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 では、そうだなぁ。
 怖い話でも。
 かの政治家は市民の前で林檎を齧った。それは自身が“つくりもの”でないことを示すための行動だった。つくりものは物を食う必要がないからな。物も食わず、排泄もしない。人の形をしたモノではない、と云うことを裏付けるための行いだ。
 うん? ならば俺が“つくりもの”である筈がない、だって俺はその政治家と同じように、林檎を齧り咀嚼し嚥下することができるのだから。
 ああ……いいや。なんでもないよ。
 結論から言うと、その政治家は“つくりもの”だった。彼は正真正銘の絡繰だったんだ。自身の身体に細工をし、“人”として市長にまで上り詰めた。人の紛いもののくせに、人に成ってしまったんだ。中身はからくりのまんまでね。聖杯も使わずに。うん? はて、何の話だ? まあいいか。
 市民は彼を人として認めてしまった。彼は皆の前で食事をしたし、人も殴った。それは彼が人であることと同義だった。その時代における“つくりもの”と云うのは、人間より与えられた彼ら独自のルールによりそれらの行動を許されてはいなかったからだ。だから、ルールの穴さえ見つけてしまえば、彼らは人の目をごまかして、人になることができたのさ。
 彼らって?
 ロボットだよ。

「なんのはなし?」
「機械で編まれたニンゲンの話さ。」

 またそのはなし。となまえは呆れた声で返した。鍋の中のものが煮えるまで何か話をして、と云うから、手頃なものを選んだ筈なのだが。どうやら、お気に召さなかったらしい。指先でなまえの顎を撫でてやれば、彼女は小さく嫌がるようなそぶりをした。
 囲炉裏に吊り下げられた鍋の蓋はシンとしている。中に何も入っていないみたいだ。火は起きている。不思議に思い、鍋に手を伸ばしてみると、「あぶない!」となまえが叫んだ。鍋から熱気は感じられなかった。

「火傷したらどうするの、大事な手でしょう!」
「それもそうか。いや、何を煮詰めているのかと思って。野鳥か? 猪か。」
「……。」

 多少おどけて聞いてみると、なまえはそこで黙り込んだ。少しばかり伸びた前髪が、ひとみの位置を隠している。

「――、」

 なまえがなにかを口遊んだ。音は、聞こえない。まるでそこだけを切り取られたかのようで、言葉の一枚もこの耳には届かなかった。
 鍋の蓋が急に震え始めた。ぶくぶくと泡を噴きこぼし、大きなもやを吐く。そんな尋常ではない暴れ方をして、何を憤っている。中には一体何が入っている。鼻の奥を突いた異臭は果たして記憶に新しいものだったか。

「おい、一体何を煮詰めて。」
「えんせいが殺した、わたしの、おっかさんだよ。」

 なまえの声はひどく澄んでいて、それから静寂が訪れた。鍋の怒る音も、身動いだ際に立った筈の衣擦れの音も、何も聞こえない。虚空を見つめる女の瞳は、夜のように暗く、黒に潰れていて、星ひとつない。夜闇のまなこに、世界が潰される。

「ああ、」

 視界が、狭くなる。
 なんだ。まだそんなことで、俺を恨んでいるのか。
 情の厚い女だなあ。
 そうか、そうだな、だからこそ――。



「燕青、起きて、起きてください。こんなところで寝ないで、うわあっ! ……びっくりした」

 自らが選んだ女の声で目覚める朝とは、なんと心地の良いものか。あまりの驚きに、瞼から飛び起きた。
 天井は、白く濁っている。あの暗澹も、消え失せていた。
 今は、昼か。

「ん、ああ、なまえ、かあ」
「わたし、です、けど、変な夢でも見ましたか」
「……、変な夢だったよ」
「大丈夫ですか?」
「ウン。サーヴァントが夢を見る、なんざ、変だよなぁ。おかしいのになぁ。アンタの部屋の前で寝てると、なーんか……」
「あのですね。まず、人の部屋の前で寝ないでくださいね」

 目を擦りながら、なまえの声に耳を傾ける。そう、その呆れた声が、夢の中の女のそれと酷似している。
 あれはなまえだったのか。であれば、いつの。どこの。周囲の景色に見慣れたものは何一つ無かった。日本家屋のようで、なのに床の上には銀いろの食器が置かれていた。窓の外は暗く、夕日の光が射し込んできていて、目の中が馬鹿になるほど火の色は赤かった。そんな情景を思い出しては、のどのあたりをひやりとさせる。
 辺りを見回してみる。普通の、至って普段と変わらないカルデア館内のようすに、少しだけ胸をなでおろす。
 なまえは、あの女と同じ位置に座って、こちらのようすをぼんやりと眺めている。ああ、顔も、なんとなくだが、似ているような気もするな。
 ふいに彼女の顎の下あたりに手を伸ばすと、優しく叩き落とされた。痛みはない。なまえは少し焦ったようすで、こう唱える。

「ほら、早く起きないと、お鍋が冷めてしまいますよ。」



 その白い背中のまんなかには、蜘蛛の影を彷彿とさせる赤い痕がある。魔術髄液を刺し込んだあとの、赤い傷痕がぽつりと浮いている。肩甲骨に挟まれた赤い蜘蛛は、至る所に足を伸ばして、白い背中のまんなかで、少しふくらんだ腹だけを少し残して、べたりと潰れている。
 女の尻に跨って、狭い背中を眺めていた。ナニをしたい訳でも、していた訳でもなく、ただ、そうしたいと思ったから。女の腰に触れた剥き身の自分は、やりたがろうとはしていない。だから、今は、そういう気分じゃあない。
 見て、確かめることが重要だった。触れて、そこにそれが確かにあることを知る必要があったのかもしれない。
 認めて、どうなる。

「……、あ、あ¨!」
「あぁらら、痛い?」

 少し、撫でただけだった。優しく触れただけだと云うのに、大袈裟に喚きやがって、「痛がりさんかな〜?」嗤う。蜘蛛の腹を潰すのは得策ではない。指の腹が汚れるし、感触も良いものではないからだ。
 中身が出るまで押し潰すとまではいかなくとも、少し、少し押し込むくらいならば。赤い傷痕が近づいてくる。俺が寄っているのか。背を丸めては、女の匂いの濃くなるさまに目を細めてしまう。
 赤い蕾に、唇を寄せる。
 女が激しく喘いだ。唇の下で、肉と骨に守られた肺が震えているのを感じる。唇でそこを挟むと、歯を食いしばり痛みに耐える音が耳の奥まで響いた。
 破れた皮膚が隆起し、血液を集めて固まっている。唇の薄皮から直に感じられる、生きた人間の熱が、どうにも、いい。
 飲み込む暇も与えられなかった唾液を唇まで流し、傷口を濡らした。「い¨ッ……!」舌を這わせば女は嘶き、背を軽く逸らして痛みに耐えた。

「痛い〜?」
「う¨、ぅ、い……っ、いたいです、い、あ」
「消毒だよぉ。舐めてやってんだろ、ヤな訳?」

 舌で傷口を突き、声をひり出させた。「あ¨、あ、あ」「うっせえなァ、」黙れ、とは、言う気も起きなかった。掠れた悲鳴は嫌いではない。女の全身の筋肉が縮み上がっているのが分かる。雌の部分は一生柔らかいままで。
 赤い膨らみを舐めて、唇で軽く吸い上げたとき、小さな口腔の中で押し留めた悲鳴の残滓が、女の身体の内側で反響しているのが分かった。唾液まみれの口の中で、嘆声を響かせている。
 傷痕に口づけるように、何度も優しく唇を寄せてやる。ひび割れた皮膚に自分の唾液が染み込んでいくさまを見る。
 満たされたのは、割れた皮膚の溝。赤い脈に、唾液を流し込んでいる。

「こういうときは〜? らんへいうろからぁなんて言うのかなぁ?」
「うぁ、あ、ありがとう、ござい、ます……、」

 濁流から目が離せなくなったガキか。生真面目でバカみてぇな顔してんだよ。何が楽しくて、何が嬉しくて。アホ面ひっ下げて潰れた実を俯瞰して、人工的な光に照らされながらほくそ笑んでいる。バカの極みだ。まあ暫くは、バカのふりすんのもいいかもな。たぶん、きっと、そっちのほうがキモチイイ。
 音を立てて、傷痕を吸い上げる。血の色を受けて、生を食んだ。
 ああ、こいつ、本当に生きてんだなあ。唾液の混じった鮮血は、鉛みたいな味がした。



「ねェ、」

 粘ついた声は己のものである筈なのに、あまり自分のそれといった感覚はなかった。唇を開いて肺から息を押し出し、口腔の形を変えると、自身の声が出る。当たり前のことのようで、俺にとってはさしてそうでもない。この喉で作られる声色は、己の声ばかりではないことを知っているからだ。声紋こそまた別で、性別こそどちらにも属そうとしない。一番落ち着くのは、普段より着ているこの姿である。
 びくりと震えた彼女の肩を見ると、ああ、もしかして、今の俺は燕青であると認識されているのかな。こんなに怖がってんだ、彼女にとって、目の前にいる俺は、恐怖の対象である、まことの燕青なのだろうな。「は、はい?」返事には畏怖の念が差し込まれていて、俺は少しだけ胸が沈んだ。
 そうやって、他人を使うことでしか俺は俺を確立することができない。みたいな設定で、本日も目を開けたまま眠る。

「新シンってなに? マスター以外にその渾名で呼ばれたくねぇんだけど」

 嘘だ。別に、なんとも思っちゃいない。因縁を付けて、強引に会話に踏み込もうとしただけだ。縁を結ぶためだけに、それをする。第一印象を強めるためだけに、少しだけ行き過ぎた真似をする。
 新シンさん、こんにちは。
 なんて、笑いかけられてしまっては、花の咲いた胸も弾んでしまうというものだ。赤い花びらが地に落ちなくて良かった。それはまるで彼女の瞳に射抜かれたように見えてしまうだろうから。リノリウムの床の上に落ちる花びらとは、さぞかし良い赤色をするのだろうな。
 心臓を穿たれて、赤を撒き散らされようとしている。肌を泳ぐ龍が、耳の中で吼えていた。

「ごめんなさい、あの、藤丸さんがそう呼んでいたので」

 ごめんなさい、と、また謝る。

「馴れ馴れしいとか思わなかった訳?」
「すみません……」

 彼女は持っていたタブレットを片腕で抱きしめ、身構えてしまった。俺の口から出た声色の重さに耐えられなかったのだろう。
 あの白い板、邪魔だな。壁、或いは盾みたいだ。あれがあっては、彼女の心臓に手など届くはずもない。

「今度からは、新宿のアサシンさんって、普通に呼びますね、すみません……」
「いや、それだと長いだろ。燕青でいいよ」
「で、でも、それこそ、馴れ馴れしいじゃないですか」
「燕青でいいよ。新シンじゃなければ、なんでもいい」

 そう言って、考えこむふりをする。例えば、神妙な面持ちで目を細める、とか。
 呼び名などどうでもいい、ただ、違和感を抱いて欲しかった。違和感に苛まれながら燕青という名を意識すれば良いと思ったのだ。
 今度こそ俺は、燕青になれるかもしれないと思っていたのに。新シンさんって、そりゃないだろ。
 俺をあの名で呼ぶのは、今際の主だけでいい。まるで、雪の降る街にしか灯らぬ、擬態語のようだろう。



  来る。黴臭い静寂の中で粒立った足音が聞こえる。視界がぼやけた。文字の輪郭さえも滲み行く。
 ワゴンに乗せられた食器同士が擦れ合い、その足音の周りをうろついている。それらに紛れていても分かる、聞き慣れた足音の音色に、活字を読むための意識も持っていかれてしまっていた。
 暗く、湿った小綺麗な通路が、その女の足音で彩られていく。今日のヒールは低めだな。踵の位置は低いに越したことはないし、足は小さいほうがイイ。
 足音が隣の独房の前で止まる。俺はそこで耳を澄ました。
 扉の隣に備え付けられている、小さな窓口の鍵が開けられる。食器の乗ったトレイがカウンターの上で少しだけ滑る。皿が二つ、或いは三つ。デザートの有無までは判別できないが、あの女王が考案した献立となると、果物の一つも用意してあるか。音だけでは分からぬことも多く、肩から落ちた髪束のおとに気づくのにも時間がかかる。
 しかし、もうそんな頃合いか。
 片手で本を閉じ、寝具の上に放る。起き上がる気力もなかったが、彼女がここまで来るとなれば、上体を起こして人を迎え入れる準備をしようとする気にもなる。
 まあ、食事などしなくともこの身は朽ちない。今更枯れも、衰えもしない。召喚された時と同じ姿でそこにあるばかりで、後退も前進もない。自分の時間を止めたまんまで、世界の定めた時の流れに降り立つ。そして、要らなくなったら自動的に死んでいく。生きるために戦うなどと云うことはしない。国を生かすために在るとは言えど、常に国と共にあらねばならぬ理由こそ無い。
 これより我が独房を訪れる女看守は、サーヴァントでもなければそれらのマスターでもない。ただの、女の魔術師だ。それも極めて冷徹に徹した、何を言ってもツレない女。その瞳には冷気すら感じるほどだった。
 噂によれば、彼女は自分と同じ看守の役割を担っているカーミラに、随分と手を入れられているらしい。が、こうも常に独房に閉じ込められていては、それを確かめる術もなかった。
 だから、直接顔を合わせて、口を割らせるしかない。そう思った。なぜ? そりゃあ、気になるからさ。なぜ? 面白そうだろ? なにが? 少しは自分で考えろよ。
 目を細めた先、対サーヴァント用強化合金で編み上げられた鉄格子の向こうで、冷たい目つきをした女がトレイの中身を確認している。俺はその様子を見て、ベッドから跳ね降りた。
 憂いすら垣間見える横顔に、狙いを定める。
 二人を分かつ鉄格子に向かって、ゆっくりと距離を詰めていく。こちらに視線すら寄越さない女看守は、トレイの上に転がってしまった紫の実を一粒つまみ、葡萄のそばに寄せた。彼女はくるりと方向を変えて、やっと、俺と対面する。カウンターの上に置かれたトレイが軽く音を立てた。
 即座、顔に笑顔を塗る。薄ら笑いにしては、少々出来過ぎたくらいの。

「ハァイ、看守さん。ねえ、メシの時間? なぁなぁ、少し喋っていかないか? タイクツでさぁ、ちょっとでいいから遊んでよ」
「一時間後食器を回収しに来ますのでそれまでに食べ終わっているように」
「聞いてる?」
「ブドウの皮は器の中に入れるか皮ごと食べ――」

 無神経な言葉を漏らす口を塞ぐためにはどうすれば良いのだったか。
 何かが手の中で潰れた。視界の左端から現れた透明な液体が、看守の頬を大胆に舐める。片目を瞑った女の顔には軽い喫驚のテクスチャが貼られていて、少しだけどきりとする。

「――、」

 看守は息を詰めた。そしてすぐ、小さな溜息を落とす。
 俺の左手の中にあるものは、先ほどまで葡萄の形を保っていたもので、「俺の話聞けってェ」今は、物の見事に潰れている。「言ったじゃん」拳の中身はひしゃげた果肉と冷たい果汁で溢れていた。指の隙間から飛んだ甘い汁は、女の顔や身体にかかり、重力に倣って身を垂らしている。 女らしさの欠片もない黄土色の看守服には水滴が染み込み、洒落た模様を作っていた。
 看守に目立った表情はない。微かに読み取れる感情と云えば、呆れ、それくらいのものか。

「あーあ、汚れちゃったねえ。拭くもの貸してやるから、こっち来なよ」
「結構です。受刑者から物資を受け取るのは禁止されています」
「じゃあ受刑者名義じゃなくてさ、俺からの計らいってことで」
「必要ありません。お気遣いどうも」
「顔に葡萄汁つけたまんま次行くわけ?」
「業務に支障はないので」

――――ああ、ああ、つまんねえな!
 俺は看守の胸ぐら目掛けて、大きく開いた左手を伸ばした。
 空を裂き、風を切った。それは敵将の喉を突くときの。首が転べば儲けもの、そうでなければまた別の方法で。
 殺す気など初めからあったのかもしれないし、無かったのかもしれない。指先に込めるための殺意が生まれる暇もなかった。ただ、手が出たから、出した。相手が死ぬのはその手が運悪く当たってしまうからで、明確な殺意などどこにもない。どれほど気を張っていても避けられる筈のない斬撃が、視界の端で弧の影を作る。
 避けられる筈が、ない、のに。
 大きく開いた指の鎌は冷たい空気を撫でて宙を握った。手甲が軋む。
 掴めなかった。掴めなかった。また。今度も。今回も。
 女が息を飲む。俺が手を出した瞬間、運悪く、足元がふらついたらしい。トン、と一歩後退した看守は、前髪の先にかすった俺の指先を見て、肝を冷やしたような顔をした。「――――、」瞠目したかと思えば、すぐに細められた瞳でこちらを見遣る。間一髪で俺の左手を避けた事実を脳に刻み終えたのか、看守は「は、」と小さく息を吐いた。

「……、大丈夫? アンタ倒れそうだったからさ、支えてやろうと思ってね、先に手が出ちゃったァ」

 手を避けられたことに対して抱いた感情は喫驚だけではない。そも、避けてすらいないのだ、この女は。
 顔の前にある俺の握りこぶしを見て、看守は声を喉に詰まらせながら、「はあ」と曖昧な答えを返した。
 いつもそうだ、この女は、常にこうだ。収容されている罪人の前でそういう態度をとるなよ。蹂躙されても文句は言えまい。その冷たい表情に熱を灯してやりたくなる、蝋の溜まる桶の中に落として、膨れた皮膚にそっと指先を寄り添わせて。水を懇願する瞳に唇を寄せてやりたくなってしまう。

「失礼します」
「え、待ってよ」
「後がつかえているので」
「……ヒマんなったらさ、遊んでよ。待ってるからさ、俺、ここで、ずっと待ってるから」

 待ってるからなあ。
 握り拳を開く。手のひらを上に向け、看守の頬を撫でるふりをする。Z軸のある空間には未だに慣れない。俺が撫でているのは葡萄の汁と冷たい大気のみであり、柔らかそうなあの肌には一瞬たりとも触れたことはない。
 怪訝そうな顔をした看守は、唇を歪ませながらワゴンを押した。踵を鳴らして、俺の目の前から消えようとしている。
 まだ汚れていない、右腕を、伸ばす。身体が鉄格子に阻まれる。窓口の周囲が悲鳴をあげた。金属が擦れあう大きな音が響いて、看守が一瞬だけ振り向く。

「待ってるから」

 檻の隙間から微笑むと、看守は眉間に皺を寄せて、心底迷惑そうに唇の端を歪ませた。また、待つ側なのだなあ。翻った女の髪に、多少のうねりが見られる。はて、あんなうねりなど、今の今まであっただろうか。いや、あれは、例の女吸血鬼の毛質を模したようにも――。

「意地汚い目であの子を見ないで頂戴」
「い¨ッ!」

 突然現れたうねりの正体に、窓口の戸を下げられる。間抜けな格好で腕を挟まれた俺は、鋭い眼差しでこちらを睨みつける美女を尻目に、あは、と笑いを漏らした。
 宣戦布告の合図のようで、幕が切って落とされたようで。退屈凌ぎには些か刺激が足りないとは思ったが、今は、千切れそうな右腕の大事をとるのが先決のようだった。

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