一章 願う人、沈黙の魔人
可愛いあの子
 闇に蠢く二つの影が、建物の二階部分にあるバルコニーに身を隠すように潜んでいる。室内の音を拾おうとする動きは怪しいことこの上無い。
 ……わたしとアンナさんだったりする。
 わたし達がいるのは今夜泊まる事になった宿屋のバルコニー。小さな村にある唯一の宿なので高級感は無いが、温かみのある佇まいのなかなか良い宿だった。夕食を終えたわたし達は一度昨日と同じ編成で部屋に入り、わたしとアンナだけ抜け出してきたのだ。
 フロロに言われてヘクター達が泊まる部屋の方まで抜き足差し足やって来た。二階にある部屋は全てバルコニーが繋がっていたので、来るのは簡単だったが罪悪感がものすごい。しかしこれはアンナからの指令なのだ、と考えて奮い立たせる。
 カーテンから微かに漏れる明かりを頼りに部屋の前まで来ると、そっと中を覗き込んだ。
 い、いたー!と声を漏らしそうになる。三人が各ベットの上に腰掛けて談笑中のようだ。くつろぐヘクターを見て和むと同時に、何やってんだわたし、とまた情けなさがこみ上げてくる。三人の様子からするに何かしら話しているようなのだが、冬場は寒冷地な故に窓が分厚くて何言っているのか全然聞こえない。
「ちょっと、これじゃ意味ないじゃない」
 アンナさんの文句に人差し指を口元につけて『静かに』のジェスチャーをした時だった。
『……ぉっとあけるよ、暑いっしょ』
 くぐもった声が中から聞こえる。フロロだ。彼はわたし達のすぐ側までくると少しだけ窓を開けた。これで中の 声が聞きやすくなった分、こちらの物音にも更に気をつけなければならない。
「しかしまだ半分も行ってないことになるのか。面倒な旅だなぁ」
 アルフレートのぼやきが聞こえてきた。
「首都に行くチャンスがあっただけでも良かったよ。あとはフローラの体力が持てば良いけど」
 ヘクターの声も聞こえる。
「大丈夫だろ。実物のイグアナでも1週間ぐらい絶食したりするんだ。というかロボットだろう?」
「まあそうだけど、やっぱりたくさん食べれば大きくなるのも早いんじゃないかな。楽しみだよね」
 フローラちゃんにはどういう仕組みか、異次元装置のようなもので中に入れる小部屋がある。今は雑魚寝も出来ないような小ささだが、ゆくゆくは宿代もかからなくなるかもしれない。そうなれば便利なのだけど、とわたしも期待してたりする。
 3人は取り留めの無い話しをしていたが、ヘクターの一言で話しの流れが変わって行く。
「フロロのそれってさ、自由に動かせるの?」
 ヘクターは興味深げに見ながらフロロの尻尾を指差し尋ねる。
「動かそうと思えば動かせる。でもあんまり器用じゃないよ。犬みたいに感情が出るわけでもないしね」
 へえ、そうなんだ。知らなかった。自分がいない場でのメンバーの会話もなかなか面白い。
「子供の内の方が獣らしさが強い。仲間のパウロなんか未だに尻尾も器用だな」
 そんな話しから次第にモロロ族の話しになり、フロロ以外の二人が興味深げに聞いている中、意外な話しが出てくる。
「モロロ族は流浪の民。だから会えないけど俺には婚約者がいる。今は会えないけど成人の儀式を終えたら迎えに行くのさ」
 一瞬、時が止まったようになった。ロマンチックな話しだけど……この話し、確実に嘘である。
 なぜならフロロがこんなからかい甲斐のある……いや面白い話しをヘクターだけならまだしもわたしやアルフレートに話す訳が無い。彼はわたしが此処にいることを知っているのだし、目の前にはあのアルフレートだ。
 普段の寡黙さはどこへやら、流暢に婚約者話しをするフロロ。こういうところにも彼は盗賊なんだなあ、と感じてしまう。色白で栗色の髪、大きな吊り目かあ。これフロロの好みだったりして。
 アルフレートは片眉を上げたまま何も言わない。ヘクターはというと、
「へぇ〜、すごいなぁ。婚約者かあ」
素直に関心していたりする。大変胸が痛む。
「ところでお兄ちゃんはどうなの?」
 いきなり場末の風俗勧誘のような顔つきになるフロロ。始めきょとんとしていたヘクターだが、手を振り笑った。
「俺は普通の学生らしい学生だよ。婚約なんて話しに出た事もない」
「そう、じゃあ例えばどういう子なら良いと思う?」
「うーん、どうだろうなあ……。結婚なんて考えたことないからどんな人って言われても……」
「い、いやそうじゃなくて」
「単純にどういう娘がタイプかって話しだろ」
 珍しくアルフレートがフォローする。
「ああ、そういう話し?どうだろう、そんなタイプ分け出来るほど周りに女の子いないし」
 ヘクターは頭をかきつつ笑った。
「もっと簡単に考えてよ。例えばブロンドの子が良いとか、黒髪の方が良いとか、目は大きい方がいいとかオッパイは……」
 フロロの何気ない誘導にわたしは喉を鳴らす。わたしの腕を掴んでいるアンナの手にも力が入るのが判った。
「好きな子だったら何でもかわいいんじゃない?ブロンドの彼女が黒く染めてきたらそれはそれでかわいいと思うよ」
 ヘクターの返答にがくっとうなだれるわたし、アンナ、そしてフロロ。このかわし方、ごまかしてると言うより……もしかしてヘクターって天然!?
「強いて言えば、何かにがんばってる子はいいな、と思うよ」
 このヘクターの言葉にわたしは急に胸が熱くなる。良い言葉だ。とてもヘクターらしい、そう感動すると共に期待が膨らんできた。それってそれって、ヘクターに褒められたことのあるわたしは印象良いと思っていいのかしら。
 その後も「痩せ形かグラマーか」や「背は小さいほうが良いか高い方が良いか」などフロロが質問責めにするも、はっきりとした答えは引き出せない。その時、痺れを切らしたのかアンナがぼやく。
「ちょっとぉ、あたしのことどうなのか聞いてみてよ……、遠回しすぎてつまんないじゃない」
「ばかっ」
 わたしはアンナの口を塞ぐ。と、そのままぐらりと体勢を崩し、二人とも尻餅を付いた。
「い、いたぁい、何すんのよぉ」
 わ、わ、わ、聞こえるじゃん!わたしが慌てて手を振り回した時だった。
「……リジア?どうしたの、そんなところで」
 ヘクターの声にぎくりとしながら振り返る。見ると部屋の中の三人が揃って窓から顔を覗かせている。フロロとアルフレートは苦々しい顔だ。その中で唯一きょとんとしているヘクターに、アンナの上で倒れ込んでいるというどうしようもない状態のわたしは弁解した。
「ちょ、ちょっと星を見に来てたのよ、二人で」



 翌朝はどんよりと曇っていた。
 ローラスの春は曇ってしまうだけでぐっと気温が下がる。窓も水滴で曇っていることが表の寒さを窺わせた。急激な気温の変化はこの時期はよくあることだが、やっぱり気分が落ち込むものだ。わたしは温めるよう手をこすりながら部屋を出た。
 宿の出入口脇にある談話室に入るなり、
「お前馬鹿だろう」
 アルフレートの言葉が降ってくる。わたしはぐっと詰まった。
 昨日の一件はやはり初めからバレていたようだ。エルフの耳も人間比べれば格段にいいし、考えてみれば精霊を目視できるようなアルフレートにはバルコニーにわたし達の生命の精霊がうろうろしているのが見えていたに違いない。それでも知らんぷりを貫いていたアルフレートに悪意を感じる。
 わたしはテーブルに置いてある水差しから一杯の水を酌むと一気に飲み干す。
「……はーっ。しょうがないじゃない、アンナさんに頼まれたんだもん」
「しかしこそこそやって来て、何を企んでるのかと思えばくだらないことを」
「だーかーらー、アンナさんに言えばいいじゃん」
「お前の態度も丸判りだから言ってるんだ」
 アルフレートはしばしばこんな調子でわたしを怒る。わたしの祖母と知り合いなだけに孫感覚なんだろうか……。それにしても丸判りとは?一体どこまで勘ぐってるんだろう。
「な、なんの話してるのよ」
 わたしが何とか探り出そうとした時だった。
「おはよー」
「おはようございます」
 ローザとイルヴァも降りてくる。すぐ後ろにはフロロを肩車したヘクターの姿。このツーショットも見慣れてきてしまった。
「おはよう」
 爽やかな顔で言われ、何だか照れくさいわたしは思わず目を反らしてしまう。
 してしまった後に押し寄せる後悔。うわ〜、何やってんだ自分!絶対変だと思われたよ。っていうか失礼だよ。
 とその時、アルフレートがいきなり叫ぶ。
「お前は本当にバカだな!そんなに落ち込む暇があったら精進しろ!」
 いきなりの怒鳴り声に「は?」と全員がアルフレートを見る。
「いや、今リジアがいかに魔術師として不甲斐ないかを説教していたのだ。予想外に凹んでびっくりしている」
それにローザは溜息をついた。
「あんたねえ、事実と違う事言えば『からかい』で済むけど、本当の事言ったらそりゃ傷つく……」
「その言葉も傷つけてますよ、ローザさん」
 イルヴァの同調にも傷つくわたし。しかし弁解する気も起こらない。ごまかしてくれたんだろうけど、もっと他になかったんだろうか。
「それよりアンナさんは?まだ起きてないの?」
 ローザの質問にわたしは頷く。
「まだ来てないけど」
 誰か呼びに行く?と言いかけた時、ちょうど階段からアンナが降りてくる。
「おまたせ〜」
 うっと思わず顔をしかめるわたし。何を思ったのかアンナの顔はかなり濃い化粧が施されている。元が濃いお顔立ちなだけに舞台メイクか!?と言いたくなるくどさだ。それに加えて何とも甘ったるい香水の香り。
「さ、朝ご飯食べに行きましょ!」
 明るく言うとヘクターの腕を取り、引っ張っていく。
「いや、ちょっと、あぶなっ」
 ヘクターが身体のバランスを崩し、上にいるフロロが頭頂部にしがみついているのが見える。
「どうしたの?」
 ローザに耳打ちされるが、
「さあ……」
わたしは引きつった笑顔を返すしかなかった。



 美味しそうな具沢山スープを前にしても、わたしの心は晴れない。湯気の向こうではアンナがヘクターに向かって「あーん」などと言ってチーズの付いたブロッコリーを口元に運んでいる。
「いや、自分で食べられますから……」
 丁重にお断りを入れているものの、ぐいぐい来るフォークにヘクターの顔は困り顔だ。
 アンナさん、何を思ったのか「がんばってる子が好き」を曲解しているような感じだ。他の面々はというと、ローザは明らかに引きつり顔、イルヴァは無関心。フロロとアルフレートはというと、なぜかニヤニヤ笑っていたりする。ほんっっっとうに腐った奴らだなあ。
 わたしはむかむかする気持ちを押さえつつ、パンを噛み切る。
 おお、美味しい。小さな村の数少ない御飯処だというのに、ウェリスペルト辺りでもやって行けそうな味だ。お陰で少し気分が和らぐ。
「今日は天気が残念な感じだね。コルトールに着くまで降らなきゃいいけど」
 アンナの手が懲りずに差し出されたのを牽制したのか、ヘクターが話しを振ってくる。
「出来れば早め早めのペースで行きたいところだわね」
 ローザは答えながら色んな野菜類や加工肉が挟まったクロワッサンを頬張った。少し不満そうな顔をしながらも自分の食事を始めたアンナさんを見てわたしは気になっていた事を聞いてみることにする。
「ところでフェンズリーの賢者って言われてる方って、『穴蔵のウォン』って呼ばれてません?」
 いまいち格好良さは無い名前だが、わたしが知っているフェンズリーの賢者ならこの人だ。わたしの質問にアンナは目をぱちくりさせる。
「あら、知ってるの?」
「まあ、一応。存命とは知りませんでしたけど。変わった人らしいですね」
 アンナは少し考えるような素振りだ。
「あたしは会ったことないから何とも言えないけど、そんな話しね。でもバクスター家では随分お世話になったりお世話したりって半親戚みたいな扱いらしいわよ。なんでも先代のお父様の代に顧問として付いてたらしいの。それからずっとの付き合いみたい。姉様達の結婚式には来てなかったけどねー。人嫌いなんですって」
 ふうん、国政に関わる人のアドバイザーなのに人間嫌いか……。人間関係の一番濃い部分に携わる仕事だと思うけどな。まあわたし含め、ソーサラーなんて変わり者しかいないのだ。
「えーと、上手くいくと良いですね、その……」
 わたしが言い淀んでいると、察知したらしく大きく頷く。
「そうね……、うちの書庫で眠ってた文献だと知識を授けてくれる魔人が入ってるらしいから、そんなに暴れん坊じゃないんじゃないかしら」
 そう言ってアンナはふふふ、と笑った。こういうところを見ると魅力的ではある人なんだけどね。
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