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 鍾離はゆっくりと腕を伸ばし、優しく広げた指の先でなまえの髪を撫ぜた。小さな頭がくすぐったそうに揺れ、瞼の辺りまで伸びた前髪の下から、彼の心を射止めるまなこが現れる。
 なまえは開いていた本を閉じて、呆れたような、けれども少しばかり嬉しそうな顔をして、鍾離の指先に触れた。彼女の白い指先は黒い手套に馴染まずに、外套の袖口を撫で、腕の表面を通り、彼の頬に触れる。耳朶に下がる飾りが揺らめいた。

「なんですか、」

 優しい声だった。彼はその言葉に続く己の名を聞きたいと思った。
 黒い手套はそのままに、開いた袖口の形状を変える。皺一つ見当たらない厳かな作りに織り上げ、滑らかな光沢を乗せて黒岩の色に染めた。
 女の表情が変わる。微笑みは溶けて固まり、緩められていた頬から血の色が消え失せる。

「……あ、」

 それは民の前に姿を現す岩王帝君の形であった。軍を率いて剣哉を奏でる神の姿ではなく、人々を平安に導く岩王の輪郭である。
 暗色の中に金を走らせたその衣裳は、彼が気に入っている礼装の一つだ。ただ、彼女には一度もこの姿を見せたことがない。あまり史料に残っていないから――または、岩神が繕う数多の姿自体にはそれほど興味を持っていないから――だろうが、実際にこうして眼前に置いてみれば、きっと興味を持つだろう。彼は静かに微笑んで、なまえからの反応を待った。
 彼の頭の中は、これから彼女と行われる問答のことでいっぱいだった。
 主に着用していた時期はいつごろか。使い分ける基準は。肩の外衣が見当たらないが、羽織らないまま活動することはあったのか。本当に三眼五顕仙人の一人が手掛けたものなのか。ひとつひとつに彼女が納得する答えを用意して、臨んだ筈だった。
 女は立ち上がり、彼の指先から逃れると、そのまま怯えたように後退って、肩を狭くしながら己の両手を気まずそうに擦り合わせた。それから静かに足元に膝をついて、震える指先を懸命に揃えながら、黙って平伏した。

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