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#仙輝暗転の番外編



「パイモンちゃん、はい、あ〜んっ」
「あ〜んっ!」

 なまえの持つ匙の先端が、パイモンの口の中にぱくりと収まった。

「むうう〜っ! 美味しい!! このカラメルが、はうう、ちょっと苦くて、んぁああ〜っ! ほっぺたが落ちそうだ〜!」

 小さな口の中に広がる幸せを、パイモンは全身で表現する。暴れがちな手足が旅人の肩を襲うたび、迷惑そうな視線がパイモンへと向けられた。
 机を挟んだ旅人たちの向かいに座るのは、片手にプリンの皿を持ったなまえと、眼前の様子を見て全ての動作を停止させた鍾離だった。水を飲むために掴んだコップの表面が、手袋と擦れる音がした。

「んんん〜! やっぱりプリンはサイコーだ! それに、人に『あ〜ん』ってしてもらうと、いつもよりもっと美味しく感じる気がする……!」
「あはは、旅人さんも一口いかがですか」

 旅人は、その提案にぎょっとした。そしてすぐさま、なまえの横で固まっていた鍾離が恐ろしい速度でこちらを見るのを感じた。
 睨み、というほどではない。けれども明確に、その瞳が何を訴えているのか、旅人は理解せざるを得なくなる。真正面から向かってくる威圧すら覚える眼光は、旅人の額に幾ばくかの脂汗をかかせた。
 その視線の意味は、無論『断れ』だ。分かっているな、とでも言いたげな表情に、旅人は軽く頷いて見せる。
 けれどもそうしている隙に、既にプリンは匙の上にあるようで、なまえの手がゆっくりと旅人のほうへと伸ばされた。

「はい、どうぞ」
「……!」

 旅人の視線の先には一口大のプリンがある。
 ちらりと鍾離のほうへと視線をやれば、変わらぬ表情がそこにあった。

「……? あんまり好きじゃないですか?」

 なかなかプリンを口にしない旅人を見て、なまえが的外れな疑問をぶつけた。パイモンが答える。「そんなことないぞ! 旅人もオイラもプリンが大好きだ!」旅人の表情が強張った。視線が揺れ動く。非常食め、と手に持ったフォークが握りしめられた。
 旅人だって、プリンが好きだ。ただ、こうして差し出される誘惑を無抵抗に受け入れてしまえばどうなるか分からない。きっとこの食事代もすべて自分持ちにさせられるだろうし、こんなくだらないことで逆恨みをされるのは不本意だ。しかも自分は大して悪くない。なまえからの好意は嬉しいし、あの食いしん坊妖精の舌を唸らせたプリンだって食べてみたい。
 パイモンの言う通り、旅人も人並みに甘いものが好きだ。プリンも、もちろん好物だ。「……、」食べたい。パイモンの言う、甘いプリンに絡む少しだけ苦いカラメルとやらを堪能してみたい。

「君、あまり旅人を困らせないでやってくれ」

 どの口が、と旅人は目を見張る。やっと時間を取り戻した鍾離は、コップの水を一口飲んで冷静になったようだ。

「あ! なまえ、んふふっ! 何か一言足りないんじゃないのか〜?」
「え?」
「ほら〜、あれだよぉ、あれ!」

 パイモンが可愛らしく目を瞑り、口を開けて軽く身を捩る。それを見たなまえは、早くもその真意に気づくのだった。

「はい、旅人さん、『あ〜ん』!」

 満面の笑みに、好物の乗った匙。これ以上目の前の誘惑に耐えることは、旅人には不可能だった。
 ぱく、と匙の先を口に含む。あれほど緊張していた顔が、甘味によって綻んだ。

「旅人も、あ〜んってされたかったんだよな! わかるぞぉ、普段の二倍、いや三倍おいしい!」

 旅人は何度も頷き、舌の上に広がる幸せに瞼を細くした。そして、なまえの横で鍾離がそわそわとしているのを見る。
 次は自分の番に違いない。そんなことを考えている様子である。食器を置き、いつでもなまえの慈愛を受けられるように万全の態勢を作っている。けれども、なまえの視線が隣に向けられることはなかった。

「オイラもなまえにあ〜んってしてやる! 絶対美味しいぞ!」
「ふふ、ありがとう」

 鍾離の期待は胸の中で大きく膨らんで、すぐにしぼんでしまった。パイモンがなまえにミントゼリーを一欠片食べさせる仕草を見て、自分の番は永遠に来ないであろうことを察したのだ。
 よく考えずとも、先ほどのなまえの行動は、子に食事を与えようとする親の仕草である。寧ろそれ以外の意図はない。なまえからすればパイモンも旅人も、保護すべき子どものようなものだ。そしてその光景は、家族間や親しい友人の間柄で行われる、所謂『食べさせあい』である。
 哀れな往生堂の客卿を見つめる旅人の瞳には、同情の色が浮かんでいる。大人同士でそれをやるのは、特に親しい間柄でもない限り滅多にないだろう。
 鍾離は彼女の匙が向かう先を欲している。生憎、それが口に入ることは今のところなさそうだ。

「……君」
「はい、なんですか?」
「これも食べてみるといい。一度も口をつけていないだろう」

 遂に鍾離は己の立場を理解し、場の雰囲気に馴染もうと新しい匙を取った。そして、北地のリンゴと肉の煮込みを一口分掬って、なまえの視界へと入れる。

「はい、ありがとうございます」

 なまえは鍾離の差し出した匙を受け取り、少しぎこちなくそれを口に含んだ。
 ちょっと冷めちゃってますね、と笑うなまえは、もらった匙を自然と手元の皿に置いて自分のものにしてしまった。
 旅人はすぐに理解した。なまえは、あの料理がそんなに得意ではないのだ。
 前方からの視線の意味に気づき、鍾離は目元を暗くさせる。妙に落ち込んでいる鍾離を見たパイモンは、無邪気にその場で揺れてみせた。

「なんだ? もしかして……鍾離も食べさせあいっこしたいのか?」
「……お前たちが楽しそうにしているから、どのようなものかと思ってな」
「じゃあオイラが食べさせてやる! これとこれと、あとこれも美味しいぞ!」
「いや、ぅぐ、……そうでは、んむ、なく、」

 遠慮しようとする鍾離の口元へ次々と一口大の料理が現れ、そして口内へと詰め込まれていった。咀嚼して飲み込めばまたすぐに次を出され、喋る隙もない。

「……これだと、まるで介護だな」

 鍾離の口からフォークを引き抜いたパイモンは、銀色に輝くそれを握りしめながらそう呟くのだった。

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