二章 美しい姉
絡まる恋心
「へー、面白い事があったんだね」
フロロはわたし達の話しを聞いて間抜けな声を出した。
「何も面白くないわよ」
ぶすっとわたしは答える。
すっかり暗くなってからバクスター家に帰ると夕食がすでに準備されていた。
「遅かったですねえ。旦那様たちはもう、済まされてしまいましたよ」
というメイドさんの言葉を受けて夕食の席にはわたし達のみであった。メイドさんの言い方も夕食の席に揃わないことを咎めるというより、しっかり食べてくれなきゃ困る、という母親の愚痴のような優しさを感じた。
「でも俺、リジアが魔法のロープをぶちぶち切るところなんて見たかったよ」
フロロは空豆のスープを飲みつつしみじみと言う。
「あんな芸当できるのリジアだけだもんなぁ。貴重な光景だ。あの男が隙を作るのもわかる」
アルフレートに言われても全然嬉しくない。
「わたしの話しはもういいから!……結局あの男、なんだったのよ」
あの後、男のいた場所を調べても飛び散った血の跡をわずかに残すのみで何も手がかりは残っていなかった。血が飛んだのだし、幻を見せる魔法『イリュージョン』のたぐいだとは考え難い。それでもきれいさっぱり消えてしまったのは男が実態を持っていなかったような気がするのだが。
「敵なのは確実だろうな。ただ斬り難い相手なのはあるね」
「同意します」
珍しく意見が合うヘクターとイルヴァ。
「……やっぱりわざと急所ははずしてたんだ」
意地悪そうな視線を送りながらローザが聞くとヘクターは苦笑する。
「捕らえて話しを聞きたかった……っていうのは言い訳で、やっぱり人間相手っていうのはね。実はあんまり経験ないんだ、組手以外だと」
「イルヴァは叩きがいがなさそうなヒョロヒョロ爺さんなのが嫌ですねえ」
イルヴァの言葉に少々顔を引きつらせるヘクター。話しが合ったというのは幻想だったのだ。
わたしはというと、イルヴァの『爺さん』という言葉に引っかかっていた。そういえば声質とかから考えると老人っぽかったかもしれない。
「で、フロロの方はどうだったの?」
ローザがギルドに行ってきたはずのフロロに問うと、フロロは目線だけを部屋中に泳がせる。
「……聞かれちゃまずいことは部屋に戻ってから、ってことで」
そうか。バクスター家について聞いて来たはずなので、食堂で堂々と話すのはまずいか。
この屋敷に留まることが出来て宿代はもちろん、エディスとマルコムに目を光らせるには丁度良いが、話し合いには場所を選ぶ。
屋敷の二階部分に宛てがわれた部屋に移動する。パーテーションで一応区切られているが、全員同じ一室だ。しかし相当広い。わたしは部屋の中央にある一人掛けソファに沈み込むとフロロに問いかけた。
「で、どうだったわけ?」
フロロはベッドにごろりと転がると枕をクッション代わりにお腹に抱えた。
「……どっちの話しからが良い?」
「よくわかんないけど、インパクト強い方で」
「あ、そう、リジアが言ってた『穴蔵のウォン』って賢者、もう死んじゃってるって」
「ええ!?」
わたしはソファから跳ね起きた。
「インパクトあった?」
「……あった」
フロロに答えるわたしにローザは不思議そうな顔をした。
「元々高齢なんでしょ?アンナが知らなかったのは単なる連絡ミスかもしれないし、いちいち連絡しないだろうしね、懇意にしてる賢者が死んだなんて」
「そうだけど、……もしかしたらあの黒衣の男がウォンだったんじゃないか、って思ってたところだったのよ」
高齢であることに加え、黒魔術師として有名な人だったのだ。黒ずくめの格好にも頷けるし、彼がわたしに言った『過ぎた力を持つばかりに』というのはわたしが魔封瓶の封を解いたことを言っていると思ったのだ。
ウォンだったとしてもわたしが開けたことをどうやって知ったのか疑問は残るが、少なくともイェトリコの魔封瓶の存在を知っている人物で当てはまる人物像そのものだったからだ。
「黒魔術師がネクロマンサーにレベルアップした、のかと思ったらネクロマンサーに使われる側に堕ちてしまったのかもしれないな」
アルフレートが感慨深げに呟いた。
「で、でもウォンって賢者だったとして、なんであたし達を襲ってきたわけ?」
ローザの問いには誰も答えられない。わかるわけがない。
「とりあえず、フロロの話しを聞いてからにしましょ」
わたしはフロロに話しの続きを促した。フロロは小さく咳払いする。
「この家の一族の話しはあんまり目新しいことは聞けなかったんだよね。評判は良かったよ。先代も今の当主も、フェンズリーの町にお金を落としてくれるし、盗賊ギルドを締め出すようなまねは絶対しないし、で」
それって今も困窮してはいないように聞こえる。経済的に困っていないのにわざわざ実家に愚痴を言ったエディスさんって、やっぱ怪しい?
「あとマルコムが本格的に跡取りとしての勉強に入る前、大学では魔術師の歴史みたいなレポート出してた……らしいけど、これはいまいちパンチ弱いよな?」
ちらりとこちらを見るフロロにわたしは頷く。
「それだけじゃちょっとね……歴史ってことは魔術についてじゃなくてソーサラーに関しての時代背景とかそういうのだろうし、疑うまでには無理があるかな」
「ああ、大事なこと忘れてた。アンナ姉ちゃん、やっぱもうフェンズリーにいるみたいね。このへんをバクスターの嫁さんによく似た女がうろついてるのを見たって聞いたんだった」
フロロの呑気な声を聞き、ぶほっとローザが紅茶を吹き出す。
「な、なんでそんな重要な話しを真っ先にしないのよ!」
「下じゃしにくかったから黙ってるうちに忘れてた」
「下じゃしにくいって、エディスさん達にも言った方が……ってそうか」
ローザはフロロの答えに気づくことがあったのか、声のトーンが落ちる。
残念ながらあの二人の容疑が晴れないうちはアンナには会わせたくない。しかしアンナもどうして訪ねてこないのだろう。
「どっちかに会いたくないんだろうな」
わたしの心を見透かしたようにアルフレートが言った。
「……わたし、屋敷の周り見てくるよ」
わたしが立ち上がるとローザとイルヴァも立ち上がる。
「あたしも行こうか?」
「ぞろぞろ行っても目立つだけだろう。屋敷の人間にも、アンナにも見つかる可能性が高くなるだけだ。アンナは我々にも会いたくないんだぞ?」
アルフレートは静かに言った。そうだった。わたし達から逃げるように彼女は去ったのだ。
「……俺が行く。一人じゃ危ないし」
ヘクターがゆっくりと立ち上がった。
屋敷を出る途中、エディスさんに遭遇したが、
「散歩に行ってきます」
と言うとにこやかに「気をつけてね」という言葉のみをくれた。二人だけでデートだとでも思ったのかもしれない。アルフレートの憎たらしい顔にも『感謝します』と言ってもいいかもしれない。ここで六人ぞろぞろ揃っていたらもっと不思議がられただろうし。
屋敷の門をくぐると満点の星空が見える。どの家も夕餉を終えたようで静かだ。山に帰るのが遅れた野鳥が夜空に模様を作っていた。
「とりあえず、屋敷の周りをぐるっと回ってみよう」
ヘクターの提案にわたしはこくりを頷いた。格好つけているわけではない。緊張で声が出ないのだ。思いつきで『探しにいく』なんて言ったけど、こんな展開になるとは思わなかった。
ゆっくりと二人並んで歩いていく。屋敷の周りは閑静な住宅街なのでとても静かだ。
「……ヘクターがいればアンナも出てくるかもしれないね」
黙っているのも気まずいのでわたしは口を開いた。……が、我ながら選んだネタは最悪だと思う。なんでこんな嫌味っぽいことを言ったんだ。
「なんで?」
ヘクターは一瞬の間をおいて聞いてきた。なんで?と聞かれるとどうも答えにくい。
「アンナが……気にしてたから」
ややぶっきらぼうに答えてしまった。恥ずかしさからだけど感じ悪かったかも。
ヘクターが歩みを止めるのに気づいてわたしは振り返った。ヘクターの顔が明らかに困っている。喉のあたりがちくちく痛んだ。困らせるつもりはなかった、と言い訳したくても出来ない。わたしがこの話しを振った時点で良くなかったんだろう。
「アンナは俺の事気に入ってたのかな」
いや、気に入るってレベルじゃないと思う。ヘクターは珍しく少し不機嫌に見えた。そんな様子を見てわたしは動揺してしまった。馬鹿なことだがいつの間にか彼のことを「絶対に怒らない人」と見ていたことに自分を殴りたくなる。何か言わなきゃ、何て誤魔化そう。卑怯な考えだが、そんなことがグルグルと頭を回る。
「すごく、仲良くなりたがってた。……す、好きだったんだと思う」
わたしは自分でもなんでこんな事を話しているのかわからなかった。話さない方がいいことだとわかっているのに、一度開けた栓はなかなか蓋をしてくれない。
「どんな色が好きなんだろう、とか、どんな食べ物が好みなの、とか……どんな女の子が好きなの、とか。……わたしもよくわかるから」
言いながら思う。わたしがアンナを信じられる理由がようやくわかってきた。こんな、こんなことを想う彼女が恐ろしいことなんて考えるはずがない。わたしは自分でもびっくりするほど大量に流れ出る涙を止める術がなかった。
ヘクターの手がわたしの頬に触れる。少し冷たかった。
「アンナ、出て来なかったね」
わたしの手を引きつつヘクターが言う。
「リジアの勘違いだったんじゃないの?」
何のことだろう?と考えてからさっきの話を思い出し、手を振った。
「いやいやいや、ていうかみんな気づいてたから」
わたしが言うと「そう……」とまた困り顔になる。屋敷を一周した辺りで、
「俺、好きな色、白だよ」
ヘクターが急に言った。唐突すぎて何かと思ってしまった。どう返そうか困惑したが、律儀に答えてくれた彼の気持ちが嬉しかった。
「……食べ物は?」
「うーん、アボカドとか好きかな。肉も好き。甘いものも好きだよ」
「嫌いなものは?」
「あんまりないけど卵の黄身が嫌い」
子供っぽい答えに思わずわたしは少し笑ってしまう。
「じゃあ好きな女の子のタイプは?」
「んー、内緒」
……ちぇ。今ならさらりと聞けそうだったのに。
「リジアは?」
わたしは少し考えてから答える。
「好きな色はピンクとか赤とか紫」
ヘクターが少し笑った。わかりやすいからだろう。
「食べ物は?」
「好きなのはエビとか貝とか、嫌いなものは油っこいの。肉の脂身とか生クリームギトギトとか……でもわたしも甘いものは好き」
そう言うとヘクターと目が合った。
「じゃあリジアはどんな男が好き?」
「……内緒」
わたしがうつむき答えるとヘクターは「同じじゃん」と笑った。
「さっき、別に怒ってたわけじゃないんだ」
ヘクターはそう言いながら頭を掻く。
「ただこういう事に慣れてなくて……どう反応していいかわからなくなるんだ」
「そういうところが好き……なんだと思う、アンナは」
わたしは顔が真っ赤になる。アンナの話、アンナの話なのよ!と念押ししたいが、よけい変だと思い、止める。
二周したところで諦めて部屋へ戻ることにする。帰り際にまたしても門にとまるカラスに睨まれてしまった。夜くらい山に帰ればいいのに。
屋敷内を歩いていると、今度はマルコムと遭遇した。
「おや、こんな時間まで見回りかい?」
わたしがどう答えたものかと迷っているとヘクターが答える。
「もしかしたらアンナさんが来ているかもしれないので」
マルコムは「そうか」と呟くと、早く寝るように言ってきた。もうちょっと反応あっても良さそうなもんだが……。
「明日も町の外に出るんだろう?あまり無理しない方がいい」
そう言うマルコムにわたし達は気づかいのお礼を言うと部屋へと戻った。
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