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#完凸公子の番外編
#過度なじゃれつき



 悪戯に沸いて溢れた性欲をどのようにして処理すれば良いのかなど、もう嫌と言うほどに分かり切っている筈なのに、目の前に現れた選択肢を未だに抱き寄せられずにいる。二人掛けのソファに雪崩れて、お互いの体温に触れて、身じろぐたびにくすくすと笑い合う、それだけのために時間を潰しているとは到底言い切れず、柔らかな温もりを受け入れていた。決して引き寄せはしない、座っているのか寝ているのすら分からないあやふやな体勢のまま、穏やかに寄り添うだけ。だって、それ以上をしてしまったらきっと後悔するであろうということを、俺は随分と前から知ってしまっている。

「アヤックスの心臓、すごく早く動いてる」
「うん」
「わたしと一緒にいると、どきどきする?」

 悪戯っぽく笑ったなまえは、俺の腕に胸を押し付けながらそう言った。

「……うん」

 二つの膨らみが押し寄せて、その形をひしゃげさせた。自分の喉から出たものが本当に返事になっていたのかすら曖昧になるほどに、興奮してしまっている。

「すごく、ドキドキするよ、」

 意味のない会話はただの言葉遊びのようなもので、お互いの気持ちを伝え合うための行為には及ばない。むず痒い、けれども心地良い。
 なまえは軽く息を吐くと、俺の胸のベルトを外してシャツを開いた。「わ、」驚いて声をあげればなまえは満足気に微笑んで、俺の胸元を眺めた。
 この小さな手は俺の胸を簡単に開いて、そして俺も、やはり開かれたいと思っている。

「もっとドキドキしてるところ、見せて」
「……もう見てるだろ」
「違う、」

 小さな手が胸から離れ、するすると腹のほうを滑って、俺の下腹部に触れる。「アヤックスの、ドキドキしてるところ」衣擦れの音がやけにうるさい。触れられているところが熱い。これ以上は危険だと脳は警告を出したが、欲望がそれをねじ伏せる。
 なまえの手がそこに触れた瞬間、俺は驚いて腰を跳ねさせた。俺の、ドキドキしているところ。「ふ、えッ、何、」「やっぱりドキドキしてる、」「いや、ドキドキしてるっていうか、」確かに、そこは心臓の鼓動ほどに脈打つ場所だ。なまえの手の平に伝わってしまうくらいに熱を溜め込んで、俺の興奮を如実に示す。既に少しばかりだが硬度を持ち始めているそこは、なまえの手によって簡単に翻弄させられてしまう。
 かり、と丸い爪の先で軽くそこを引っ掻かれ、また俺の腰は跳ねた。「うあッ、」殆ど、先端の位置だ。敏感な粘膜に覆われたそこに、鋭い刺激と薄い快楽を感じて、声が漏れる。「ちょっとかたくなってる」「うるさいな、なまえが……」「わたしのせいだね」ふふ、鼻から息を吹いたなまえの顔には、俺が見たことのない、妖艶な笑みが浮かんでいた。

「わたしのせいだから、アヤックスはわるくないよ」

 優しい声でそう言うと、なまえは俺にキスをして、また手のひらを動かした。今度は、撫で回すような手つきだった。吸い付いてくる唇を押し返すこともできず、されるがままになる。「ん、」「ふふ、アヤックス、ぅん、」先ほどと違って、じんわりとした甘く柔らかな快楽が腰に染み込んでいく。「待ってなまえ、ん、ぁ、」「やぁだ、ぁふふ、」手首を掴んでも離してくれることはなく、開かれた指の間で隆起をゆるゆると弄ばれるだけだ。なまえは暫く俺の反応を見て楽しんだ後、深呼吸をしてから、言った。

「アヤックスの、ドキドキしてるところ、見せてよ」

 そんな蠱惑的な声色で誘われたら、言われるがままになってしまいそうになる。普段なら絶対に言わないことを、この外形というものは簡単にやってのけるのだ。
 目の前にあるそれが一体なんなのか、頭では理解しているつもりで、そのくせ、これが本当になまえであったのならと望みをかける。「アヤックス、ねぇ、早く見せて、」そんなこと、なまえが言う訳ないのだ。どうせなまえのようなもののくせに、と悪態を吐くことは簡単だ。ただ、彼女のこういった行動に、どうしようもなく興奮してしまうであろう俺がいることもまた事実である。
 この誘いに、乗ってしまいたい。なまえではないものに、なまえであることを夢見ている。見た目がなまえであるのだから、これはきっとなまえだろう。なまえの、いずれ訪れるかもしれない一粒の可能性がこれなのだ。そしてこれが本当のなまえでなかったとして、失うものだって何も有りはしないだろう。「アヤックスう、」猫撫で声に寒気がする。やはり、これはなまえではない。分かっている、普段と何もかも違うなまえなんかに価値はないのだと言うことも。思考を伝えて、頭で分からせて、身体に教え込んで、それでやっと気持ちの一割くらいが伝わる。それくらいでいい、それくらいがいい。

「……」

 これに手を出して、そして全てが終わったあと、俺は死にたくなるほどに後悔するだろう。俺が愛したいのはなまえであって、なまえではないものとは違う。俺のなまえへの愛は本物であっても、それは本物に対して向けられ、そして本物に受け止められなければ意味がないものだ。

「なまえ」
「なあに」
「君は本物のなまえなの?」

 柔らかい頬を撫でる。なまえと同じ形で、なまえと同じ熱を持って、なまえと同じ質感のある、愛おしい顔の皮だ。なまえはそっと微笑んで、言う。

「うん」

 すうっと、頭が冷えていくのが分かった。そう答えるのであれば、やはりこれはなまえではないのだ。目の前のなまえの形をしたものが本当になまえであるのなら、俺がした質問にまともに答える筈はない。
 外形は嘘を吐くことができない。それは四方八方の網の術式からなるものであり、改良の施されたこれは、意外と、そして自然に、簡単に嘘を吐く。
 頬から首へと滑らせた指が、なまえの皮膚に食い込んだ。ぐう、となまえみたいな形がおかしな声を出して、俺の手首を掴んだ。

「アヤッ、く、す、う、あ、……」
「ごめんね、ありがとう」
「あ、……ッ」

 形だけの謝罪をして、形だけのそれの首を握り込む、覆い被さり体重をかけて圧迫する。なまえの白い首に死が絡みつくときは、俺が傍にいてやりたいな。握り込んだ皮の下には骨のような形があるだけで、実際にはすかすかの、何も無いがそこにあるだけなのだ。
 目を見開いたそれは、俺に首の骨を折られて霧散する直前に、俺の目をじっと見つめ、「愛してる、」と掠れた声で言った。なまえは俺に向かってそんなことを言わないし、素直に俺の手にはかからない。潰れた声音を耳にした瞬間、骨の折れた感触に胸を撫で下ろした。
 ソファに寝転んだ俺の隣には何も無かった。初めから何も無かったのだから、当然のことだ。肌の温もりを覚えたままの手のひらを軽く開いて、「ああ、」そのまま目元を押さえる。分かってる、分かっている筈なのに、先程まで目の前にあった夢のような世界を、もう一度見てみたくて仕方がない。俺がなまえに向けている感情は間違いなく本物のそれであるのだと、この身を以って教えたい。示してやりたい。潰れた玉虫色の球籠を見るたびに、そう思うのだ。

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