小説 | ナノ




 壁一面に赤い花が咲いている。しかしよく目を凝らして見てみれば、壁を這う蔦もなければ、花ひとつひとつに花冠かかんも見当たらない。それが花などではないとなまえが悟ったとき、桜色の髪が部屋の中央で翻った。
 切れかけた電球が、天井にひとつだけぶら下がっている。ジジジと音を立てながら、今にも張り裂けそうなほどガラスの内側に熱を溜めていた。
 その下で、浅葱の羽織が舞っている。肉と骨を断つ音がせまい部屋の中で木霊する。血飛沫が壁や棚を濡らし、床に向けて赤い線を引いていた。
 浅葱を羽織った剣士が足を踏み込んだ。宙を裂く一刀には濃い殺意が込められている。切り裂いた肉の向こうに焦点を合わせ、肉塊を薙ぎ払いながら次の敵を斬り捨てる。表情は常に無だ。相手を死に追いやるための最善策だけをその脳裏に打ちとめている。瞳が電球の光を反射し、飴細工のように煌く。襟巻きが剥がれ落ちたことなど気にも留めずに剣を突き出し、獲物の心臓を抉りぬく。
 そうして、剣士の動きが唐突に止まる。斬るものが無くなったのだ。
 少量の魔力で刀身から血を拭い落とし、刀を鞘に納めて、剣士は振り返る。その顔は、壁に咲いた花たちと同じ色に染まっていた。
「なまえさん、大丈夫ですよ。敵は全部、この沖田さんが、ぜーんぶ、ぜーんぶ! 倒しました!」
 そう言って、にこりと笑う。先程まで殺意で敵を斬り伏せていたとは思えない、無垢な少女の笑顔だった。「アッ、なまえさん、もしかして、腰抜けちゃってますか?」沖田は水溜りを踏み鳴らして遊ぶ。蹴り飛ばした腕の形をした肉が、なまえの側にあった箱にぶつかった。「ヒッ……」なまえは息を飲む。傍らにある白い腕に視線が絡む。ホムンクルスのものだ。それは限りなく人に近い形をしている。
「なまえさん、怖かったですね!? でもこれからは大丈夫です! この沖田さんが守ってあげます。ずっとここに隠れてたんですか?」
「は、い……」
「誰かさんが培養してる強化ホムンクルスが、かなりの数逃げ出しちゃったんですって。なるべく生け捕りに……とは聞いたんですけど、職員さんたちの身の安全を確保することのほうが大事ですからね。何はともあれ、なまえさんが無事で良かったです!」
 ホムンクルスに扉をこじ開けられた時、なまえは死を覚悟した。机、棚、がらくたを扉の前に押し詰めて、それすらも突破されたとなれば、その後に待ち受ける結果は死のみである。抵抗や反撃をする手立てが無かったなまえは、瞼を閉じて死が訪れるのを待った。
 しかし彼女は死ななかった。沖田がなまえを生かした。人間の形に限りなく近い培養ホムンクルスを、彼女の目の前で斬り殺して。
「大丈夫です?」
「はい」
 なまえの胸に、救われたことに対する感謝の念はあった。同時に、人の形をしたものを迷い無く斬り伏せた、彼女への畏怖の念も。
 血塗れの手がなまえの眼前に差し出される。「ありゃ、汚い」着物の裾で適当に手を拭った沖田は、掌がそれなりに綺麗になったことを確認して、再度なまえに手を差し伸べた。
「立てます? それとも、お、おひめさま抱っこしましょうか?」
 沖田は頬を朱に染める。そこから溶けた赤が、まだ白の残る着物の襟を濡らした。




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