ゴミ箱 | ナノ


「わたしは遠くに行ってしまったタルタリヤとしてのあなたが好きだったのかもしれないね」

 どういうこと、と問えば、「あれからもう一度、もらった手紙を読んだの。三通くらいだけど」と言って、彼女は柔らかく笑った。
 彼女の言う手紙とは、俺がスネージナヤの外交官として遠くの地に派遣されて、それでも尚彼女との関係を繋ぎ止めるために送り続けていた手紙のことだ。別に文通をしている訳でもなかったから、返事が来ることは無かったけれど、彼女に俺の存在をどうしても忘れて欲しくなくて、数ヶ月に一度は手紙を書いて送っていた。

「その手紙が何さ」
「それでね、気づいたの。わたし、アヤックスくんとしてのあなたではなくて、タルタリヤとしてのあなたが好きなのかもしれないって」

 スネージナヤの雪が届かないくらいの遠い土地で何をして、何を食べて、何に心を動かされて、これから何をしようとしているのかを、文字で読み取るあの時間が好きだった、と彼女は言う。

「戦地でたくさんの戦果を上げる『公子』様、だけど功績や勲章には興味がなくて、戦うことだけが大好きな人なんだ、タルタリヤは。わたしによく手紙をくれるの。わたしが好きそうなお土産を付けてね」
「俺のことだよ、それは」
「わたしは、たぶん、アヤックスくんのことはそんなに好きじゃないんだと思う」
「……手紙の中の俺しか愛してくれないの?」
「わたしの好きな人は手紙の中にしかいないの」

 眉を下げてみせた俺に対して、彼女も同じようにそれをした。同情されているみたいで少し腹が立ったから、今度は目を鋭くして彼女を睨みつけた。
 彼女の表情は変わらずに、困ったように笑うだけだった。

「じゃあ、手紙はもう二度と書かない。そいつのことは忘れなよ。手紙の中の人間は君のことを愛さない、君の目を見つめることもない」
「わたしは見つめてるよ」
「たかが文字だろ」
「文字でも、それだけでも、彼のことが好きになっちゃったから。それに、」

 タルタリヤは優しいんだよ、君とは大違い。
 はっとして、手の中に冷たいものがあることに気がついた。彼女の、細い腕だった。「……ごめん」謝りながら手を離せば、白い肌に鬱血のあとが残っていて、相当強い力で握りしめてしまっていたことが分かった。

「俺はどうすればいい?」
「何が?」
「俺は君にもう手紙を書けないかもしれない」
「まあ、わたしは彼にずっと返事も書かなかったから、手紙が途絶えても仕方がないかなと思うよ。ただ、安否の確認ができなくなっちゃうのは残念かな」

 俺の指のあとがついた白い手首を撫でながら、彼女は言う。

「……俺と付き合ってはくれないの?」
「うん、好きな人がいるから」
「自分が何言ってるか分かってる?」
「……うん」

 ごめんね、と彼女は笑った。決して嬉しくはなさそうな表情だった。俺を宥めるような声色だった。その場に冷たい風が吹いたような相槌だった。「また、近いうちに手紙を書くよ。次は返事が欲しいな」そうして、俺は彼女の前から去った。二年ぶりの再会だった。二人で食事もできなかった。コートの中に溜まった熱が、どうにも気持ち悪かった。
 訪れた土地で適当な便箋を買って、文を書く。毎度のことだ。毎回便箋の形が違うほうがおもしろい。いつ届いたか、何が書いてあるかを覚えてもらいやすい。
 書き出しはいつも通りだ。内容は、まだ考えていない。

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