SSS | ナノ


(小ネタ詰めです)
(貴方に贈る第三指、ジンジャー・エールの設定を引きずっています)
(若干ヤンデレ気味なのでなんでも許せる人向け)




 魔法のランプをこすると魔人が現れて、みっつの願いを叶えてくれるのだという。
 どうか小指が返ってきますようにと祈りを込めて、左手の小指があった場所を優しくさすってみた。右手の指先は冷たい鉱物の感触ではなく生ぬるい体温を感知する。
 まあ、当たり前のことなのだけれども。ランプの魔人は現れないどころか、指の一本も生えてきやしなかった。やっぱり、わたしの小指はあの日以来、この身体から切り離されてしまったのだ。
 左手の小指をなくしてから、もう一週間が経つ。あの日、ライオンのこどものような生物に噛まれてから、わたしの小指は無くなってしまった。折れたり、ちぎれたりした訳ではない。無くなってしまった。消えてしまった。そんなもの生まれたときから生えていなかったでしょう、とでも言うように、あった筈のその場所から、すっかり消えて無くなってしまっていた。
 不思議なことに痛みもなく、切断されたような痕もない。左手の水掻きが三つになり、そして指が四つになった。薬指の左横には何にもない。つるりとした皮がそこにあるだけで、指が生えていた形跡だってどこにもなかった。
 右手を見れば、しっかりと五指が生えそろっている。だから、きっと左手もそうなのだろうと視線を移すと、そんなことはないのだから驚きだ。今まであったものが無くなった筈なのに、脳は元からそこに小指など無かったものとして認識してしまっている。
 きっと他の人から見たら気持ち悪く感じるのだろうな。恐らく指が欠落していることに対してではなく、わたしのこういった神経そのものに。でも、無くした実感こそあれど、指が有った感覚すら上手に思い出せない。親指から薬指までを、丁寧にゆっくりと握りこんでみる。唯一、小指の曲げ方が、どうしても思い出せない。
 わたしはある筈だった小指の感覚さえ忘れてしまったくせに、何故かそこがむず痒い、と感じることがあった。痒い指などどこにも無いのにだ。
 初めは幻肢痛に似たものだろう、と思っていたものの、何か、舌のようなものに舐められている……そんな感触を、無くした指に受けることがあった。
 無い指に触れられている感覚があるなんて、到底誰にも言えなかった。だって、わたしは小指を無くしてしまったのに、動かす感覚すら忘れてしまったと、あれほどいろんな人に説明した筈なのに。ふとした時、何かに触れられているような感覚がある――そんな訳のわからないこと、今更誰かに告白したところで信じてもらえる筈がない。小指の感覚が無いと言ったのはあなたでしょう。触られている感覚だけはあるなんて、おかしな話。きっと、そう診断されて、それで終わりだ。
 鋭利なものを当てられる感触もあった。柔らかい何かを撫でるような感触も。ぴり、とした痛みに近い感覚も。もうすでに、消えてしまった利き手の小指に。無い場所に今更触覚が戻り始めた。おかしな話だ。触られるための指など、もう、無いのに。
 脳が憶えていたのだろうか。そんな、今になっては体験できない、昔々の感覚を。
「今言ったこと、全部忘れて。やっぱり、自分でも変だと思うから。……リツカちゃん、あんまり見るものじゃないよ」
 リツカちゃんはわたしの利き手を両手で包み込み、悲しそうな瞳で手の中を覗き込んでいる。同情してくれているのだとしても、あまり気持ちよく見せられるものではない。リツカちゃんにあるものが、わたしには無いのだから。
「でも、ときどき、触られてる感覚、あるんですよね」
「うん。指は無いのにね」
 リツカちゃんは、わたしの無くした小指を自分の指で摘むふりをした。そんな、無理して信じてくれなくていいのに。無い指の感覚がある、なんて。「何か、感じますか」「ううん。今は、何も」「……そうですか」きゅ、とわたしの手を優しく包むと、リツカちゃんは泣きそうな顔でこちらを見上げてきた。
「ゆびきり、出来なくなっちゃいました、ね」
「右手で出来るよ。いつも左手でごめんね。これからは右手で……」
「違う、違うの、左手が、よかったの。左手が……」
 なまえさんの左手がよかったんです。
 震えた声でそう吐き出して、彼女はぐっと顎を引いた。湿った吐息がわたしの手の甲を撫でる。
「わたしのせいで、ほんとうに、なまえさんのゆび、きっちゃった」
「リツカちゃん……」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
 彼女の眼に宿る太陽から、ぼろりと大粒の涙が溢れる。わたしの手の甲に落ちてきたなみだの一粒が、手の甲を伝って薬指の左横に落ちていった。
 太陽が、溶け落ちたのか。小指の根元がじくりと熱を持った。



 りつかくん、って呼ばれてみたかったんだ。オレはなまえさんのことをつい苗字で呼んでしまうけれど、本当はずっと下の名前で呼びたかった。なまえ。なまえだって。綺麗な名前だなあ。きっとオレと引き合わせるためになまえさんの両親が付けてくれたんだろうな。なまえ。なまえ。何回口にしても飽きない名前。オレの大好きな音。
「藤丸くん、そろそろ行かないと。レイシフト。わたしも準備しなきゃ……」
「藤丸って誰です?」
「……りつかくん」
 困ったなまえさんの顔、声! すきだ。「はい、」返事のためにつくった声は溶けてしまった。その言葉が聞きたくて、オレはなまえさんと一緒にいるときだけ藤丸という姓を自分の中から消してしまう。なまえさんの口の中から、りつかくんという男の名を引き出すために。
 レイシフト前は、誰もいないような資料室なんかに隠れて、こうやって抱き合って、なまえさんを充電する。それも、ほんの一分とか二分の間くらいだけど。それでも、じゅうぶんだった。
 オレはとても燃費が良いので、少しの充電でもフルパワーでの稼働が可能なのだ。オレが聞き分けの良い、性能の良い人間だってなまえさんが覚えてくれたら、なまえさんはきっとオレのことを嫌いになれなくなる。少しの間でいいなら、って、向こうから折れてくれる。なまえさんって、そういう人だ。
 ああ、すき、好きだ。やっぱりなまえさんも、オレのことが好きなんだ。オレのことが好きじゃなきゃ、ここまでしてくれるはずがない。
「オレが、アメリカに行っても……オレを忘れないでいてくれますか。オレを、憶えていてくれますか」
 遠い昔、ドラマか何かで聞いたセリフを口に出してみる。実際にこれからオレが向かうのは、五つ目の特異点にあたる千七百八十三年のアメリカ大陸で。一度向こうへ飛んでしまったら、なまえさんは何があってもオレに会いにくることは出来なくなってしまう訳だ。いや、オレが戻ってくれば良いだけの話なのだけれども。
「……うん、絶対に忘れない。わたしは、わたしたち職員一同は。この時代における君の存在を、カルデアで逐一観測し、そして証明し続けます」
 何を言われても、浮気しちゃダメですよ、とか、どうせ忘れちゃうくせに、とか。からかってやる予定だった。でも、なまえさんの真剣な声色は、鼓動のゆるんだオレの心臓を急速に煽り立ててきて。どくんどくんどくん。鼓膜の裏で胸の鼓動が跳ね返る。ざあざあと血液の流れる音が聞こえてくる。これじゃあなまえさんの声が聞こえなくなってしまう。
 なまえさんがオレを証明してくれるって。なまえさんが。オレの存在を。こんなオレのことを、ここに居てもいいよって、認めてくれるって。ああ、ああ。オレを、オレのことを、赦してくれるんだ。
 もう、嬉しくて、涙が溢れそうだった。いままでにそんな言葉を、なまえさんから貰ったことは一度もない。軽い激励をして終わりだったのに、ついに、ついに……。
「お、オレのこと、ずっと見ていてくださいね。少しの間も、目を離したらダメですよ。じゃないとオレ、どこかに行ったまま、消えちゃうかもしれません」
 なまえさんが、ずっとずうっと見ていてくれるなら。オレ、何処へだって行ける気がするなあ。鼻の奥が熱くなる。なまえさんの肩に当たった喉がひりつくのを、唾液を無理やり飲み込んで誤魔化した。
 このまま暫くなまえさんを抱き締めていたかったけれど、オレは聞き分けの良い男だから。彼女の身体からゆっくりと離れながら、少しだけ不安そうな声で、「頑張りますね」と、いつものように笑うことにした。



 なまえさんがわたしのサーヴァントであったのなら、それはそれはすてきな関係を彼女と結ぶことが出来たのだろう。わたしはマシュと共に前を向いて闘うことしか出来ないから、もしもなまえさんがわたしのサーヴァントになった暁には、わたしの身体と心を包み込んでくれる、強靭な鎧になって欲しい。なんて、驕りすぎた願いだろうか。
 彼女がわたしのサーヴァントになったのなら。レイシフト先でも、カルデアにいるときも、ご飯を食べるときも、寝るときだって、一緒に居てくれたかもしれないのかな。
 あいにくなまえさんは英霊に昇華できるほどの人物でもなく、世界に選ばれて連れていかれてしまったような人でもないけれど。
 もし、英霊の誰かと融合して、なまえさんがわたしの擬似サーヴァントになる日が来るとしたら。何物にも染まらない真っ白な甲冑を身に付けた、謂わば白馬の王子さまみたいな……そんななまえさんを想像して、布団の中で縮こまる。なまえさんは女性だけど、きっと、きっと。わたしのサーヴァントになったなまえさんは、わたしの理性を破滅に導くほど美しいかたちを以て世界に降り立つのだろう。
 暗闇のなかで、一人分の体温を抱きしめる。ベッドに沈む身体もひとつ。隣になまえさんは居なくて、今頃こうしてわたしの心を弄んでいるのにも気がつかず、自分の部屋で呑気に夢を見ているに違いない。
 なまえさんが、わたしのサーヴァントに。なんて。ふと我に返って、唇を尖らせる。そんな都合のいい話なんかあるものか。脱力して、枕に顔をうずめた。自分の軽率な考えに嫌気がさす。なまえさんを擬似サーヴァントにして、すっかり使役してしまおうだなんて。
 デミ・サーヴァントといえば、諸葛孔明やマシュのように、英霊から戦闘能力だけを引き継ぐのが当たり前みたいに思えてしまうけれど――それは憑依する側の英霊が、そうしたほうが合理的であると判断した上で初めて成立するものだ。なまえさんを依り代にどこかの英霊を呼べたとして、なまえさんの人格や意識がその英霊に完全に食われない確証はどこにもない。なまえさんの身体を持った、全く知らない人が出来上がってしまうかもしれない。というか、そっちの可能性のほうが極めて高いのだ。
 人格を別のものに上書きされた、なまえさんのかたちをしている、なまえさんではない人――わたしが欲しいと願うのは、そんな地獄の釜で禁忌を煮詰めたような結果などではない。
 わたしの大切な人が、その愛しい身体だけを置いて、どこかに消えていなくなってしまう。あの人とずっと一緒にいたいと望んだことがきっかけで、わたしは大切なものを自ら手放そうとしていたのだ。
 それに気がつけただけ、まだマシなんだろうか。
 ばかなことを考えていないで早く寝ないと。誰に隠す訳でもないのに、布団を頭まで引き上げた。
 聖杯。
 皆が欲しがる、あの願望器と呼ばれているものは、わたしの邪悪な望みさえ、すっかり叶えてくれるんだろうか。
 瞼を閉じる。視界いっぱいに、泥の色が広がった。

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