SSS | ナノ


 一つの真っ白なベッドの上で、人種も髪色も瞳の色も違う親子が戯れている。
 血の繋がりは見られない。然しそれらは確実に母娘であった。
 女は、自分の膝の上に倒れてきた娘の名を、唇の上でそっと慈しんだ。

「フラン」
「んー」
「いつの間にお着替えしたの?」
「さっき!」

 フラン。フランケンシュタイン。
 死体を繋ぎ合わせて作り出された、人工生命体の――サーヴァントである。

「まま」
「なあに、フラン」
「ままは、ぱぱとなかよくしてくれる?」
「……ぱぱ?」

 パパ。彼女の知りうる限りの情報では、その単語は父親を指す言葉である。
 パパ。フランは彼女のことをママと呼ぶ。その対がパパであるということも、彼女は理解している。
 パパ。彼女はフランの“ママ”である。だから、フランに“パパ”がいても、何らおかしなことではない。

 では“パパ”の役割を持つ人物とは、一体誰なのか。フランに母親として見定められた彼女には、見当もつかなかった。
 何せ、フランは召喚されてから、すぐに彼女のことを――マスターが居るにも関わらず――ママと呼び始めた。此度のパパと呼ばれている人物も、フランの気紛れと独断でそう呼称されているに違いない。彼女は一人そんなことを考えて、まだ見ぬ旦那を不憫に思った。
 朗報と雷は突然やってくる。吉と出るか凶と出るか。打ち消されるか、肥大するか。二つに一つだ。
 彼女は落ち着いて、自分の思いつく限りの母親らしい行動をとる。例えば、甘えてくる娘の髪を優しく撫でるとか。

「フラン」
「うん?」
「パパってだれ?」
「ぱぱ。ふらんのぱぱ」
「……それは博士のこと?」
「ううん」

 フランはベッドの上からぱっと降りると、宙に浮いた細い手を掴んで強い力で引っ張った。
 今のフランは狂化状態でないセイバークラスであると言えど、普段の筋力は元の霊基と大差ない。細腕一つへし折るのに何ら苦労はないし、成人の肩を外すことなどそれこそ造作もない。彼女も何度か肩を外されては、医務室に運ばれている。
 骨が軋む。彼女は少し痛がった顔をした。フランはその表情にお構いなしのようで、母親の腕をぐいと引いて離さない。

「わたしのままは、ままのくせに、わたしのぱぱのことなんにもしらない! もんだい! だいじけん!」
「え、今までパパなんていなかったんだからパパのこと知らなくて当然じゃない!?」
「いまからおぼえて!」
「急に」

 娘は、母親よりも背丈があった。無論、歩幅も母親より広い。母親はフランの歩幅に合わせるのに精いっぱいで、これからどこへ行くのか、誰に会うのかを聞くことも出来なかった。「まま、あるくのおそい」続いてこれだから、彼女はそろそろ頭が痛くなって、流石に叱ってやらねばと口を開いた。
 然し、口は閉ざされる。ガチ、と上下の歯がぶつかり合って、彼女は自分の視界がぐるりと回転したことに気が付いた。

「もってあげる! はしるよ! くびにうでまわして!」
「――――!?」
「うー! ぱぱもままのことすきだから、だいじょうぶ!」
「なっ、何が!?」

 視界が弾む、世界が弾む。
 娘は自分より幾分と背丈の低い母親を抱え、走った。所謂姫抱きの恰好で、カルデアの廊下を疾走した。
 人一人抱いているというのに、フランは安定した走りを見せる。母親は上下に揺さぶられながら、「パパって誰!?」「ふらんのぱぱ!」「わたし会ったことある!?」「ある! なんかいも!」「何回も!?」「ぱぱは、ままのことがだいすきなのが、とーぜん! だから!」笑顔のフランに、必死にしがみついた。
 彼女はフランの父親と呼ばれる人物を予想しようとするが、誰も彼もが違う気がして、フランの腕の中でずっと目を回している。

「(誰? フランちゃんの父親? 会ったことがある? えっとえっと……)」
「いたぁー!」
「んぎッ」

 フランは両足をきっちり揃えて急ブレーキをかけ、その拍子に母親をきつく抱きしめる。
 漂う料理の香りから、その場所は食堂のようであるということに、母親はなんとなく気が付いた。

「ごーる! いっえーい! ぱぱ! ままつれてきたから、ごあいさつ!」
「ママ?」

 不規則な振動と加速で息を乱した彼女の背中に、平坦ながらも深みのある低い声が突き刺さった。その声音には何やら聞き覚えがあったようで、該当する人物の名をそっと呟いてみる。
 フランの父親。お父さん。パパと呼ばれている、その人。

「モ、リ、アーティさん?」
「……ふむ」

 仏頂面の彼は、如何にも、と付け加えたそうな顔で、その長い足を組み直す。
 ジェームズ・モリアーティ。犯罪界のナポレオンとも呼ばれた天才の――複合サーヴァントである。
 モリアーティは鼻の下の髭を指先で慣らしたあと、持っていたコーヒーカップをソーサーの上に置いた。楽しんでいたブレイクタイムを破かれ、些か機嫌を悪くしたように見える。

「まま! ぱぱのよこ、ひとりぶんあけてすわって!」
「えっ?」

 フランが自分を抱いたままそんなことを言うので、彼女は驚いて飛び上がりそうになる。然しフランが肉体を繋ぎとめているため、それは叶わなかった。うりゃー! という掛け声が聞こえた頃には、彼女は既にソファの端のほうに放り投げられていた。
 父親と母親の間に座り、二人の片腕をとって、フランは満足気に微笑む。母親のほうは未だに外見も中身も落ち着いていないようで、適切な呼吸を試みていた。

「ままとぱぱ、ふらんの、ぱぱとまま!」

 二本の腕を抱えながら、フランは破顔する。子供らしくはにかんで、二つの腕を抱え込む。
 それとは別に、対の表情を浮かべる男が一人。
 彼は目を細めながら、言う。

「フラン。ママに謝りなさい」
「なんで?」
「ママが困っている」

 フランは左のほうをちらりと見た。
 母親は、未だに片手で頭を抱えている。なるほど、困っているように見えなくもない。フランは首を傾けながら様子を伺った。

「まま、こまってる?」
「ううん……びっくりしただけ……あと酔っただけ」
「あうー、ごめんなさい」

 フランは母親の頭を申し訳なさそうに撫でる。父親は、黙ってそれを見ているだけだった。

 暫くして、彼女は自分の夫の名を呼んだ。
 フランから始まったごっこ遊びであると言えど、理解が早すぎる。それについて彼からの意見を仰ごうと、膝の上にある娘の頭を撫でながら問いかけた。
 すると、夫はたいそう嫌そうな顔をして、奥歯を噛んだ。彼女は何か間違ったことをしてしまったのかと思って、すかさず身構えた。

「私はフランの父であり、君はフランの母である。ならば私に対してどう呼ぶかは、もう既に決まっているのではないかな?」

 彼女は少しばかり大袈裟に瞬きをして、「……ジェームズ?」と彼の呼び名を定める。

「そうだ」

 夫は静かに、厳粛に、嫌そうな顔をやめた。それから少しばかり口角を上げて、微笑んだ。
 その妻は気恥ずかしくなって下を向いたが、上機嫌な娘の顔がそこにあるだけだった。

「まま、てれてれ、なの?」
「そうじゃないです……」
「む……けいご、やー!」
「ウン……」
「あ、さんじ。おやつー。マスターと、やくそく、あった!」

 用を思い出したフランが席を立ち、母親もそれについていこうとすると、父親がそれを止めた。「少し話がある。座りなさい」と威圧感のある声で、彼女をソファに押し付ける。
 ソファの端で縮こまった彼女は、モリアーティの様子を横目で伺いながら爪をいじる。誰がどう見ても緊張しているのが分かった。
 男の口から、重い声が発せられる。

「出身は?」
「に、日本です」
「シェリー、またはメアリ、若しくはメアリーという名に聞き覚えは?」
「ないです」
「であれば、君がメアリーだ。そうだね?」
「いえ、私、日本人ですよ」

 彼は苦い顔をする。冷めたコーヒーを口にしたときの顔とよく似ていた。
 そこに居ないメアリーを窘めるために、モリアーティは再度口を開く。

「Mary」
「ちがう」

 フランがメアリーを食った。

「めありーって、だれよそのおんな!」
「おや、フラン。忘れものかな?」
「ままもよんできてって、ますたーが。おちゃするの。ぱぱはこないでね」
「む、手厳しいナァ。もう少しくらい家族団欒の機会を設けてくれてもいいと思うんだがネ」

 彼女の手を強く引きすぎたフランが、微動だにせず母親を抱きしめた。「まま、わたしがやいたくっきー、たべてね」「う、うん」また自分は先ほどのように運ばれていくのだろうなと、母親は娘に身を任せ、そしてその通りになった。

「よいしょ」
「フラン」

 走り出そうとするフランを、一人の父親が止める。眉間に皺を寄せ、真剣な面持ちではあるが、怒りの表情ではない。

「なあに、ぱぱ」
「……ママの名前は?」

 フランはすぐに微笑んで、自分の母親の名を叫んだ。
 娘の笑顔につられたか、父親もニコリと笑う。そして両腕を広げたかと思うと、嬉しそうに声を張った。

「おめでとう、Chocolate! 君は何とも形容しがたい立ち位置に居る。性別こそ対なるものではならず、そしてここ以外の場所での存在は許されない。ビスケットを砕くのは戦槌メイスか、雷刃やいばか、それとも棺桶ランチャーか?」
「わけわかんないこといわないで!」
「……フラン、もう少し空気読んでネ。雰囲気が台無しッ!」

 不服そうなモリアーティをよそに、フランは母親を持ち直す。不敵な笑みを浮かべるなり、足元に雷撃を散らして踏み込んだ。「さらば、わけのわかんないことをいう、ぱぱ!」「あッ、待ちなさ――」「うー! またないよーっ!」フランの走りはまさに稲妻で、一瞬のうちに見えなくなった。
 父親とは、娘からすれば、愛する母親を奪おうとする泥棒のようなものだ。一番身近な、そして年の離れた異性であり、己と対立するためだけに存在するものである。
 フランがわざわざそんな役割を、改めて誰かに与える必要があるだろうか。
 答えは一つだ。“誰かに奪われることは決してない”と、彼女の中で既に結論づけられている。だからフランの父親とはジェームズ・モリアーティであるし、母親とは娘の腕に抱かれるものである。
 飛び散る雷撃の足跡が、廊下を緩やかに焦がしていく。紅茶の香りが二つの鼻腔をかすめるまで、もう間もない。

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