ゴミ箱 | ナノ


#仙輝暗転の番外編




「俺の鯨と先生の鯨、どっちが強いか勝負しようよ」
「何?」

 鍾離は緑茶を飲み損ねた。対面するタルタリヤは、手元の揚げ魚と格闘を続けている。絡んだ餡が滑るのか、彼の箸先はなかなか所有者の口元へ向かおうとしなかった。
 この二人が万民堂で食事をする風景はさほど珍しいものではない。厨房に香菱が立っているならば尚更のことだ。

「何かの比喩か?」鍾離は茶杯を置いた。
「昔……、あー……、んー……と、むかーし、岩王帝君が作った石鯨の話を耳にしてね。海獣を倒すために岩王帝君が作ったクジラ。先生も知ってるだろ?」
「その話は誰から聞いた?」

 鍾離の視線が鋭くなった。公子はその眼差しの色に気付きながら、箸先で餡をこねる様子を眺めている。「んー、誰だったかな……」粘つく餡をこそぎ落として、箸と魚肉の摩擦を増やそうとしている。しかしすぐに彼は諦めて、「う〜ん……」一口と言うには些か大ぶりな魚の切り身に、片方の箸の先端が突き刺さる。

「なまえって言う学者さんだったかな?」

 公子はついに魚肉を持ち上げて、己の獲物に歯を立てた。「うん、美味い、」唇を輝かせながら感想を漏らす。箸に刺さった魚肉から、ぼたりと餡が垂れた。

「彼女と何を話したんだ」
「岩王帝君の話だよ。石の鯨が倒せなかった海獣を、これまた岩王帝君が今度は玉から鳶を作って、あれ、岩だったかな。磯? まあいいや、俺はその海獣と互角に戦った鯨が見てみたくてね」

 夕焼け色の瞳が、青天の瞳を突き刺した。「ねえ先生、」青年の口元が怪しく笑い、魚の肉を喰い千切る。

「そんなに短気じゃ嫌われちゃうよ」

 ね、と公子は目を三日月のようにして、悪戯っぽくはにかんだ。「……俺よりも長く生きてるのにそんなに急がなくてもいいじゃないか、それにあの学者さんは、ずーっと岩王帝君の話をしてくれたよ」その学者との会話はあまり良くない記憶だったのか、表情は少しばかり暗い。鍾離の気の早さを見た驚きもあり、公子は一度箸を置いた。

「別に口説いた訳でもないし、先生の居場所を聞いたついでにちょっとお話ししただけだよ。何もしてないよ、本当。お茶だって飲んでない」
「彼女はどこにいた? 近頃まったく顔を合わせていないんだ……」
「ああ、なんか忙しいみたいだったね」
「……、」

 多忙の最中、彼女は公子の為に時間を割いた。自分が彼女のためを思ってできないことを、さも当然のようにやってのける。「あー、うん、だから、『詳しいことは鍾離さんに聞いてみてください』って言われたよ。随分信頼されてるんだね、先生は」彼はそろそろ鍾離の視線が嫌になって、また手元の魚料理に箸をつけ始めた。煽りすぎたな、と前髪の下で反省するような色を見せて、公子は人よりも遅い食事の時間を堪能する。

「鍾離先生の石鯨と、俺の星海遊鯨、ぶつけあったら面白いと思わない?」
「……凡人には理解が難しい発想だな」
「そう言わずにさあ」
「それに、俺はもう、いたずらに何かを作ることはしたくない。もしその鯨に興味があるのなら、海底まで探しに行くといい。運が良ければまだ生きているかもしれないな」

 公子は遂に諦めて、「分かったよ、先生は俺の相手は何がなんでもしたくないんだね」「スネージナヤの武人と対等に渡り合える凡人がどこにいる」「ハハ、割といるよ。先生が思っている以上に」鍾離は茶杯を傾けて、熱いお茶を口に含んだ。瞳の色ばかりがいつまでも冷めていた。

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