一章 願う人、沈黙の魔人
3
「どうぞ」
 わたしは店員がまとめて置いていった飲み物の中から、アンナの前に熱い紅茶の入ったマグカップを置いた。アンナはじっとカップから立ち上る湯気を眺めた後、
「ありがと」
呟くように言って紅茶をすする。相変わらず顔は血の気を失ったままだ。元来の気の強さだけで保っている、といった感じだった。
 今夜の宿泊地コルトールの町まで無事にやってきたわたし達。一軒の食堂兼宿泊施設となっている冒険者用の店に入ると、腹ごしらえに……というよりは体を温めに食堂のある一階にやってきた。表はすっかり闇に包まれている。道中のいつの間にか雨は上がったようだった。
 あの後、漆黒の悪魔が去っていってからは皆無言だった。初めて暗黒の息吹に当てられてショックを受けていたのもある。しかし一番大きな理由はといえば、瞳に光が無くなったように呆然とするアンナに何も言えなかったのもある。現にこの町にはアンナの求めるいわゆる高級宿泊施設が無かったのだが、大人しく冒険者が多く集まるこのような宿屋に付いてきた。この態度を見るだけでも、アンナは瓶の中身が姉エディスを救う魔人が入っていると疑っていなかったことがわかる。どういうことか、と聞きたい気持ちはあるものの聞いても答えはないとわかったようなものだった。
 それともう一つ、わたしは考えないようにしても頭の中にある事が浮んでしまう。それはわたしの疑り深さ故に浮かぶ疑問だった。
 それは『アンナは誰かから故意に騙されたと思っている』のではないかということだ。家宝であり、先祖が実際に使ったとされる「魔人を封じ込めた瓶」が偽物でした、というだけでもショックを受けるのは充分わかる。でも、この長い沈黙が不可解な気がしたのだ。偽物だと知ったショックだけなら、すぐに怒りに変わっていそうな人である。では誰がアンナにフェンズリーまでイェトリコの魔封瓶を持っていくよう指示した?その人物に騙された事がショックなのではないだろうか。アンナ含むわたし達は今現在なんとか無事なものの、一歩間違えば大惨事だったわけだ。
「どういう経緯で、『これ』を運ぶことになった?」
 アルフレートが空になってしまった魔封瓶を指で触れながら言った。
「アルフレート……」
 ローザがたしなめるように腕をつつく。
「これが『こういうもの』だと疑っていなかった?父親は?姉は?本当に何も知らないのか?」
 質問自体は単刀直入なものだが、口調はそこまで責めるようなものではない。ただ今のアンナには酷に思えた。
「ちょっと……」
「お父様よ」
 わたしの声を遮り、アンナはきっぱり言い放つ。俯いたままだが強い口調だった。
「お父様がこの瓶の話しを出してきたの」
「……それは姉からのヘルプがあった後のことか?」
 アルフレートの質問にアンナは頷く。
「バクスター家がなかなか立ち直れないのは知っていたし、エディス姉様が助けを求めるなんてよっぽど苦しい状況だろうから、ってお父様が地下から持って来たの。その時魔人の伝説を聞かせて貰ったのよ。あたしが見たことある家系図の、一番先頭に出てるご先祖様の名前が出てくる話しだった」
 こくん、と唾を飲むような音を鳴らす。途切れ途切れになるのは記憶を思い返しているのだろうか。
「二百年ぐらい前の人で魔導に長けたような方だったらしいわ。人から譲り受けたイェトリコの魔封瓶を開けたら、中から魔人が出てきて『古の力』を授けてくれたんだって。……それでそのご先祖様は財を築いたって」
 アンナの話しはわたし達が予想していたような内容だ。
「『古の力』とは?」
 今度はわたしが質問する。
「……よくわかんないわ。半分おとぎ話みたいなもんだったし。例えばローラスの歴史だって何百年も前の話しだとどこまで本当なのか、半分作り話みたいなのが多いじゃない」
 なるほど、確かにそうだ。古い話しほど王様と女神の間に生まれた息子が救世主になった、だとか獅子に育てられた男が将軍になった、だとか嘘か真かわからないものが多い。歴史というものを紐解く上で絶対に出てくるのが、事実の誇張、強引なつじつま合わせだ。一家系の曰くでもそうなるのだろうか。
「でも」
 アンナは続ける。
「そんな一族の礎になったような大切な話しなのに初めて聞いた話しだったのよ。だから……少し違和感はあったけど、まさかこんなことになるなんて……」
「じゃあ、あなたは父親が真実を知っていてこの瓶をバクスター家に持って行かせようとしていたと思ってるってことね?」
 ローザの質問に一瞬ひやりとした。わたしが気になっていたことをズバリ言われたからだ。アンナは無言のまま、頷いたかどうか微妙な仕草の後、
「あたし、もう休むわ……」
席を立つ。
「ねえちゃん御飯はいいのか?」
 フロロが後ろ姿に呼びかけたが、そのまま食堂を出ていった。
「Aセット『キノコとサーモンのホイル焼き』おまち〜!」
 場違いな明るい声と共に若い女の子の店員がテーブルに料理を置く。
「……食べよっか」
 わたしはイルヴァの真っ直ぐな視線を感じ、提案した。わたし達まで落ち込んでいてもしょうがない。どことなく力無く食べ進める皆をぼんやり見て息をついた。
「どう思う?」
 わたしは隣りでトマトとフレッシュチーズをからめた物を食べ進めるアルフレートに質問を投げかける。
「論外だろ」
 アルフレートは素っ気なく言い捨てた。口をナプキンで拭きつつこちらを向く。
「ま、面白い事はわかったがな。あのお嬢さんはどうやら父親に罪を着せたいらしい」
「さっきの話が丸切り嘘ってこと?」
「あんな典型的な金持ちの『一族繁栄思想』の男が娘にそんなことやらせるわけがないだろう?いいか、さっきお前が瓶を開けたのは事故に過ぎない。予定ならフェンズリーのバクスター家で開けられていたはずなんだ。下手すりゃ娘はテロリスト扱いだぞ?そうなりれば一族は終わりだ」
「知らなかったのかもしれない」
 ヘクターが言うがアルフレートは首を振る。
「尚更ありえない。そんな詳細もわからん怪しいもの送ったりするもんか。願いを叶える?あの手のタイプなら『自分で試してから』だろうな。大体あんな見てすぐにわかるものを……」
「あんたわかってたのね!?」
 わたしがすかさず突っ込むと、いささか居心地が悪そうにしたものの、すぐに「当たり前だろ」と高圧的な態度に戻った。
「ああ、本当に人間というのは不便だなぁ。周りの精霊は狂気にやられてるし、真っ黒いオーラで一杯だったじゃないか。オットーの町じゃ惹かれて出てきた奴らもいたなぁ」
「あのデーモンね!」
 ローザの声にアルフレートは頷いた。
「……なんで言わなかったのよ」
 わたしが睨むと、
「そんなことはさておき」
シカトする。
「娘には金でも送れば良い話しだろう?なんでこんな回りくどい、馬鹿げたことするんだ」
 実はレイノルズ家も火の車で……ということは無いだろう。こんなのんびりした旅に娘だけのみならず駆け出しの冒険者まで雇って旅費を出す余裕があるのだ。けちん坊とは言われながらもそれなりに潤ってはいるはずだった。
「……そうするように頼まれたから、エディスさんに頼まれたから」
 わたしの言葉に全員の動きが止まる。
「アンナが父親のせいだとほのめかしたのは、父親より大事な存在を庇う為なんじゃないの?……エディスさんしかいないじゃない」
「で、でもリジア、何の為に?」
 ローザが聞いてくるがわたしには答えようがない。バクスター家での暮らしに嫌気が差したから?いやいや、そんな無鉄砲な。悪魔召喚なんてことしたってフェンズリーが火の海になるだけだ。そんなことをしようとしているなら精神が病んでいるとしか思えない。それに嫌なら帰ればいいだけの話だ。会ってみなければわからないが、普通に考えてそんなことは無いだろう。
「そもそもずっと気になってたんだけど、なんでアンナが行くことになったんだろうね」
 わたしの疑問にローザは首を傾げる。
「それは……単についでに顔も見たいから、とかじゃないの?」
 なるほど、それなら一応筋は通るかな。
「もーまた探偵ごっこですか?話しに付いて行けなくてつまんないです。ねえヘクターさん」
「え!」
 イルヴァに同類に認定されたからかヘクターが肩をビクン、とさせた。
「何がわかんないのか言ってみればいいじゃない」
 わたしが呆れた声をかけると速攻で返ってくる。
「なんでリジアがあの瓶開けられたんですか?」
 う!っとわたしは思わずエビのフリッターを喉に詰まらせる。痛いところをつく娘だ。
「封印が弱ってて丁度お目覚めの時間だったんじゃない?アンナの話しがどこまで本当かわかんないけど」
 ローザが言うとアルフレートが手を振った。
「それもあるだろうが、封印自体がでかい魔力に反応するタイプなんだろ。良かったな、賢者とやらと同等だぞ」
「嬉しくないわよ……。あとは?」
「俺もわかんないことあるんだけど」
 フロロが手を挙げた。
「あの『悪魔』どこ行ったの?」
 わたしとローザは顔を見合わせ、アルフレートを見る。が、彼も首を振った。
「さあな。溜まった鬱憤晴らす為に破壊活動開始してるんじゃないか?」
「そ、それってかなりマズいんじゃないの?」
「なあに、世の中には我々など足下にも及ばない強者がいるもんだ」
 人任せかよ!
 難題ばかり積み重なった状況にわたしは溜息をついた。
「明日、アンナにもう一度話しを聞くしかないわね。明らかに彼女はまだ何か知ってるんだから」
 わたしが言うとメンバーは皆頷いた。



 翌朝、目を覚ますとローザがもそもそと起き上がる姿が見えた。
「おはよ」
 わたしが声を掛けると眠気眼をこちらに向けた。
「おはよー」
 二人揃ってベットから起き上がる。
「イルヴァ起こして」
 最早慣例となった台詞を言う。素早く着替えるとイルヴァの耳元で大声を張り上げるローザに声をかけた。
「ちょっとアンナ見てくる。心配だから」
 ローザのオッケーの合図を見るとわたしは部屋を出た。



 アンナの部屋の前までくるとノックをする。……反応がない。あれ?起きてないのかな。もう一度、ノックを強めにする。……またも反応はない。
 寝てるんだろうな、とは思ったものの昨日の様子に心配になる。あまり寝れなかったのか、はたまた気まずくて出て来にくいとか。
 しかしとりあえずフェンズリーまでは行くことに決めたわたし達は、あまりぐずぐずしているわけにもいかない。
「失礼しまーす」
 わたしは扉を少し開けて様子を見てみる事にした。部屋の中はまだカーテンが引かれていて薄暗い。完全に寝ているようだ。
 怒られてもいいや、とわたしはベッドに近づいた。その途中、ベッドに全然膨らみが無いことに気づく。
「あれ?もしかしてもう起きて下に行った?」
 独り言の後、何気なく布団をめくった瞬間わたしは凍り付いてしまった。

『ごめんなさい、1人で行くことに決めました。リジアたちはウェリスペルトに戻ってお父様から依頼料を受け取ってください  アンナ』

 羊皮紙に書かれた短い文章。わたしはそれを引ったくると慌てて廊下に飛び出した。
「あ、リジアおはよ」
 部屋から出たところでヘクターに出くわす。
「おは、おはよ!これ!これ!」
「ど、どうしたの?落ち着いて」
 わーわーと騒ぎながら羊皮紙を振るわたしの両腕をヘクターが掴んで顔を覗き込んできた。
 わ、ちょっとときめく状況だわぁ。
 なんてことを考え、一瞬頬を赤らめてしまったが、我に返ったわたしはヘクターの目の前に羊皮紙を突き出した。
「いないの!アンナさんがいないのよ!」
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