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「……ご友人ですか」
 眉間に刻まれた皺を隠そうともせずに、ガウェイン卿はわたしを鋭く睨みつけた。驚く程冷たい眼光に驚いて、思わず視線を逸らす。見送っていた筈の背は、見えなくなっていた。
「……友人というか、同期、でしょうか。彼は資料作成がとても上手くて、ふふ、少し抜けてるところもあるんですけど」
 手元の資料に誤字を見つけて、少しだけ笑う。
 彼の誤字脱字はよくあることだった。わたしに校正を任せてからドクターに資料を渡すくらいなので、根はしっかりしている方なのだと思う。
 他にミスは無いか少しばかり文章を目で追っていると、「そうですか。では直させましょう。今すぐに」と、棘の付いた声色が迫ってきて、「う、わ」つい、避けてしまった。
 ガシャ、と彼の鎧が擦れる。視線の先には宙を掻いた彼の指先があって、それはすぐにわたしの手元を襲ってきた。
「待っ、」
「直させましょう。彼の為にも。わざわざ貴方が目を通さなくとも、」
「いえ、わたしが資料作成の参考にしたくて先に見せてもらっているところもあって」
「いいから、」
 黒の指先が紙束を捕らえた。「渡しなさい」破ける――そう直感するほど彼の力は強くて、驚く間もなく資料はわたしの手から引き抜かれてしまった。
「こちらは私が責任を持って彼のところへ送り返、送り届けます。そうですね、貴方は少し、休憩でも」
「返してくださ、」
「失礼」
 苛立ったような声がわたしを威圧した。それ以上の会話は許されなかった。
 指の腹が熱を持っている。手を軽く握って、指同士を擦り合わせた。強い違和感。軽い嫌悪感。でもそれはわたしが持ったものではなくて、彼から滲み出ていたものだ。
 ガウェイン卿の背を追いかけることもできないまま、わたしはその場に立ち尽くしていた。読みたくて仕方がなかった資料は奪われてしまった。やっと書き手の元を離れたというのに、数分もしないまま、書き手の元に帰る。
 指先に溜まる熱は、わたしの混乱を解こうとはしてくれなかった。


「あの、ガウェイン卿」
「ガウェインで結構だと、この前申し上げた筈ですが。ここはキャメロットではありませんので、そう呼ばれるのは好きじゃない」
「あー……いえ、馴れ馴れしいかなと、思って。すみません」
 皆がガウェイン卿と呼ぶので、わたしもそれに倣っただけなのに、なんだか変な気分。あれから二時間は経っていると云うのに、彼の眉間の皺はまだ取れていなかった。
 彼は分厚い本をぱたりと閉じて、椅子から立ち上がった。娯楽室の椅子は深々としたものが多いため、席から立つのに少し苦労する。なのに、彼はわざわざ立ち上がり、読んでいた本を棚に戻しはじめた。
 もしかして私が来たことで、本に対する興が醒めてしまったのかもしれない。プライベートの空間を邪魔されるのはわたしも好きではないし、もう少し時間を空けてから訪ねれば良かった、と後悔した。
「何か?」
 ふと顔を上げると、本を仕舞い終えたガウェイン卿がわたしの目の前に立っていた。
 彼は時に、ひどく棘のある言い方をする。ピリピリとした空気を肌で感じながら、本題に入る。
「同期が、もう資料に目を通さなくていいと……わたしの校正を断るのですが、ガウェイン、から、何か、言いましたか? あなたの名前を出したとき、ひどく怯えていました」
「……それはいい。貴方の手間が省ける。それよりも。今夜はお忙しいですか。少し、お話ししたいことがあります」
「お話でしたらここで」
「いえ、とても重要な……恐らく長くなる話がひとつ」
 それはどのような、と返そうとしたのに、唇が動こうとしなかった。正確には、動けなかった。彼があまりにも暗い色をした瞳でわたしの視線を絡め取るから。
 濃いまつげがそれを隠して、再び瞼が押し上げられたとき、もう瞳に輝きは戻っていた。にこりと微笑みかけられて、咄嗟に視線を落とす。ブラックとホワイトの市松模様が目に入った。おしゃれに言うとブロックチェック。いや、ここの床は白黒の菱形を交互に敷き詰めているからハーリキンチェックかな。全く関係のないことを考えて現実逃避に励んでいる。
「……目を、逸らさないでいただきたい」
「う、すみません……」
 彼の瞳はどこまでも純粋で、きれいだ。なのに、時々泥の底ように濁る。わたしは、その瞳の変化の理由こそわたしにあるのではないかと考えてしまって、彼と一緒にいると酷く心を揺さぶられる。目を、合わせていられない。
 誰にでも平等に、紳士的に優しさを振る舞う彼が、わたしに不快感を訴えてくる。わたしは彼にとって、居心地の良い存在ではないのだ。そう、思ってしまう。思い込みではないと、感じてしまう。だって、彼の笑いひとつとっても、嘲りのそれに聞こえてしまって仕方がないのだ。
「ああ……もう、行きます。ありがとうございました。失礼しました」
 目を逸らすなと言われたにも関わらず、ガウェイン卿と目を合わせることはなかった。
 わたしは本当に失礼なやつだ。でも、こんな失礼なやつと無駄な時間を過ごすくらいなら、本の続きを楽しんでもらったほうが有意義な時間の使い方だと言える、はず。
「では、今夜、お時間ありましたら。私の部屋までお越しください。いつでも、何時でもどうぞ」
「……行けないです、行かないです」
「何故?」
「夜中に男性の部屋に行くのは流石に……」
「……私が貴方に、何か……卑劣な行為をするとお思いで? 少々、傷付きますね」
 ガウェイン卿は肩を竦めて、呆れたように笑った(見上げてはいないけど、声が笑っていた、ように聞こえた)(やはり、刺々しい)。別に、自意識過剰な意識をもとに彼の誘いを断ったわけではない。「いえ、疑われるようなことは、しないほうがいいというか」「例えば?」眉を下げて考える。例えば。
「そういう関係だと、皆に思われたくないと?」
 彼の発言と、わたしの思考はぴったりと一致していた。
「……思われたくなく、なく? なくないですか? ……ん? 思われたくなくなく……?」
 ガウェイン卿はわたしに何か話したいことがある。彼はなるべく自分の部屋でそれを話したいらしい。でも、わたしは『夜中に女が男の部屋に行くというのは倫理的に良くない』と思っていて、なのに彼はそうでもないみたいで、ん、あれ、よくわからなくなってきた。
「ちなみに、何のお話しですか?」
「来ていただければ、わかります」
 聞いてははぐらかされる。これではガウェイン卿が話したい内容というのも予測がつかない。魔術師でもないわたしに、そんなに重要な話なんかあるんだろうか……でも、話の重要性はわたしが決めるものではないので、断るのもなんだかおかしい気がしてきた。これで本当に重要な話だったらと考えると、ここは腹を括って彼の要望に応えるべきなのでは。
「……そんなに、大事な話なんですね?」
「はい。極めて重要で、私にとっては、とても、大切な」
 夜中に男の人の部屋に行くだなんて、褒められるようなことではないけれど――ふと見上げた彼の表情は、実に真剣で、重圧すら感じるものだった。
「では、お待ちしています。本当に、何時でも。日付が変わってしまっても結構ですので、どうか。来てくださいね」
 そんな雰囲気から一転して、優しい声でにこりと微笑まれると、なんだか胸にむず痒さを感じてしまう。「では、し、失礼します」どもりながら逃げるように娯楽室から飛び出して、急いでいるわけでもないのに早足で廊下を蹴った。
 どこに用があるわけでもなく、何に動揺したわけでもない。こんなに履き潰したパンプスで彼を元を訪ねたことすら恥ずかしい。だから笑っていたのかも。
 そもそも彼の言う、重要な話って一体なんなんだろう。目障りだから金輪際近寄らないでください、くらい言われても仕方ないことばかりしてしまっている。最近嫌味ばかり言われるし!
 ああ、頭の中ぐちゃぐちゃになる!
 早足を決め込んでいたからか、前を歩いていたマシュさんを追い抜かしてしまった。風圧で仰け反ったマシュさんが喫驚の声を上げて、はっと我に返る。
「そんなに急いでどこへ?」
「ど、どこへ……行けば良いのでしょうか」
「さ、さあ……」

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