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#仙輝暗転の番外編



 彼の琥珀色の目に、炎が宿った。熱鉄の融け出す色だ。浅ましい嫉妬に燃える色だ。表情こそ普段と変わらない厳格なものであるのに、瞳ばかりが感情的にぎらついていた。

「説明してくれ。何故、俺に聞かない。俺は君の知りたい答えのその殆どを知っている」
「鍾離さんの口頭の意見だけを鵜呑みにする訳にはいかないからです」
「俺の言葉は信じられないと?」
「参照するものが文献か人かの違いです。鍾離さんの意見は非常に興味深くて一見事実のようにも聞こえますが、やはりそれは個人の解釈の域を出ません」

 女は静かに答えた。渡り廊下の突き当たりに追いやられ、自分よりも随分と背の高い男に視界を遮られているのに、動揺の仕草も見せなかった。

「わたしのやり方が気に入らない、理解できないと言うなら構いません。ただ、気を悪くさせたならごめんなさい」
「俺の言葉は信用ならないと言うんだな」
「違います。もし何か発見や意見があってそれを通したいなら、論文を書いてください」
「それは……」
「わたしは帝君の意志を、この璃月の規則に則った正しい形で残したいだけです」

 鍾離に、己の意見を文献に残し世に放つ選択肢はない。故に、彼女の心は得られない。「鍾離さんの話は面白いです。でも精査が足りません。鍾離さんの話を真実として認めるには、たくさんの時間と人手が必要です」彼女の言うことは尤もだ。己が意見を通したいなら、人の作った規則に従う必要があるというだけ。鍾離には反論の余地も無いが、本質はそこではない。
 鍾離は、彼女にさえ認めてもらえれば良いのである。彼が欲しいものは彼女からの信頼であって、数多の人間に認められることではない。

「失礼します」
「待ってくれ」
「……なんですか?」

 己と壁の間から抜けようとする彼女を、鍾離はその腕一本で塞いだ。大きな手のひらを壁に押し付け、逃げ道を遮断する。あまりにも柔らかな動作に、彼女は不信感すら抱かなかった。
 二人の間に、緩やかな秋風が通る。

「論文があれば良いんだな」
「……えっ、書くんですか!? 鍾離さんが書いた論文なら、もう、いくらでも読みます。すぐ読みます」
「いいだろう、君がそこまで言うのなら」

 指の腹で壁の肉を抉り取るのではないかと思うほど、その手には力がこもっていた。無邪気に頬を綻ばせる彼女は、眼前の男の箍が外れかけていることに気づかない。
 彼の書き上げた論文が、不特定多数の者の手に渡ることは無いだろう。そして、彼女が彼の書いた論文を読み終えることも無いだろう。
 次から次へと現れる膨大な量の紙束に襲われ、何れ彼女の帰り道は失われる。読まない、と云った選択肢は存在し得ない。何故なら鍾離が執筆した論文を一番欲しているのは、今も尚笑顔を絶やさぬ彼女であるからだ。

「論文が書き上がったら、一番最初に君に読んで欲しいと思っている。そのときは、俺の家に招待しよう。何、退屈させることはないと約束する」
「一番最初がわたしでいいんですか!?」
「ああ。実は論文というものを書くのは、生涯で初の試みだ。推敲や添削を頼めたらと思う」
「絶対みんなも読みたがると思うのに、えぇ、本当に、あぁ、嬉しいなぁ……」

 頬に、歓喜の朱が乗せられている。それは鍾離の頬にも同様に。
 彼は壁についていた腕を下ろし、また背筋を伸ばした。頬の色は、すぐ元に戻っていた。

「俺が論文を書いていることは、他言無用としておいてくれ。他の学者にも読ませたいと思うものだけを君に厳選して欲しい。俺は学者ではないからな、書いたところで見向きもされないだろう」
「そんなことありません、きっとみんな読みたいはず、あぁ楽しみ、どうしよう、もう走り出したい……」
「急に走ると危ないぞ。そうだ、一番初めに書くものを一緒に考えて欲しい。案が複数ある」
「そんな、あの、嬉しいですけど、そんな……」

 あまりの喜びで、彼女はその場で何度も覚束ない足踏みをした。先程の張り詰めた雰囲気は、もう夕暮れの風に流されてしまっていた。

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