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・2%程度の微妙な性描写




「アベンチュリンさん、」

 こちらに向かって伸びてくる華奢な腕に指を滑らせ、手首を優しく掴んでみせる。軽く引き寄せれば、脳髄をふやけさせる彼女の甘い香水の匂いがふわりと舞った。瞬く間に鼻腔を犯され、くらくらとした眩暈のような感覚に溺れかける。気取ったラストノートが彼女の体臭と混ざり合った。芳醇なその香りは僕に対してのみ著しく不健全で、実に蠱惑的だ。
 しなやかな手首は細く、力を入れずとも己の指が回ってしまうほど。それを包み込むのは白く、透明感のあるきめの細やかな肌だ。いや、実際はもう少し不健康そうな青白い肌であったような気もするし、張りのある肉感的な柔い肌であったかのような気もする。ぼんやりとした記憶の中で僕は彼女を再構築して、夢想の中でゆるやかに酩酊していく。
 僕はその柔い手首の形を掴んだことはなく、持ち主である彼女の体温に触れたこともないが、想像の中で甘やかに己を誘惑する彼女の肉体は、既にこちらの理性を惑わせる熱を持っていた。
 彼女を間近で見たことはある。されど、肌を寄せたことはなく、距離の近さに胸を跳ねさせたことがあるくらいで、彼女との接点は無いも同然、故に、機会を作ることは可能であるが、まだ僕は賭けるためのチップすら持っていない。謂わば、席にさえ案内されていないのだ。
 人が幻想を抱くことは最早珍しいことではない。誰もが己の理想を胸に生きている。その中には崇高なもの、賛美に値するものもあれば、無論、下劣で低俗なものだってある。
 御託をいくら並べ立てようとも理想は理想だ。終わらぬ夢の果てにある、それは確かに不確かで、手が届きそうになる瞬間さえまぼろしであるような、絶望を連ねた空想、手に入らないと分かっていながら、人々が焦がれることをやめられない星辰の誘い。
 理想とは誰しもに平等だ。誰もが、それを見ることばかりは許されている。理想を現実にさえしなければ、望めども叶うことさえなければ、何をしても構わない。どんなことをしてもいい。それだけが約束されている。

「……なまえさん」
「……」
「なまえ、」
「なに?」

 これを現実にしようとはしないから、だから、頭の中で作り出したまぼろしを、この腕の中に収めて、抱き寄せることで己を慰める。せめて現実とかけ離れた場所の中でくらいは、許されたい。
 彼女は僕の頬に優しく触れると、ゆっくりと目を細めながら顔を近づけた。唇が触れそうになり、こちらもそっと目蓋を下ろすと、「邪魔ですね、これ」という、僅かながらに不機嫌そうな囁きが聞こえた。
 色付いた視界がオリジナルの世界を映し出し、彼女の本当の肌の色を見せてくれる。本当はその色も、肌触りも、どうだっていい。彼女がすべてをさらけ出しても良いと思える相手が僕であった、その事実されあればよく、他の要素は何一つ必要ない。「アベンチュリンさんの目……、もっと近くで見たいです」僕だって君の瞳を間近で見ることが叶ったのならどんなに嬉しいか。結局それは、想像上の彼女が口にした言葉だけれど。僕の瞳の色合いを理由に、僕の身体に触れようとする、近くに肌を寄せて、お互いの距離を埋めようとする。目の前にいるなまえさんだけが、僕の理想のなまえなのだと思う。「綺麗……」彼女が言う。「もっとよく見せて、」僕はこの人に、己の瞳を間近で見られたいのだ。「もっと、」瞼のふち、まつ毛の生え際、目頭の粘膜の色、強膜の白さと潤みに瞬いて、この虹彩を欲しがって欲しい。「もっと……」ゆっくりと瞼を下げて、彼女が求めるものを隠してしまおうとする。こうすれば、彼女は拗ねた声を出して、僕の膝の上でそっぽを向くだろうから。
 わからない、彼女はそこまで少女の心を持って今まで暮らしてきたのだろうか? 僕が悪戯に目を瞑ったことを察した途端、僕に対する興味を全てなくすのではないだろうか。甘い口付けと共に唇を開き、瞼を押し上げながら舌を求め合うことは叶わないのか。
 どれも叶う、すべてが叶う。でも、彼女は、それをするだろうか? 彼女は、僕が思っているような、僕にとって最も都合の良い、僕のためだけにあるような人なのだろうか。
 僕は彼女のことを何も知らない。誘いに答えてくれる人かどうかだって分からない。基礎もセオリーも知らない素人か、誘導に乗らない一流か、一時の高揚に魂を売った勝負師か――場を乱し嘲り消えるトリックスターか。僕の頭の中で彼女は何にでもなれるだろうし、僕が命じなければ何になることもできない。理想を構成するための事前知識が乏すぎて、妄想を押し付けることだってできやしない。
 膨れ上がってずくずくと痛む下半身を慰めてもらうために彼女のことを考えるのは、どうにも背徳的で、終わる前から罪悪感が募る。「ふう……っ、」興奮の息は浅く、取り出した肉の形は既にその気になっていた。
 あの小さな唇が僕の名前を紡ぎ出すのにあとどれくらい時間がかかるのだろう。この束の間の休暇が終わるのが待ち遠しい。左手をゆるゆると動かしながら柔らかい肢体の感触を想像して、「あ、っ」漏れた声を嘲る瞳に想いを馳せる。
 机の上に寝そべっている端末が軽く振動した。メッセージだ。今は反応できない、相手の確認だけして後ほど……と画面に視線を向けると、軽い挨拶とこちらの様子を伺う言葉が書かれた吹出しが一通、彼女の名前と共に僕の視界に飛び込んできた。

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