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(小話詰め)



「あんまり見ないでください」
 日焼けが凄いんです。
 庭師は恥じらうように顔の前で両手の平を交差させた。羞恥心などこれっぽっちもないような顔を隠して、心から面倒くさそうに唇を歪ませている。
 その様子は長谷部に見えるはずも無かった。しかし、彼の自慢の想像力によって、庭師の表情はものの見事に書き換えられてしまっていた。「日焼けをして赤くなった顔を見られなくないのだろう」と、瞬時に理解した(つもりになった)長谷部は、んん、と唸る。咳払いにしては軽い。感情の昂りを堪えているのが見て取れた。悶えている。
「見ないで……」
 そう言ったのは、彼の頭の中にしか存在しない空想上の庭師だった。赤裸々に頬を染める庭師は、薄桃色に染まった肌を隠すように胸の前で両腕を交差させている。
 自身を抱きしめるようなその仕草は実に女性らしく、そして扇情的だった。細い手首を掴み上げた長谷部は、瞬く間に彼女の首筋に吸い付き、「顔面冷やしてくるので、わたしはこれで」との声を耳にする。
 長谷部が我に返ったころ、庭師は既に背を向けて歩き出していた。その足取りは素早く、しかし大股だった。薄汚れた青色の足袋を追いかけ、長谷部は庭師の横に付く。
「待て、痛みはあるか」
「いえ特に無いですね」
「ならば保湿が第一だ。ついこの間いい化粧水を手に入れてな。分けてやろう」
「結構です。自分のがあるので」
「あとで氷水を部屋に持って行ってやる」
「大丈夫です、持ち場へどうぞ」
「今日は暇を持て余していてな」
「主様が今日は忙しいと嘆いておられましたよ」
「あの程度の量、一人でこなせぬ主ではない」
「主様かわいそう」
 四足は一向に速度を落とすことなく廊下を踏み鳴らしている。
 庭師の、それも女の足に追いつけない長谷部ではなかった。彼の足はこの本丸の中で随一のものである。おおよそ彼が追いつけないものは存在しないし、彼に追いつけるものも存在しない。
 一度長谷部に追いかけられてしまえば、それを振り切るのは至難の技だ。それこそ、主君の声でもかからなければ彼の足は止まらないだろう。
 それに気が付いた庭師は、あからさまに嫌そうな顔をして長谷部を横目で睨みつけた。しかし、流し目を送ってくれているのだと勘違いした長谷部は、若干決めたような表情で庭師に視線を送り返している。
 どうしたものか。庭師は今も尚続いている中身のない話に適当に相槌を打ちながら歩く速度を落とした。このままではこちらが一方的に疲労するだけだと判断したのだろう。
「どうした、降参か」
「対決した覚えはありません、疲れただけです」
「……」
 ゆるゆるとした速度で歩く中、庭師の「疲れた」という言葉に反応した長谷部は、返答をやめた。長谷部が会話の途中で押し黙るなど珍しい。いつもならば、何かしら文句を付けてくると云うのに。
「何か」
 だから、つい、聞き返してしまったのだ。
「部屋まで……運んでやらなくもないぞ」
 すすす、と空気中で何かを横に抱えはじめる。彼が一体その腕に何を抱いているのか、想像するのは容易かった。
 これには庭師も思わず足を止める。「いや……流石に……」目を細め、呆れたようにそう呟いた。
 長谷部はすかさず振り向いて、「どうした、顔が赤いぞ」とにこやかに微笑む。
「日焼けしてるので」
「ははは」
 庭師の返答を照れ隠しだと思い込み、嬉しそうに声を出して笑う。端から見れば彼は気の良い青年だが、庭師から見れば気のふれたろくでなしでしかなかった。
 埒があかないと思ったのか、庭師はついに観念し、「……氷水を、取ってきていただけたら嬉しいです」と零した。『廊下は走らない』と書かれた張り紙が風に揺れた。



 何故だか寒気のする朝だ、と思った。
 今の季節、そこまで朝冷えるはずもない。昨日の朝もわたしにとっては適温だったし、急な冷え込みが今更、そしてわざわざやってきたのだろうか。
 起きて早々嫌な事件だ。畳の目が世界と平行なのを確認する。そしてささくれを見つける。あとで毟っておこう。
 布団の中はわたしの体温で睡眠に最適な温度を保っている筈なのに、なにやら首筋が寒い。ひゅうひゅうと一定の間隔で風を吹き付けられているような……。隙間風かもしれない、と一応戸のほうを見てやるべく寝返りを打とうとする。右肘を軽く振りかぶる。着地。
「ぐ、」
 肘が布団以外の何かに当たった。そして何やら、低い呻き声がした。
 わたしの肘には薄皮一枚隔てた、所謂骨っぽいものが当たっている。腕に力を入れると、ごり、と肘が何かにめり込んだ。
「ンあ¨ァッ、何をする……」
「こっちの台詞なんです、けど」
 うぐ、と欠伸を堪え、掛け布団でも敷布団でもないものに返事をする。上体を起こし振り向くと、脇腹を抱えて蹲っているへし切長谷部さまがいた。嫌な事件だ。
「貴様……」
 柔らかそうな前髪の隙間から鋭い眼光を送られる。乾燥による枯れかけた低い声と相まって、その雰囲気はたぶん恐ろしい。わたしからすれば完全に因果応報、相場の応酬なので、彼に眼差しに恐怖を感じるはずもない。はだけた藤紫色の着流しを直そうともしないところを見ると、相当目覚めの悪い朝にしてしまったようだった。
「あー……」
 わたしは軽く頭を抱えた。どうして何度言ってもこの男は、わたしの部屋で寝るのだろう。
 このような展開を用意されて目覚めることはそう少なくなかった。彼は時折、深夜帯を狙ってわたしの布団に潜り込んでくる。最初の頃は本当にびっくりして、朝から大声を上げて部屋から追い出したものだけれど。
「(これが慣れか……)」
 そう実感しながら頬を掻いてみる。
 実のところ、人の体温が横にある、というのは、そこまで嫌なことではなかった。本当に寒いときは、少しばかり重宝してみなくもない。ありがたいと思ったこともないけれど、まあ、悪いことばかりでもない。いや、だからって良いことでもない。
 わたしは彼の迷惑行為を本当に迷惑だと思っているのか? 神に誓って? 刀剣男士も神なんだっけ? そもそもGODを神と訳した日本人は相当な天然なのでは? 神の定義が曖昧すぎる。それならわたしも神でいい。
 顎に手を当てて、猫背気味になりながらそんなことを考えていると、背後で衣擦れの音がした。あ¨ぁ、とやる気のなさそうな掠れた声を聞く。不可抗力の暴力によって起床を促された彼の機嫌は、まあ最悪だろう。いやでも本当にそして完全に不可抗力だったから、わたしの落ち度はそこまで無いはずでは。勝手に部屋に入ってきた長谷部さまが悪い。しかし殴ったわたしも悪い。
 せめて形だけでも謝っておこうかと、喉の調子を整える。すると唐突に後ろから、二本の腕が回り込んできた!
「ぎゃーっ! 何するんですか!」
「俺はまだ寝る」
「自室でどうぞ!」
「ここは俺の部屋だ」
「いやわたしの部屋ですねッ!?」
 軽い押し問答の末、成す術なく布団に引き倒されてしまった。「俺が寝ているのだから、俺の部屋だ」甘々な滑舌のまま、彼はそう断言する。そんなわけあるか、と咄嗟に言えなかったのは、長谷部さまの声がいつもより、うんと甘かったからなのだと思う。
 べったりとわたしの横に張り付いた長谷部さまのお身体は、睡眠に最適な体温を保っている。非常に温かい。しかし二度寝に耽るつもりは毛頭無かったので、どうにかして彼から離れようと奮起した。起き上がろうと試行錯誤するも、長谷部さまの腕の力が強すぎて振りほどくこともできない。固い胸が当たっている。
「わたし、起きちゃったので起きます、ってば!」
「俺は寝る、から、お前も寝ておけ」
「嫌です!」
 本当に人の話を聞かないお方! 暴れながら抗議しようとも、長谷部さまの拘束はなかなか解けない。腹の上に脚を乗せられてからは、もう梃子でも動かないつもりなのだろうと、少しばかり呆れた。
「眠くもないですし、起きて支度をしたいんですけど……」
 長谷部さまは黙る。ちらりと壁掛け時計を見遣ると、五時三十五分程度の時間をぼんやりと指し示していた。せめて六時には身支度を整えて廚の手伝いがしたい。皿を並べる程度のことでも、やらないよりは良い。
 抜け出そうと身動ぎをするたび、彼の腕の力は強まった。追い打ちをかけるように、脚までわたしを布団に縫い付ける。「痛い!」長谷部さまの手足が身体に食い込んだ。わたしに絡みついた長谷部さまは、不機嫌そうに鼻から息を抜く。
 そして、ゆっくりと、温かな声色で、「眠く、なれ」と囁いた。手のひらで目を伏せられて、また、「眠くなれ」と唱えられる。耳朶をかすめる低い声は、わたしを眠りへ誘おうと、ゆるやかに吐息の波を打ち付ける。
「眠くなれ」
 それなら、少し、だけ。目を、瞑るだけなら、いいかもなと、身体の力を抜いた。



「お、俺は、なまえのことが、好きで、好きで。仕方ありませんでした。ですが、なまえは、お、俺のことを、好きに、は、なれないと……、脅しても、犯しても、好きには、なって、ッ、くれません、でした。でも、やはり、好きで。どうしようもなく、好きで。四度目の行為の際に、やっと、は、孕ませることに、成功しました。そうしたら、なまえは、自分が妊娠していることがわかると、首を吊って、し、死んだのです。はは、ははは、俺の子は、産みたくないと、思ったのでしょう。ああ、なまえの手足をもいででも、なまえを生かしておくべきだった! そうしたら、い、今頃は……俺を、愛してくれていたはず。なまえと同じ顔のあなたが、俺を愛しているのなら、いつかは、なまえも、俺を愛してくれたはずなんだ。俺の主は、なまえだけ、なんです。なまえ、なまえ、俺の主、俺無しでは何もできない、可愛い可愛い、俺の……」

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