三章 卵を惑わすラビリンス
リーダーさん、フォローする1
「壁伝いに歩いていけば、そのうち出口が見つかると思うんだ」
 ヘクターの提案にわたしは頷いた。暗くて距離が掴めないせいかやたら広く感じるが、やがて部屋の角に行き着き安堵した。方向を変え、また歩いていく。
 前を行くヘクターがこちらに振り向いた。
「大丈夫?寒くない?」
「平気、ここ暖かいし」
 そう答えて再び歩く。再び壁が垂直に交わる箇所にたどり着き、指を差して頷き合う。するとまたヘクターがわたしに尋ねてくる。
「疲れたら遠慮しないで言ってね」
 それを聞いてわたしは思わず吹き出した。戸惑った彼の顔にわたしは手を振る。
「いや、だって。すごい心配されてるからおかしくって…」
 わたしが笑うとヘクターは頬を掻いた。
「ごめん、その何ていうか、今まで体育会系に囲まれてたから気遣い足りないかも、って不安になるっていうか。リジアみたいな女の子は周りにいなかったし……」
 そこまで言うと、慌てて振り向く。
「いや、偉そうだったよね?」
 わたしは首を振った。
「ううん、ありがとう。でも大丈夫だよ。足引っ張ってないか不安だけど」
 それを言い終わる前に前を行く彼の頭が振られる。顔を見なくても笑顔だろうと思う。包む空気まで柔らかい人だ。
「実はね、ゴブリンの洞窟にいた時から武器持つ力が無いのは……弱いなぁ、って感じてたの」
 ふっと本音が漏れる。ヘクターは後ろ歩きのような形になりながら、わたしの顔を見ていた。
 戦う力がないのはもちろん、わたしの場合さっきの状況でも泳げない、体力ないっていうのが浮き彫りになっちゃったし。肝心な魔法の腕に問題があるのだから、せめて普段の行動ではお荷物になりたくないのだけど。
「これは誰が出してくれたの?」
 彼の指差す先に「ライト」の光がふわふわと浮かんでいる。
「これくらいは……」
 自慢にもならないし、と言おうとするが、ヘクターの声に遮られる。
「俺一人だったら真っ暗な中で途方に暮れてたんじゃないかな」
 大袈裟、というか嘘だと思う。彼なら一人でもきっとこの部屋から這い出ていたはずだ。でもそう言ってくれる事が嬉しかった。
「ファイタークラスの奴ってさ、教官から毎日のように言われてるんだよ。……『魔術師に魔法を使わせるのは最終手段である』って。ナイト気取りかよ、馬鹿にすんな、って思われちゃうかもしれないけど……」
 初めて聞く話だった。わたしは芽生え始めていた焦りが、少し減るのを感じた。ヘクターがふっと笑う。
「まあさっきみたいに突き飛ばされるのは、ちょっとショックだったけどね」
 言われたわたしは顔が真っ赤になった後、血の気が引く。そうだった、すごい失礼なことしたのを忘れていた……。
 せめて足手まといにならないように、なんて言ってるくせにやってることは足を引っ張る行為そのものだ。これから一緒に行動したいなら恥ずかしがってる場合じゃないんだよね。顔合わせただけで動揺してる場合じゃない。こういうのはきっと慣れることが大事なのだ。
 そう思ったわたしは、
「手繋いでいい?」
ポロッと思いついたまま口に出して、すぐに後悔する。ぶは!とヘクターが吹き出した。
「なななな何言ってんだろうね!ごごごごめん!違うから!そうじゃないから!」
 自分でも何を言っているのかわからない。しかしヘクターは、「はい」と言って手を伸ばしてきてくれた。それを握ると軽く握り返される。思わず卒倒しそうになった。
「……恥ずかしいと鼻血が出る、って感覚が今なら分かるわ」
 ガンガンと頭に血が上るのが分かる。ヘクターが「え?」と振り向くが、慌てて「何でもない」と首を振った。
 これは先々を見据えた上で重要な練習なのだ。立派な冒険者になるために乗り越えなければならない問題なのだ。と自分に言い聞かせ続ける。しかし周囲が暗くて良かった、とにやける顔で思った時だった。
 ヘクターの足が止まる。わたしの耳にも水が撥ねる音が聞こえていた。下がるよう手で合図され、わたしは壁際に逃げる。水面に見える黒い影が高速で動き始め、ざあ!と魚人が顔を出した。
 「グゲグゲ!」という声が二重に聞こえてはっとする。プールの縁に掴まりよじ登ろうとするのは二体に増えていた。
 再び長い爪を振り回す魚人とヘクターの打ち合いが始まるが、明らかに先程より防戦に回っている。不気味な雄叫びと共に爪がヘクターへと伸びるたびに息が止まりそうになった。
 これはいくらなんでもぼーっとしてるわけにいかないわよね!?と混乱する頭で必死に呪文の詠唱を思い出していく。半分くらい無意識で紡いでいった呪文を口に出して腕を突き出す。
「ファイアーボール!」
 ゴブリンの身の丈ほどありそうな巨大火の玉が熱風を撒き散らす。重そうにぶわり、と飛び始めた火の玉を見て、魚人二体とヘクターは目を見開き、同時に左右へ飛び退いていた。
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