頼りになるお姉さんである。吹き出物なんて一切ない綺麗な真っ白な肌に、長い指。ふっくらとした唇は薄桃色に色付いている。胸だって自分なんかとは比べものにならない。 「……あら?」 「あ、」 お互いよく見れば手に持っているのはお茶。勝手場では会わなかったはずじゃ…。 「ん?あぁ…。少し勝手場に用事があってね。ついでに入れたんだけど……。すれ違ったみたいね、お互い。」 「そうなんですか。……どうしましょ。」 千鶴は自分が真剣に運びすぎてゆっくり歩いていたことに今気付いた。 お互いのお茶を幹部に出せば、優しい彼らは飲むだろうがやはり無茶だと言うもの。 「いいわ。千鶴ちゃんが持って行ってあげて。」 「え、でも……。」 「いいの、いいの。若い女の子のほうがきっと嬉しいもの。それに私、洗濯物がまだなの。」 「あ、すみません。後で手伝いますね。」 「いいわよ。ほんの少しだからすぐ終わるし…気持ちだけいただきます。ありがとう。」 梓が断ったのは、実際洗濯物なんてもうすませてあるからである。千鶴は今日は掃除を担当していたため知らないのだ。これもまた、梓のなかのもやもやとした感情故であるが千鶴は全く気付かない。 そこで二人は別れた。 これは、局長である近藤が話を切り出す数時間前である。 梓の知らぬ間に物語は進む。 梓が途中抜けてしまった近藤の話も終わり、日も暮れ始める昼の終わり。千鶴は幹部たちと門にいた。今回の警護に伝令としてついて行くことを梓に伝えようと思ったのだが彼女は買い物に出かけたということで会えなかったのだ。だから、居残り組が彼女に今回の二条城の警護のことを伝えることになった。 そして出発の最終確認のため、点呼をとる。 「…あれ、千鶴。」 「あ、平助くん。」 「髪紐、切れそうだけど……。」 「えっ!?私、ちょっと行って来ます!」 今回参加しないことになった見送りの平助にそう言われ、千鶴は慌ててぱたぱたと部屋に戻った。 部屋に帰るとすぐに違う紐で髪を結び直す。 「千鶴ちゃん、いる?」 「あ、はい!」 タイミングよく女性の柔らかい声が聞こえ千鶴はすぐに障子を開けた。 「あら。千鶴ちゃん、前髪はねてる。」 「あ、すみません。」 前髪をちょんちょんと梓に直され、千鶴は少し頬を染める。 「あ、土方さんたちに詳しい話…聞きましたか?」 「ええ。二条城でしょ?もうじき出発らしいけど。」 「そうですか。じゃあ、私もそろそろ行きますね。」 千鶴は立ち上がり、袴を正すと手を捕まれる。 「………梓さん?」 「貴方も、行くの…?」 立ってしまったため、梓の顔は見えない。だが千鶴は少しでも役に立てるという向上心から嬉しそうな声で返事をした。 「梓さん?」 「なんで?なんで行くの?」 「え、」 千鶴は言葉に詰まった。顔を上げた梓の表情は悲しそうだった。それが千鶴がそのような場に行くという事実からの悲しみか、はたまた彼女にあるその感情のせいなのかは本人にしかわからないところである。 「どうしてそんな所に行くの!?危なくないなんて言い切れないじゃない!!」 確かに攻め入る輩はごく稀にいるのかもしれない。考えれば安全だといくら口で言ったって危険がないとも限らないのだ。 「幹部の誰かに言われた!?無理する必要ないのよ!?だって、貴方…私と同じ女の子でしょ…?」 梓の声、千鶴は気付く。懇願に、似ていると。 「自分で、言ったんです。少しでも皆さんの役に立ちたいから。」 梓は悲壮の表情を消す。 「……貴方、お父さんを探してるんじゃなかったの?」 「え?」 「それがどうして役に立つ、立たないになるの……?」 「それは、」 それは、千鶴がこの場所を好きになってしまったから。 「千鶴ちゃん、前も危ないことに参加してたよね。もういいじゃない!役に立てたよ!きっと充分!」 どうして、私は幹部の彼らと行きたいのだろう。千鶴は、この感情を知らない。 「私は、そりゃ、同じ女の子だし貴方が望むなら背中を押してあげたいよ!でも!でも、私がなんでも笑ってよかったねなんて言う女だなんて思わないでよ!」 彼女はそう言って走り去る。瞳は、涙で濡れていた。途端、千鶴を襲うのは罪悪感。 だが気付く。自分が梓を探していたのは、自分の行動を肯定してもらいたかっただけなのではないかと。梓だって人間。完璧だと言われようが人間なのだ。千鶴は必死に涙を耐えて上を向いた。 あれはきっと、彼女の心の叫び。印象のせいからか誰にも言えなくなってしまった叫び。私が、言わせた。 「…ごめんなさい。」 それでも、私は行きます。行かなきゃならない。そう思うから。千鶴は揺るぎない真っ直ぐな眼差しを前に向け、歩き出した。 0401 戻る |