一章 願う人、沈黙の魔人
魔女、怒る
アンナがいなくなった。それはわたし達の依頼がこのままだと失敗に終るということだった。
アンナはウェリスペルトの町に戻るように書き置きしていったが、だからといってのこのこ帰ったところで彼女の父親のお叱りが待っているだけだ。何しろわたし達の今回の依頼は「フェンズリーまで瓶を届ける」ことじゃない。「アンナを護衛する」ことなのだから。
「本当にアンナの字なの?」
わたしの横を歩くローザが聞いてきた。誘拐などの線はないか、という意味だろう。わたしは無言で頷く。女性の文字だったから、だけが根拠の自信ではない。二つの理由からわたしはアンナ自身の書き置きであると確信していた。
一つは「リジアたちはウェリスペルトに戻ってお父様から依頼料を貰ってください」という内容だ。この間抜けさがアンナだと感じさせた。
どこの世界に「娘さんいなくなっちゃったけど依頼料ください」なんて言ってほいほい渡してくる親がいるのか。アンナ本人はよかれと思って、という感じだろう。そもそも依頼人と請負人である関係だとか、依頼料をもらう前だとかを外部の人間が知るわけがない。
もう一つが馬車が消えていたこと。誘拐なんかだとすれば馬車まで持って行っても邪魔なだけなのではないか。
そんなわけで馬車が無くなってしまったので、わたし達は完全な徒歩で首都レイグーンまでの街道を歩き続けていた。コルトールを過ぎると一本道しか無いので初めから予定でもこのルートだ。アンナに追いつくにはなるべく早足で、しかない。
コルトールの町で聞き込みをするか迷ったがフロロの、
「何がわかったところで追いかけるのは同じ」
という言葉で町を出ることを決めたのだ。アンナはフェンズリーに向かっている、というのも全員が同じ予想だった。
わたしは自分でもわからない苛立ちで一杯だった。頭にかっかと血が上る。アンナへの怒り?何も言わずに消えた彼女に対してなのか。自分への怒り?何もしてやれなかったことに対する後悔だろうか。
小鳥が鳴きながら羽ばたいた。前方、街道の右手から何かが飛び出してくる。ギギギ、と不快な鳴き声をあげる浅黒いモンスター、ゴブリンだ。何やら仲間数匹で合図し合っている。ヘクターとイルヴァが武器を身構えた時だった。
「どいてちょうだい!」
わたしのファイヤーボールの呪文が完成する。一筋の光が指先から伸び、空を走っていく。
次の瞬間、お腹に響く轟音と共に熱気が広がった。
「おお……」
アルフレートの呟きが漏れる。わたしの呪文はゴブリンどもに加え周りの木を根こそぎなぎ倒し、炭へと変えていた。
「お、怒ってんの?リジア」
ローザの言葉にわたしは「たぶん」とだけ返した。
急いで進んではいたが、もともと一日じゃレイグーンには着かない予定の道のり。途中ですっかり暗くなってしまったところでアルフレートが立ち止まる。
「疲れた」
子供か!と怒鳴りたいところだったがわたしも大分足にきている。
「キャンプ張るか、どこか宿でも見つけるかだね」
ヘクターが言うと待ってましたと言わんばかりにフロロが耳をピンと立てる。
「……たぶんこっち側に建物がありそうな感じ?」
とても曖昧な表現だ。聴覚だけでは流石に限界があるか。そう思ったのだが、街道を少しずれてフロロの指差す方角に歩いてきたら明かりが見えてきた。小さな掘建て小屋の集合だ。そのうちの明かりが漏れている小屋に近づくと宿屋の看板があったではないか。
「ここに泊まれる……の?」
ローザの言う事ももっともだ。どう見ても宿を経営する広さは無い。とりあえず扉を叩く。すると中から白髪まじりのおじさんが出てきた。髭といい恰幅のいいお腹といい、人間というよりドワーフのような風貌だ。
「どうなされた?お泊まりかね?」
やっぱり宿を経営しているらしい。わたし達が頷くとおじさんは、
「どうぞどうぞ中へ」
と部屋へ招き入れてくれた。おじさんに勧められるまま長椅子とテーブルの椅子に各自座る。部屋を見渡すが、どう考えても外からの様子だとこの一部屋しか無さそうなんですが。
おじさんがホットミルクを出してくれる。
「お食事は?」
「あ、頂けますか?」
わたしの言葉ににっこり微笑む。
「ここで食べて行きますか?それとも部屋に行かれますか?」
「あの、部屋って……」
ヘクターの言葉におじさんは窓の方を指差した。
「隣りの小屋でいいですか?もうそこ一つしか空いてないですが」
聞くと周りの小屋全てがこの宿のものらしい。バンガロー形式というやつだろう。小屋にはテーブルなどの家具が無いとのことなので、ここで食事を頂くことにした。
「若い黒髪の女の子ねえ」
夕食を頂きながらわたしがした質問に首をかしげるおじさん。
余り物ですが、といって出された夕食だったがボリュームも味も充分なものだった。クリームスープにパン、ハムステーキに温野菜。お腹の減っていたわたし達は恥ずかしいくらいにがっつく。
「結構身なりのいい感じの人です。冒険者じゃなくて」
ヘクターの言葉におじさんは首を振った。
「なら尚更見てないなあ。ま、どっちにしろ今夜は行商人の集団がお泊まりに来てるだけだから若い娘さん自体いないけどね」
フロロの情報通り、この辺りはここ意外にも宿が点在しているらしく「その何処かかもね」とのことだった。アンナをその何処かからシラミつぶしに探して行くとしても、そこまで距離は近くないらしいので軽く夜が明けてしまうだろう。残念だが今日の活動はここまでということだ。
わたし達は食事のお礼をすると部屋の代金を払い、隣りの小屋へ向かう。途中でアルフレートが、
「部屋代がかかるようになったのが痛いな」
と言って顰蹙を買ったが、正直わたし達の持ち金でこれからフェンズリーまで行くのは確かにキツい。最悪バクスター家で帰りのお金を工面してもらうはめになったらどうしようという不安も浮かんでしまった。
小屋の扉を開けるとおじさんにもらったランプを天井中央からぶら下がっている掛け金に引っ掛けた。あとは二段になっている寝台が三つ。丁度6人は寝られる。わたしは寝相の悪いイルヴァを下の段に押し込むと上の段に横になった。
暫くすると早くもあちらこちらから寝息が聞こえてくる。皆疲れていたんだな、と思うものの、逆に冴えてくる自分の頭。疲れ過ぎていて眠れない……そんなパターンかもしれない。
とりあえず目を瞑り数を数えていく。
……そういえばあの悪魔、何て言う名前なんだろう、……いかんいかん。
……アンナは一人で向かってるのかな。いや、無理だろう。いくらモンスターの少ないローラスといえど丸腰で一人では危険過ぎる。誰か護衛でも雇ったか……でもそうなるとわたし達と離れた意味は何?やっぱり瓶の中身を見られたから?
ああ、だめだ。眠れない。
わたしはむくりと起き上がると頭を振った。深く息を吐き出して周りを窺い、少し夜風に当たりに行く事にした。
表に出ると深く息を吸い込む。吐き出す息と共に頭の中のモヤモヤまで出ていくような感覚に、わたしは自然と顔の強張りが取れ、改めて伸びをした。空を見上げると雲の切れ間に満月にはやや足りない月が浮かんでいる。
「この天気じゃ女神ルナはご機嫌斜めかしらね」
わたしは満月の晴天の日に地上へと舞い降りるという伝説がある女神の名前を口にする。確か彼女は恋多き神だ。きっと美人なんだろうな。その姿をぼんやりと想像しながらゆっくりと歩き出す。
林の木がザワザワと騒ぐ音が胸に響く。なぜかこんな誰もいない夜道を見るとウキウキしたような気持ちになる。根暗なのかしら。それは否定しないわ。そんなことを考えていると、
「眠れないの?」
後ろから声が掛かった。振り向くと上着を肩にかけた姿のヘクターが立っていた。
「え、あ、うん」
久々に二人きりになったせいか緊張してしまう。
「眠くなるまで話し相手になろうか?」
いやいや逆効果ですから!とは言えるはずもなく、ぎこちなく頷くわたし。ヘクターはこちらに歩いてくるとわたしが見ていたように月を見上げる。
「満月……には早いか」
「もうすぐだね。明日明後日にはまん丸になるんじゃないかな」
月は雲に隠れたり出てきたりを繰り返していた。月夜に照らされるヘクターはとても綺麗な横顔をしている。ああ、やっぱりかっこいいなぁ。
「心配?」
ヘクターの言葉に一瞬首を傾げるがすぐにアンナのことだろうと理解する。
「そりゃあ、うん。一人じゃ何も出来なさそうなのにまさかいなくなっちゃうなんて思わなかったし、色々聞き過ぎたのかもって……」
ショックをうけている彼女に矢継ぎ早に質問したのは間違っていたのかもしれない。
「でも何で?」
「リジアは特に仲良くなってたから」
何か勘違いされている気がしないでもない。でもそう言われて悪い気はしなかった。
「わたし、兄弟いないからわかんないけど、大好きなお姉ちゃんに会いに行くの楽しみにしてたと思うのね。届け物することよりよっぽど重要なことだったんじゃないかな」
だからこそ、わたし達が一瞬考えたように魔人の瓶を望んでいたのが姉エディスだとしたら?アンナがわたし達を置いて行ったのにはその辺に理由がある気がする。
「リジア一人っ子なんだ。俺と一緒だ」
「そうなんだ!他のみんなは兄弟いるんだよね。だからちょっと羨ましかったんだけどね」
「みんな兄弟いるんだ?」
「うん、ローザちゃんはお姉ちゃんが二人いるでしょ、イルヴァはお兄ちゃんに妹弟、フロロは妹がいるって言ったかな?アルフレートは……よく知らないけど」
ヘクターは「ああ」と言って笑った。二人とも何となく月を見上げながら会話を続ける。
「わたしが小さい時に、両親が『兄弟ほしい?』って聞いたらしいんだけど、わたしが『お姉ちゃんがほしい』って答えたらしくて、それでじゃあいいや、ってなったんだって」
「かわいい受け答えだなぁ」
笑いながら言ったヘクターの台詞に思わずドキリとする。い、いや『受け答え』の部分がかわいいって言ってるのわかってるんだけどね。顔の赤さは薄暗い中見えないだろうけど、誤魔化すように手で頬を押さえながらわたしは質問する。
「ヘクターの家族は?どんな人?」
「うち両親いないんだ。俺、じいちゃんばあちゃんっ子なんだよね」
思わぬ回答にわたしは絶句してしまった。自分ばかりぺらぺら喋っているな、と思ってした質問が裏目に出てしまった。
「あ、両親が死んだのはもう何年も前の話しだから気にしなくていいよ」
いつもと変わらない優しい笑顔に少し泣きそうになる。うかつだった。そんな思いから新たな話しが出てこなくなってしまった。わたしが黙っているからか、ヘクターは続ける。
「死んだ両親二人共、剣士だったんだけどね。俺が言うのもなんだけど家庭を持つのに向いてない人達だったなぁ」
あくまでものほほん、と言うヘクター。じ、実の息子に言われるってどんな人達だったんだろ。
「生きてる時からいつも家にいなくて、二人で冒険に行っててさ。フラッと帰ってきちゃ土産話なんかして、数日するとまた二人揃っていなくなっちゃうんだよ。……正直、死んだって聞いた時も『ああやっぱりか』って感じだったな……。もちろん悲しかったけどね」
ヘクターは再び空を見上げる。わたしもつられて見上げる。
「お父さんお母さんに憧れて学園に入ったの?」
わたしが聞くと横で首を振る気配がした。
「よくわかんないけどね。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。俺を放ったらかしにしてた事をじいちゃんもばあちゃんも怒ってたけど、俺が学園に入って剣術を学びたい、って言っても何も言わなかったな」
そう言って「諦めてるのかもね」と笑った。
「リジアはどうして学園に入ったの?」
ヘクターの質問に『魔法がかっこいいから!』と即答しそうになったが、なんとも締まらない答えに口籠る。
「わたしも何となく、だよ。うん」
ふへへ、とだらしない笑いで誤魔化す。ふと、ヘクターがわたしの顔をじっと見ているのに気付く。適当な答えに怒ったのだろうか、とも思ったが別に怒った顔ではない。
「え、何?」
焦りながら聞くが、
「いや、何だかこういう話もいいもんだなって」
ふ、と笑みを漏らした。こういう話、って家族の話だろうか。普段あんまりしないのかな、と聞こうか迷った時、月が雲に完全に隠れて辺りが真っ暗になってしまった。風が吹いてすうっとと頬に髪の毛が触れる。静寂がただただ広がる闇の中。不思議と緊張感は無くなっていた。
「……そろそろ戻ろうか」
冷えてきた腕を擦りわたしは言った。
「眠れそう?」
そう聞かれ、わたしはあの妙な頭の冴えも消えていることに気がついた。
「うん、大丈夫」
二人して小屋まで帰る。他の皆を起こさないように静かに寝台に戻ると毛布に包まる。目を瞑って自分でもわからないうちに、わたしは夢の中へと入っていった。
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