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「膝枕を」 
 その言葉を聞いた瞬間、なまえはエッと声を上げて、固まってしまった。

 なまえは、不卜廬の従業員である。白朮の助手である七七と素材集めを交代で受け持っていて、今日は七七が留守番で、なまえが薬草を集めに行く番だった。
 天気の良い絶雲の間で無事必要な薬草を集め終え、なまえが帰路へつこうとすると、それを狙っていたかのように現れた宝盗団に、薬草の入った鞄を奪われてしまった。途方に暮れているなまえの元に偶然居合わせた申鶴は、薬草を奪還し宝盗団を懲らしめると、なまえが璃月に無事辿り着くまでの用心棒として名乗りを上げたのだ。
 なまえは、申鶴のことを仙人か魔物だと思っていたが、帰路で会話を続けていくうちに、彼女が人間であることを知った。そして、見かけよりも優しい心を持つ人間だと分かると、気を許したのかよく喋るようになった。申鶴も、なまえのそのようすを見て、表情を解していった。
 道中に現れた巨大なスライムも、炎熱に包まれた植物の魔物も、申鶴は眩い白氷を振り撒いてなまえを守った。狭路に嵌まり込んだ大岩を片手で軽々と持ち上げて通れるようにしたり、深い川の上に氷を張って近道をしたり、なまえは申鶴と一緒にいることで、さまざまな珍しい体験をした。申鶴と共に行動することは、まるで本の中の出来事のようで、なまえはそのあまりの楽しさに、薬草を摘みに来たことなどすっかり忘れてしまいそうになった。

「疲れてはいませんか」

 さんざん道に迷った挙句、やっと視界が開けたと思えば、そこには廃れた帰離原の跡地があるだけであった。ひゅうと流れ過ぎる風の音に、二人は道を間違えたのだと気が付いて、顔を見合わせては瞬きをする。「……、」沈黙の末に、なまえは小さく笑いながら休息を提案した。

「疲労を感じるのか」
「いえ、申鶴さんにはいろいろとお力をお借りしたので、疲れているんじゃないかと思って」
「我のことは案ずるな。歩行も困難なほど疲れていると言うのなら、我が運んでいこう」
「そうじゃなくて……じゃあ、少し疲れたので、休息をしませんか」
「構わない。では、そこの木陰で休むとしよう」

 申鶴は自分らの近くにある、背の高い木の根元を指さした。力強く盛り上がった根は、ちょうど座るのにも適していそうだった。成長し切った太い枝は多くの木の葉をつけ、陽射しをやわらかく遮っている。
 なまえは、申鶴のために何かできることはないかと考えていた。共に行動することが楽しいと感じる反面、あまりにも彼女に頼り切りであることに、どうしても申し訳ない気持ちが勝ってしまっていた。だから、何か申鶴のためにできることはないかと聞いたところ、「膝枕を」と返ってきたのだった。

「……喉が乾いたとか、小腹が空いたとか」
「ない」
「どこか、四肢の疲れがあるとか」
「我は日々鍛錬を積んでいる。この程度で疲労は感じない。薬も不要だ」
「……膝枕?」
「そうだ」

 この人は何を言っているんだろうとなまえは思ったが、申鶴の真剣な顔つきを見て、言葉を飲み込んだ。
 申鶴は冗談を言うような人間ではない。なまえはたった数時間一緒にいただけだが、申鶴の性質を理解できるほどには随分と親密になっていた。だからこそなまえは混乱しているのだが、申鶴はいたって真面目な顔である。
 申鶴は木の根に座らず、木の根を背もたれにして地面の上に座り込んだ。長い脚を折りたたんで横に流し、姿勢を少しだけ崩す。

「ここに頭を」

 木の葉が風に揺られて身を擦る。「なまえ。そこに寝そべり、我の大腿に頭を乗せて……力を抜け」なまえは、己を見上げる申鶴の表情を見て、再び息を呑んだ。だって彼女の言葉には、ほんとうに、まったく、ひとつの冗談も混じってはいないのだ。氷柱をつたう水のようにまっすぐで、不思議な魅力のにじむ瞳が、なまえの揺れる心を射抜く。

「わたしは、申鶴さんに休んでもらいたくて」
「なれば、これが主から我への労いとなろう」
「でもこれだと、わたしが労われていることになってしまいます
「我がこうしたいと思った。我のためにできることはないかと聞いたのは主だ」
「そうですが」
「では、ここに頭を」

 結局、なまえは申鶴の剣幕に押し負けて、その場に寝転んだ。揃えられた大腿の上に頭を乗せて、言われるがままに全身の力を抜く。
 なまえの視界の殆どは申鶴の胸で埋まっており、胸の膨らみの向こうにちらりと申鶴の顔が見える。申鶴が何かを喋れば、それは胸が喋っているように見えた。

「(本当にこれでいいのかな……)」

 ぽつぽつと会話を続けていた二人だったが、穏やかな気候の中でいつしか会話はなくなり、二人の寝息だけが帰離原の風に乗って流れていった。

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