心臓の音 目を覚ましてまず自分の姿を確認した。 「…うわ、」 真っ白な、清潔そうな、それでいて病的な患者服。胸にパッドなんかは入っていなくて、見事なまでに久しぶりなぺったんこだ。 辺りをみる感じ教団だろう。誰かが連れ帰って来たのか。 ならば、僕が男である事実は周知のものか。 がさがさと通りのよい髪の毛を撫で回した。 手は相変わらず拒絶反応が出たまんまだが、まあいずれ治るはず。 「治る、よな、うん。」 次にベッドから下りようすると靴がないことに気付いた。少し汚れてしまうが、迷いなくベッドを下りひたひたと歩きだす。部屋を出ると廊下はしんとしていた。 「……お腹すいたし、まずは食堂。」 目的地を決定すると歩きだす。空腹が気持ち悪い不快感を与えてならない。そもそも自分はどれほど眠っていたのだろうか。 がやがやと音が溢れる食堂につくまで、沢山の視線を集めてきたが気にしない。 食堂に入るとアレンくんがアップルパイを食べていた。 「……。」 ごくりと唾を飲み込むとユーレンはすたすたとその場に足を進めた。 「もーらい。」 パクリ、と効果音がつく勢いでユーレンはパイを一切れ食べた。 「な、ななな!」 「ユーレン!」 ラビは意味不明な声をあげ、リナリーは驚きと喜びに立ち上がる。 「やぁ。アレンくんにミランダ。この姿であうのは初だよね。ユーレン・シュベリア、れっきとした男。」 アレンくんは目覚めたようでよかったです、と僕に握手を求め、ミランダはよかったよかったと今にも泣きそうで僕は思わず頭をかいた。二人の様子からして僕が男であることは既に承知していたようだ。 「ハワードくんも、久しぶりだね。…君がいるならルベリエもいるのかな?」 「えぇ、いらっしゃいます。」 「ふーん…。」 ユーレンは目を細め、彼を見た。 「…母には会えませんよ。」 ユーレンは明らかに嫌そうな顔をした。 「…ふん、言ってろ。にしてもリナリー久しぶりだねー!僕どれくらい寝てたー?」 ユーレンはリナリーにハグを求め、近付く。 「わっ!…んと、私たちが帰ってきてからまだ三日よ。」 リナリーはユーレンを抱き留め、話を続けた。 男ら約二名の心がうらやましいという気持ちになったのは誰がみてもわかる事実だったろう。 「……ユーレン、大丈夫なの?」 「何が?」 ユーレンはまたもリナリーの腕の中で器用にパイをつまみながら言う。 「その格好で周りにでること……。」 ユーレンは目を見開いた。 「あ、ああ……うん。…うん。」 ユーレンは口の中に全てを入れると飲み込んだ。 曖昧な返事だった。 そういえば、とユーレンは過去を見る。 そういえば、昔は男のまま外に出ることが苦手だった。 女でいたかった自分は、とにかく女でいたくて人前で…例えば今みたいなペラペラな患者服でいるのが嫌だった。患者服じゃ体型が出てしまうし、僕なんかじゃあ体を見せれば男であることは一目瞭然。 「リナリー、ありがとう。平気よ、私。」 ユーレンはリナリーを抱きしめ返す。男のまま女言葉なんてなんだかあれだが…まあ、仕方ない。癖だ。 「…あ、そういえば何話してたの?」 「あ、わ、私兄さんの所に行って来る!」 リナリーはそりゃあもうばびゅんと食堂を飛び出した。すげえ。 「……なぁ、ラビ何を話してたの?」 「アレンに監視がつくらしいさー。」 「え?アレンくん何かしたの?」 「あ、いやぁ…何も。」 アレンはユーレンに少し違和感を感じていた。というのも自分が勝手に感じているだけなのだ。 いつもの声より少し低く、見える鎖骨やちょっとした動きで覗く一面は男。なんだか慣れそうにない。 「……ふーん。ま、頑張って!じゃあ僕行ってくる。」 「行くってどこ、に……」 アレンは呆然とした。ユーレンは先程のリナリーのごとく猛ダッシュで食堂を飛び出したからだ。ミランダに至ってはまぁまぁと驚き、微笑んでいる。 「ま、ほっとけ。ユーレンには誰も触れんのだから。」 「え?触る?」 「おう。あ、ホクロふたつ、お前も座れよ。」 「リンクです。」 彼はすちゃ、とアレンの向かいに腰を下ろした。 「で、ラビ?触れないって…さっきリナリーは…。」 「いやいや、そういう体のタッチじゃなくて…心のタッチさ。」 ラビは胸を抑える仕種をした。 「ありゃあ聞かねぇほうがいいさー。俺も怖くて自分からは聞けねぇもん。…恐ろしい奴だよ。」 「…どうして?」 ミランダもこちらを見ながら飲み物を飲む。 「どうしてって…。あいつの行動ってようは愛故なわけなんさ。ありゃあもはや狂気だな。」 「…狂気、」 ミランダが心配そうに呟く。 「ま、あいつの本心なんてあいつ自身も多分知らねぇんじゃねぇかな。あ、ユーレンってすっげー怯えるときあんだけどさ、見たことある?」 「…いえ、」 この話には興味があるのかリンクも大人しく耳を傾ける。 「最近あれが増えててさー。方舟から出たときのユウったらなかったよなぁ!」 そういえば、とアレンは思い出す。 扉を開けて来たときの神田は実に見物だった。 『おい馬鹿兎!こいつどうにかしろ!』 意識の朦朧としたユーレンは神田の手を掴んで離さないし、神田は怒るし。当事者でない者からしたら実に面白い見せ物だった。 「ま、」 ラビは口に食事を運びながら言う。 「もし話しててユーレンの核心に触れちまったらさりげなく離れることだな。じゃなきゃ殺される。まじで。ありゃあ人に向ける目じゃねぇさぁ。」 ラビは昔、まだ仲良くなかったユーレンにちょっかいをかけたときを思い出した。実に酷い目にあった。 「キーワードはな、」 「母、ですか?リナリーが言ってました。」 「いいや、母も重要だが違う。マリア、だ。」 「マリ、ア?」 あまりに唐突な人名でアレンは首を傾げた。 「マリア。ユーレンの……」 ラビは言葉を切った。 弱点、とはこの場で言いたくはなかったのだ。 *** 重々しい扉を開き、ユーレンは足を踏み入れた。 扉の前には見張りの人間が平伏せている。息はしている。 色とりどりな鮮やかな魚が大きな水槽を優雅に泳ぐ。 花の香が鼻につく。 「……母さん、」 女に触れた手は妙に冷たかった。 「母さん、久しぶりに疲れた任務だったよ。イノセンスは使い物にならないし新しい敵は来るし。…にしても、母さんの所に男のまま来るのは久しぶりだね。」 ユーレンは母の手を握ったまま自分も彼女の横に寝転がる。ベッドは静かに軋んだ。 「…母さん、」 触れる手は冷たい。 僕が求めるのは、こんな冷たさじゃあない。 涙がユーレンの翡翠の瞳を濡らした。 0322 どやぁ ▽ |