一章 願う人、沈黙の魔人
蘇り、放たれる
 村の外まで来ると気温が一段と寒く感じる。街道の脇に寂しげに揺れる草花も露を含んで重そうに首を垂れていた。
「うわー、嫌な雰囲気。リンドブルムでも出てきそう」
「ちょっと止めてよ……」
 わたしの冗談にローザは本気で嫌な顔をする。リンドブルムは伝説のドラゴンだ。濃い霧が立ち込める場所に現れるというが、こんな人里近いところにひょっこり出てこられた方がびっくり、というか相当な運の持ち主かも知れない。
 天候のせいか皆いつもより大人しく歩いて行く。アンナだけは窓から顔を出してヘクターに話しかけることに必死だ。
「ねえねえ、乗って行けば?ちょっとぐらいいいじゃない」
 そこまで必死に馬車に誘い込むのって、乗り込んだら何するつもりなんだろう……。取って食うつもりなんじゃないかという雰囲気にわたしも目が離せない。ヘクターは苦笑し無言で手を振る。
「んもう!」
 アンナは不満げに息をついた。ふとわたしと目が合うと、ちょいちょい、と手招きする。
「乗っていきなさい」
 命令形かよ!と突っ込みそうになったが、わたしが乗ればヘクターにしつこく絡むこともないだろう、と乗り込むことにする。後ろからちゃっかりアルフレートも付いてくる。
「なんであんたまでくるのよ」
 アンナが睨むがアルフレートは涼しい顔のままだ。狭苦しい馬車内、アンナは眉間に深い皺を作る。
「まあいいわ、ついでだからあんた達二人に聞くけど、今の状況ってどうなの?」
 アンナの言葉に「?」が頭に点るわたしとアルフレート。思わず同じ台詞を吐く。
『何が?』
「だから!あたしとヘクターのことよ!」
 どうって……正直、何も始まってないと思うのですが。
「何だか押しても響いてる気がしないのよねー。ここだけの話し『どんだけ鈍感!?』って感じ」
「いや、会って間もない人間に毎晩誘いに来られたら流石に引くだろ」
「ちょ、何!?そんなことしてたの!?」
 アルフレートの台詞に食いつくとわたしはアンナを睨んだ。
「いいじゃないの!減るもんじゃなし!」
 アンナが真っ赤になって反論する。で、誘いは成功したのかどうか、が一番気になったりする。
「で、どうだったの?」
 顔を近づけて聞くわたしにアンナは顔をしかめた。
「……ちょっとお、なんでそんなにしつこく聞くのよお!」
 わたしはぎくりと肩を震わせる。いかん、これ以上追求したら色々面倒なことになりそうだ。
「上手くいくわけないだろ。あんな獲って食われそうな雰囲気で来られたら、いくら男でも引くだろう」
 アルフレートが「けっ」と吐き捨てる。その言葉にアンナさんは怒り、わたしはほっと胸をなで下ろす。しかし良い情報もあった。押し過ぎても引くものなのね。
 わたし達三人が馬車の中で大騒ぎをしていると、外では雨が降ってきていた。
「とうとう降り出したな」
 アルフレートの呟きにわたしは我に返る。
「大変、みんな大丈夫かな。交代してあげた方がいいよね」
そう提案した時だった。フロロが窓の淵に手をかけて顔を覗かせる。
「この雨、多分もっとひどくなると思うぜ。雨宿りしようと思うけどどうする?」
「適当な場所があればその方がいいな。馬も雨は嫌がってるはずだ」
 アルフレートの言うことにわたしも賛成した。歩きのメンバーの為にもその方がいい。
 方針が決まりしばらくすると、街道の左手に山の斜面をえぐり取ったような窪みを見つけた。これ幸いとばかりに逃げ込むわたし達。馬車から降りて馬を休ませる。
 皆の吐く息が白い。わたしは窪みの下にある、まだ濡れていない木片を集めると『ティンダー』の魔法を唱える。小さな火種を起こす簡単な術だ。フロロとヘクターも濡れていないものを選んで薪を持ってきてくれる。
 わたし達は一息ついて丸太や地べたに座り込む。そういえばアンナに地べたは可哀想だな、と何か貸してあげようとするが、すでに自分のハンカチをお尻に敷いてヘクターの隣りに陣取っていた。なんだろう、モヤモヤはするもののこういうところが可愛い人だな、と思ってしまった。
「こういう経験したことないから、結構面白いわね」
 そう呟く彼女はどこか寂しげだ。
「子供の頃にも無いんですか?外でどろんこになって遊ぶとか」
 イルヴァが聞くが彼女は首を振る。
「まさか。お父様が許さないわよ。ただでさえあたしは末っ子で大事にされてきたから」
 『大事に』と彼女は言うが、子供の外遊びを禁止するのはそうなんだろうか。それでもその言葉を選んだ彼女の父親に対する絶対的な信頼を感じた。が、どこか脆さも感じるのは考え過ぎだろうか。
「よく許してくれましたね、今回のこと」
 わたしは聞かずにはいられなかった。
「……エディス姉様は一番仲が良かったから。お父様もさすがにそれは知ってるしね。兄弟の中では2番目と一番下だから年は少し離れてるんだけど」
「へええ、確か長女さんが跡継ぎみたいになってなかった?レイノルズ家って。あたし一番上の長女さんには会ったことあるのよぉ」
 ローザは言ってから慌てて口を塞ぐ。アンナは手を振った。
「いいわよ、もう。『そういう方』なのはもうわかってるし」
 そりゃそうだろう。ローザ、アンナと直接話す時以外は普通にしゃべってるんだもん。
「お前も馬鹿だな」
 アルフレートが冷たく言い放った。……『も』っていうのはもう一人はわたしのことだろうか?
「性格は正反対だったけど、なぜか一番気が合ったのよね」
 そうアンナは自分と姉エディスさんのことを語った。
「正反対ってことはお姉さんは大人しくて控えめと?」
 思わず本音が漏れたわたしをアンナが睨んでくる。わたしはそっと目を反らした。
「まあ本当にそうなんだけどね。姉様は兄弟の中でも一番大人しくて可憐で、絵に描いたようなお姫様だった」
 あなたもある意味絵に描いたようなお姫様ですよ、という言葉は言わないでおいた。これ以上言うと本気で怒られそうだ。
「ああ、正反対の一面もあったな。あたし一度、父に追い出されそうになったの。まだ10歳になるかならないかぐらいの時よ。行っちゃいけない、って言われてたサーカスに友達と行って……その時庇ってくれたのもエディス姉様だった」
「けっこう厳しいんですね……レイノルズさん」
 わたしが言うとアンナは笑う。
「姉様も怖かったわよ。『お父様はサーカスに行ったことを怒ってるんじゃない、言うことを聞かなかったことを怒ってるだけです』って言って、家中静まり返ったのよ。未だに忘れられない。父も言い返さなかったのよね」
「あたし、そんな場にいたら間違いなくお腹壊してるわ」
 ローザの呟きにはみんなで吹き出す。アンナも声を上げて笑っていた。
「他にも読んじゃいけないって言われた流行りの本を買ってきてくれたり、髪の巻き方を教えてくれたり、友達への手紙の書き方を教えてくれたりね。姉がいなかったらあたしは花輪の作り方も知らないし、バスの乗り方もしらなかった。唯一作れるチョコレートクッキーも姉様に教えて貰ったのよ。正直言うと……他の兄弟よりも大事な人なの」
 アンナの話を聞いてわたしは思う。レイノルズ氏ってなんというか過保護?いや、なんか微妙にズレてるな。失礼だけど娘が『こんな風』になったのも分かるような。
「姉様が結婚するって決まった時はそりゃあ悲しかったわ。でも幸せそうな二人を見て、諦めがついたの。だからこそ、ずっと幸せなままでいて欲しかったのに……」
 エディスさんの嫁ぎ先、バクスター家の落日の日でも思い返されたのか、アンナは爪を噛んだ。
「あのイ……何とかの瓶ってやつ、本当に役に立つんですかね?」
「イェトリコの魔封瓶、ね」
 イルヴァにわたしは答える。アンナはまた瓶を革袋から取り出すと眺めた。
「大丈夫よ!だって見るからに何か力を持ってそうじゃない?こんな閉じ込められて光の粒になってても、しかも魔法の力も何もないあたしでも何か感じるものがあるもの」
 アンナはふとわたしを見ると、
「そういえばあなたは魔術師なのよね。見てみて、何か感じることない?」
 そう言って瓶を渡してくる。急に手渡され、おっかなびっくり手に持って眺めてみる。中はヒカリゴケとも違う、実態が無い光の塊のような球体がぷかぷかと浮いている。これが表に出てくると魔人の姿になるのだろうか。わたしは絵本でみた青い肌の筋肉たくましい姿の魔人を思い浮かべた。『汝の願いを三つまで叶えてしんぜよう』とか言うのかしら。それよりまず、賢者ウォンはどうやって封を切るんだろう。『ひらけゴマ』みたいな呪文でもあるのかしら。
 そんなことを思いながら何気なく瓶の上部にあるコルク栓に手をかけた。何の手応えも無くぽろりと栓が抜ける。
 え?
「ち、ち、ちょっと……」
 アンナが乾いた声を上げる。
「なななななななあんでアンタがあけちゃうのよおお!!」
「し、し、し、知らない!知らない!」
 アンナとわたしの絶叫が響いた。次の瞬間、一瞬にして辺りが光に包まれ、空気を切り裂くような爆音が響く。反射的に目を瞑り、静寂が戻った時ようやく恐る恐る目を開けた。
「な、何よこれ」
 ローザの声がかろうじて耳に届く。わたし達の上空に浮かび上がる異形の姿。漆黒の肌に不気味に光る赤い目。ドラゴンと人の融合のようなその姿は有に二階建ての建物ぐらいの大きさがある。オットーの町でデーモンを見ている経験があったからわかる。これはそんな生易しい存在じゃない。
 願いを叶えてくれそうな雰囲気が全く無いけど、これが魔人なの?わたしがそう口を開きかけた時だった。目の前のそれが口を大きく開けたかと思うと、そこに光が収縮し出す。まるでドラゴンがブレスを吐き出すかのように。攻撃される、そう思った時にはもう遅かった。耳に不快な高音と共に光の筋が放たれた。鼓膜がどうにかなりそうな轟音、息が出来ない程の高温が襲いかかる。
 ああ、わたし死んじゃうんだ。こんな訳わかんないまま終っちゃうんだ。
 そう思ったのもつかの間、いつまでも朽ち果てることのない意識に我に返り目を開ける。
「アルフレート!」
 わたし達の前に立ちはだかるのは、巨大な光の魔法陣を右手に携えたアルフレート。これは、シールド?アルフレートは首だけこちらを振り返ると静かに言い放つ。
「……これは魔人なんかじゃない」
 ふ、と魔法陣が空に消える。
「これは、悪魔だ」
 それを聞き、一瞬、何もかもの音が消え去った感覚に陥る。
 悪魔……、わたしが知っているそれは神話時代から、人間の守護者である善神と対を成す存在だ。人間が邪神と呼ぶものに仕える異界のもの。破壊の権化、生物の永遠の敵。
 ローザのように特定の神に信仰がないわたしにとって、善神でさえ遠い世界の話しだった。にも関わらず、目の前の存在は見るだけで肌の泡立ちが止まらない。彼の力の何分の一をわたしは感じられているのかもわからないが、震えが止まらないのだ。
 漆黒の肌の悪魔は一度の攻撃の後は何もしないまま、にやりと笑うとそのまま黒い翼を大きく揺らがせた。黒い羽根が宙にいくつも舞う。わたしは場違いに「きれいだな」と考えていた。
 雨が降り続ける空を何度か旋回すると、黒い悪魔はどこかへ消えていってしまった。あとにはただ呆然とするわたし達。アルフレートの大きく息をつく声を聞き、わたしは我に返った。
「アルフレート!」
 わたしの声に彼はゆっくり振り返った。見ると額には少し汗が浮かんでいる。本人の中でも大きな力を使ったということだ。
「大丈夫なの?」
 わたしが聞くとアルフレートはひょいと肩をすくめる。いつもと変わらない彼の姿にわたしは安心した。
 それにしても、エルフであるアルフレートが『召喚魔法』を使えるとは思わなかった。わたしはソーサラー故に変なところで感心してしまう。彼の手から放たれていた光の筋、魔法陣が召喚魔法である証だ。精霊と友好的な態度で『お願い』して力を出す精霊魔法とは違い、召喚魔法は『強制的』に精霊に始まる異界のものの力を使う。この性質から召喚魔法を使う精霊使いは少ない。『精霊は友達!』から『言う事聞けやオラ』になるわけだから当然だろう。魔法陣はこちらの世界にくるゲートであり、異界の者が直接姿を現して法撃を行う場合と、先ほどのように魔法陣のみが現れる場合があるらしい。
「明らかに味方って感じじゃなかったわね……」
 長い放心状態から回復したローザが立ち上がった。
「……そりゃ、そこのお嬢さんに理由を聞けばいいんじゃないか?」
 アルフレートはアンナを見る。アンナは紙のように白い顔でただただ唖然と空を見つめていた。
[back][page menu][next]
[top]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -