SSS | ナノ


「銀杏と、潮の香りが恋しくなって」

 なまえは瞼を伏せながらそう言った。ゆるやかな微笑みは窓から差し込んだ柔らかな陽光に照らされて、鍾離は目のくらむような思いをした。「ここがいやなわけではないですよ。寧ろずっとここに居ていたいくらいです。ただ、」なまえは窓の外を見遣る。彼の造った美しい夕焼けの表情に目を細めている。「璃月港から少し離れただけで、こんなにも寂しいと感じるなんて、思ってませんでした」そう言って、彼女は笑顔に困った色を混ぜ込んで見せた。

「璃月港で生まれたなら、璃月港で死ぬんだと、漠然とそう思っていたのですが、案外わたしは璃月という国であるのならばどこでもよいのかもしれません」

 窓際の席でこぼされたその言葉に、鍾離は確かな喜びと、心の震えを感じていた。普段通りの彼ならば、そうかと返して茶杯に口をつけるところである。けれども、此度ばかりはどうにも喉の渇きを忘れてしまっている。
 返答の内容が考えられない。相槌すら打てず、ただ彼女の頬のあたりを眺めている。「ふー……、」なまえは透き通った茶の水面に息を吹きかけ、少しだけぬるくなったまろやかな味を一口だけ飲んだ。その様子を見て、鍾離は熟れた瞳を柔らかく光らせる。

「……それは、」

 ここで死ぬことも厭わないという意味か。
 鍾離はやっとのことで唇を開いたが、口内で練られた質問が弾き出されることはなかった。聞いてしまえば否定が返ってくるような気がしてならなかった。彼女の発言は愛の告白に他ならないものである、それに対する裏づけが欲しくて、裏づけられなかった結末を恐れている。
 瞼を伏せて、彼は少しだけ黙り込んだ。それからゆっくりと瞬きをして、「週末、璃月港に行こう。久しぶりに、きみと街を巡りたい」と提案した。

「え、いきなりですね」
「迷惑だろうか」
「いいえ。お出かけの予定を入れられるくらいの時間はありますよ」
「それは良かった。きみはここのところ、部屋に篭りきりだろう? 何事にも休息は必要だ」
「今も休憩中ですよ」
「一日くらい、まとまった時間を外でのんびりと過ごすのも悪くはないだろう」
「ふふ、鍾離さん、わたしのことを一日中連れ回すつもりなんですね」

 なまえは嬉しそうに笑った。少なくとも、鍾離にはそう見えていた。

「前はわたしが連れ回していたくらいなのに」
「俺は連れ回されていたのか?」
「わりとそうですね。気づいてなかったんですか?」
「ああ……そう感じたことはなかった」

 鍾離さんって変なところで鈍感ですね、と女は言った。きみに言われたくはない、とはどうしても言えず、鍾離はやっとのことで茶杯を持ち上げた。茶杯の中身はすっかり冷えていた。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -