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(性的な言葉がいくつかあります)


「夢の中の君はいつだって処女だった。君の肉体はまだ姦通を済ませていなかったようだから。私が今までに君を抱いた回数は八回。私は八回、君の処女膜を貫いたことになる。勿論、夢の中での話だから、現実の君はまだ初物のままだ。しかし。しかしだよ」
 マーリンは眉をひそめ、一度鼻から息を抜いた。感嘆の溜息を躊躇うほど、彼の胸の中は黄色い花でいっぱいだった。目を細めながら、なまえの腹の辺りを眺めている。
「なんですか」
 いつまでも台詞の続きを口にしようとしないマーリンに、なまえは怪訝そうな顔を向けた。気分が悪いのだ。マーリンを包みこむ花のにおいは、今のなまえにとって、かなりの『いやなにおい』だった。
 そもそも、体調の優れない人間を前にするなり、嬉々とした顔で手を引いてきた彼の行動が、なまえには心底信じられなかった。廊下の端で足を止め俯いているなまえを見て、マーリンは興奮した様子でなまえに近づき、「やっとだね」と不可解なことを口にした。ほんの数分前の出来事だ。たったそれだけの時間で、彼の異常性は浮き彫りになった。
 マーリンが女性にとって不快だと感じるような言葉を発しはじめたときも、なまえは意識が朦朧としていてほとんど聞こえていなかったし、早くこの無神経で無駄な会話が終わればいいとさえ思っていた。しかし、彼が不自然に口ごもったことで、なまえの意識は急速にマーリンへと向けられた。
 しかし。しかし、何なんだ。
 マーリンの口元がゆがむ。唇の端が釣り上がる。頬がほんのりと赤められて、にんまりと笑顔を作った。
「君は、妊娠している」
「……は、っ?」
 なまえは目を見開いて、眼球の渇きを覚えたころにやっと声音を漏らした。ひくついた喉からは、細い驚嘆の声しか出なかった。
「おめでとう」
「何、何が、」
「うん? 君と私の子だよ」
「はあっ……?」
 妄言か、若しくはからかわれているのか。どちらかであってほしい。彼は一体何を祝福している。なまえは眼前の男の脛を思い切り蹴りあげてやりたくなった。しかし、彼から漂う花の香りが、なまえのその思いを一瞬で切り捨てた。「う、」口元を押さえ、先ほどのように俯く。すると、マーリンはなまえの背に手を回し、優しくさすってやるような仕草をした。丸められた背中を撫でる慈愛に満ちた掌が、なまえに熱を移す。
 いや、これでは、まるで、まるで。
「君は夢の中で起こった事を、本当にすぐ忘れてしまうね……。夢の中でもずっと、私の存在に気が付かなかった。リツカに化けた私を、ずっと『一夜の夢の中だけに存在するリツカ』だと思いこんでいた。君を抱いていたのは私なのに」
「なに、なに? う、っ……どういうこと」
 こんな状況で、まともに理解もできそうにない話をつらつらと並べ立てる。なまえに理解力が無いのではない。理解するために必要な、脳の余裕がなかった。だってこれはあまりにも、望まない結末しか待っていないと思ったから。彼の言っていることが本当なら、それは、あまりにも――。
「私の姿に戻っても良かったんだけどね、それでは本当に気付かれた時が厄介だ。君は私の存在に気付いた瞬間、本気で拒絶するだけで良いのだから。それでは私も心苦しいし、なるべくなら最後の最後まで君の中に居たいからね」
 笑って、そうっとなまえの肩を抱く。自然な、恐ろしいほどに慣れた手付きが、なまえの背中をずるりと這った。
「……こども? 何、わたし、え、……マーリンさんの、赤ちゃ、ん?」
「アハハハハ! 良い響きだ。君と私の子だよ。君が、君が欲しがっていたんだよ。憶えていないだろうけれど」
「どうして、い、いやだ、」まだ、仕事もあるのに。人理修復だって、まだ。藤丸さんだって、まだ、帰ってきてない。まだ、何もかも違う、こんなのは。
 なまえは、今と全く関係のない思考をすることで、腹の中にある事実から目を逸らそうとした。するりと腰に回る腕、下腹部に触れる手のひらの感触を拭い去るために。
 震えているなまえの耳元に、にやついた唇が寄せられる。しかし、それは彼女を嘲るためのものではない。
「大好きなリツカに抱かれる夢はなかなかに良かっただろう? ああ、忘れているか……なら、思い出させてあげよう。次は、藤丸さんではなく、マーリンと、呼んでもらいたいな」
 彼は喉を鳴らしながら薄く笑った。紫色に輝く瞳が、ゆるく細められていく。
 なまえの腹の中で蹲っているちいさな種子は、静かに生を待っている。訪れるかも分からない一年後を、彼女の胎内で待ち続ける。
「うそ、うそ、どうしよう、藤丸さん、ドクター……わたし、どうすれば、どうすればいいの、どうすれば……」
 ああ、やはり、ハッピーエンドは良いものだ。
 彼女のつむじが、花の息吹に染まった。

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