三章 卵を惑わすラビリンス
落ちた先は2
「うわー、気持ちわりー」
 ヘクターもジャケットと中に着た薄い皮鎧のようなものを脱いでいた。
「ちょっとごめんね」
と一言言うと、アンダーシャツを脱ぎ、水を絞る。鍛え上げられた上半身に思わず目を奪われると、「ごめん」と何故か謝られてしまった。思わず「ごちそーさんです」と答えそうになるが、その言葉を飲み込む。
「あの、わたしも服絞りたいんだけど、いいかな……」
 おずおずというと、ヘクターはくるりと背をむけた。
「どうぞー。終ったら声かけてね」
 いやらしさの無い、本当に紳士的な人だ。急いでシャツを脱ぐと絞っていく。
 とりあえず水気は切ったものの、しなしなになった服を着たお互いを見て笑い合ってしまった。
「魔法で何とかならない?」
と聞かれたが、ただでさえコントロールの難しい火のエレメンツを『服を乾かすだけ』の威力にする自信はない。服を灰にしてしまう、と言って断った。
「さて、じっとしてても風邪ひくだけだし、行動した方がいいね」
 ヘクターの言葉に頷く。とりあえず、壁際に添って歩いてみることにする。
「しかしここって何なんだろうね?」
 前を行くヘクターの言葉に、わたしは首をひねる。
「トラップ……にしてもよく分からないよね。普通、落とし穴って下が槍だったり、ダメージを与えるものでしょ?わざわざ水を張っているってことは落ちてくるものに対して保護してるようなものだもの」
 溺れかけた人間が言うことではないが、溺死体マニアでもない限りこんな手間のかかる罠は意味無いだろう。
「っていうと?」
「今の段階じゃ何とも言えないけど、装置だったのかも」
「装置?」
「うん、上から何かを水に沈めておくための……」
 その時、わたしの説明を遮るようにプールから水しぶきが上がる。わたしが反応した時にはすでに、ヘクターはロングソードを抜き、身構えていた。
「下がって」
 低い呟きにわたしは慌てて後ろに下がる。そして「ライト」を前方へ向ける。明かりに照らされたのは、プールから上がってくる不気味な姿だった。人間と変わらない大きさの半魚人に息を呑む。
 明かりを反射する体は鱗に覆われぎらついており、目はくすんだブルーのガラス玉のようだ。手にはダガーほどの長い爪が生えている。体が動くたびにぎちぎちと耳障りな音を立てた。
 ひゅ、と一陣の風が吹いたように感じた。ヘクターが敵に突っ込むのと同時に相手も地を蹴る。
 金属のぶつかり合う乾いた音が響き渡った。魚人は両手の爪を振り回し、襲いかかってくる。跳ねるように体を揺らす様が気味悪い。ヘクターもそれを剣で受け流していく。片手で持つロングソードが左右に振られるたび、魚人の手を跳ね除けている。お互いの流れるような動きが早すぎて、わたしには全てを目で追うことは出来なかった。
 モンスターらしき物を見た恐怖よりも、目の前に繰り広げられる光景に呆気に取られてしまう。何度か魚人の爪を受け流した後、ヘクターは相手に向かって強い振りで剣を振り下ろす。それにバランスを崩された魚人が、明らかに無理な体勢で体を反らせた。
 その瞬間、ヘクターの剣が魚人の腹を薙いでいた。
「ぐががっ!!」
 不気味な悲鳴をあげ、魚人はプールの水面へ倒れ込む。ざばーん!と景気の良い音を立てながらしぶきが上がり、水の中に消えて行く。呆然としてしまったが、ぱちんとソードが鞘に戻る音に我に返るとヘクターに近づいた。
「す、すごい!」
 わたしのはしゃぐ声に、ヘクターははっとした顔で振り返る。
「大した事無い相手で良かった。平気?」
「いや、わたしは何にもしてないから」
「それならいいんだ」
 ……いいのか?と思う台詞だがヘクターはにこにこと微笑んでいる。本人を前に黄色い歓声を飛ばしたくなるかっこよさだ。
 ふとヘクターが真顔に戻り、プールの方へ視線を送る。微かに聞こえる水の音に嫌な予感がした。
 暗い水中に何かが蠢いている。大きさからして今倒した魚人だと思うのだが、影は一つではない。
「急ごう」
 ヘクターが歩き出すのにわたしも続く。水面を見れば魚人達と目を合わせてしまいそうで、顔を背けてしまった。
 嫌なことは続くもので、上で聞いた肌を震わす不気味な音がまた聞こえてくる。うー、という唸りと金属を削る音を混ぜたような不快音。一体何だろう。
 思わず足を止めてしまったわたしの腕をヘクターが取る。
「大丈夫、きっと見れば大した相手じゃないよ。それに皆ともすぐ合流出来ると思うよ」
 優しい言葉にじーんとする反面、そんなに不安そうな顔をしていたんだろうか、と頬を摩って誤魔化した。
 でもヘクターは『相手』と言ったけど、これは生き物から出る音なんだろうか。どこか無機質な唸りにわたしは何も無い暗闇の中を見つめていた。
[back] [page menu] [next]
[top]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -