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(人が死にます)(ちょっとよくわからない話です)



 ばかだなあ、とマーリンは自分の片頬を押さえながら頭を揺すった。目の前で悔しそうに俯いている彼女を辱めるためだった。
 彼はひとしきり笑った後、なまえの額に向かってキスをするそぶりをした。彼女が一歩引いたことによってそれは未遂に終わってしまったが、マーリンがなまえを追いかけることはなかった。その代わり、なまえの細い腕を捕まえて無理やり引き寄せ、自分の胸に押し込めた。
 腕の中で暴れている彼女を壊れるほどきつく抱きしめて、鼻先についたなまえの髪を香る。長い睫毛を震わせながら、マーリンは感嘆の溜息を零した。
「本当にキミは可愛いね。今更何を言っているのさ。キミがやったんだよ、きみが」
 このカルデアにいた職員もサーヴァントも、全員、キミが! 殺したんだよ。
 マーリンの腕の中で、なまえは口を閉じたまま泣いた。喉で潰れた悲鳴は、カルデアが崩壊していく音によって掻き消されてしまった。
 小さな背中を撫でようとした彼は、禁忌に触れるかの如く手を震わせている。唇をきつく締めて、ぽん、と背中の中心に手を置く。
 二人を取り囲むように、その場には赤紫色の花が咲き乱れた。
 床も、壁も、天井も、赤が滴る複数の人間の皮膚にも、令呪をなくした少年の右手の中にも。花が咲いていた。青い花が血を吸ったような、赤紫色の花だった。
 崩壊した管制室の中央。文明の灯火を失い真っ黒に染まったモデル・カルデアスの目の前で、マーリンは笑っている。
「生まれたての英雄。かわいいなぁ、こんなにかわいいのに、カルデアを滅ぼした大英雄だなんて、ちょっと笑っちゃうね」
「なにがっ……何が英雄っ……」
「ソロモンに加担し、人理焼却を企む悪い機関を壊滅させたんだもの、それくらいの名誉は当然だろう?」
「意味が、分からない」
「キミはもう、私の英雄なんだ。ううん、ボクだけの英雄、大英雄だ! ボクをこんな狭いところから救い出してくれた、救世主とでも言えばいいのかな!」
 マーリンは少しだけ腕の力を緩めると、そのまま屈んで、なまえに口付けた。「いやっ……」肩を突き飛ばされたマーリンは少しふらつきながら、「なまえの唇はしょっぱいね」と何事もなかったかのように笑う。
「夢だと思う? 夢の筈がない! こんな素晴らしいことを夢で終わらせるものか! きみはこれからボクとアヴァロンへ帰って、そこで何事もなかったかのように幸せに暮らすんだ。わかるだろう?」
 マーリンは杖を高く掲げ、花の絨毯に向かって大きく腕を振り下ろした。すると、杖の先端で撫でた空間が、切れ込みを入れたようにすらりと裂けていった。裂け目はどんどん傷口を広げてゆき、怯えているなまえの視線を吸い込んでいく。
 裂け目の奥には、ただ、真っ黒の面があった。そこは黒一色で塗り固められていて、光も何もなく、奥行きも感じられない。その場にぽっかりと穴が空いたような、恐怖の具現化そのもの。
 その隣で、マーリンは笑っている。頬を上気させながら、恍惚とした表情でなまえを見つめている。
「行こう。キミはボクにだけ讃えられるべきだ。ボクにだけ祝福されるべきだ! 英雄として、ううん! カルデアからボクを救ってくれた、大魔術師として! 世界が死ぬまで一緒にいよう。キミの世界がもう一度終わりを迎えるまで!」
 マーリンが動いた。なまえは逃げ出そうとしたが、花の蔓が足に絡まり動けない。
 なまえの腕が白い手に捕らえられた。彼女の足に絡みついていた花たちが一斉に腐り始める。
「嫌! いや、イヤ、嫌ああ! 助けて! 藤丸! 藤丸!!」
「もういない人間に助けを求めるなよ!」
 花を踏み散らしながら、二人は空間の裂け目に導かれていく。真っ黒な、行き先も分からない空間へと引き摺られて行く。宇宙の果てほどに暗い横穴へと身を投じるために。
 痺れを切らしたマーリンが、抵抗するなまえを抱き寄せた。濁りきった紫色の瞳がなまえの瞳を覗き込む。花の香りがそこら中に広がっていく。
「夢なんかじゃない!」
 彼は嬉しそうに叫んで、なまえを強く抱き締めた。そしてそのまま、二人は空間の裂け目へと共に崩れ落ちて行く。
 次に彼女が目覚めたのは、何の変哲も無い自室のベッドの中だった。傷一つないのっぺりとした天井を眺め、ふと横を見ると、白いローブに身を包んだ男がなまえの隣で静かに眠っていた。
 夢なんかじゃない。その叫び声が耳にこびりついていて、なまえは耳を塞ぎたくなった。頭の中で何度も反響するうちに、この世界が夢などではないことを思い出す。
 ばくばくとうるさい心臓がやっと平穏を取り戻した時、隣にある紫色の瞳が、瞼を押し上げて姿を現した。
「キミが壊れる前で良かった」
 なまえは、ぼんやりと聞こえてくるその言葉が、脳内で甘く融けていくのを感じた。あれほど受けていた恐怖もなくなってしまったのか、腰に纏わりつく腕を受け入れてしまっている。
「夢なんかじゃないよ」
 ばかだなあ、と愛おしそうにマーリンは笑う。目元には小さな水の玉が付いていた。
「予行演習さ」
 花の香りが立ち込める。鉄の焼ける匂いがする。時が狂う音がする。なまえの足元に、赤紫色の花が咲いた。

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