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 黒と白と青のハイコントラストが、異様なまでにきれいでした。きれい、などという言葉では、その姿は到底表現しきれないとは思うのですが、はあ、とため息をついてしまうほど、きれい、だったのです。
 異常なほどに、そのときの彼はきれいでした。別の言葉に置き換えるならば、そう、美しい、とも。
 召し替えたのか、はたまた、そのときの彼こそが、マハーバーラタの大英雄アルジュナという人物そのものだったのか。
 すれ違ったその一瞬、時を忘れました。
 俯き、書類の文字ばかりを眺めていたわたしの視界を掠めた青々しいその霊気。凍りつくほど冷ややかな魔力の層の表面が、わたしの肌をゆるやかに撫でる。そのいちばん外側にしか触れていない筈なのに、身体の芯がぞくぞくと震えて仕方ありませんでした。
 高潔で気高いその霊基のかたちに、「きれい、」言葉が押し出されたようでした。
「……は?」
「あ、すみません。いや、あの、きれいだなと、思って」
 男性に向かってきれいだなんて、失礼だったかもしれません。わたしは頭の奥ですこしだけ後悔しました。でも、本当にきれいだったから、それを口にしないだなんて、逆に失礼なのでは、と。
「綺麗、ですか」
 アルジュナさんは、露骨にいやそうな顔をして、唇をきつく結びました。わたしは白衣の襟をぎゅうと握りしめて、「すみません」と、何に対して謝っているのかもわからないまま返事のようなものをしました。
 ああ、わたしなんかの語彙量では、彼の身姿のそのすばらしさを表現しきれない。しかしほんとうに、彼は目を見張るほど、神々しい霊基の光に包まれていたのです。
 悠々と咲き誇る、ブルーバイカラーのサイネリアを彷彿とさせました。目に痛いほどの配色を持って生まれておきながら、上品な振る舞いを見せる冬の花。深い青の詰められた花冠を囲む白は、花弁の端に向かって冴え渡る青色に変わりゆき、朝露に蒼穹を映し込む。完成された芸術の如きその見姿は、もはや彼が人の形をとっていることすら奇跡的だと思いました。
 その感銘を口に出さず、何かに書き記すこともなく、ずっとわたしの胸の内側にとどめておくことなど、あまりにも背徳的で、罪深いことのようで。
 ですが、わたしのその気持ちは、やはり心の中にしまっておくべきものなのだと、彼の反応を以て気が付きました。わたしから視線を逸らし、つんと向こうを向く彼の横顔は、どこかしら愁いを帯びていて、どうにも、言葉が見つからない。
「呼び止めてしまってすみません」恐れ多くも口を開きましたが、声が震えていないかどうかばかりが心配で、聞き取ってもらえたかすら怪しいものでした。
「いえ。あまりにも、私には釣り合わない言葉でしたので」
 そんな。美しいということばこそ、あなたのために存在したと言っても過言ではないのに。
 リノリウムの床の上、しゃんと背筋を伸ばして立たれている。白い外套の裏生地は、吸い込まれそうなほど彩度の高い青。そう、目に焼きつくほどに。
 その場に膝をついて彼を崇めたいとさえ思いました。しかし、彼は神ではなく、また、神の使いでもない。だからといって崇めぬ理由もない。わたしはそれまで宗教などに関心がなかったものですから、崇め方すらまともに知りませんでした。
 神を崇める行為の、その行程すら知らないくせに。わたしは彼を崇拝したいと、心からそう思いました。
 すでにその瞬間から、彼を崇拝していたのかもしれません。わたしは無意識に胸の前で両手を絡めていました。祈りを捧げる余裕もなく、本当に形だけのそれでした。
 目を、離せませんでした。俯向くことさえ億劫で、今となっては、口を利くことさえいけないことのような気がして。
「……再臨を、したばかりで」
 再臨。貴方様がこの世に何度降りようと、その美しさは一瞬たりとも穢れはしない。
 わたしがそれを口にしようか否かと迷っていると、彼は、淡々とした口調で次の言葉を吐き捨てました。
「このような姿のサーヴァントは、物珍しいですか」
 ああ、そんなこと、そんなこと!
 ただ物珍しいという理由だけで、貴方を見つめる筈がない。わたしが貴方を見つめることで、そんなふざけた付加価値が貴方にはりつくのであれば、わたしは、二度と貴方を見つめはしない。
「大変、失礼、いたしました」
 抑揚のない声で、静かに謝罪の意を述べる。崇めようなど烏滸がましい、わたしは彼の信者になる資格すら与えられてはいないのですから、当然のようにも思えました。


 本当に、本当にきれいでした。その青を両手にすくって、延々と眺めていたいほど、彼に添えられた青は鮮麗でした。純白を纏う褐色とは、これほどまでに艶めかしいものなのかと、頭の奥で何度もそれを思い返しました。
 わたしにとって大英雄アルジュナとは、高潔で、気高く、麗しい、言わずもがな最高の――サーヴァントでした。
 そして、あの日以来、彼の姿を目に入れることはなくなりました。
 怖かったのだと思います。彼が『物珍しい』だなんて、そんな稚拙な言葉ひとつで彼を評するなんて、わたしには出来うるはずがなかったのです。彼を、『物珍しい』存在にするのが、怖くて。わたしの視線ひとつで、彼を在り方を穢してしまうことが、何よりも恐ろしくて。
 彼の気配を感じたとき、視界に青が入り込んだとき、目に痛いほどの白がそこにあるとわたしの脳が認識したとき、わたしは目を閉じ、暗闇に身を委ねました。そうすれば、彼を『物珍しい』ものにする要因を、本気で取り除けると、そう思っていたのです。それが本当にばからしいことだったとしても、誰に、何に笑われたとしても、わたしは構いませんでした。彼が少しでも不快にならない方法で、わたしもそこに在れるなら。これほど嬉しいことはない。
 やはり、わたしにとって、マハーバーラタの大英雄アルジュナという存在は、あのときから信仰の対象になっていたのだと思います。
 それは彼が大英雄であったからとか、叙事詩にそう記されているからとか、英霊として未だ世界に在り続けるからとか、そのようなくだらない理由では、決して、ない。
 ただ、彼は美しい。
 さんざ煌めく夜空の星々のように、彼は残酷なまでに美しかった。心より、そう思っていた、願っておりました。

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