「イルミさんの、」
ぽつりと部屋に落ちた声は、オレが聞き逃すことのないようにと配慮されたのか、随分と鮮明な色をしていた。帰宅したばかりのオレに挨拶もせずそう切り出してくるということは、さぞ急いで言いたいことがあるのだろうと、少しだけなまえの声に耳を傾ける。
「イルミさんの、手、きれいですね」
なまえは真っ白な布団にくるまって、目元だけをそこからちらりと見せては言った。布団の陰からはなまえの髪束が少しだけこぼされていて、そういった化け物のようにも見えるが、声ばかりはなまえのものだ。
だからその言葉はなまえが発声したものであって、無論、オレに向けて放たれたものだ。そう考えるのが自然だろう。
「ふうん」
適当に返事をしたのは、オレの機嫌の良し悪しには全く起因していない。だってそこには何もない。オレの手が綺麗が汚いかなんてなまえにはさほど重要ではないしきっと興味もない。そう断言できるのは、なまえが布団の化け物としてそこにあろうとしているからだ。
「夕食は?」
「きれいです」
「食べたのかって聞いてるんだけど」
「綺麗……」
白い身体は巨大な芋虫の如く、布団の端から伸びている髪は少しばかり絡まっている。近付いて手を伸ばせば、なまえの細く白い腕は布団の中に隠れようとした。強引に手首を掴んで引っ張り上げると、寝汚いばかりの女が寝具の中で項垂れているさまがみえた。
「オレは自分の玩具が壊れても、粉々になって原型留めなくなるまで使うから」
壊れたふりなんかするなよ、そこまでは口にすることができなかった。別に壊れていてもよかったし、壊れていないならそれはそれで問題ない。
「分かったら起きて服着て顔洗って。お前のすきなワインを開けるから」
手を離せばなまえは寝具の上に落ちて、小さな呻き声の後に普段通りの無気力な返事をした。起き上がったなまえは少しだけ鼻を啜り、涙で濡れた目元を擦って洗面所に向かっていった。