欠落 | ナノ

本当は誰よりずるくって、誰より愛してほしいの

どさりと、体に衝撃が走り、意識は覚醒へと誘われた。その衝撃での痛みとは関係ない激痛が体を巡る。体が、揺れる。


いや、地面だ。
酷い地響きがする。
体が、痛い。

「……神田。」

「…足手まといが。」

ボロボロの彼は呟くように言った。その手には砕けたイノセンス。敵は、いない。気絶している間に彼によって倒されたのだろう。
彼の胸の刺青のような、痣のような模様が広がっている。

「ごめんね。いつも悪運だけは強いんだ。……あんなに痛かった、のに…生きてる。」

視界に手が映っている。あぁ、ボロボロじゃないか。


すぐそばには片膝をつき、動かない神田がいる。僕を庇うことはしなかっただろう。でも、出口までは担いで行こうとしてくれた…。意識を飛ばしたときと場所が違う。神田の傍に、いる。


「神田、ありがとう。」


呟くように言った途端、視界の端に見える出口が崩壊した。彼に、この言葉は聞こえたかな。

きっと、彼なら聞こえたんだろうな。

「……母さん、」

 マリア…。






***




「…ユーレン、」

目の前の母が震えながら名前を呼んだ。僕の手から雫が垂れた。
びちゃり、と…水よりドロリとしたような重い音。


「……母さん、っうわ!」


踏み出した足がずるりと滑って、尻餅をついた。


地面が、赤い。


「……な、何?母さん、いったい……」

僕は周囲に目を向ける。その景色を見た僕はきっと失望したんだと思う。そこにあったのは酷い光景だった。でも、何がどうなってこうなったのか。思い出すのはいつも怖くて目を背ける。黒い霧がかかったように真っ暗で。僕の意識はその光景を知っている。なのに僕はその光景を見たくなくて目を背ける。


「ひ、」


母さんに、人殺しだと叫ばれるのは、それから……。











むかしむかし、あるところに。それはそれは美しいお姫様がいました。彼女の名前はナニー。
ナニーはとても元気な女の子でよくお城を抜け出します。
そんな彼女が出会ったのはメイル。帽子屋を営む若い青年です。


そんな話で始まった物語。名前も知られない、よくある内容だ。
だがマリアはその物語をいつも遊びに来る僕らに聞かせた。そのお話は少し長く、幸せにはなれなかった。

「ナニーは幸せにはなれなかったのよ。」

「どうして?お姫様が幸せになれないなんて可哀相!!」

子供たちがきゃっきゃとほのかに暗い森で騒ぐ。

ナニーというお姫様とメイルは恋に落ちる。だが、メイルにもナニーにも決められた婚約者がいた。普通の物語なら脱走して幸せになったり、なんとか説得したり、なんて色々あるがこの物語は子供に読み聞かすにはあまりに残酷な結末で…。ナニーもメイルも住み慣れた城を、町を離れ、行き着いた先で暮らすが追ってに捕まってしまう。メイルは処刑という結末。ナニーも決められていた婚約者と結婚。

幸せだったのは住み慣れた土地を離れたその一瞬だけ。


「でもね、お姫様は幸せだったのよ。」

「どうしてー?」

お姫様は幸せになれた。でも一人の少女としてのナニーは幸せになれなかった。

「どうしてわかるんだよそんなの…。」

リーダー格の少年が言った。マリアは優しく目を細めて微笑むと、本を大切に撫でながら言った。




「……さあ、どうしてかしら。」


***


「……、」

自分の声がする。目を、開けたい。でもこの微かな揺れが心地好くて…。目覚めるのを躊躇う自分がいる。

「……かん、だ。」

それでも目を開くと肩が見えた。どうやら自分はおぶられていたらしい。

「……どうして、崩壊したんじゃ。」

「さぁな。モヤシ達がなんとかしたんだろ。」

モヤシ……?
まぁ、いいや。

「……、生きてる。」

手を胸に置く。生きてる証が働き続ける。

「…ありがとう、神田。自分で歩く。」

彼はふん、と鼻を鳴らすと僕を地面に下ろした。
と、同時に体中に立っているのも億劫なほどに体が痛んだ。
僕は自分よりはるかに背がある神田を見上げた。傷が、もう……。彼の傷は意識を失う前に比べて随分と治癒されていた。

加え、自分はボロボロだ。今は彼の治癒能力が羨ましく感じるが、こんなことを言うと彼の持つ柄しかない刀がまた牙を剥くかもしれない。

「…スカート、邪魔だな。」

「邪魔なら脱げ。」

「うわぁー。レディーに対する発言じゃないね。」

神田はボロボロな僕を上から下まで見ると鼻で笑った。

「………。アレンくん達はまだ僕のことを知らないから。ボロを出すわけにはいかない。」

「……見ろ、扉だ。」

「あぁ。」

僕は扉を開けようと手を上げた。が、その手は神田に掴まれ、彼は扉を蹴り開いた。

「……腕、が。」

気付かなかった…。本来、人間にはないだろういびつな模様が右手を覆っていた。鳥肌がたった。
肌に触れてもこれといったおうとつはない。

あまり機能を果たさなくなった服を少し脱ぐとその模様は肩まで這っていた。全身にないことにほっとしながらまた服を着ていると前の方から神田が僕を呼んだ。

「なに……?は、アレイスター・クロウリー?」

彼は意識なく倒れている。揺さぶるが起きる気配はない。

「………んー。僕が背負っていいけど、ばれちゃうしなぁ。」

女の子が男を背負うとか絵柄がシュールすぎる。

「あ、」

神田は舌打ちすると彼を丁寧とはいえないように担いだ。

「…そうだ、神田。」

「あ?」

「僕のイノセンスは?」

彼は腰とズボンの間に挟んであったハンドガンを僕に寄越した。

「っ…!」

受け取ろうと右手でキャッチした途端にバチリと拒絶を示す電流が走った。ガチャン、と銃が落下する。
ユーレンは呆然とした後に下を向いて小さく笑う。

「……おい、」

神田の声からは早くここを出たいと急かす意思と、こちらを伺う様子が感じられる。

「……イノセンスの野郎。ふざけんなよ。」

その声は無感情と言っていいほどに何も感じられなかった。だが、僅かに失望と怒りを感じられる。ユーレンはがっ、とひびの入った鉄の塊を踏むと中からマガジンを取り出した。勿論右手は使わずに。

「………行こうか。」

神田は何も言わず歩を進めた。

ユーレンは左手で未だハンドガンの弾の形状を保つイノセンスを握り潰さんとする勢いで握る。


「……マリア、」


神田は後ろから聞こえる懺悔のような声色のそれをあえて無視して歩き続けた。




1108

主人公の腕の模様を想像して最悪な気分になりました。